浮気の代償

文字数 3,533文字

 それは、見事な幕切れだった。
 一人きりになった部屋で、ミノルは尻もちをつき瞬きを忘れていた。出て行ったアサギを追う力はなく、投げ棄てられた言葉の意味も理解出来ず放心する。開いたドアから、生ぬるい空気が部屋に侵入してきた。
 微かに、アサギの柔らかな香りが鼻先をくすぐる。

「あの子……って、まさか」

 思い当たる人物はいるが、アサギが知っている筈がない。ミノルは、そう思い込もうとした。しかし、先程の悲痛な叫びがこびりついて離れない。疚しい事があるから、忘れられない。
 
「なん、で、知ってんだよっ」

 憂美とアサギが繋がる筈はないと、過信していた。
 それが、()()()()()だったとミノルは知らない。
 大事な彼女はアサギ。彼女を護るのが、彼氏の役目。泣いていたら傍に居てやりたい、助けに行きたい。けれども、足が竦んで動けない。
 どう考えても、非はミノルにあるというのに。

 キィィィ、カトン。

「ア、アサギッ」

 名を呼んだミノルだが、声は届かない。呆然とその場に座り込んだまま、宙を見つめる。眩暈と混乱、そして羞恥心で額に手を添え、事の大きさに気づき一筋の涙を零した。

――あと少しだよ、君は悪くない悪くない悪くない悪くなーい。君は、君の好きな少女を選べばいい。面倒な勇者の子は、君に相応しくないよ。君とは違う次元のモノだ、君は何も間違っていない。不要なものは斬り捨ててしまえばいーいよ。

 肯定するように、ねっとりとした何かが囁く。
 追わねばならないと思うのに、身体が動かない。まるで、床から生えた得体の知れない触手に全身を絡めとられているようだった。

「うご、動け、俺の身体っ」
 
 全身の毛穴から、厭な汗が吹き出し流れ落ちていく。一緒に自分の過ちも流れて消えてくれたら、どれだけ嬉しいだろう。
 歯をカタカタと鳴らしながら、この状態から抜け出す為に思案した。しかし、思考回路は掻き回され破壊されてしまった様で、対策が出てこない。悪いのは明らかに自分で、浮気をしていた自覚があった。だが、バレなければ良いと思っていた。
 トビィに付きっきりのアサギを疎ましく思い、嫉妬の念に駆られていた。自分に対して所有欲のない彼女が、憎らしかった。

――大丈夫、君は何も悪くないーよ。あちらだって君以外の男と始終一緒にいるじゃなーいか、同じだよ。

 呪文のような声が聞こえる。耳元で背を押していた声が、いつしか自分の声になっていた。自責の念から逃れる為に防御策を練り、自分を庇護する。心に残っていた罪悪感や謝罪の言葉は、隅に追いやられていった。

「……憂美がいるから、アサギはいらない。あんな可愛げのない女は、俺には不要だ」
――そう、それで良い。こちらから願い下げだよ。あんな、得体が知れないオンナ。

 ミノルは、そう結論付けた。すると急に楽になり、金縛りにあっていた身体がすんなりと動き出す。身も心も軽くなった、耳元で含み笑いをしている声は先程と違い、今の自分を激励してくれている気がする。
 味方がいるというだけで、強気になれる。髪をかき上げ、ミノルは舌打ちした。
 先程のアサギを思い出すと、腹の底がチリチリと焦げる。『あの子はだぁれ? 私は?』と、不安や疑問はぶつけてくれたらよかったのに。俯いて、震えながらか細い声を出して訊いてくれたら。真正面から抱き締めキスをして、それから耳元で。

「好きなのは、アサギ」

 そう囁けば丸く収まったのに、と。だが、それは独りよがりの妄想。
 ミノルは壁を蹴り上げ、小さく吼える。あからさまに余所余所しいアサギの態度に憤る。人気者、高嶺の花、優等生、利巧で物分りがよすぎる、子供らしくない博識者。
 再度壁を蹴り上げた。何度も蹴りつけたが、腹の底から溢れてくる怒りは収まらない。家が軋むその音が、心の悲鳴に思える。
 アサギの心ではなく、ミノルの心が踏み躙られた。被害者は自分だと思い込む。

「冗談じゃない、! 引っ掻き回され、裏切られたのは俺だろっ」

 悲しみよりも怒りが勝る、相手を貶める事で、自分を正当化する。その苛立ちを鎮める為に、怒りの形相のまま階段を駆け下りて自転車に跨った。アサギではなく憂美に会いに行くと決め、実行する。癒してくれる()()()少女に会えば、心の波は静まる。
 自転車で三十分もすれば憂美の家に到着するので、風をきって力任せに漕ぎ続ける。

「そうとも、俺の彼女は憂美」

 悲観することは無い、これからは正々堂々ともう一人の彼女と付き合えばよい。そう思って、頬を緩ませた。

()()()って、大事だもんな」

 だが、その途中のコンビニでミノルは急ブレーキをかけた。
 入口付近で、数人の少女達と一緒にいる憂美を見つけた。派手な容姿の少女達は、他の客の迷惑になっていた。出入り口を塞ぐような形で密集しており、店員も困惑している。
 他人の事など気遣うこともなく、少女達は愉快そうに大騒ぎをしていた。爆笑し、手を叩いて、酒盛りでもしているような雰囲気だ。
 ミノルは眉を顰め、率直に下品だと思った。自分もよくコンビニで友人達と騒ぐが、あんなに気分を害するものだったろうか。声をかけ難いが、自転車を降りて近寄ってみる。近づけば近づくほどそこは異様に思え、胸がザワザワし他人のフリをしたくなった。
 そこには、ミノルが知らない憂美がいた。

「どうよ、あの女、フラれた?」
「さぁ、もうすぐじゃない?」
「ばっかだよねー、実君もさ。ホイホイ騙されちゃって」
「だって、単純だもんアイツ」
「憂美の演技が上手なんだよ、女優になったら?」
「あはは、なれるかなっ。奇跡の一枚とか撮れないかな」

 大声で騒いでいたので、ミノルの耳にもそれが届いた。
 一気に血の気が引く。
 こちらに気づくこともなく、あっけらかんと会話している少女達の下卑た声は、ミノルの思考を揺さぶるのに十分だった。『騙されて』『単純』『演技』という単語が耳に残って離れず、放心する。
 ()()()ミノルも、憂美に手玉に取られたことを知った。つまり、恋人同士ではない。自分は、遊ばれたのだ。

「はっ……」

 乾いた唇から、情けない溜息が漏れる。
 他人を見下し、面白おかしく貶めている。その集団の顔つきは、なんと醜いのだろう。
 怒りが込み上げるを通り越し、泣きたくなったミノルは踵を返した。意気消沈し、のろのろと自転車に跨ると家へ帰る。真っ直ぐ走れなくて、ふらついた。
 憂美に遭ったことで、確かに怒りは消沈した。物の見事に粉砕してくれた、しかし望んでいなかった感情が湧き上がる。憤怒のほうが、まだマシだった。
 静まり返っている部屋に戻ると、まだアサギの香りがした。二人きりのデートは、最初で最後になってしまったことを、いい加減思い知る。
 こんなはずではなかったのに。

「デート」

 壁にもたれて座り込んだミノルは、ぼんやりとそう呟いた。記憶が飛んでいる、アサギとデートの約束をしていた筈だが、その日はどうしたのか記憶が抜けていた。

「プール。……あれ、俺とアサギってプール行ったっけ? あの日、何やってたっけ」

 せめてアサギに電話をかけるべきだと思ったが、どう切り出してよいのか解らず行動に移せない。茫然自失で部屋の天井を見上げたまま、いつしか眠りにつく。
 考えることから逃げ、夢であればと冀求(ききゅう)する。二人でプールに行き、部屋で楽しくゲームをして、嬉しそうなアサギを見て微笑むそれが現実であれと。キスなどしなくてもいい。ただ、無邪気に笑う彼女が傍にいてくれれば心は満たされる。
 一筋の涙を流すミノルの室内に、夕日が差し込んできた。乱雑に物が置かれている勉強机には、アサギとミノル二人きりのの写真が飾ってある。不釣合いな二人だと、トモハルがいつも笑っていた。
 約束したプールの日、ミノルは憂美といた。
 憂美に夢中だったミノルは、自分のスマホを勝手に操作されていることに気づかず、見ていないメッセージが『既読』になっている。アサギがずっと待っていたことなど、知らなかった。
 夢の中で、ミノルはアサギを追いかけた。叫んでも、振り向いてくれない。走っても、距離は縮まるどころか離れていく。

「アサギ、待ってくれ、アサギ!」

 夢中で手を伸ばす、けれども、届かない。
 何故、あのような感情を抱いたのか。恋心を抱いていたアサギを、どうして裏切ったのか。憂美さえ目の前に現れなければこんなことにはならなかったと責任転嫁するが、結局は言い訳。
 アサギ、そして憂美という美少女。二人に告白され、有頂天になっていた自分を恥じる。どこまで愚かで馬鹿なんだろうと後悔したところで、後の祭り。

「アサギ、アサギ、アサギ……ごめん」

 夢の中で、泣きながら謝罪した。
 自分を擁護していた声は、聞こえない。
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登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

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