外伝7『埋もれた伝承』4:豊穣祭
文字数 3,438文字
一日目は腹に黒いものを抱えながらも、独身男女は酒を呑み交わし踊り狂っていた。
「いよいよ明日だな」
「そうだね。……トリュフェは、立候補したの?」
「さぁ、どうだろう?」
村の中心に設置された焚火の近くで苦手な酒をちびちび呑んでいたアミィは、上機嫌のトリュフェの返答に気落ちし俯く。
夜這いに参加する男は、一日目の日没までに祈祷師に申告せねばならない。参加は自由だが、独身が前提。成人する女が何人いても、夜這いは一人のみと決まっている。
つまり、意中の男が夜這いに来なければ、娘は失恋したも同然だった。
だが、別の男に
「そ、そっか……」
酒を傍らに置き、アミィはぼんやりと目の前で踊るように揺れている火を見つめる。彼が来てくれたらいいな、と願っていたが、今の返答からすると期待出来ない。泣きそうになって、膝を抱える。
「どうした、もっと呑めよ。美味いだろ」
「う、ううん。私は苦手だから、もういいや。そろそろ眠ろうと思って。お祭りは楽しいけれど、疲れてしまう」
酒を呑み干し、トリュフェは怪訝に眉を顰めた。酔いがまわっているためか、意気消沈しているアミィをつまらなく感じる。
「そうか。オレはまだ呑む」
「うん、たくさん呑んでね。おやすみなさい……」
逃げるように立ち上がったアミィは、ふらつく足で懸命に家に向かった。途中で振り返ると、トリュフェはオルヴィスと酒を呑み始めている。
彼女は、成人の儀を迎えるもう一人の娘だ。
「いいな、一緒に呑めて」
舌先が痺れる強い酒は苦手だ。
だが、二人が楽しそうに談笑しているのを見るのはもっと苦手だ。胸がツキツキと抉られるように痛い。
「トリュフェは、オルヴィスに立候補したのかな」
幾度か、仲睦まじく会話しているのを見ていた。オルヴィスがトリュフェに好意を抱いているのは、アミィから見て一目瞭然。頬を染め、瞳を輝かせている彼女は美しい。
「……私の旦那様は、どなたでしょうか」
今にも降ってきそうな星が浮かぶ夜空を見上げ、アミィは小さく呟く。夜風が頬を撫でると、悲しい気持ちを消し去ってくれるような気がした。
「帰るのか?」
近づいてきた足音に振り返ると、トロワが立っていた。
「うん。眠くなってしまって。踊り過ぎて、脚も痛いから」
「そうか、送ろう。オレも帰るところだ」
「珍しいね。トロワはお酒が大好きだし、強いから。たくさん呑むのかと」
「十分呑んだ。それに、酒に溺れるのは好きじゃない」
「そっか」
ぽつりぽつりと会話していると、家に到着する。
アミィは、少し気が楽になったので笑顔を浮かべた。トロワはこちらの気持ちを汲んで傍にいてくれる、優しい男だ。もし兄がいたら、こういう感じだと思っている。
「おやすみなさい、トロワ」
「あぁ、おやすみ。……アミィ、これを」
トロワは、真顔で腕を差し出した。その手には、黄色い花が握られている。
「わぁ、可愛いお花! ありがとう、すぐに生けるね」
丁寧に受け取ったアミィは、まじまじと花を見つめた。小ぶりの花が連なるように咲いている。
「珍しいだろう?」
「うん、村では見ないお花」
「たまに森の木の根元に咲いている。星が落下し、地面に咲いたような不思議な花だ」
「本当だ、お星さまみたいだね」
二人は静かに笑い、互いを見つめた。
「アミィ。……良い夢を」
トロワはそっと額に口づけそう囁くと、片手を上げて去っていった。
アミィは早速花を窓辺に飾り、毛布を被ってそこから夜空を見上げる。疲労感はあるが、感情が昂って眠れない。
「……誰も立候補してくれなかったら、どうなるんだっけ」
相手は分からないが、未来の夫と幸せな暮らしが出来れば良いなとそんなことを思った。実感はないが、いよいよ明日が成人の儀。
何もかも全てが変わってしまうであろう、人生の節目である。
こう言っては罰があたるかもしれないが、神様は意地悪だとしみじみ思った。
オルヴィスと成人の儀を迎えるだなんて、惨めなだけだと。
「はぁ……」
寝付けないアミィは、幾度も深い溜息を吐いた。酒を呑んだからすぐに眠れると思ったが、逆に目が冴えてしまったらしい。
蝋燭の灯りで刺繍を始めようと思ったが、祭りの期間に仕事をすることは禁止されている。
トロワがくれた花を眺め、暫くぼうっとしていた。
カタン。
物音がして、眉を顰める。明らかに、何かが小屋に触れた音だった。
そっと窓から覗くと、見慣れた紫銀の髪が月の光を受け輝いている。
「トリュフェ? だ、大丈夫?」
ぐったりして蹲っている男に声をかけた。
「んぁ? あぁ、アミィ。起きてたのか」
「う、うん。眠れなくて。今、お水を持っていくね」
「ん……」
呂律がまわっていないので、アミィは慌てて水を手に外へ飛び出した。駆け寄って瞳を凝らすと、頭髪の中の地肌まで赤く染まっている。
「呑み過ぎだよ……」
呆れたように囁き、抱き起こして水を口元にあてがう。
貪るように飲む姿を見て安堵し、隣に座った。まだ人の声がしているので、瞳を閉じれば昼間のようだ。
「家に帰れる?」
「中に入れて。面倒だから、ここで眠る」
「何言ってるの、駄目だよ」
「いいじゃん、成人の儀は今日だろ……」
この村では、成人の儀を終えていない娘がいる家に未婚の男が泊まる事は禁止されている。
知っているはずなのに無茶な事を言うトリュフェに、アミィは当惑する。
「大丈夫……大丈夫……すぐに……大丈夫」
意識が朦朧としているのか、トリュフェは同じことを幾度も繰り返した。
流石に置き去りにすることは出来ず、アミィは毛布を持ち出すと彼にそっと被せる。
「寒くない?」
「寒い。だから、入れて」
「駄目だってば。……トロワを起こして運んでもらおうか?」
「断る」
アミィは困り果て、自分も毛布を被り隣に座った。寄り添っていれば、少しは温まるかもしれないと。それでも、どうしたって寒い。この季節に外で眠るなど有り得ない。火の中で熱した石を布に包んで持ってきたが、それだけでは心もとない。
歯が鳴るほどに震え、隣にいた。明日からこんな機会はないと思うと、無理をしてでも近くにいたいと思った。
「……アミィに、会いに来たんだ」
ぽつりとそう言ったトリュフェに驚き、アミィは瞳を軽く開く。
「明日から、色々変わってしまうものね」
「うん」
「…………」
訊きたいことがあるのに、アミィは口にすることが出来なかった。何度も喉元まで言葉は出かかる、しかし、どうしても声にならない。
「変わってしまうのは、怖いし、寂しいね」
やっとの思いでそう告げる。
トリュフェを意識していたのは、何時の頃からだろう。村の男の中で一番眩しく見えると、幼い頃から思っていた。優しいトロワと違い、意地悪で乱暴だが不思議と惹かれてしまう。
それが恋だと気づいたのは数年前のこと。
しかし、村の掟を子供の頃から聞かされていたので、恋心など虚しいだけだと知っている。
「そうかな、オレは愉快だ」
「そっか。トリュフェは強いから。私は覚えも悪いし、順応性も低いから、戸惑ってしまう」
「言い訳だろ、そんなの。……オレは儀式を楽しみにしていた、ずっと待っていた」
はっきりとした声で告げられ、アミィは唇を噛んだ。
「それは……」
オルヴィスが成人するのを待っていたからなの? そう訊ねたいのに、恐ろしくて声が出ない。どのみち、時が過ぎれば分かることなのに。もうすぐ太陽が顔を出す、すると、儀式が始まってしまう。
アミィは毛布の下でトリュフェの服をちょん、と摘まんだ。それが、精一杯。彼女にしては勇気を振り絞った。
太陽の偉大さは知っているが、今だけは出て来ないでと無理な事を願い瞳を閉じる。
「……何年待ち望んだと思う? アミィを妻にする為に、儀式は避けて通れない。だが、すぐにこの家で暮らすことになるさ」
寝息を立て始めたアミィに優しく告げ、トリュフェはそっと額に口付ける。
「少しだけおやすみ。儀式の最中に欠伸をすると祈祷師に睨まれるぞ」
経験がものを言う。
喉の奥で笑い、トリュフェも瞳を閉じる。
「大丈夫、オレを選べば上手くいく。だから言ったんだ、入れてくれと。予行練習さ」
衣服を掴んでいたアミの手を取り、強く握り締めた。