外伝2『始まりの唄』3:王子らの特殊能力
文字数 4,865文字
「随分と見縊られたものだ。他にまともな人材はいなかったのか」
誰が来ても事の顛末は同じだが、骨のある腕の確かな暗殺者のほうがやりがいがある。間抜けな相手に命を狙われたのかと思うと、妙に腹立たしく思えた。
もっとも、火達磨男はトダシリアが操った火炎を浴び思考回路が狂っているのかもしれないが。
歩き慣れた城内を進んで行くと、予想していた一室が騒がしい。トダシリアが城が軋むほどに盛大に暴れているのだろう、これでは追い詰めるどころではない。
トバエが深い溜息を吐きながらその問題の部屋に到着した時には、すでに終わっていた。
「遅いよ、トバエ。敵は壊滅状態ぃ、王子トダシリア、たった一人で勝利をおさめましたぁっ!」
芝居がかった口調で真紅の外套を翻すと、トダシリアは爛々とした瞳で微笑む。室内を見渡せば、至る所から呻き声が聴こえた。既に、事切れている者もいるようだ。
「酷いな」
重々しい溜息を吐き眉根を寄せたトバエに、怪訝にトダシリアが唇を尖らせる。
「だってえ、オレ達が殺されかけたんだぜ? これくらい、当然! 天誅!」
眉間に深い皺を刻みながら、トバエは燃えている床の消火を始めた。
「これでは修繕費がかさむ、手段は他にもあっただろう」
仏頂面で呟きながら窓を開き、煙を逃がす。絵画に工芸品が床に散乱しているが、戸棚や本棚の下敷きになっている者に瞳を走らせた。
「それに、殺したら自白させられないだろ」
「そんな必要ない、コイツで決定してるじゃん」
哂いながら、トダシリアは足元に転がっていた男を蹴り上げた。腹部から流れ出ている血液が、床に血だまりを作っていた。自分で刺した剣を引き抜き、床に放り投げる。
剣が渇いた音をたてて転がった。
「アンタ、名前なんだっけ。でも、度胸だけは一人前だよな、誰に喧嘩売ってんの。先に死んだ二人で懲りなかったわけ? それとも、ただの馬鹿なの?」
傷口を広げるように腹部を踏みつけると、絶叫が響き渡った。
人間とは思えぬほどに顔を歪めた男を、見ていられないとばかりにトバエが顔を背ける。
「うっさいなぁ。男の悲鳴なんざ聞いても愉しくないだろーがよ」
唾を吐き捨て、途端に機嫌が悪くなったトダシリアは何事もなかったように部屋から出て行った。散々好き勝手暴れ、悪者退治に飽きたらしい。
駆け付けてきた衛兵に、「息のある者は手当てを」と、トバエが指示を出す。だが、そう言ったところで助かる者などいるのだろうか。身体の一部が火傷しているだけならともかく、全員刺された形跡がある。じわじわと甚振るように火で追い詰め、硬直した彼らを剣で刺して遊んでいたのだろう。
兄の残虐な行為に頭痛がして、トバエはこめかみを指で押さえて軽く揉む。
首謀者“と思われる”家臣は、辛うじて一命を取り留めたものの、恐怖のあまり発狂してしまった。その為、真相は解らずじまいとなった。先に亡くなった王二人と、本当に関係があったのかも解らない。彼が雇ったと思われるならず者達もトダシリアが殺してしまった為、どうしようもない。
「悪魔、悪魔がぁぁぁ! に、人間じゃないいいいいぃ!」
投獄された彼は、そう叫び続けながら獄死することとなる。
ただ、王子二人は事の顛末を知っていた。
自分の父親がその家臣によって真綿で首を絞めるように毒殺されたことも、先の代理王二人を唆し、自分達を殺害しようとしていたことも。
けれども、特に告げることは無かった。
トバエはともかく、トダシリアの目的は真実を白日のもとに曝け出す事ではない。
自分達の能力を如何に知らしめるか、そこだった。
トダシリアの目論見通り、その日を境に城内は混乱に陥った。
王子らの特殊な能力を目の当たりにし、恐ろしさを痛感した皆はこのまま国にいてよいものかと悩んだ。だが、彼らの能力があれば、他国からの侵略も恐れるに足らずではないかとも思えた。それは、諸刃の剣。
ようするに、王子らの機嫌を損ねなければよいのだと、作り笑顔で彼らは接する。内心、心臓を鷲掴みにされているような緊張に支配されていたが。
彼らの考えなど手に取るように解るトダシリアは、鼻で嗤い、侮蔑の瞳を投げかける。けれども、面白かった。手を振り上げるだけで、悲鳴が上がる。怯えきった憐れな人間らの瞳を見るのは、愉悦だった。
自分が、絶対の存在であることを示してくれる。
唯一、剣の師匠であるノアールだけは、王子らを普通に扱った。トダシリアも彼だけには心を許しているかのように、子供らしく接した。
しかして、双子の王子は器量がとてもよかった。
特に年頃の娘は、平凡な男よりも危険な香りのする男に惹かれてしまう。美しくも凶悪で絶大な双子の王子は、街の娘らから黄色い声援を貰っていた。
実際、あの事件以後に城内へやって来た娘らは、王子に心酔している。
よかれと思い、トダシリアは身分問わず自分好みの娘がいればすぐさま寝所へと招き入れた。一夜限りだが、気に入った女には褒美を与えた。
周囲はそんなトダシリアを心配し、「刺客であったらいけない、女はどこに武器を潜めているかわからない」と忠告をしたが鼻で嗤って無視をした。自分の魔力に絶対の自信があるので、殺されるわけがないと高を括っていた。実際刺客の娘が数人紛れていたが、無残にも全裸で街の外に捨てられる破目になる。無論、死体となって。
トダシリア王子を殺せる者など、いない。あの瞳は、全てを見透かす。
反して、成長してもトバエは物静かだった。かえってそれが不気味だと噂する者もいたが、それでもトダシリアよりは安心出来た。
黄色い声をあげる娘に対しても軽く視線を送る程度で、兄のように酒池肉林に溺れることもなかった。ただ、それが逆に娘らの熱を上げる羽目にはなってしまった。
好奇心旺盛で能動的な兄のトダシリアと、沈着冷静で慎重、受動的な弟のトバエ。火と水の如く、性格すら反している双子。
それでも対であるからこそ、全ての均衡が保たれている気がしていた。
けれども、今日、それが破られた。均衡が、崩れる。
トバエは、王位を永久に放棄し旅立つ。
一人で旅立つ予定だったが、乳母が供をかって出た。最早六十近い乳母を足手纏いとしか思えないトダシリアは爆笑したが、トバエは喜んでその皺まみれの手をとった。流石に一人きりでの旅は不安だった、何より苦労が目に見えているのに自分についていくことを決断した彼女に感動した。
そして、無論乳母の夫も申し出た。
ここへきて、トバエのほうが人間らしい一面を見せた。彼は、申し出た二人に頭を下げ、瞳を潤ませた。これこそが人の繋がりであり、失くしては生きていけぬ暖かさ。優しい王子の気遣いに、周囲も涙を零し、そして震えた。
……この王子が城に残ってくれたらよいのに。
誰しもが、そう思った。
感極まっている彼らを見ても、トダシリアには一体何が起こっているのか解らず、首を傾げた。屈強な兵に見目麗しい女、それに優雅に旅が出来る馬車を与えられたわけでもないのに、何故弟が胸を打たれているのか、理解出来なかった。
ただ、何の役にも立たない年老いたニ人を連れて出て行く事が決まったので、トダシリアは上機嫌で至福の笑みを浮かべていた。
おかげで、数日彼が荒れることはなかった。これは、嵐の前の静けさ。
本来ならばノアールもトバエに付き添う予定だったが、城内の者に懇願され止む無く諦めた。トダシリアに意見できる者は、トバエ以外にノアールしかいなかったのだ。
トダシリア一人が蔓延る城内に、皆が脅えていた。
「トバエ王子、どうかお元気で」
「色々と有難うノアール、もっと剣を習いたかった」
「いえ、ご謙遜を。王子の腕前は、もう己を超えております。ただ、何処まで登りつめるか、見てみたかったという口惜しさは御座いますね」
トバエもノアールに信頼を置いていたので、本音は寂しかったのだろう。微かに瞳を伏せたが、ノアールの立場を誰よりも理解していた。トダシリアの横暴を止められる人物は残しておかねばならない、王位は放棄したが、国の安寧は願う。
馬三頭に、簡易な旅立ちの品々、それに僅かな金。一国の王子にしては不釣合いな装備品で、トバエは産まれ育った故郷を後にした。
行き先は決めていない。何処か遠くの、しがらみなど何も考えずに生きられる村に住みたかった。質素な暮らしで構わない、欲するものは他にある。
乳母の故郷があるという土地を目指し、彼らは南へと進んでいった。
そうして、ついにトバエの姿が見えなくなった。
城内の者が誰一人として見たことのない笑顔を浮かべ、トダシリアは悠々とワインをあおっている。炯々とした瞳が、青空を捉えた。
「さぁトバエ、お前の行く末には何が見える? 今までの様に食事も出てこないぞ、木の根を齧って生きるのか、可哀想に。金とてすぐに底をつくだろう、そうしたらお前はどうする、安い賃金で泥に塗れ働くのか、それとも物乞いをするのか。辛くなったら帰って来い、オレはいつでもここで待っている。……散々愚弄し、追い出して、国中に伝令してやろう! “何人たりともこの男と口をきくべからず、反した者は即死刑”となっ! あはははははッ、さぁ、どうするんだぁ? トバエェッ!」
天にも届きそうなトダシリアの禍々しい哂い声は、地獄の底からやって来た悪魔の声に思えた。突如として暗雲立ち込めた空に、皆が身体を震わせる。
王子はついに王となり、災禍がやって来る。
「オレは国王だ! 地位も名声も名誉も女も金も、欲しいものは全て思いのまま! ハハッ、不幸のどん底に堕ち、足搔くとよいっ! ざまあみろ、トバエ! オレは勝った! “今回は”オレの勝ちだっ」
首から下がっている宝石をジャラジャラと鳴らし、高価な果物を齧り、弟を罵る。異常な興奮状態で哂い転げる彼は、もうどこかおかしいように思えた。
けれども、この時トダシリアは知らなかった、いや、気づいていなかった。
国王であろうとなかろうと、誰でも幸せになれる権利があるということを。
贅沢の限りを尽くしても、それが幸福ではないことを。
皮肉にも、最も嫌悪する弟にそれを思い知らされることになろうとは、予想だにしていなかった。
トダシリアは、権力への欲望が異常なまでに強かった。
欲しくて欲しくて仕方がなかった、それさえあれば下々の者を意のままに操ることが出来ると知っていた。
彼は、過去に、それを見ていた。
「そうしたら、お前はもう何処にも行かないだろ? オレが一番なら、オレのもとに来る筈だろ? あぁそうとも、この力はお前の為に手に入れた。だって、お前は」
弟の気配がなくなった城内で、トダシリアはマスカットを一粒ずつ齧り呟いた。
ノアール以外の人間は、皆媚という名の仮面を被っている為、同じ顔に見える。声すらも、おべっかを使うので同じに聞こえて仕方がない。
狂った城内で、彼は“何か”を待っていた。
キィィ、カトン。
いや、何かではなく、誰かを待っている。
「オレは、王になったよ。その気になれば、お前の為に世界を手に入れてみせるよ」