外伝2『始まりの唄』18:揺れる心

文字数 6,209文字

 ぼんやりと天井を仰いでいたアリアは、自然と流れ出した涙を止める事ができなかった。
 先程まで、トダシリアの好いように扱われていた。人形のように散々弄ばれ、ようやく解放されたものの、彼は隣にまだいる。傍に居る以上気が休むことは無く、いつまた始まるのかと怯えて過ごす。ただ大人しく横たわっているだけなのに、彼が苛立っていることは知っている。
 
「チッ、つまらん女だな……。可愛げのない。寝所で男を悦ばすことを知らんのか。そっと腕を伸ばして触れて、上目遣いに甘い言葉の一つでも囁いてみろ」

 勝手気ままに四六時中抱き続け、服従させようと調教まがいの事をした。けれども、従順になるどころか、徐々に反応が薄くなる。拒絶し、夢であれと願っているかのような態度が気に入らない。アリアにとって、自分は『夫の生命維持装置』のようなもの。自分だけが、夢中になっていることに気づき虚しくなった。この情熱は、微塵も伝わっていない。

「誰の為に、こうして……」

 それは、親の愛情を手に入れられなくて駄々をこねる子供のよう。愛情表現が上手く出来ないトダシリアの想いなど、アリアに伝わるわけがない。

「こう、して」

 力なく呟き、まだ涙を流しているアリアを女々しく盗み見する。自分がいかに心を奪われているか伝える手段がなくて、途方に暮れた。

「クソッ!」

 手にしていた水差しを床に投げつける。割れて飛び散った破片を腹立たしく睨み付け、大きな音に怯えたアリアを引き寄せた。強引に口付け、両手の自由を奪い組み敷く。一瞬身体を引きつらせたものの、諦めたように瞳を伏せて横を向く姿に、頭に血が上る。

「本当に、お前はっ!」

 期待した反応が返って来ない。
 頬を平手打ちすると、ようやくアリアは唇を真横に結んでトダシリアを見た。

「……それでいい。きちんとオレを認識し、受け入れろ。無視を、するな」

 荒々しく扇情的に告げながらも、語尾は消え入りそうに弱気だった。肌に残る歯型に舌を這わせ、胸に顔を埋める。

 ……生きてる。

 アリアの心臓の音を聞きながら、トダシリアは微睡んだ。

「トダシリア様、し、失礼します!」
 
 しかし、外から固い声が聞こえてくると再び現実に引き戻された。苛立ちながら顔を上げ、怒りで身体を振るわせる。しかし、急用であることは解りきっている。トダシリアは「すぐに戻る」とアリアにぶっきらぼうに告げ、寝所を出た。
 部屋を出ると、右往左往している側近がすっ飛んできた。

「御愉しみ中のところ、申し訳ございません。それが問題が発生しまして……。食事を摂ろうとしません、このままでは」
「どいつもこいつも、腹立たしい!」

 トバエが死んだところで、アリアを手放す気などさらさらない。しかし、アリアが自害する恐れがある。

「おい! 何故食事をしないっ」

 寝台の上で痩せ衰えているトバエの姿を見て、哀れみすら覚えた。トダシリアは唾を吐くと、こんな状況でも屈しない孤高の狼に似た瞳の弟に声をかけた。

「お前らしくないな、九死に一生を得たんだろ? オレに復讐する為に、死に物狂いで回復に徹すると思ったのに」

 鼻で嗤うと、トバエが生真面目に返答する。

「オレが生きている限り、アリアはお前に嫌々ながらも身体を差し出すだろう。それが、オレを救う唯一の方法だからな。しかし、オレの命が尽きれば確実に自害する。それこそが、彼女を救う最善の方法」

 思った通りの筋書きに、トダシリアは肩を竦めた。

「なるほど、それが狙いか。恐ろしい男だな、折角助かった命を投げ打って妻を道連れにするのか」
「二人揃って地獄へ行けるなら本望。そもそも、地獄は“ここより”遥かに楽だろう?」

 薄く嗤ったトバエに、トダシリアはカッとなって赤面した。
 目の前には、身体に良い食事が用意されている。空腹だろうに、堪えてそれらに手をつけないトバエの精神は大したものだ。間違いなく、このままでは餓死する。こんな状態であるにも関わらず、勝ち誇ったように炯々とした瞳で見つめてくる弟に背を向けた。

「それでは面白くない」

 罵倒する言葉が上手く出て来ず、舌打ちしたトダシリアは逃げる様にして部屋を出た。

「アリア。トバエが食事を摂らない、普段は何を食べていた? このままでは死ぬぞ」

 大きな瞳を真っ赤にしていたアリアは号泣していたのだろう、肩を震わせている。しかし、そう問われるなり慌てて涙を拭うと声を張り上げた。

「わ、私に食事を作らせて下さい! それくらいならいいでしょう!?」

 相変わらず、トバエのこととなると声に張りが出る。普段は暗い闇色を浮かべている瞳に、光が灯る。それが非常に気に入らない。二人の仲を引き裂いたところで、絆は繋がったままに思える。真ん中に入り込んだ自分の存在など、たかが知れているのだと思い知らされる。
 アリアの手料理ならば間違いなく口にするだろうと踏んだトダシリアは、断腸の思いで指示を出した。
 以前部屋に来ていた女官らがやって来たので顔を綻ばせたアリアは、彼女らの言われるがままに風呂に入った。傷口がしみるが、励まされて耐える。手当をしてもらい、彼女らと同じ様な女中の衣服に着替える。そして、案内されるがままに調理場へ向かった。
 息が弾む、久し振りに監獄のような部屋から出られたことと、トバエに料理を作れるということで希望がもてた。血色の良い顔に戻り、目を惹くような美しさが増す。
 肩を竦め、浮足立つアリアをトダシリアは追った。調理場へ足を踏み入れると、料理人達が蒼褪めた。国王がこのような場所に脚を踏み入れるとは思いも寄らなかったのだろう、皆緊張した面持ちで作業をしている。
 そんな状況で、アリアには調理場の一角が与えられた。それでも自宅よりも広い空間であり、準備に戸惑う。見たことが無い食材や調理器具に目を輝かせつつも、冒険はせずに馴染みのものを手に取った。鞭で打たれた腕やふくらはぎが若干痛む、それでも手際よく料理を開始する。
 国王が溺愛している噂の娘が気になり、その場に居る者達は密かにアリアを盗み見た。新緑のような美しい髪と、整った顔立ち、つつましくも手馴れた様子で料理する姿に男達は溜息を吐く。
 多くの視線を気にせずアリアが作ったのは、焦がし葱のスープだった。丁寧に痛めた葱と大蒜を山羊の乳煮込んだもの。体調が悪い時や、風邪の引き始めによく作っていた。これならば、トバエは作り手が誰であるかすぐに気づくだろう。

「あの、私が運んでもよろしいですか」
「駄目に決まっているだろう、誰が会わせると言った」

 居丈高に言い放ったトダシリアは、出来上がった小ぶりの鍋を女中に運ばせる。

「寝台で待っていろ、オレは後で行く」

 鍋と立ち去ったトダシリアを瞳を伏せ見送ったアリアは、大人しく部屋へと戻った。会えなくても、自分の想いが夫に伝わると信じて。流石に作った料理を捨てられることはないだろうと、信じた。

 そんなアリアの想いが詰まったスープを目の前に出され、死んだように眠っていたトバエは瞳を開く。腕を組み壁にもたれているトダシリアと視線が絡むと、勝ち誇ったように笑った。大蒜の香りに刺激され、ぎこちなく手を動かす。

「……アリアのスープか、久し振りだ。“以前は”頻繁に飲んでいたのに」

 口に入れると、最早懐かしい味が広がる。スープは温かく胸に染み渡り、身体に活力と安堵を与える。アリアはとりわけ、野菜を主としたスープ作りが得意だった。鍋のスープを全て飲み干したトバエは、微かに口元に笑みを浮かべている。
 空になった鍋を見て、呆れたトダシリアは肩を竦める。

「絶食はどうした、餓死の予定は変更か?」
「アリアがオレを想って作ってくれたものだ、食べなければ罪になる」

 トバエが淡々とそう言うと、トダシリアは唾を床に勢い良く吐き捨てた。そして険しい顔を浮かべ、足を踏み鳴らしその場を後にする。
 そんな様子を瞳を細めて見送ったトバエは、鼻で笑う。軽く腹を擦った、久方ぶりの食事だったが、それでも胃はすんなりと受け付ける。小さく溜息を吐くと、唇を噛締めた。
 計画通りだ、ここまでは。
 “トダシリアがアリアに死なれては困る”ならば、必ずこうなる。そうして、恐らくアリアは食事をこれからも作り続ける。それを食べ続ける事によって、自分の体力回復に繋がる。
 これは、夫婦の抗い。絆の確認。

「アリア……」

 愛する妻の名を切なく呟いたトバエは、静かに瞳を閉じて物思いに耽った。

 トバエの予想通り、アリアは毎食分の食事を作り始めた。もともと日課である、苦にならないどころか楽しかった。暇さえあればトダシリアに抱かれていたのだが、食事を作っている間は当然解放されていた。トバエを想って料理できるその時間が何よりの至福で、心に潤いを与えてくれる。その時だけは、この地獄のような場所で安らげた。
 アリアが調理場に立つ時は、欠かさずトダシリアも足を運んだ。妙な真似をしないか監視しているというよりも、その様子を始終眺め愉しんでいる。
 最初は居心地が悪く感じられたが、見られるだけなら安心だ。共に居ても、苦ではないと判断した。しかし、アリアには何の為にトダシリアが通っているのか理解出来ない。
 本日のスープは人参を柔らかく煮込んで裏ごしし、牛乳と混ぜ合わせた甘味のあるもの。

「おい、オレにも飲ませろよ」
「高貴な御方の口に合うとは思えません、これは田舎の料理です」

 しれっと言ったアリアに、トダシリアが顔を引き攣らせる。余計な事を、と物怖じしない物言いに恐怖した周囲は息を飲む。
 けれども、怒り出すかと思えばトダシリアは拗ねたように俯いただけだった。

「オレもお前のスープが好きだったんだよ。……いや、オレが最初に美味いって言ったんだ。オレが、最初だった。お前は、オレに作ってくれた」

 沈鬱極まる調子で呟いた言葉など、誰の耳にも届かない。
 丁寧に作られたスープの鍋を、アリアは料理長へ手渡した。その際、彼の顔が恐怖に引き攣り、瞳が何かを訴えていることに気がつく。嫌な予感がして振り返ると、トダシリアが不機嫌そうに足を踏み鳴らしている。つまり、飲ませろと駄々をこねているのだろう。見れば、周囲の皆が祈るような目つきをこちらに向けて懇願していた。
 アリアは唇を噛むと、湧き上がる多少の怒りとやるせなさに溜息を吐いた。今ここでトダシリアにスープを渡さねば、ここにいる皆に迷惑がかかる。癇癪を起し怒鳴り散らし、下手したら誰かが怪我をすることなど目に見えている。
 小さな器にスープを注いだアリアは、意に反した行動をする自分を叱咤し、トダシリアに歩み寄る。そして、渋々ながらもそっと両手で差し出した。

「……不味いと思いますけど」
『不味いと思いますっ。お口に合わなかったら、す、すぐに吐き出してくださいっ』

 つっけんどんに差し出してきたアリアを、トダシリアは冷めた瞳で見下ろした。すると、視線を合わせずに狼狽しながら器を渡してきた“あの娘”が甦る。

「っ!」

 弾かれたようにトダシリアはアリアの腕を掴むと、器を強引に奪い取りスープを一気に飲み干した。口元から零れて、高級な衣装に垂れたが気にしない。それは甘い人参の滑らかな舌触りが堪能でき、絶妙な塩加減の大変旨いものだった。

「う、美味い……! もっと寄越せ!」

 器から現れたトダシリアの顔が、無邪気に笑っている。その笑顔に、アリアだけでなく周囲も呆気にとられた。
 アリアを押しのけ、トダシリアは器にスープを注いだ。自らそんなことをするなど、有り得ない。上手く注げず手に、床に零れる。目の前のスープは消えないというのに、慌てて飲む。作法も礼儀もなく、ただがむしゃらに豪快に飲み干す。半ば狂ったように「美味い、美味い!」と連呼しながら飲み続ける姿に、目が点になる。
 アリアは躊躇いがちに近寄ると、恐る恐る鍋を覗き込んだ。狼狽し、鍋を奪う。

「トバエの分が無くなってしまいます! そんなに飲まないでくださいっ」
「また作ればいいだろう! オレは飲むぞ」
「え、えぇ!?」

 アリアから鍋を奪い返し、瞳を輝かせる。注ぐのが面倒になったので鍋に口をつけると、直接飲んだ。
 数分と経たずに、当然鍋は空になってしまった。
 放心状態でそれを見ていたアリアだが、子供の様に口元を汚して無我夢中で飲み干したトダシリアを可愛いと思ってしまった。トバエの為に作ったスープを横取りされ、怒りが込み上げて当然。だが、偽りなき純粋な笑顔で美味いと言い、飲み干してくれたことに戸惑いを隠せない。
 心が、乱れる。

「アリアは、やはり料理が上手いな。……トバエは以前からこれを食べていたわけか、羨ましいもんだ」

 急にシンとした寂しさを身に纏って呟いたトダシリアに、アリアは声をかけた。自分でも驚いていた、だが言わねばと思った。

「あ、あの、また作りますから、トバエの分は飲まないで下さい。美味しいと思ってくれたのなら、貴方用に作りますから」
「そうか! じゃあ、早速何か作ってくれ。腹が減った」
『じゃあ、早速何か作れよ。オレ、腹が減ってるんだ』

 眩しいくらいの笑顔を向けられ、一瞬怯むが、当惑しつつ頷く。その笑顔を瞳に飛び込んで来たと同時に、何かが脳裏を掠めた。眩暈がして、アリアは足元から崩れそうになる。
 それを、駆け寄ったトダシリアが支えた。

「大丈夫か?」
『大丈夫か? 気をつけろよ、辛い時は言えばいいんだ』
「は、はい。大丈夫です」
『は、はい。ありがとうございます』

 誰かの声が、重なる。
 トダシリアに抱き留められていたアリアは、ひどく困惑した。胸の鼓動が速くなり、心地良い体温に身体の力が抜ける。そんな筈はないのに、彼のこの優しい温もりを知っている。

 それからというもの、トダシリアの食事もアリアが担当することになった。豪華なものは作れないので、田舎料理でしかないものの、文句を言わずに食べている。
 それは、まるでトバエ。
 調理中ずっと傍に居て見つめているトダシリアに戸惑いを感じながらも、不愉快ではなかった。そして、いつも「美味しい」と言いながら食べてくれる姿に、心が動かされている自分に気がついた。
 しかし、気の迷いだと否定した。
 心が動いていることに以前から気付いていたが、押し殺した。
 夫のトバエを瀕死の状態に陥れ、罪のない人々を虐殺し、街を破壊し、自分の身体を奪った悪魔のような男。けれども、時折見せる憂いを帯びた瞳や、無邪気な笑顔、安堵しきった柔らかな口元、切なく自分の名を呼ぶ姿に胸は締め付けられる。
 憎むべき相手、それは十分承知。だが、心の片隅で何かが動く音がする。
 そんな自分に嫌気が差す。 
 だから、泣き続けた。どうしてよいのか解らなくて、口を閉ざし塞ぎがちになっていた。
 トバエの為に、料理をする。『完食している』と報告を受け、嬉しい半面で。
 トダシリアの笑顔が見たくて料理をしている自分もいることに、気がついていた。
 
 ……自分は、なんて愚かな女なのだろう。

 アリアはそう思いつつも「美味しい」と言ってくれるトダシリアに、癒され始めた。微かに、愛おしいと思い始めていた。嬉しかった、その笑顔を見ていたいと思った。

 キィィ、カトン。

 夢を見たのだ。トダシリアが頭を撫で、頬に優しく口付けている甘い夢を。その夢の中で、確かに自分も、彼に心を寄せていた。
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登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

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