勇者の恋人
文字数 6,153文字
勇者たちは天界城に集結していた。日曜日とはいえ、珍しくユキも一緒にいる。本当は面倒だったので参加したくなかったが、ケンイチに根強く説得され折れた。美しい花々で彩られ、華やかな装飾品が並んでいる天界城自体は気に入っている。
しかし、招集されるということは“不穏な”用件付きということ。遊びに来いと呼ばれるわけではない。ユキはファンタジーの世界が嫌いなわけではないが、彼女が日頃手にしている物語は“勇者”や“魔物”が出てこないもの。例えば、異世界へ飛ばされて見目麗しい王子達に囲まれて過ごす話や、妖精の国に迷い込んで美味しい御菓子を食べる話。
冒険ゲームとは無縁だったが、疎いとはいえ『勇者が魔王を倒し世界を平和にする』話くらいは解る。世界を救った勇者のその後など気にしていなかったが、現実はそうもいかない。
何故、平穏が戻らないのだろう。
ユキは、勇者として頼みごとをされることが億劫だった。同じ時間を過ごすなら、地球で楽して生きていたい。しかし、恋人のケンイチといられるなら、共に参加するしかない。彼は乗り気だ。少年漫画の主人公になったつもりだろうか。
迷惑顔のユキを除き、久しぶりにほぼ全員が揃った為、クレロから説明があるまで近況報告に花が咲く。出された茶を飲みながら、安心感を得られる空気に皆は満足していた。
滞りなく再興が進んでいるムーンとサマルトは、粗方指示を出して来たので今日はこちらにいる。元魔王ハイが亡くなっていても、惑星の住人は知ることがないので混乱は起きなかった。惑星ハンニバルは、若き王子と王女のもとで新しい歴史を築き上げていく為、希望に満ち溢れている。
とはいえ、ムーンたちも惑星全てを把握しているわけではない。彼らは、あくまでも自分と繋がりがあった土地でしか活動していない。余裕があれば別の大陸の近況も調査するが、そこまで手は回っていなかった。
大国が幾つも滅び、多くは無法地帯になっている。おそらく危機が去った事により真面目に生活を営む者と、それを略奪して暮らす者のどちらかに分かれているだろう。早く統治しなければ、更なる混乱を招きかねない。そこが悩みの種だった。
惑星チュザーレのアーサーも参加している。隣には、魔法使いの卵メアリが付き添いで来ていた。他の者は先日ワイバーンの奇襲を受けた港町カーツの復興支援のため、出払っている。アーサーが指揮官として出向いていたのだが、賢者ナスカが代わってくれた為こちらへ来ることができた。
メアリはおまけだ。一人だけ手が空いていた、というより、悪く言えばお荷物である。何処も引き取る部署がなかった為、アーサーが苦笑交じりに声をかけて連れて来た。姉のエーアは先頭に立って近隣の村へ物資を届けているというのに、この差は気の毒である。本人も天界城へ来たがっていたので丁度良かったのだが、まさかその理由が勇者ダイキに逢いたいから、だとは知らない。
浮足立っているメアリを、アーサーは不思議そうに見ていた。
先日ワイバーンに関わったアサギは、進捗を聞く為アーサーに駆け寄る。
「アーサー様、カーツの状況はどうですか?」
「心配することはありませんよ、アサギ。もとからあの土地は皆明快で、此度の件も過去のものと割り切り、今まで以上に精を出して働いているようです。元気な街ですねぇ。不幸中の幸いだったのかもしれません」
にこやかに微笑むアーサーに、アサギも胸を撫で下ろすと笑い返した。
「それはよかったです。ボルジア城は?」
「我らの城も、順調ですよ。魔物の邪魔が時折入りますが、あちらには指揮官がおりませんので楽に退けられます。ただ、世界的に壊滅状態でしたから、どうしても時間が必要です。今は王の領土にしか手が付けれておりませんが、魔王ミラボーによって滅ぼされた国は多々存在します。その辺りがどうなるのかは、今は見通したたず、ですね。各王族が生き延びているのか、いないのか。それすら、分かりません」
「大変ですね……。あの、ミラボー様がいないのに魔物は活発に動いているのですか?」
「左様。魔王ミラボーと魔物は別の存在、魔物の中から新たな魔王が産まれる可能性もあるでしょう。彼らとて生きる為に必死なのかもしれませんが……こちらとしても、生憎餌として食われるわけには参りませんし」
アサギは眉を顰め、低く唸った。
会話する二人を一瞥しつまらなそうに唇を尖らせていたメアリは、見つけたダイキに近寄ることも出来ずにいた。控え目にアーサーのマントを掴んでいる。
「メアリ、皺がつくからやめなさい。今更人見知りする必要などないでしょう」
「私は繊細なの」
肩を竦めるアーサーにもお構いなしで、握り続ける。もどかしい思いを発散させるには、何かに縋っていたかった。ダイキはミノルたちと会話している。あの中に入っていく勇気は、メアリにはない。姿を一目見られたら十分だと思っていたのだが、それだけでは足りなかった。欲が出てしまう。男ばかりの場所へ行くのが恥ずかしい、というのもあるが、そこまで親しくないのに声をかけてよいのかが分からない。
「ハァ……」
忘れられていたらどうしよう、と不安だけが溢れ出してしまう。
メアリの熱い視線に、ダイキは気づかなかった。
ただ、トモハルはその視線に気づき軽く口笛を吹いた。どうにかダイキに気づかせてやろうと思案したが、時間切れだ。
「皆、待たせたな。御苦労」
クレロが部屋に入ってくると、水を打ったようにその場は一気に静まり返る。
「今日はなんだよ、火事? 人攫い? 殺人? 魔物の襲来?」
怒気を含んだアリナの声に、皆も頷いた。
「私に対し、文句の一つもあるだろうが」
「一つじゃないっつーの、十くらいあるよ」
口を挟んだアリナに、苦笑が漏れる。重々承知しているので、クレロは申し訳なさそうに瞬きしてから瞳を伏せた。
「そうだな、すまない」
頼りない、か細い声を出す。
「神なのに、アンタ威厳が無さ過ぎるんだよ……」
素直に受けとられると、こちらが悪い気がしてくる。バツの悪そうな顔をして、アリナはそっぽを向いた。
「君たちに尊敬される……とまではいかなくとも、せめて偶像の神を演じられるように頑張りたいと思うよ」
気迫のないクレロの声に、皆は俯いた。切ない声に胸が締め付けられ、罪悪感が押し寄せる。神にも理由があるのだろう。
詳細を知っているトビィとリョウは、肩をすくめて視線を交わした。
「さて、本日だが。招集はかけたが、悪いことばかりではないよ。それに、私が指示を出すより、君たちが話し合って今後の方針を決めたほうが動きやすいだろう? もちろん、今後も私は依頼をするが……」
澱んだ空気を払うように、クレロは明るい声を出した。
神が気を遣ってくれることは解った、しかし、その遠慮が余計に混乱を招く。今の混沌とした世界を掌握していない。
不安で余計に恐ろしい。
「言われなくても、こっちは勝手に動く。ただ、情報の共有はさせてくれよ。ボクたちも知り得た情報はアンタに話す。だから、アンタも遠慮なく“包み隠さず”話して欲しい」
腰に手をあて眉を吊り上げ言い放ったアリナに、皆は同意した。
「足並みが揃わないと、解決出来るものも迷宮入りになるよ」
頭をかきながら、呆れたように付け足す。
「そうだな、アリナ。気苦労かける」
「……謝罪が不気味」
「近々、懇親会を開きたいとも思っている。詳細は追って伝えよう」
「懇親会?」
皆は顔を見合わせた。すでに懇親会の最中に思える。
「新たな仲間を紹介することになる」
「新たな、仲間?」
皆は、一斉にリョウに注目した。幾多の瞳に曝され、恥ずかしくて俯いた姿は初々しい。
「彼もだが、他にもいる。段取りをしている最中なので、少々待ってくれ」
「ふぅん? 誰だろ」
トビィとリョウは魔族のナスタチュームたちだろうと勘付き、小さく頷く。確かに、彼らと連携するならば顔を合わせておくことが円滑に進む鍵となるだろう。
「あの。……破壊の姫君について、進展はあったのでしょうか? 惑星ハンニバル、及びチュザーレより惑星クレオが深刻だなんて。思いもしませんでした」
長い睫毛を震わせ、ムーンが発言した。
見え隠れする不穏な存在に脅かされているのは、惑星クレオ。敵の存在が明らかではないので厄介なことこの上ない。
「邪教の動きは?」
アリナと共に以前その存在を目の当たりにしたサマルトには、人ごとに思えない。ずっと気掛かりで、すぐにでも駆け付けたい思いだった。その異質さは身をもって体感した、顎を擦りながら瞳を細めて宙を睨む。
「関係性は未調査だが、過去に起きた“普通であれば”取り留めのない事件を記載しておいた。こうして紙面に残しておけば、皆も確認しやすいだろうと思い」
アサギはクレロから、大きな紙を預かった。広げてアリナらと読み耽っているが、覗き込んだトモハルが大きく顔を歪める。
「そうだ、俺たちは読めないんだった」
「そっか……。あとで翻訳するね」
「うん、面倒かけてごめんね」
アサギは読むことが出来るが、勇者及び他惑星の皆は理解不能。
二人が会話する傍ら、ミノルが小声で隣のダイキに喋りかけた。
「そういや、今更だけど。……なんでアサギは読めるんだ?」
「天才だから?」
「……トモハルだって天才じゃん」
「アサギは特別」
「確かにその一言で納得出来るけど、マジで……なんでだろ」
二人は首を傾げ、しげしげとアサギを見つめる。整った鼻筋と、長い睫毛、艶めく唇を凝視し、朱く染まった頬を隠すため俯いた。
本当に、今更の疑問である。
マダーニが読み上げていくのを聞きながら、皆は眉間に皺を寄せた。目新しい情報はない。ただ、同じような事件が多方面で頻繁に起こっているということだけは解る。
「地図に書き込んでみましょう」
「うん、それが一番だね」
アサギの提案にトモハルが大きく頷き、早速世界地図に印をつけていく。
「えーっと、火事は赤丸、行方不明者は黒丸、殺人は青丸、他は緑でいっか」
手分けして作業を行うと、鋭利な瞳で眺めていたトビィが喉の奥で笑った。浮かび上がった印は一見何の脈略もなさそうだったが、印だけで絞るとそうでもない。
「北に向かってる?」
火事の印は、徐々に北に向かっている。並行して、殺人事件もその付近で起きている。殺人事件、といっても人間同士の諍いとは思えないような、焼死体や身体に穴の開いた不可解な死体が出た場所だ。
以前火災が連続して起こった際、トビィはなんとなく気づいてはいた。だが、ここへ来て確信した。
「決まりだ」
大きな手がかりを掴んだ気がした、最新の印がついた箇所近辺を手分けして捜索することにする。
「事件を一度起こすと、次の街へ移動しているように思える。この付近の街や村が危険だ」
「あからさまに怪しい奴を尾行したらいいのかな?」
「アサギに似た奴が徘徊していると噂がある、勇者の名を辱める為、何者かが装っているのかもしれない。ソイツを狙う」
トビィが淡々とそう告げると、皆神妙に頷いた。同時に、心配そうな視線をアサギに投げかける。このような事態に、心穏やかでいられるはずがない。
「私の偽物……」
自分に似た誰かが事件を起こしている。アサギにとっては苦痛なことだ、一刻も早く突き止めなければならない。
先手を打ち、動ける仲間は周辺を捜索することにした。新たな被害者が出る前に、止めなければならない。
「すぐに行こう。オレとアサギは、この辺りへ行く。他は勝手に決めてくれ」
素早くアサギの手をとったトビィに、一部が不平の視線を投げた。
普段通り大きな手に触れられ、小さく頷いたアサギだが視線を泳がす。戸惑いがちに首を傾げ、暫く思案していたのだがようやく口を開いた。そっと、トビィの手を強く握る。
「どうしたアサギ?」
「あの、大した報告ではないのですが……」
上擦った調子のその声に、ミノルは嫌な予感がした。先日、アサギが誰かと付き合っていると聞いた。そんな報告は耳に入れたくない。
「どうしました、アサギ」
片手を上げたアサギに、にこやかにアーサーが手を差し伸べる。少しでも一緒に居たかったのか、トビィの邪魔が出来て嬉しかったのか、妙に晴れ晴れしい表情を浮かべていた。
「えっと。実は、先日新たな惑星を見つけました」
瞬間、その場は静まり返った。皆は言葉を失い、アサギの言葉を待つ。眉を顰めたアーサーが口を挟んだ。
「惑星を……見つける? とは? 我らが知らない惑星を、何故アサギが見つける羽目に?」
「それが、私にもよく解らないのですが、気がついたらその惑星にいたのです」
瞬時に察したのはアサギが勇者としてその惑星に召喚されたのでは、ということだ。十分に有り得ることで、納得できる。ここまで優秀な勇者であれば、危機に瀕している惑星が渇望するだろう。
しかし、それは違う。
アサギは、その惑星の話を口にした。
魔王という存在はおらず、退廃した地球の様な文化がある場所で、全世界を掌握し独裁しているのは自らを神と名乗る人間の男である、ということを。
勇者たちが召喚されたクレオや、仲間たちがいるハンニバルとはまた違った文化の惑星である。勇者らは容易く想像できたが、他は困惑し、そのような存在の惑星があることを些か疑った。説明だけでは理解出来ない点が多い。
けれども、皆が懸念を抱いたのは惑星の文化ではない。
「ふむ、興味深いですが……何故アサギはそこまで詳しいのです? その惑星の誰かに、神の名を語る愚かな人間の討伐を頼まれたのですか?」
アーサーの発言に、勇者らの血の気が引いた。
魔王を倒す、という言葉はゲーム感覚でやれそうだったが、同じ人間を倒す、というのは抵抗がある。命に違いはないというのに、相手が悪としても人間となると途端に意気消沈する。見た目が如何に重要なのかを実感した。差別は駄目だと思っていても、無意識のうちにしてしまう。
どうしても仲間を、親しい人を守りたくなる。同族と他種族を選べと言われたら、迷わず同族を選んでしまう。
アサギは、ゆっくりと首を横に振った。
「その惑星の方と親しくなったのです、討伐は頼まれていません」
「ほぅ……親しく。その人はアサギを勇者と崇めている、というわけではないのですか?」
アーサーの素朴な疑問だった。異界から来た美しい娘を、女神ではないにしろ崇めない者などいないと思ったのだ。見るからに神秘的な空気を纏ったアサギならば、何処でも、誰にでも神格扱いされるだろうという思い込みである。
アサギは大きく手を振りまわして否定すると、すんなりと言葉を漏らした。この発言によってその場が混乱するなど考えなかった。
「崇めるだなんて、とんでもない。えっと、私の彼氏です。トランシス、っていうんですけど、とてもかっこよくて頭がよくて、ステキな方なのです」
悪意のない、はにかんだ眩しい笑顔で、恥ずかしそうに頬を桃色に染め、幸せそうな高い声で告げる。
トビィとリョウが肩を竦め、次の騒動に耳を塞いだ。
ユキが唇を歪め、横を向く。
数秒後、絶望の悲鳴が至る所で上がった。