外伝3『ABHORRENCE』18:惨劇の花畑

文字数 3,860文字

 血の奥底に住まう、この世から見放された者。これは、看過されるべきことではない。

「キサマアァァァァァ! アニスに何をしているっ!」

 狼がようやく花畑に到着した。虚無の瞳で微動だしないアニスと、その身体を貪り続ける人間を見て怒りが頂点に達し突進する。炯々とした瞳は確実に標的を捕らえた。
 狼の咆哮が響き渡り、少年らは死を覚悟した。小動物とは比較出来ない動物が来た、噛み殺される以外選択肢はないと悟った。
 しかし、面倒くさそうに顔を上げたトカミエルは、慌ても怯えもせず、右手のナイフを握り締める。
 顔面血塗れの姿は、見る事すら悍ましい。恍惚の瞳が無造作に歪み、食事を邪魔され嫌悪感を剥き出しにしたトカミエルは無表情で呟く。
 
「うるさい、邪魔だ」

 その場にいた人間が、動物が、息を詰まらせた。
 森で最強に位置するといっても過言ではない狼に、一瞬で突き立てられたナイフを見て言葉を失う。トカミエルは美し過ぎるほど完璧に、猛然と挑んできた狼の眉間にナイフを突き立てた。

「ギャオン!」

 無様に地べたに這い蹲る狼に、傍らにアニスを抱いたままトカミエルは涙を流して笑い転げる。
 動物たちには見えた、トカミエルの背後から立ち上る漆黒に近い業火が。

「何? この妖精を助けに来たの? 悪いけど、オレからこの子を奪うつもりなら」

 死んで。
 嗤っていたかと思えば、急に真顔に戻ったトカミエルは射抜くような視線を周囲に投げる。威圧され、動物たちは束縛されたかのように動けない。
 血の気が失せたアニスだが、若干意識を取り戻した。瞳の端に映った狼を見て、かさついた唇を震わせる。青紫色した唇で、息も絶え絶えに言葉を紡ぐ。

「み、んな、わたし、は、だいじょ、ぶ、だから、もり、へもどっ、て」

 か細くとも声は動物たちに届いた。しかし、この状態では全く説得力がない。動物たちは、途中で挫けも逃げもしなかった。アニスを救出する為に怯むことなく、猪がトカミエル目掛けて突進する。

「忠告はしてやったよ、一応」

 軽くおどけた溜息を吐いたトカミエルは、アニスの首元へ手を添えると猪たちへ見せつけた。

「分かるだろ? 近づくならこの華奢な首を、折るよ。枯れ枝のように、ポキンと」

 猪たちは、慌てて地面に爪を突き立て制止する。悔しそうに鼻を鳴らしながら、トカミエルを睨み付けた。
 笑い転げるトカミエルだが、首元から手を離さない。

「知らなかった、動物って人間の言葉が解かるんだ。存外利口で助かったよ、下等な生物だとばかり。ごめんねぇ?」

 邪魔をするものは、全て叩き潰す。どんな手を使っても、妖精を渡しはしない。不敵に微笑み、反抗的な態度をとる動物たちに見せしめとしてアニスの首を冗談で絞めた。

「う、うぅ……げほっ」

 死に逝く動物に、涙を流し何度も謝罪したアニスは指すら動かせなくなっていた。ただ、咽る。

「な、ぜ。こん、な、おそろし、こと……を」

 動物も、トカミエルも、アニスにとっては大事な存在だ。次々と動物の息の根を止めていく彼を知ったとしても、愛しい心は変わらない。何か誤解が生じたのだ、でなければ明るく太陽のように無邪気に笑える彼が、こんな残虐なことをするはずがない。
 そう思っている、願っている、酷い人間ではないと。
 
 ……誰か、誰か。誰か、助けて。

 激痛で意識が飛びそうになるが、足元の無残な動物たちの死骸を目にする度に現実へと舞い戻った。ここで自分が倒れていては面目たたない、この責任を負わねばならない。
 不意に、煌めく首飾りが目に入った。

「トリア……!」

 アニスは、鮮明にトリアの姿を思い出した。トカミエルの双子の弟で、馬のクレシダから信頼され、栗鼠たちに気に入られ、鷹から一目置かれている人間だ。

「そうだ、トリアなら」

 アニスは希望を見出した。彼は味方であり、理解者。

「助けて、トリア」

 アニスは激痛に耐え名を呼んだ。唇を震わせ、声を張り上げる。掠れた声は、物悲しい音を刻む。

「助けて、トリア! トリア!」
「何を言っているのかわからないって……ん?」

 唇を再度動かし始めたアニスに困ったように笑いかけたトカミエルだが、魅入っているうちに唇の動きを読み取った。

「タ・ス・ケ・テ・ト・リ・ア? トリア?」

 アニスと同じように唇を動かし、言葉を発する。
 それは、双子の弟の名前。トリアの姿が脳裏を過った瞬間に、先日の会話が甦る。

『……好きな子が、出来た』
『新緑の髪に、深緑の瞳。とても可愛らしい子で』
『あの子の傍にいたい、護りたい。彼女がいると分かるだけで、心が安らぐ』

 脳内に響き渡る、満ち足りたトリアの声。途端、トカミエルの表情が親と離れた幼子のように歪む。

「緑の、髪と瞳……」

 ザワザワと背後から忍び寄る不安に、悄然とした面持ちで虚ろに呟く。無性に嫉妬を憶えた先日のトリアが、まざまざと蘇り襲い掛かってきた。水に沈められたように呼吸が出来ない。
 緑の髪と瞳。
 次いで思い出したのは、馬が合わなさそうな男の言葉と姿だった。

『緑の髪と瞳の娘を知っているかどうか……確認しに来た』

 情緒が、移ろう空のように変化する。この不愉快な感情を消してしまいたいと、腹の底で叫んだ。悦楽も憤怒も悲哀も、グチャグチャに混ざり合って心の中で湧き立つ。

「二人が求めていたのは……この子?」

 キィィ、カトン

 耳障りな音に、トカミエルは頭を激しく振ると胸を鷲掴みにする。腕の中にいるアニスは、自分だけの宝物だと思っていた。
 けれど、それは間違っていたのかもしれない。
 
「トリア。お前……オレより先にこの子を知っていたのか!」

 金切声を上げた。

「オレが最初に見つけて手に入れたはずなのに、あの二人は知っていた! オレよりも先に知っていた! 冗談じゃないっ、今から隠したところですぐに見つかるっ! 狡猾なあいつらは捜す、そして奪うっ!」

 その事実が許しがたい。
 頭の中で歯車が軋む音がする、雑音が聞こえる、無数の羽音が嘲笑うかのように押し寄せてくる。

「最初にオレが逢って隠さないといけないのにっ! ()()()()()()っ、またっ」

 頭を掻き毟る。もはや、正常な思考ではない。
 そう、彼はすでに気が触れている。
 耳元で誰かが指示を出すように囁く、思考を誘導されている。

――もう終わりだ、君は失敗した。

 頭を振り続け、どうにか抗おうとした。

「駄目じゃない、まだ終わっていない!」

 けれども身体に纏わりつく黒いものは、口から入り込んで楽な選択肢へと誘う。ギリリと首が絞められ、だらしなく唾液を垂らし低く笑う。
 頭が酷く軋み、痛みから逃れる為誘われるままに身体を委ねた。

「嫌だ。耐えられない」
――そうだろう、嫌だろうね。解る、君の気持はよく分かるよ、悔しいね。トリアと妖精はとっても親しい仲なんだ。指輪もね、トリアと揃いの物だったから拾ったんだよ。君に返すためじゃない、自分の物にする為だ。

 言葉と共に、指輪を返そうとしていたアニスの姿が徐々に薄れていく。脳を溶かすような声に、頷いてしまう。

「オレの大事なこの子を好きだというトリアが、気に食わない。オレの大事なこの子を捜しているベトニーが、気に食わない。あの二人がオレの前に立ちはだかるのが、堪らなく嫌で苦しくて焦る。いつも横取りされる、何をやっても全て遅い!」
――解るよ。悔しいよねぇ、幸せの絶頂から絶望に突き落とされる衝撃は、計り知れないよねぇ。でも、憎いのはあの二人だけなのかい? 君を苦しめる元凶は、なんだい?

 自分に同調し話しかけてくれるその声の主が、あまりにも親切で。知らない声であり、抑揚のない不気味なほど()()()な声だったがトカミエルには解らない。
 虚無の瞳で、本音を吐露した。

「トリアの名を呼び助けを求めている妖精が、不愉快千万」

 トカミエルの瞳の奥に、揺らめく光が灯る。それは恐ろしく邪悪なものだった。
 目を落とすと、アニスの唇はいまだに「トリア」と動いていた。虫の息だというのに、それでも渇望し呼んでいる。封印して忘れたい厭わしさが、ふとした拍子で抉じ開けられる危険な記憶が、心の奥から引きずり出された。

「どうしてオレの名を呼ばないっ! どうして他の男の名前を()()()呼ぶんだっ! ここにいるのは、オレだろうがっ!」

 全身を幾多の剣で貫かれた気がした。幾度も繰り返されるそれは、絶叫し失神しようとも続く。死んだほうが楽だろうに、死ねない。身体に受けた痛みより、心の傷のほうが何百倍も激痛を伴う残酷なものだ。

「アアアアア嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! お前が他の男の名を呼ぶとオレの心はどうしようもなく痛い!」

 自分の名を呼ばないアニスは、トカミエルを容赦なく攻撃する。『トリア』と唇が動くたびに、数多の剣が突き立てられる。

「オレの名を呼べ!」

 その痛みから逃れる為、アニスの首元にそえていた右手に懇親の力を込めた。
 トカミエルは、どうすれば良いのか知っている。それは、とても簡単な方法だ。
 元凶を消し去れば、この地獄から解放されるが道理。

――可哀想に、いくら懇願しても彼女は君の名を呼ばない。だって、彼女にはトリアが。

 耳元で嘆くように嘆かれる。
 非常に惨めになった、家に持ち帰って飼うだなんて馬鹿げた案だった。

「オレだけにしろよ! 嫌なんだ、苦しいんだっ! その唇から他の男の名が紡ぎだされる事が耐えられないんだよっ!」


 トカミエルの絶叫が血塗られた花畑に響き渡る。
 激しくも物悲しい叫び声は荒れ狂う嫉妬の業火となり、森中に火種を落として駆け巡った。
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登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

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