惑星ネロの勇者
文字数 7,340文字
宮殿へ足を踏み入れると、リュウを待ち侘びていたんごうごうが、大きな瞳に涙を浮かべ擦り寄ってきた。
ぎこちなくだが、ようやく笑みを零したリュウは、その丸い背を撫でる。
どこか余所余所しく感じられる態度に、んごうごうは不安そうにリュウを見上げ、委縮する。
「食事はいかが致しましょう?」
ヴァジルの問いに、リュウは憎しみが籠った様な冷たい声で返答した。
「腹は減っていない」
「左様ですか。……全く。一体、誰が窓から抜け出すことを教えましたか? 子供ではないのですから」
「子供扱いしていたのは、お前だろう!」
酷く汚いものに触れるような声で叫んだリュウに、んごうごうが硬直する。背におかれた手が若干震えていたので、救いを求めるようにヴァジルに視線を送った。
微かに頷いたヴァジルは、ヘリオトロープに一瞬だけ視線を送ると、その場で脚を肩幅に広げる。
暗黙の了解で、ヘリオトロープはリュウの右側に移動した。
「これは心外、子供扱いなどしておりませんよ。勉強嫌いですので、手を焼いておりますが」
「白々しい嘘を」
んごうごうからゆっくりと手を退けたリュウは、そのまま大股で廊下を歩いた。
突き当たりが王の間、王の間の左がリュウの自室である。右は亡くなった王妃の間だ。
リュウの足音が、カツン、カツン、と不気味な程響く。狼狽しながらも追いかけてきたんごうごうが隣にぴたりと位置するが、そちらを見ることはなかった。
王の間へは、刺繍が見事な布で覆い隠されている。窓かけのように左右に広げ、中に入る仕様だ。中に入れば、王座が中央に見える。その、右手の奥から王室へと入っていける。そこは、生前父王が床に臥していた部屋だ。代々受け継がれて来た王の部屋であり、行く行くはリュウの部屋になる筈だった。
問題はその部屋ではない。
リュウは、子供の頃から気になっていた。この王座の間に、不可解な箇所が一箇所存在することを。天井を見上げると、中央に何か文字が施されている。華美な装飾がされていない王宮で、ここだけに一箇所、精密な何かが天井に存在する。床にも側壁にも、何もないというのに。
幼い頃、あれは何かと訊いたことがあった。なんと答えが返って来ただろうか、記憶にないということは、特に心に残らなかった、ありきたりなものだったのだろう。
今にして思えば、あれは嘘だった。
勤勉を疎かにしてきた自分に、否応なしに腹が立つ。これに関して自身で調べてみるべきだったと、舌打ちする。そうしたら、もっと早い段階で気づく事が出来ただろうに。
文字の真下に立ったリュウは、静かに天井を見上げる。徐に、腕を伸ばした。
「スタイン様、こちらへ」
ヴァジルの尖った声に反応した皆に、リュウは一斉に囲まれた。その行動を流すように見て、確信する。この場所が鍵だったと、口角を僅かに上げて顎を引く。
「見くびるなよ、ヴァジル。確かに私はお前の言いつけすら守る事が出来ぬ、腑抜けな男。だがな、これでも王族の末裔だ」
毒のある鋭利な声を発したリュウは、狂気の笑みを浮かべながら念じた。自分の予想が正しければ、この場所は“扉”。ただ、扉を開く鍵の存在を知らない。
『スタイン、願い事は強く思えば叶うものだよ』
父親の声が聴こえる、ならば、今強く願うべきだと悟った。
あの日、後方の王座に腰掛け、自分の頭部を優しく大きな手で撫でながら告げた父親に、心の中で謝罪する。
「私は、これしか方法が思いつかなかった。親不孝者なのだろうか」
ボソ、と言葉を漏らし、掲げた手に全魔力を集中する。忌まわしき元凶を潰す事が出来るのは、自分しかいない筈だ。それを成しえてこそ……王に即位する資格を得られるだろう。
今は、即位など到底出来ない。真実を知ろうが、知らないままだろうが、その気持ちに変化はない。
「恐らく、戻る事はない。だから、私は今日、この場限りで王位を捨てる」
皆の悲鳴が響き渡る中、リュウは寂しそうに、ただ涙を浮かべて微笑した。
「不甲斐無い王子で、悪かったな。皆、元気で」
爆音と、眩い光線が水晶の床に反射する。
ヴァジルの短い嘆声と、リュウの名を呼ぶ声が木霊する。
ヘリオトロープが自身の鎌を投げつけるが、リュウの魔力に打ち勝てず、粉砕された。床に破片が飛散する前に、咆哮を上げながら単身でリュウへと突撃したが、刃すら受け付けないというのに、身体では到底無理だ。
だが、彼とて理解していた。弾き飛ばされ床に叩きつけられるが、ヘリオトロープは幾度も妨害を続ける。
脇に居たんごうごうも体当たりを食らわしているが、丸い身体は容易く跳ね返され、壁に激突した。
天井から急に吹き荒れる風が舞い込み、リュウの姿は完全に掻き消える。魔力だけならば、王位継承者であるリュウの上限は計り知れない。ただ、本人が気づいていないのと、それを使いこなすことが出来るかが問題だった。取り返しのつかない絶望に陥った皆は、真っ青な顔で消えた王子が立っていた場所を唖然として眺める。
「スタイン様っ」
ヴァジルは、骨折してしまうのではないかというくらいに、強く地団駄を踏んだ。完全に計算外だった、リュウは魔力を完璧に使いこなしていた。自分の行動が甘すぎたことを後悔するが、取り替え絵師のつかない事態だ。
舌打ちしたヴァジルは、身体を翻すと直様自らの武器を取る為に駆け出した。しかし、違和感を覚て急に立ち止まると、驚愕の眼で天井を見つめる。その繊細な身体が、わなわなと小刻みに震え出す。
「王子……! 封印されましたな!?」
「どういう、ことだ?」
満身創痍のヘリオトロープの問いに、ヴァジルが怒鳴る。
その声は、皆を震撼させた。沈着冷静であるヴァジルの錯乱ぶりを見れば、誰しもが気付かざるを得ない。
「王子はこの惑星を遮断し、我らを孤立させた! 王子が封印を解かない限り、誰しも行き来出来ない」
皆は、ヴァジルが何を言っているのか理解出来なかった。それでも、徐々にその意味に気づき始める。
他からの干渉を受けないのであれば、僥倖。しかし、それは諸刃の剣。
『呼び出されないが、戻る事も出来ない。閉ざされた扉は、どちらからも開く事が出来ない』
唯一の王位継承者であるスタイン=エシェゾーは、戻らない。
ヴァジルは雄叫びを上げながら、我武者羅に手にしていた腕輪を床に投げつけた。衝撃で宝石は細かく砕かれ、煌きながら宙に舞う。
「どなたか! どなたか! 王子と同等、いや……それ以上の魔力を持ちえる御方よ! どうか、私の声をお聞きください! 私の名はヴァジル=セルヴァ。私を召喚してください、封印を打ち破り、貴方様のもとへと召喚してください! どうか御慈悲を!」
ヴァジルの悲痛な叫び声は虚しく木霊するのみで、誰からの反応もなかった。
あるわけがない。
皆の荒い呼吸が響き渡る、静まり返っているこの空気が、酷く重く冷たく圧し掛かる。
「拙いぞ」
「言われなくても解っている!」
ようやく声を絞り出したヘリオトロープに、ヴァジルは振り返りざまに怒鳴った。しかし、瞳に皆が不安に怯え、震えてその場に立ち尽くしている様子に我を取り戻す。項垂れたいが言い聞かせ、今は自分が指示を出さねばと、焦燥感に駆られながらも開口した。
その声は蚊の鳴くように小さくて、ヴァジルの声とは誰しもが思わない程だった。
「王子は何処まで事情を知っているのだ? 誰か、解る者は」
リュウと先程出くわした水竜の親子が、悄然としながらヴァジルの前に進み出た。子は状況を理解出来ておらず、無邪気に母の衣服に摑まって遊んでいる。母は顔面蒼白で涙を零しながら、消え入りそうな声で真実を伝えた。
「辛うじて……王子が使役されることは免れる……か。不幸中の幸いだ」
聴き終え、ヴァジルが吐露した。気丈に告げたものの、絶望していることに変わりはない。
やるべきことは唯一つ、王子の救出。膨大な時間がかかるだろう、けれども、彼はたった一人の王族。このまま放っていくわけにはいかない。
「直様魔術師らを城へ召集してくれ、一刻を争う」
ヴァジルの鶴の一声に、数人が慌てて宮殿を飛び出した。
ヘリオトロープは、天井を見上げ腕を組んだまま立ち尽くしている。
「なぁ、頭脳明晰な参謀さんよ。誰が、王子のこの魔力を解き放てると思う?」
「知らぬ。だが、方法はそれしかないだろう。王子の魔力に匹敵する人物で、我らの味方である種族がこの宇宙に存在することを、今は願うしかない」
「砂漠の中で砂金を見つけるよりも難しい事だねぇ」
落胆し、力なくヴァジルはその場に座り込んだ。
ヘリオトロープは驚き、零れ落ちそうなほどに目を開く。どのような事態に直面しても落ち着き、毅然と振舞ってきたこの火竜が、今初めて目の前で弱音を吐いた。
当然か、見守るべき最後の王族を止められなかったのだから。
「ヴァジル、王子は運が良い御方だ。……幸運を祈ろう、きっと、彼は護られる」
気休めにしかならないが、ヘリオトロープはそう告げた。
笑うことも頷くことも出来ず、ヴァジルは俯いた。
頬を撫でる風、身体に纏わりつく黄金の稲穂、眩しき夕陽。
リュウは、唖然として目の前の光景を眺めていた。両膝を地面につき、自分の肩ほどまでの稲穂に覆われた場所で、知らず溜息を吐く。あまりにも綺麗な光景に、一瞬自分が何をしたのか忘れた。
ここは、自分の惑星ではない。それだけは、自覚している。
暫し、風がそよぐ音に耳を傾ける。それは、何処か懐かしいような音で切なくなった。急に涙が込み上げる、胸に不安が押し寄せる。
一人きりのこの状況に、足元から震えがくる。
いつも、誰かが傍に居た。
起床し部屋を出ると、んごうごうとヴァジルが立っている。朝食は大勢で戴き、勉強はヴァジルを筆頭に皆から教えられた。昼食も談笑しながら食べ、昼寝のときは誰かが子守唄を歌ってくれた。おやつも、夕食も、当然皆と一緒。城の庭に湧いている温泉で身体を洗い流す時も誰かが控えていた、眠る直前まで誰かが頭を撫でてくれていた。
振り返ってみれば、自分は確かに大人とは言い難い。一人では何も出来ない、子供。甘やかされて、そのまま過ごしてきた。安寧の場所に、すっかり埋もれてしまっていた。
「私は何も出来ないのか、一人では。情けない。よくもまぁ、こんな私を王位につけようとしたものだ。冗談にも程がある」
自嘲し呟くが、いつまでもここで蹲っているわけにはいかない。早急に現状を把握する必要がある。腹を括って徐に立ち上がると、稲穂を押し倒しながら前進した。夕陽の眩しさに瞳を細め、鴉の鳴き声に時折身体を震わせる。幻獣星に鴉は存在していなかったので、何の声か判別が出来なかった。まさか自分よりも小さな鳥だとは思わず、得体の知れない何かに脅えた。
そういえば、武器を所持していない。丸腰に気がつき、頭を掻き毟る。剣があればヴァジルに習っていたのでそこそこ扱えるが、素手での格闘は不得手だ。なんとも無鉄砲な自身の行動に嫌気が差すが、文句を言ったところで自分の愚かさが曝け出されるだけだった。
「どうし、よう」
一旦、立ち止まる。
けれどもここで死するわけにはいかない、食料も確保せねばならないし寝床も欲しい。せめて惑星で何か食べておけばよかった、と項垂れる。空腹を認知したら、腹が痛いほどに鳴り出した。
稲穂を抜ければ、前方で空に上がっている一筋の黒い煙が見えた。故郷でも見た光景だ、夕飯時には家の暖炉に火がくべられて煙突から煙が出ていた。
つまり、あそこへ行けば誰かがいる。
大きく唾を飲み込み、緊張した顔つきで、腰を屈め煙に向かって歩き出す。
稲穂を抜けて歩いていけば、切り立った斜面が待っていた。そこから様子を窺えば、下の様子が丸解りだ。
一軒、貧相な家が建っている。
大きく息を飲み込むと、地面に這い蹲って家から誰か出てこないか瞳を凝らした。家の後ろには小さいが畑があり、何か育ているようだ。壁と屋根に囲まれた建物だったので住屋だと判断したまでで、故郷にはここまで質素な家はない。
……あの中に、何が居るのだろう。
幾度も瞬きし、恐怖で震える手を押さえつける。
間違いなく、“ニンゲン”がいるのだろう。
ニンゲンがどのようなものか知らないが、一思いに殺してあの住屋を奪い取れば今後が楽になる、そう思った。活動拠点を早々に見つけられた興奮から、口元を歪める。瞳は充血し、喉の奥から奇怪な声を出す。
「殺し、て、やる」
腕に力を入れて起き上がり、泥を衣服から払い落とし、挑むように立ち上る煙を睨む。
その時だった。
ウーワンワンワンワンワン!
「え」
けたたましい獣の声に、慌てて振り返った。声の主など見当たらない、だが、視線のその下だ。
「う、うわぁ! な、なんだこれ」
犬である。
茶色の中型犬が足元目掛けて走ってきて、周囲をくるくると回り出した。尻尾を振って、さも、楽しそうに。
「お、お前がニンゲンか! くそ、予想外の風貌だっ」
愛しささえ感じられるその姿に狼狽した。
「な、なんだ! お前は何がしたいんだっ」
跳ね回っている犬に、右往左往する。幻獣星には、犬はいなかった。狼男はいたが、もっと巨大だった。遊んでほしくてじゃれているという認識がなく、逃げ惑う。
「こら、トッカ! いきなり人様にじゃれ付いたら駄目じゃないか。本当に躾が……」
ガサガサ、と音を立て稲穂から現れたのは、自分と同じ位の背丈の男だった。
黒い短髪に、濃青の瞳、顔に幾つかの傷がある。所々破れた衣服は麻で作られたものだろう、靴には穴が空いており、なんともみすぼらしい風貌だった。
「うちの犬がすまないね……。ところで君は、どちら様? こんなところで、一体何を? 稲穂を盗みにでも来たのかな? でも残念、実はすかすかで食べられたものじゃないよ」
目の前の人物が話す言葉が理解出来た、足元でじゃれている生物が“トッカという犬”ということも解った。しかし、リュウは硬直して立ち尽くしている。何も返答が出来なかった。
微動だしないリュウに首を傾げながら、男、いや、少年と呼んでも過言ではないその人間は、相棒の犬の名を呼ぶ。
ようやくトッカがリュウから離れて主人のもとへと、駆け戻った。
片膝ついてトッカの首を撫でながら、人間は無邪気に笑っている。
目の前にいるのが“ニンゲン”であると、リュウにも理解出来た。些か想像と違っている、ほぼ自分と変わらない容姿に動揺する。
リュウにあるような頭部の角はないにしろ、幻獣星にも角がない種族は存在した。肌の色はリュウよりも褐色だが、同じ様な色合いの種族なら知っている。
では、一体何が違うのか。
「トッカ、帰ろう。そろそろ夕飯が出来ている頃だよ。じゃあ……さようなら、ごめんなさいトッカがじゃれてしまって」
犬と共に軽く会釈をし、人間は歩き出す。
リュウは拍子抜けした、自分が誰だか解っていないのだろう。好都合だ、口元に下卑た笑みを浮かべる。拷問にかけ、この場所について聞き出せば今後の為になる。一思いに殺してしまっては、その後の行動に支障をきたす。
「だから、今は生かしておいてやる」
捨て台詞を吐くように呟き、リュウは慌てて去っていく人間を引き止めた。
「ま、待て!」
不思議そうに振り返った人間は、どう見ても脅えているようなリュウを哀れに思い、迷子かな? と首を傾げた。だが同時に、見たこともない輝く衣装を身に纏い、何処かの貴族の様に気品のある佇まいのリュウを流石に不審に思った。
「わ、私はその……行くところがないのだ。少しばかり貴殿の家に、身を寄せたいのだがっ」
「ぇ?」
放蕩貴族の少年だろうか、それとも跡継ぎ問題で嫌気が差し、逃亡してきたどこぞの王子だろうか。人間は眉を顰めて、必死に訴えるリュウを見つめる。
沈黙が二人の間に訪れた。
足元で、トッカだけが愉快そうにリュウにじゃれている。
「まぁ、その、いいよ。大変なんだろうね」
リュウに軽く同情した人間は、あっさりと答えを出した。
「僕も色々とね、うん。こんな時代だ、お互い苦労するね」
頭をかきながら苦笑し、人間はリュウに手を差し出して戸惑い気味に微笑む。
「ようこそ、僕はサンテ。君は?」
差し出された手に、すんなりとリュウも手を伸ばしていた。そして、弱弱しい口調で名を告げる。
「スタイン……」
自然に名前を告げてから、慌てて口を押さえた。顔が一気に青褪める、真名は他言無用だと教えられていた。全て名を告げたわけではないので良いだろう、と震えながらサンテを窺うと、特に気にした様子もない。
「そっか、よろしくねスタイン。とりあえず、鍋が心配だから帰ろう。あ、うちに居座るなら雑用手伝ってくれよ」
言うなり、後方の薪を指差して悪戯っぽく笑う。
「まぁ、戦争も落ち着いてきたし。いつまた忙しくなるか解らないけど、働くなら居てもいいからね」
半分残し、サンテは薪を拾い上げると歩き出す。
言われた通りに、リュウは渋々拾い上げて担ぐ。皮膚に木の枝が刺さって、痛みから顔を顰める、けれども、手を離せない。痛みを堪え、懸命に後ろをついて歩いた。こんな仕事は初めてだ、火を起こす際に薪を使うことは知っていたが、正直火を起こしたことなど無い。
火にくべる薪は、いつも同じ場所に用意されていた。
勉強しておくべきだったと後悔するが、思案中のリュウにあっけらかんとサンテは告げる。
「先に言っておくよ、僕ね……勇者なんだ」