少年、少女に出逢う
文字数 3,120文字
「さて、どうしたもんか」
アサギの肩を抱き寄せ、溜息を吐く。出来る事ならば、常に傍に居たい。無鉄砲で頑固な彼女は、これからも無茶をするだろう。
「大人しくしている性格でない事は承知、そこも好きだが……」
そこらの男より能力は高いことも知っているが、戦闘となるとやはり心配だ。
「ん……。あれ? 私、寝てましたか?」
「すまない、起こしてしまったか」
とろんと眠気の残った声に、トビィが苦笑する。瞳を擦りながら起きたアサギの頬を撫でた。
「ごめんなさい、見張っていようと思ったのに」
「オレが起きているから、今はおやすみ」
強引に膝の上に寝かせたトビィだが、アサギは何度か瞬きを繰り返し、もがきながら起き上がった。落ち着かない雰囲気で瞳を泳がせている。
「……す、少しお散歩してきます」
「一人は危険だ、オレも行く」
「え、えーっと、着いて来られるとものすごく困るんです」
赤面し、消え入りそうな声で呟いたのでトビィは察した。
「そうか。だが、何かあれば大声で叫べ。いいな? それから、戻るのが遅いと迎えに行くぞ」
「す、すぐ戻ります!」
アサギは焦りを抑えきれない乱れた声を発し、逃げるようにその場を離れる。
「ううっ、トイレに行きたいだけなのに恥ずかしい……!」
持参した懐中電灯を持ち、村の外れにある厠へ急いだ。
「ふぅ」
早く戻らねば、トビィに無駄な心配をかけてしまう。アサギはすっきりした腹部を擦りながら、濁った月光に気づいて徐に夜空を見上げる。
「わぁ。赤色のお月様」
脚を止めて、魅入る。不思議な色合いの月は美しいが、何処となく恐ろしい。吸い込まれ、知らない土地へ放り出されそうな気もする。
「赤い、惑星……」
胸の中から、最後の空気を吐き出すように呟く。凝視していると、頭が割れるような頭痛に襲われた。
「んぅっ」
脳みそを掻き混ぜられるような、不快な激痛。あまりの痛みに吐き気をもよおし、足元をふらつかせる。
『オレは、ここにいるよ。ここまでおいで、早く逢いたい』
耳元で優しく囁かれたような気がして、縋るように返答した。
「わ、私も。私も……逢いたい」
嗚咽しながら、涙が零れる。身体中が誰かに引っ張られ、揺さぶられるような嫌な感覚。視界は歪んで霞むのに、その先に誰かが見えた。
『逢いたい、逢いたい、逢いたい、逢いたい』
紫銀の髪が揺れ、穏やかに微笑む男が手を差し出している。
懐かしさに顔色が明るくなり、口角が自然と上がる。差し伸べられた手を掴みたくて、腕を伸ばした。
「私も、逢いたいです」
――まだそんな愚かな事を!
絞り出した声に被せるように、憤怒した声が脳内に響き渡った。
キィィィ、カトン。トン、トン、トン、トン。
不可解な音が幾度にも重なり合い、響き渡る。
これは、運命の歯車が廻る音。到達するまで、廻り続ける。繰り返し廻り、終わる事のない歯車。
「頭がっ、いた、痛いっ」
アサギは焼けた杭を頭部に突き立てられたような痛みで、その場に倒れ込んだ。そうして、すぅっと消えるように意識を失った。
忙しなく走り回る人々の中で、紫銀の髪が揺れている。
「トランシス! 急げ!」
「木の実の収穫に行こうと思ったのに」
「後でいいだろ、命が大事だ。ほら!」
友人に手を引かれ、渋々身体を反転させる。掌から零れ落ちる砂のような音を出し、艶やかな髪は光を零す。露骨に怒りを露わにして、トランシスは唇を尖らせた。
目の前には貧相な木々が並ぶ、森と呼ぶには相応しくない珍妙な場所が広がっている。美味しくはないが、辛うじて食べられる実がなるので貴重な場所だ。
トランシスは舌打ちすると、その森から視線を外した。しかし、異常な速さで戻し凝視する。
「あ」
見間違いではなかった。森に、美しい緑の髪の美少女が立っている。
キィィィ、カトン。
いつから、いや、ずっとそこにいたのか。木々の守護精霊であるかのような、この世の者とは思えない雰囲気をまとっている少女がこちらを見ている。
キイイィィィ、カトン。
何処かで、何かが動く音がした。
雷に打たれたかのように、身体中に電撃が走った気がして硬直する。
豊かな新緑色の柔らかく艶やかな髪に、温かみのある光を帯びた大きな瞳、軽く頬を桃色に染めて、熟れたさくらんぼの様な唇。視線が引き寄せられ、吸い付く。離すことは出来ない。
打ちのめされ立ち尽くしているトランシスは、瞬きも忘れ目の前に佇むアサギを見続ける。
「ようやく逢えた、オレはいつでも愛してる。
世迷言のようにぼそぼそと呟く。
離れているのに、手を伸ばせば触れ合える気がした。
遠くで丁重にお辞儀をしたアサギに軽く手を上げると、満面の笑みを浮かべて駆け出す。同じ様に手を振り返し、名を呼ぼうとした。
しかし。
「何やってんだよ、ヤバイって!」
進もうとしていた身体が、止まる。
友人たちに羽交い絞めにされ、そのまま引きずられた。アサギとの距離は、徐々に広がっていく。大きく瞳を開き、腕を伸ばしてもがく。
「離せ! オレはあそこにっ」
「落ち着けよ、本当にヤバイんだってば」
「あの子、あの子が!」
鬼のような形相で吼えたトランシスに、友人らは訝しげに首を傾げた。顰めき合いながら森を指し、冷ややかな視線を浴びせる。
「……あの子? あんなトコに誰もいない、気のせいだ」
「いるだろ、あそこに可愛い子が」
怒りに任せて拘束を解くと、友人の胸ぐらを掴みながらアサギを見つめる。
けれども、その手の力が抜けた。森を幾ら凝視しても、そこには誰もいない。ひょろ長い樹が立っているだけの、普段通りの光景が広がっていた。
「いない」
沈鬱極まる調子で呟いたトランシスに、咳き込みながら友人はぶっきらぼうに告げる。
「夢だよ、っていうか、幻覚だよ。頼むよ、こんな時にやめてくれ。さぁ、急いで避難しよう」
力なく倒れ込みそうになったが、身体を支えられてどうにか安全な地下の避難所まで運ばれた。水を差し出されたが、口元にそえられても飲む気力がない。
「どこに、行った。オレを、置いて」
譫言を先程から言い続けているトランシスを、皆は少し離れて見つめる。手にコップを持たせたが、虚ろな瞳は近寄り難い程以上で恐ろしく思える。
「どうしたのあの子? 怖い目に遭ったの?」
「あぁ、トランシス君。……両親を殺された衝撃が時折戻って、発狂することがあるって聞いた事が」
「あぁ、御両親を殺された子ね……。お気の毒に」
周囲の噂話など耳に入らず、トランシスは息苦しい地下の避難所で俯いた。土に囲まれたこの場所は、窮屈そのもの。安息の日々など、所詮は妄想なのか。
ゆっくりと腕を伸ばし、一筋の涙を流した。
「オレはここだよ、早くおいで」
幾度も、呟く。
「どうして、逢いに来ない? お前は、オレに逢いに来なければならないだろう。
幾つもの涙が頬を伝って零れ落ち、衣服を濡らす。
「それは許さない」
はっきりとそう告げると、静かに瞳を閉じ寝息を立て始めた。
「本当にお気の毒。あの事件さえなかったら、ご両親と今も暮らしていただろうに」
「仲睦まじい夫婦だったからね、一緒に亡くなってよかったのかもしれないけれど。残された子の気持ちを考えるとねぇ……」
微動だしないトランシスに憐憫のまなざしを送り、人々はそっと離れた。