外伝2『始まりの唄』22:機織
文字数 3,279文字
感情の出口を自ら閉ざし押し込めていたものが、溢れ出た。朝陽が差し込むまで幾度も身体を重ね、互いの体温を感じ取り、そして“安堵した”。トダシリアもアリアも、込み上げてくる強い感情に涙を零し、震えながら身体を寄せ合う。
このままなら、どれだけよいか。
二人は、胸の内でそう思っていた。けれど、二人の関係性が覆ることはない。
アリアにとって、トダシリアは夫の双子の兄。
トダシリアにとって、アリアは双子の弟の妻。
ただの村娘と、残虐な狂王。
……いっそ、このまま。二人で逃亡してしまおうか。そして、誰も知らない土地で二人で暮らせば。
トダシリアの脳裏に、そんな絵空事が浮かぶ。自嘲的な笑みを零し、頭を振った。そのようなこと、アリアが承諾する筈がない。トバエを置いていくことなど、出来るわけがない。
結局、アリアがトダシリアの名を呼んだのは、一度きりだった。
そして、二人を引き離す様に、夜が明ける。残酷な程眩しい光は、容赦なく二人を照らした。
アリアは微睡みながら観念したように唇を結び、地獄の底へ行く事を決意した。昨夜の愚かな自分を恥じつつも、それが冥途の土産であると、納得もしていた。願わくば、優しい夫が幸せであれ、と。
キィィ、カトン……。
何処かで、何かの音が鳴る。
所詮は、一時の膨れ上がった愛情と情欲。互いにどうかしていたのだと口には出さず、二人の関係は変化しなかった。
「何か欲しい物はないのか、アリア」
「そう申されましても、特には……。強いて言うなら、トバエに逢いたいです」
「トバエは物ではないだろ」
トバエを口実に、二人の関係性は作られる。
それでも、トダシリアはせめて何かアリアにしてやりたいと、精一杯の愛情表現を見せたつもりだった。女は、宝石や洋服など、煌びやかで物珍しいものを所望する。目新しいものを与えておけば、機嫌よく擦り寄ってくる。
しかし、アリアはどうにも予測通りに動かず困り果てた。
アリアは知識が乏しい為、物を欲しがるにも思いつかない。楽器、と言おうとしたが、あれはトバエと二人だからこそ意味をなすものだと思い、伝えなかった。村では機織や農作業の手伝い、掃除に洗濯料理等家事全般で一日が終わっていた。化粧もお洒落もしたことがない。街へ出て平凡な衣服は稀に購入したが、村で織っていた布のほうが丈夫で美しいと思っていた。それに、安上がりだ。
ここは物で溢れている。便利すぎる代物も、美味しい食事も、素晴らしい香りがする石鹸も、全て揃っていた。
急かす様にトダシリアに睨まれたアリアは、ようやく思いついたので口にする。
「一つ、ありました。……機織りがしたいです」
自給自足の村だったので、皆の衣服は女達がこさえていた。当然アリアも、トバエの衣服を織っていた。この場所で布など織る必要がないことは解っていたが、感覚は忘れたくない。駄目もとで、伝えてみる。
……もっとも、村へ戻りトバエの為に布を織ることはもうないだろうけれど。
恐れを隠すかのように小さく笑って、トダシリアを見つめる。
宝石やドレスを欲しがる女ではないと知っていたが、意外な物を口にされトダシリアは驚きを隠せなかった。それでもその返答に満足し笑みを浮かべると、直様発注をかけた。アリアの期待に応え、歓ばせてやりたかった。
国王の命令に慌ただしく下々は動き、続々と何台かの機織が届けられた。
「さぁ、アリアの使いたい物を選べ。オレにはよくわからぬ」
「こ、こんなに……!?」
あまりに上等な機織がずらりと並んでおり、アリアは瞳を丸くして絶句した。村で使用していたものとは随分と様子が違ったが、見ているだけで身体が疼く。機織りをしていたら、トダシリアに抱かれずに済むかもしれない……そんな期待を寄せる。没頭できることに感謝した。
「好きなように使うがいい。どうせお前くらいしか触らん」
アリアは花のような笑みを浮かべ、一番小ぶりな物を選ぶと「よろしくね」と敬意を籠めて撫でた。
「それで布を作るのだろう? 衣装くらい、購入してやるのに」
「いえ、子供の頃から私の仕事はこれでした。いつも、新しい洋服をトバエに織っていたのですよ。トバエは山でよく狩りをしていたので、丈夫なものでないと肌を傷つけます」
トダシリアは小声で「またトバエか」と呟いたが、愛しそうにその機織に手を添えているアリアの表情は、柔らかい。トバエのことは腹立たしいが、その表情は愛おしい。やりきれない自分の感情に舌打ちして、視線を反らす。
……いつか、お前はオレを想ってそんな風に笑ってくれるだろうか。
ふと過った弱気な自分の思いに、反吐が出そうになる。
「だが、お前の右腕はまだ完治していない。無理をするな」
「はい……気を付けます」
小さく会釈したアリアは、使い方の説明をする為にそわそわしていた店主から話を聴くことにした。店主には娘が同伴しており、視線が合うと互いに会釈する。
「アリアに丁寧に、きちんと扱い方を説明してやれ。手抜きは許さん」
「承知しております! この度は、私共の商品を選んで頂き、誠にありがとうございました! よろしければ、他国から取り寄せている珍しい色合いの糸も如何でしょうか」
トダシリアに鋭い視線を向けられた商人は、蒼褪めながらも失態を見せぬようにと懸命に言葉を紡ぐ。
「ほら、シノ。このお方に糸を見せて差し上げなさい」
シノ、と呼ばれた娘は、彼女が担ぐには大きすぎる傍らの鞄から丁寧に糸を取り出し、並べていく。
「まぁ、とっても綺麗……!」
色味が分かり易いように、と、純白の布を敷いてから糸を並べ始めたシノに駆け寄ったアリアは、瞳を輝かせながらその様子をしげしげと見つめる。
トダシリアは何が愉しいのか解らず溜息を吐くと、退屈そうに頭をかく。どのみち、使い方の説明だけなので、機織り中のアリアを見る事は出来ない。ならばここにいるのは無意味だと、踵を返した。
「アリア、オレは行くぞ。……あまりはしゃぐなよ」
「はい。あの、ありがとうございました!」
「っ……!」
控え目に微笑んだアリアに意表を突かれたトダシリアは、赤面した自分を見せぬようにと足早に去った。
やはりつまらないのだろうと肩を竦めたアリアは、自分が少し残念に感じたことに自己嫌悪に陥る。気を取り直し、糸に眼を落した。
「これは、蜜柑の葉で染めたもの。こちらは枇杷の葉、そして千寿菊に、葡萄に蓬、玉葱……」
「村でも色々な実で染めていましたが、初めて見る色合いが多いです!」
シノの丁寧な説明が嬉しくなったアリアは、久し振りに同世代の少女と会話出来た嬉しさもあって、破顔する。
シノも、真面目に聴いてくれる姿勢に強張っていた頬の緊張を解いた。
「……傍若無人な王の元へ行く、と父が言い出した時は止めましたが。貴女でよかったです」
アリアは我に返り、申し訳なさそうに瞳を伏せる。自分がもし彼女らの立場であったら、同じ様に躊躇するだろう。よき商売相手ではあるが、僅かにでも機嫌を損ねれば首を刎ねられる。恐ろしい事この上ない。
「すみません、嫌な思いをさせましたね」
「いえ、こうして無事に商談は済みましたので。感謝しています」
愛嬌のある笑窪を控え目に見せたシノは、流暢な言葉で産地や、強度や色落ちについて的確に説明していく。
「貴女は知恵者ですね……。きっと、歳は近いのに」
「生業ですから」
運ばれて来た茶を啜りながら、商売といえども二人は楽しく談笑した。
「あぁ、早くこの糸で織りたいです!」
「今は右腕を怪我されて?」
「はい。でも、痛みを忘れて織ってしまいそう!」
久方ぶりに、若い娘らの明るい声が響いた。