恋人同士の口づけ
文字数 3,924文字
とはいえ、新しい街へ行くことが出来るので浮かれている。以前恐ろしい目に遭ったというのに、仲間がいるので安心しきっていた。
何より、その土地の食事が大きな楽しみになっている。惑星クレオの通貨は大量にある為、地球のように自分の小遣いで買わなくてもよい。気になるものを見かけると購入し、腹に入れた。
それでも不満はある。人間の欲望は、尽きることがない。
「ラーメンがない」
「ないでしょ、流石に」
小言を呟きながら串に刺さった焼貝を齧りながら歩くミノルに、ケンイチが吹き出す。彼のラーメン好きは知っているが、流石に異界で求めても無理な話だ。似たものはあるかもしれないが、今のところ見ていない。
「パスタみたいなのはあったよね」
「ちげーよ。麺類が喰いたいんじゃねぇ、ラーメンをズルズルやりたいわけよ。濃厚な汁で、具はシンプルに。スープは醤油か味噌がいい。つけ麺は許さん」
「注文が多いなぁ。そもそも味噌に醤油とか絶対にないと思う」
アサギに彼氏ができていた、という衝撃の事実に気落ちしていたミノルだったが、どうにか浮上したようだ。
普段通りに何かしら齧っている姿に、ケンイチはほっと胸を撫で下ろす。しかし、トモハル曰く『表に出さないだけで、本調子ではない』と。もしかしたら、食べる事によって現実逃避し、忘れようとしているのかもしれない。
「過食症にならないでよ、失恋の痛手で」
「うるへー。……おっ、あれ美味そう! おっさん、それ一本頂戴」
仏頂面をしたミノルは軽くケンイチの言葉を流し、目新しい食べ物に食いついた。
「よくそんなに食べられるね」
「だって美味いじゃん」
確かに美味いが、付き合っていたケンイチはすでに満腹だ。大袈裟な溜息を吐き、不安げに見つめる。
ミノルと同じ様に飲み食いしていたアリナが、ぼそっと呟いた。
「いつかボクも、地球の食べ物を口にしたいなぁ」
「なら、俺の部屋にある菓子をやるよ。美味いから」
「へー、それは楽しみだなっ」
ミノルとケンイチ以外の勇者は用事があり、来ていない。二人はアリナと保護者役に徹しているクラフトと共に行動していた。
「それにしても、アサギに似た人物ねぇ。あんなカワイコちゃん、滅多にいないと思うんだけどなぁ。少なくとも、今の今までボクは見た事ないよ」
「だよなぁ」
両手に食べ物を抱え、「いたら彼女に欲しい」とミノルがぼやいたのを、ケンイチは聞き逃さなかった。だが、あえて追及しない。
「……僕は、好きな子だけを見ていこう。よそ見は駄目、浮気は命取り」
申し訳ないが、よい反面教師が出来たと強く頷く。
「虚言だったりして。どっかでアサギを見かけた男が、もう一度会いたくて吹聴したとかさっ」
「有り得る」
アサギに似た少女の証言は、幾多も得ているのでそれはない。しかし、アリナとミノルは真剣だった。
肩を竦めて話を聞きつつ、ケンイチは後をついていく。なんのかんので、この二人は仲が良いなぁ、と思った。言葉遣いが荒く、性格が大雑把。口より手が出るタイプで、好きな相手も同じなためか同調するようだ。
つまり、似ている。
「にしてもさ、アサギの新しい彼氏とやらはどんな奴だろ? トビィと同じ髪色ってすんごい偶然じゃない? 瞳もだろ? あれより美形な男もあんまりいないと思うんだけどなぁ。……あ、そっか。アサギは男を顏で選ばないのか」
「ぅ」
冷静を装って聞いていたミノルだが、胸を槍で貫かれたような痛みを感じる。
ミノルが硬直したので、慌ててケンイチが口を挟む。
「アリナ、そっとしておいて! 色々と禁句! 話題を変えて」
退屈そうに髪を指に巻きつけ頬を膨らますアリナは、全く悪びれていない。
「だって気になるじゃん。あのアサギが惚れてる男だろ? 完璧なトビィが傍にいるのに、あえて、だろ? いつ紹介されるんだろーな、ボクより強いかな? 性格悪そうだったら追い返していいかなぁ?」
「それは許可する」
黄泉の国から舞い戻ってきたミノルが、即答する。性格が悪い事に希望を見出し、正気を取り戻した。
「おっ、あれも美味そう」
「いいね、いいね、一本いっとく? おばさーん、その串二本くださいなー!」
ミノルとアリナの食べ歩きは止まらない。
見ているだけで胸やけがしてきたケンイチとクラフトは、互いに顔を見合わせてそっと頷いた。
「お互い苦労しますね」
「本当に……心中お察しします」
半ばヤケクソ気味のミノルを追い、ケンイチは疲れた腰を叩いた。
「それにしても、アサギの彼氏ねぇ……」
ケンイチは首を傾げる。アサギも失恋の痛手を負っていたはずだが、急に切り替えるなど彼女らしくないと思った。ずっと、妙な違和感が残っている。
「まぁ、ここでワーワー言っても仕方ないじゃん? 会わせてもらおうよ」
アリナが不敵に笑うので、ミノルとケンイチは不安そうに顔を見合わせた。
翌朝、ケンイチから『話があるから教室に行くね』と連絡が入っていることに気づいたアサギは首を傾げる。何だろうと待っていると、休み時間に引き攣った笑顔でやって来た。
「どうしたの?」
「うん、それが……」
話を聞くと、アリナがトランシスにどうしても会いたいから連れて来て欲しいと駄々をこねていると。想定内で、アサギは苦笑する。
「みんなを集めて、歓迎会をしたいって」
「か、歓迎会……。今日会いに行くから、トランシスに訊いてみるね」
「嫌かもしれないけど、僕たちもどんな人か気になってるんだ。確かに会ってみたい」
「プリクラならあるけど……本人だよね」
「うん、本人に会いたいって」
アサギとトランシスが逢える時間は、限られている。その為、二人きりでゆっくりと過ごしたかった。しかし、頼まれると断れない性格の為渋々了承した。
急いでトランシスのもとへ向かったアサギは、先延ばしにしても仕方がないので決心した。ギュッと抱き締めてくれて、身も心も蕩けそうになりながら事の成り行きを話す。
案の定唇を尖らせている目の前の恋人に頭を下げた。
トランシスの機嫌が悪くなるのも最もで、知らない人々の中に放り出されるというのは気分よいものではない。
「まぁ……人付き合いも大事か。いいよ、行こう。それに、アサギの仲間だろ? 顔合わせは避けられない」
トランシスも二人きりでいたかったので、最初は断るつもりだった。だが、アサギがどんな状況に置かれているのか知りたいという欲もある。
「ありがとう。ごめんね」
「気にしないで。ただ、この貴重な時間を大切にしよう」
気落ちしているアサギの顎を指先で持ち上げると、矢継ぎ早に口づける。
柔らかい唇が触れた瞬間に、互いの胸にあった暗雲が消え失せた。それだけで全ての物事がひっくり返り、世界が変わる。
アサギの頬が桃色に染まった。
「二人でいられないのなら、今のうちにたくさんしておこう」
耳元で艶っぽく囁いたトランシスは、硬直したアサギを抱き締め何度も軽く口づける。瞳を軽く開き、頬を染めて一心不乱に口づけの雨を受けている様子を眺めた。
愛しい恋人が傍にいるだけで、どうしてこうも胸が躍るのか。口づけなど今まで気軽に交わしてきたが、相手が違うだけで特別な儀式に思える。
……アサギが拘っていた理由、今なら解る気がする。
トランシスは、アサギにとって特別な存在であると自覚した。そして、自分にとっても唯一無二の存在であると。今一度、出会えた偶然に感謝し幸せを噛みしめる。どうか、この胸の中のかけがえのない存在がいなくならないようにと願う。
あの時、アサギが木に引っかかっていなければ、こうして口づけすることもなかっただろう。
「っふ……」
身体を小刻みに震わせ、アサギは時折眉を顰める。どう顔を傾ければよいのか、どこで息継ぎすれば苦しくないのか。なんとなく慣れてきたが、頭の芯がぼうっとして意識を手放しそうになる感覚だけはそのままだった。
「アサギ」
トランシスはより一層きつく抱き締め、切なく名を呼ぶ。
それに応えるように、アサギは背中にゆっくりと腕をまわした。
……このまま、こうしているだけで十分なのに。
二人は顔を見合わせると、同じ想いだったことが嬉しくて笑った。
「もう少しだけ、二人でいたい」
甘えるように耳元で囁いたトランシスに、アサギはぎこちなく微笑む。想いは同じだが、おそらく仲間たちは準備をして待っている。少しだけ、罪悪感が芽生えた。
アサギが困惑することを知っていながら、トランシスは告げた。そうして、熱い唇で再びアサギ覆う。
トランシスからの深い口づけは止まらず、結局二人が歓迎会へ出向くまで、かなりの時間を要した。
「…………」
脱力した身体で歩いていたアサギは、先程の“恋人のキス”が、少女漫画で見た“えっちな大人のキス”ということを理解した。思い出すだけで、身体中が火照る。『サクランボの果柄を口内で結べる人はキスが上手い』というのも聞いたことがある。
上機嫌で歩くトランシスを見上げ、アサギは顔を真っ赤にし俯いた。
「きっと、上手く結べるんだ……」
漠然とそう思い、さらに恥ずかしくなって口もとを押さえる。おまけに、思考が声に出ていた。
「大丈夫、アサギ? 気分が悪いの?」
「ち、違うの。へ、へっきだよ」
狼狽するアサギが考えていることなど、トランシスには解り切っている。四六時中自分の事を考えていて欲しいと、ほくそ笑んだ。刺激的な口づけは成功だったらしい。
「でも、気分が悪ければ早々に歓迎会を引き上げよう。そうしたら
意味深な事を意地悪く耳元で囁き、小さな悲鳴を上げたアサギに優しく微笑んだ。