神官ハイ・ラゥ・シュリップ

文字数 5,800文字

 少しでも動けば、射抜かれるような空気。
 下品な笑い声を上げているミラボーの前で、アレクは佇んでいた。静かだが、今にも溢れそうな怒りが身体に充満している。すぐにでも首を撥ねたい衝動を懸命に押し殺し、冷静さを保っている。訊かねばならないことがあった。苛立ちが募る笑い声を聞き流し、深呼吸をしながら笑い転げているミラボーに口を開く。感情の昂ぶりは、掌握した。

「……最終目的は、何だ。この惑星か」

 アレクの問いに、ミラボーはケタケタと笑う。ドラム缶を鉄の棒で殴り続けた音のように耳障りで、正気が保てない程に喧しい。

「惑星などちっぽけよ、魔王アレク。知っていたかね? この宇宙には、惑星が多々あるのだと。数多くの色取り取りな惑星が、大なり小なり宇宙には浮かんでおるのじゃよ。それら全てを手中に治め、支配したいのじゃ。キヒヒッ! アサギが居った地球とやらも、魅力的じゃの。宇宙間を自由に行き来するには、どうしたらよいのやら“まだ”解らぬが、膨大な叡智があれば可能じゃろうて」
 
 大人しく聞いていたアレクの眉が、動く。
 察したか、とばかりに、ミラボーは背の肉と辛うじて残っていた衣服との間に挟んでおいたモノに手を伸ばした。短く太い、朽ちた枝のような腕で無造作に引っ張り出したそれを、振り回す。
 刹那、アレクの怒りが頂点に達した。
 美しい金髪をその穢れた手で持ち、頭部と胴体だけになっているロシファを振り回されれば当然だ。獣の様に鋭く咆哮したアレクは、右手で空中から剣を出すとミラボーに向かって跳躍する。

「美味かったよ、流石は姫君。そして、生娘。今まで喰らったエルフの中で、最も上等な四肢であったのぉ。さてさて、宝石のような目玉は甘かろうか。このふわふわの髪は飴細工のごときかね? 小ぶりじゃが、形の良い乳房もまた美味かろうなぁ、グェヒッヒッヒィ!」

 アレクを挑発するように、ロシファの身体を乱暴に振り回す。
 突っ込んできたアレクを目を細めて見たミラボーは、大きく口を開いた。その奥から、紅蓮に燃え滾る火炎が溶岩の如く吹き出す。
 怯むことなく華麗に避けて突き進むアレクは、叫びながら剣を振り下ろした。同時に左手を細かに動かし、魔法を繰り出す。

「呼びかけに応じるは無数の光、宙に漂う小さな破片よ。我の元へと集まり増幅せよ、眩い光となれ。全てを巻き込み、無に還さん!」

 火口のような口に叩き込むように、魔法を発動する。アレクの手から放たれる眩い光が、確実にミラボーを捕らえた。そして、愛するロシファを取り返そうと、腕目掛けて剣を振り下ろす。
 だが、その貪欲な大口にアレクの魔法は飲み込まれてしまった。飴玉でも口に放り込んだように、軽々と吸収する。待ち構えていたように、それを取り込んだミラボーの腹が妖しく蠢く。魔法が内部で暴走しているのか、ボコボコと不自然に腹が膨れ上がった。
 激しく身体を痙攣させているので、自分の魔法が勝ったと思ったアレクは、必死にロシファに腕を伸ばす。無残な姿で振り回される恋人を、誰が見過ごせよう。哀れな姿になっても、彼女は、まだ生きているようだった。一流の彫刻師が創り上げた芸術品の様に、美しい。

「そぉれ、お返しじゃて。ゲヒヒヒヒヒッ」

 聞こえた途端、ミラボーの口から吐き出されたのはアレクが放った魔法そのものだった。
 動揺したアレクは、死に物狂いで宙で避わす。だが、幾ら反射神経がよいとはいえ、間合いがなく、強大なそれに右脚を奪われる。

「グッ!」

 激痛に、端正な顔が歪む。しかし、悲鳴を上げずアレクは再び剣を構えると魔法の詠唱に入る。
 瞬時にして黒く焦げたアレクの右脚を見て、ミラボーがブヨブヨとした巨体を揺らし失笑した。早急に回復魔法の熟練者が来なければ、回復の見込みはない。

「ざまあないのぉ、魔王アレク。自身の魔法で手負いになるとは。まぁよい、それでも魔王だったと認めよう。思いの外、強かった。敬意を表し、全力で行くかのぉ、ゲヒッ」

 アレクの顔色が、変わった。
 彼が絶叫したのを見計らい、悠々とミラボーはロシファの身体を両手で掴むと、玩具の様に首と胴体を切り離す。何も知らない幼子が、地面を這っていた蟻を踏みつぶす様に、花に止まっていた蝶の羽を毟り取る様に、蟷螂の首をもぎ取る様に。悪びれた様子もない、それが悪い事だと思っていない、好奇心に溢れた瞳で戯れる。そして、長い舌を胴体に絡ませると口に放り込んだ。
 次いで、丁寧にロシファの顔をアレクに向け、ゆっくりと口を開く。粘りある唾液が何本も口から零れる中、端正な顔面が吸い込まれていった。ミラボーは豪快に口を動かし、飴でも転がすように口内で弄んだ。髪の一本一本を、乳房を、眼球を、臍を確かめる様に、舌をせわしなく動かす。

「ウェッヒッヒッヒ、甘い甘い甘いのぉ! 極上の菓子じゃのぉ! 馳走であった」

 アレクは愕然と、恋人が蹂躙される一部始終を見ていた。怒りよりも、絶望と悲壮感に捕らわれ、一歩も動けなかった。醜い口へと吸い込まれるロシファの顔が、目に焼きついて離れない。逃げて、と言っているように思えた。微笑んでいるようにも、思えた。
 そんな瞬間でも、愛する恋人はやはり美しかった。知らず溢れた涙は、止まる事などない。

「ロシファ」

 アレクの乾いた唇から、恋人の名が何度も零れ落ちる。

「さぁて……もう、用はない。絶望を味わった魔王アレクなど、用済みじゃ。死ね」

 愛し合う恋人達の様子を目の当たりしたところで、ミラボーの心など動きはしなかった。気の毒だの、可哀想だの、思うわけがない。風が吹けば今にも飛んで行ってしまいそうな、魂が抜けたようなアレクに最早興味はない。放っておいても死ぬだろうとは思ったが、見えない空気と違い、その姿が視界に入って邪魔だった。
 瞳に映っていた巨体が、消える。それを認識した時には、突如目の前に出現したミラボーに声も出せず、アレクは地面に叩きつけられた。口から血が飛散する、鼻を強打し骨が折れた。
 追い討ちをかけるように、ミラボーは上に圧し掛かった。
 周囲に、絶叫が響き渡る。全身の骨が砕けた音がした。鈍足に思えたが、予測不能な速度にアレクは戦慄した。エルフの姫君を喰らった魔王は、誰の手にも届かない境地へ行ってしまった。

「おんや、まだ死んでおらんのか。流石は魔王。……いや、既に魔王ではないな。全惑星の魔王となる、わしが今ここにおるからの。まぁ、わしは、魔王というよりも。神、か。神じゃの、ギヒッ」

 虫の息ではあったが、止めを刺さないと気がすまなかったのか、時間に余裕があったのか。それとも、ただの気まぐれか。
 ミラボーは巨体を揺らして宙に浮くと、再び落下する。今度こそ、アレクを押し潰し息の根を止める為に。

「遥かなる天空にありし、眩い光よこの手に来たれ。我の声と共に光を頂きし雲に覆われた天は、応えたまえ」
「生命を運ぶ風よ、死を運ぶ風と変貌し、我の敵を刃となりて切り裂き給え! 幾重にも重なる煌きの刃は、折れることなく吹き乱れる。形残さず全てを切り刻み、風と共に舞い上がれ」

 ミラボーが盛大に舌打ちした、眩い光に片目が潰れた。アレクの無様な姿に興奮していた為、近づいてきた気配に全く気づけなかった。
 確実に抉ってくる脅威の魔法を扱う事が出来るのは、勇者アサギ。彼女が放つ光の魔法は、流石のミラボーも太刀打ち出来ない。幾ら、エルフの姫君を取り込んだとしても。

「アサギィィィィィィィィ!」

 その名を叫びながら、ハイが詠唱した風の魔法により体勢を崩して地面に豪快に転がった。空中からデズデモーナとクレシダが急降下し、鋭い爪でひっくり返っているミラボーの腹を切り裂く。
 地獄の亡者の雄たけびのごとく、おぞましい悲鳴が響き渡る。こちらが恐怖で心臓を止めてしまいそうな、そんな禍々しい声だった。

「アレク様、しっかり!」

 駆けつけたアサギに、アレクは微笑みたかった。しかし、もう動けない。
 空虚な瞳でどこかを見つめている姿に、アサギが声にならない悲鳴を上げる。
 顔面は血まみれで、瞳も色を捕えられない。しかし、辛うじて耳は無事だった。どうにか声が聞き取れたことにアレクは感謝し、希望が残っていたと安堵した。

「しっかりしろ、アレク。今、回復魔法をかけてやる。アサギ、ニ人同時にいこう」
「はいっ! アレク様、少しだけ我慢してくださいね。すぐ、すぐに治しますから。絶対に、助けますから」

 ハイとアサギは、同時に回復魔法の詠唱を試みた。魔王と勇者、ニ人の魔法が重なる。
 トビィは剣を構えてそんなニ人を護り、舞い戻ってきた竜と共にミラボーの動きを待った。これで終わりだとは、とても思えない。口角が、皮肉めいて上がる。認めたくはないが、目の前の不気味な肉塊に恐怖を感じている。しかし、魔王アレクがどうにか戻れば、勝機は間違いなくこちらにある。そう読んだ。その為に、時間稼ぎをするしかない。
 アレクは口を動かしたくとも動かせず、「私は良いから、ミラボーに止めを」と告げたくとも、出来なかった。
 エルフの血肉を取り入れたミラボーの能力は、未知数だ。ロシファは魔族との混血だが、由緒正しきエルフ王家の血を引いている。能力開花に繋がるのかどうかも、曖昧だった。上手い具合に、退化してくれないだろうかとも願った。
 だが、アレクは知らなかった。
 ロシファの父である魔族が、行方不明になっているアレクの叔父であることを。正統な魔王の血も、ロシファの中に流れている。高貴なニつの血統が、順応してしまった。

「伏せろっ」

 トビィの焦燥感に駆られた声に、振り返ったアサギは唇を噛み締める。
 ミラボーが起き上がり、宙に浮いてこちらを見ていた。大きなドス黒い瞳が、ぎょろり、と動き回っている。何かを探し彷徨っているその瞳は、今にも飛び出してきそうだった。

「闇に打ち勝つ光よ来たれ、慈愛の光を天より降り注ぎ、浄化せよっ!」

 直様機転を利かせたアサギは、光の魔法を放つ。
 眩しそうに瞳を瞑り、後退していくミラボーを見て叫んだ。

「アレク様の回復を! ハイ様、お願いします」
「援護する、アサギ」

 意を汲み取ったクレシダが、トビィを背に乗せて浮遊した。デズデモーナも同時に飛び立つ。

「闇に打ち勝つ光よ来たれ、慈愛の光を天より降り注ぎ、浄化せよっ!」

 両手を掲げて、一気に振り下ろしたアサギの光の魔法は、確実にミラボーを押さえ込んでいた。
 これには、流石にミラボーも想定外だった。エルフの姫君を取り込み、多少ならずとも光の魔法に対して耐性が出来たと思い込んでいた。しかし、アサギの魔法はその牙を剥き出しにして襲い掛かってくる。

「ググ、グゲェッ」

 有り得ない。あんな小さな小娘にねじ伏せられるなど、受け入れられない。そんな中、アサギの腰にある短剣に舌打ちした。何か良くない気配がするあれが原因だと、悟った。共鳴しているのか、背の剣も不気味に光っている。
 エルフ王家に伝わっていた短剣、そして惑星ネロの勇者剣エリシオン、ニ本が呼応し光の魔力を格段に上げていたのだ。付け加えて、アサギは全力だった。アレクを護ろうという意志が、固かった。
 アサギの護ろうとする力は、想像を絶する。

「クッ……以前は神官だったのに、高位な回復魔法が詠唱出来ない私は、愚かだ」

 アサギがミラボーを抑え込んでいる隙に、ハイはなんとしてでも目の前の魔王を救わねばならなかった。しかし、死に際の者を救ったことなど、ない。
 暗黒の路に進まず、神官として成長していた自分ならば可能だったのではないかと悔やむ。どうにかせねばと気持ちだけが焦り、上手くいかない。普通の回復魔法では、目の前の親切な友人を救うことが出来ない。
 自暴自棄になりつつあるハイに、アサギが叱咤する。
 その声に、ハイは身体を強張らせた。後姿しか見えなかったが、とても少女には思えなかった。知っているアサギでは、なかった。

「しっかりしなさい、神官ハイ・ラゥ・シュリップ! 思い出して、本来の優しい自分を。貴方の魔法は、その心の奥底に。まだ、甦っていない。解放しなさい」

 ふわり、とアサギのスカートが揺れた。
 思わず、ハイは大きく息を飲んだ。アレクの視界にも、それだけが鮮明に映った。美しすぎる若緑の髪、雄大な大樹に生い茂る瑞々しい深緑が風に揺れる。

 ……次期、魔王となる娘。全てを平和に導く、護るべき愛おしい娘。

 アレクは、顔の筋肉が動かなくとも心で微笑んだ。彼女は負けないと、確信した。そして、全ての力を持ってハイに念じる。
 思いを伝えた。

『ハイ。私はもう、よい。途中で退場する私は、卑怯だ。ここは私が治める魔界、私が最後まで責任もって悪意あるあれと戦わねばならないだろうに。すなまい、本当にすまなかった。……ハイよ、アサギを援護しろ。そなたが愛し、私も、ロシファも、スリザも、皆が愛したアサギを。あの、不思議な異界の娘を護ってくれ。友人である魔王ハイよ、いや、惑星ハンニバルの敬愛すべき神官ハイよ。どうか、アサギを』

 一瞬だけ、ハイの瞳にはアレクが穏やかに微笑んだ様に見えた。
 瞬間、アレクがこと、切れる。

「アレク」

 その名を喪失感溢れる声で呼んだハイは、アレクの額にそっと手を置くと言霊を送った。
 遠い昔に教えられた、死者への弔いの言葉。死後、平穏な国へ導かれるようにと教えられたそれを久し振りに口にした。
 ハイの身体に何かが産まれる、腹の奥底で熱く湧き上がるものがある。それは、口から飛び出したくて暴れているようだった。切なげに微笑み唇を開くと、ゆっくりと立ち上がる。
 ミラボーに向けて、しなやかに両手を突き出した。
 言葉を、開放する。自分に残っていた、いや、秘めていた本来の魔力を赴くままに宙に還す。風が巻き起こりハイを包みこむと、その長く美しい黒髪をなびかせる。
 気配に気づいたアサギは振り返ると、嬉しそうに微笑み大きく頷いた。
 ニ人は、同時に魔法の詠唱に入った。

「安らぎの光よ、生命を運びし風よ、生命の源である水よ、今この大地に集結せよ。育む大地は待ち焦がれた、望むは悠久なる煌き」

 ハイが所持していた惑星ハンニバルの勇者剣、カラドヴォルグが宝石が飛散したようにキラキラと輝きを増して閃光を放つ。
 剣は元魔王の神官を認め、力を与えた。
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登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

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