外伝4『月影の晩に』25:待ち侘びた援軍と、時の最高権力者
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そう噂した。
民達には、以前となんら変わりのないない現実が待っている。焼け焦げた街を修復しようと、民は動こうとした。しかし、やる気はあれども途方に暮れて動けない。先導者がいないので、どのように復興すべきか解らない。希望がない、瞳に光が戻らない。
それでも、一人、二人と。時間が経つに連れて、街中で声が上がるようになった。怪訝にその様子を窺う者もいた。辛うじて屋根の残った建物の下、雑魚寝している人々は騒がしくなってきた街を見やる。
何故か、アイラ姫を待つ者達が増えてきていた。声を張り上げ「頑張ろう」「負けるな」「めげるな」と言って歩きまわり瓦礫を一カ所に集める作業から始める人々がいた。
一人では、無力。けれど、街の人々が集まれば、様々な職業に就いていた者達が集う。臥せっている人々に少しでも、と知恵者は薬草の調達をした。壊れそうな家を建て直すためには、大工と力仕事の得意な男が必要だ。女達は炊き出しをしよう、街から出て川に魚を取りに行こう。皆で力を合せて、生き延びよう。
生きる希望を辛うじて繋いだ人々は、アイラを信じてみようと思った。姫だから、ではない。
『それまで頑張ってください』
彼女が投げかけた言葉が気になった、信じたくなった。言われた通りに頑張ってみようと、思い直した。その言葉を信じ、徐々にやる気を起こし始めた頃。復興に向けての光が、ようやく灯った頃。
崩壊した街に、二つの旗が現れた。それは幻覚ではなかった、皆は涙ぐみ見つめる。
トライ王子のブリューゲル国の旗。
リュイ皇子のラスカサス国の旗。
共に軍隊を率いて、街にやって来た。
惨状を把握した彼らは、直様救援物資を支給し、怪我人の手当てに数名の医師が動き出す。雄雄しい二つの国の麗しい王子達に、民は平伏し感謝の言葉を述べて、嗚咽を漏らし涙した。
「予感が的中した、やはり滞在しておくべきだった。ここまでとは思わなかったが、オレの過失だ」
トライは地面に突き刺さっていた槍を、思い切り愛用の剣で斬り下ろした。鈍い音がして、突き刺さっていた槍は見事に真っ二つになった。忌々しく見つめ剣を収めると、静かなる怒気を含みつつ、後方から来たリュイに声をかける。
「リュイ殿はどうして?」
「遣いに出した者達から連絡が途絶えましたので。……信頼している私兵です、有り得ないので発ちましたらこのようなことに」
滞在していた筈のベルガー及びトレベレス国の者達は居ない、死体すらない。ならば誰がどういった理由で壊滅させたのかは、一目瞭然だ。
「アイラ姫の安否確認を急げ! 姫を見た者はいないのか!?」
トライとリュイは、それが目的だった。大事な姫を探して兵達を動き回らせるが、見つかるわけもない。
彼女はもう、ここには居ないのだから。
親切にしてもらう傍らで、民達は怯え始めた。城の小間使いやら使用人から、この二人の王子がアイラ姫を好いているらしい、と聞いた。その為、二人の王子に真実を告げられなかった。『暴言と暴行を加えて、姫を叩き出しました』などと言えば、彼らに見捨てられるのではないかと恐怖した。
感謝しつつも、何度も喉から出そうになる言葉を飲み込む。何れ発覚するだろうが、今は隠し通したかった。同盟すら組んでいないのに、懸命に民を救おうと躍起になっている二国の兵士達に申し訳なくて項垂れる。
……あぁ、自分達はどうしてこんなにも卑屈なのだろう。
アイラ姫の話をすれば、救援が途絶えてしまう。それどころか、今度こそ壊滅させられるのではないかと。そもそも、王族に無礼な振る舞いをしたのだから、極刑になるのかもしれない。民達の顔は、いつまでも晴れなかった。
そんな中で、何処か余所余所しい民達の態度に不信感を抱いたトライが、ようやく呆けているミノリと、未だに起きないトモハラの二人を見つけ出した。
簡易なテントに脚を踏み入れ、ミノリを見つけた瞬間にトライは眉間に皺を寄せた。騎士であるミノリだが、民と共に動く事もなく横になったままだった。大した傷は負っていないように見える、若くて力もあるというのに、率先して働かないとは如何なものか。
腑抜けた、騎士が一人。殴りたい勢いで、トライはミノリの胸倉を掴み上げる。
「おい」
トライの声に、ようやくミノリは目の焦点を合わせ、そして怯えた悲鳴を上げた。最も会いたくなかった人物はアイラだが、次にトライだ。奇声を上げ、引き攣った笑みを浮かべる。
「どうしてお前達が無事で、アイラ姫が不在なんだ!? アイラは何処へ行った!? お前達は今まで何をしていた!?」
首を絞めるように乱暴に揺さ振るトライを、慌ててリュイが止める。
地面に落下したミノリは、苦しそうに咳き込んだまま何も語らない。ただ、蒼褪めた様子で震えていた。
「お前に任せただろう!? 姫を護れと告げただろう!? 何をしていた!?」
沈黙のミノリを見下し、不愉快そうに舌打ちする。時間の無駄だと判断し、トライは踵を返しテントから出た。勢いで布を上げたので、簡易なテントは木が揺らぎ、崩れ落ちる。リュイが同情の視線をミノリに送るが、その目の前でテントと消えていった。
崩れたテントが、蠢く。
ミノリはトモハラを抱えて、久し振りにテントから出て、外の陽射しを眩しそうに浴びた。良い天気だった、空気が澄んでいた。外の木に新緑の葉が生い茂っている。小鳥が、囀る。
「アイラ……姫」
眩しい豊かな緑色はアイラを彷彿とさせ、ミノリは一筋の涙を零す。あの笑顔を見つめていたいのに、それは叶わぬ願い。生きている意味などないと思いながらも、過去の恋慕にしがみ付く。
「アイラ姫に……会いたい」
ミノリは、本音を吐露して号泣した。涙で霞む向こうで、トライが狼狽している様子の私兵から報告を受けている。益々視線が険しくなったトライを見て、ついにアイラが一人で旅立った事を知ったのだろうと判断した。遅かれ早かれ、どのみち判明することだ。
項垂れたミノリは、親友のトモハラを情けなく見下ろす。
「もう、大丈夫だ。二人の果敢な王子が、二人の姫を救出するに違いない。姫様達は、きっと戻る」
アイラは、その時どちらを選ぶのだろう。親しいトライ王子だろうか、それとも歳の近いリュイ皇子だろうか。ミノリは雲の上の話だとばかりに自嘲気味に微笑むと、トモハラの安らかな寝顔を見つめて話しかけた。
「……お前の姫様、無事だと、いいな。いや、きっと無事さ」
せめて、トモハラだけでも幸せにと。ミノリは力なく笑うと、地面に横になる。久し振りに動いて、疲れてしまった。瞳を閉じ、救出される姫を思い描いた。彼女は、嬉しそうに微笑んでいた。だから、それで良いのだと思った。
陽が山の上にうすづき始めた頃、城から一つの影がゆっくりと伸びてきているのを皆は見た。
「アイラ……アイラ姫様は何処に」
それは、生きる屍に見えなくもないが、人だった。
まだ生存者がいたことに驚きを隠しきれなかった人々は、体力の消耗している生存者を大慌てで迎えに行き、支えて連れて来た。誰が見てもほぼ最高権力者であろう特異な法衣を身に纏っている老婆である。
元女王の親友にして、参謀であるクーリヤである。
クーリヤを知る者は、ミノリと目覚めないトモハラだ。
だが、トライとリュイとて、城内で時折姿を見かけたことがあった。
トライは兵を向かわせ彼女を連れてこさせると、衰弱しているが、自力歩行が可能であるのならば見た目ほど重症ではないと判断した。直様毛布で身体を包み水を与えると、干からびていた布が水を吸収する勢いで、三杯も飲み干した。
うわごとの様にアイラの名を呼ぶクーリヤに、皆の胸を違和感が掠める。
トライとリュイは、顔を見合わせ神妙に頷いた。確信に近い疑惑が、首を持ち上げる。城内で最も権威を誇っていたとさせる元女王の側近クーリヤが、妹のマローではなく姉のアイラを捜し求める理由など一つしかない。二人は薄々気付いていた、最初から解っていたのかもしれない。
げんなりした様子でトライは跪くと、クーリヤに告げる。
「アイラはマローを取り返す為に、一人で旅立ったそうだ。オレは直様後を追う」
兵から先程聞き得た情報だ。兵は、幼子が泣きながら「あの綺麗なおねえちゃん、戻ってこないの?」と街の隅で泣いていた事で気付いた。子供は、正直だ。
立ち上がったトライのマントを、皮と骨だけのクーリヤの手が掴む。支えられた身体を奮い起こし、消え入りそうな声で老女は呟いた。
衝撃的な一言に皆は、動揺し、硬直した。
クーリヤの脆弱な声は、周囲が静まり返っていたので響き渡り、皆の耳に届いてしまった。
「アイラ姫こそが……正統なるラファーガの姫であり、繁栄の子を産む、次期女王。あの子さえ無事ならば、ラファーガ国はすぐに豊かな国へと戻ります。どうかどうか、水と風の王子よ。アイラ姫を救い出してください」
ミノリが息を飲み、弾かれて地面から起き上がった。
トライは呆れて溜息を吐くと、迷惑そうに舌打ちし怒気を籠めてクーリヤを睨む。
リュイが哀しそうに瞳を伏せ、哀れみながらクーリヤと周囲の民を見渡した。
民達は、驚愕の眼でクーリヤを見た。もはや、何も言えなかった。
そして。
「マロー姫様は?」
恐怖に心を襲われたミノリの隣で、ようやくトモハラが目を覚ました。地面を掴み、懸命に腕の力で起き上がる。覚束無い足で立ち上がると、マローを捜し名を呼びながらクーリヤに詰め寄った。民が見守る中、トモハラはトライとリュイに導かれて、クーリヤに糾弾する為に真正面に立つ。
キィィィ、カトン。
何処かで、何かの音がした。
2020.7.7 白無地堂安曇様から頂いたトビィ(この時代だと【トライ】)のイラストを挿入致しました。
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