水と風は、土の傍に
文字数 4,642文字
「それにしても、なんでこう放火ばかり?」
嘆くミノルを叱咤し、指示を求めてトモハルが駆け出す。歯がゆい思いだった、水の魔法を扱える勇者はアサギしかいない。街中に一気に雨を降らすことが出来たら、助かるものも増えただろうに。
「トビィ! 俺たちは何をしたら?」
姿を見つけて多少肩の荷を下ろすように微笑んだトビィは、すぐに自分には出来ぬことを依頼した。
「魔物の類はいない、安心して人々の手当てを」
「解った!」
瓦礫の下敷きになっている人々を救いだし、怪我人に治癒魔法を施す。勇者たちは率先して動きまわった。
流石にリョウは回復魔法など扱えず、ここぞとばかりに意気揚々とミノルは精を出す。勇者としての貫録を見せつけておきたかった。トモハルよりも上手くはないものの、一応扱う事はできる。
「よっしっ!」
ドヤ顔でリョウを見やると、風の力で瓦礫を浮かび上がらせているところだった。人の力では重くて動かないようなものを浮かせ、人々から称賛されている。風を意のままに操っているようだ。
「んなっ!?」
衝撃的な光景に唖然とするミノルを、トモハルが宥める。
「なんだよ、アイツ! トモハルとアサギは優秀だから、勇者になっても成長が早いって解るケドさ。アイツ、学校じゃ特に目立った成績じゃなかったろ?」
「落ち着けミノル。……彼は多分、アサギが本当に大事なんだよ。その為だけに力を開花させた気がする」
ミノルにとって、それが一番気に入らないことだった。後頭部を強打されたように、一瞬意識が飛んだ気がする。別れても自分はアサギにとって特別な男でいたかった。まだ、彼女の事が好きだった。
「隣にいることも、後ろで控えることも、俺には与えてもらえないってか」
掠れた声を出し意気消沈したミノルは、トモハルに肩を叩かれながら出来ることに専念する。離れた場所では、アサギが忙しなく動き回っていた。それだけで、その場に光が溢れている気がする。
「……遠いなぁ」
ミノルは自嘲気味に笑い、やはり自分は不釣合いだと卑下する。周囲は自分に眩くて、心が抉られる。
「怪我をした人は動かないでください! 順番にまわります」
ユキとアサギは、得意な回復魔法で人々の治療に専念していた。甲斐甲斐しく救出するその姿に、大人しく順番を待つ人は癒されている。
「可愛い子たちだねぇ、それに勇敢だ」
そんな声が聞える度に、ユキは微笑む。褒められることは好きだ、自分を高められる気がした。
「ふぅっ。がんばらなきゃっ」
汗水垂らして移動し、魔物と戦うよりも楽しい。出血多量の人は直視出来ないが、そんな時はアサギが代わってくれる。無理のない範囲で懸命に動いた。
しかし、礼を言う人間ばかりではない。
「こっち手当しろよ! おせーんだよ!」
ドスの効いた声で怒鳴り散らす男に、周囲は瞳を伏せる。浮かれ気味だったユキも、その声に身体を震わせた。
腕に怪我をしたと男が喚いているが、大した傷ではないように見える。重傷を負っている人が別にいるので、そちらに構ってはいられない。
「ああいう大人って、何処にでもいるのね」
迷惑行為をして逮捕されるニュースを毎日というほどテレビやSNSで見てきたユキは、無視して他の人を助けようとした。目の前に子供を庇って大きな切り傷を負った女性が蹲っているのだ、どう見てもこちらを助けねばならない。
魔法を詠唱しようとしゃがむと、近寄ってきた男に気づいて悲鳴を上げる。
「おい、いてーんだよ! なんとかしろよ」
「でしたら、大人しく休んでいてください。座って待ていてください、それから大声を出さないでください」
縮こまったユキと男の間にアサギが割り込み、気丈に見上げそう諭す。
どうなることかと、周囲は固唾を飲んだ。
騒ぎに気付いたリョウとトモハルが、駆け足でやってくる。しかし、緊迫した空気に割り込むことが出来ない。
「座ったら治してくれるんか、あぁ!?」
「他に怪我をされている方がいます、順番です」
歯向かわなくていいのに! とユキは心で叫んだが、アサギが言いそうなことだ。面倒だから、この男を先に治療してしまえば片付くというのに。
「どうなってもしらないから」
小声で眉を寄せるが、その先を解っている気もした。恐らく、アサギはこの状況下でも覆す。ユキはそれをよく知っている。彼女は何処にいても無敵なのだ。
男は、今にもアサギに掴みかからんとする勢いで腕を振り回した。
「生意気な小娘だな!」
「そんなに腕を振り回せるのならば、大した傷ではないのでは。痛みはないのですか?」
そりゃそうだ、と周囲の大人たちも大きく頷いた。本当に痛いのならば、動かすことが出来ないだろう。
男は顔を真っ赤にし、正当な事を告げるアサギにいよいよ殴りかかろうとしている。
「傷が悪化したら、てめぇのせいだからな!?」
「悪化したら治します」
「腕が動かなくなったら、てめぇのせいだからな!?」
「それも治します」
こういう男に限って、何処も痛くないのに「痛い、痛い」と喚くのだろう。トモハルはげんなりとして、事故で莫大な治療費や慰謝料を請求する卑劣な輩を思い浮かべた。場所は違えども、人間とはこういうものなのだろうか。
少し悲しくなった。
「そうか。ならば今、動かなくしてみようか」
その声にトモハルが安堵し、アサギも笑みを浮かべる。
男が青筋立てて振り返ると、仏頂面のトビィが立っていた。美しい風貌の、自分より背が高いトビィに一瞬男は怯んだ。
「な、なんだてめぇ」
「オレはアサギと違って慈悲の心を持ち合わせていない。これ以上この場を乱すならば、その口を塞いでやる。何、痛いのならば、腕を斬り落とせばいい。それでも痛いのなら息の根を止めてやろう、そうしたら全ての痛みから解放される」
所持している剣と同様に鋭利な瞳で凄まれ、男は背筋が凍る思いだった。本気でやりかねないと痛感し、男は負け台詞を吐いて逃亡する。
「お、おぼえとけよ、畜生め!」
「どうしてオレが、貴様のような馬鹿を憶えておかねばならんのだ……鬱陶しい」
存在自体が威圧。その場に居合わせた勇者たちは、トビィに羨望の眼差しを向ける。
「アサギも、あんなの相手にするな」
「ごめんなさい、でも話をしないと悪化しそうだったので」
小首傾げたアサギに、トビィは肩を竦める。話をしても悪化した、とは流石に口に出来なかった。
「やれやれ」
髪を摘まんで遊んでいると、気配に眉を顰める。
「あの、トビィさん……ですよね」
遠慮がちにリョウが声をかけ、滑るようにトビィの前に立つ。
瞬間、勇者たちは総毛だつような思いで息を飲む。
晴れていた空から突然雨が降り、乾いた風が吹き抜けていく。清冽な空気がその場を支配した。
訝しげに瞳を細め、リョウを見たトビィは微かに喉を鳴らす。
「そうだが?」
「リョウといいます、新しい勇者です」
黒髪黒瞳の利発そうな少年の登場に、トビィは瞳を細める。驚きはしない、待っていた人物だという気がした。
「……誓いを、ここに」
「願いを叶えるまで終わらない、未来への旅路」
「幾度と受け継がれる魂の記憶、渇望する各々の願いを」
「忘れないように未来へと。三人が覚えていれば、思い出せば、未来を変えることが出来る予感がして」
「誰一人欠ける事無く、各々の願いを叶える為だけに“彼女”の守護を」
二人が交互に言葉を紡ぐ。滑るように口から飛び出したその言葉は、当の本人たちをも驚かせた。
どこか唄にも聞こえたそれに、アサギは不思議そうに首を傾げる。
二人は、長い間沈黙する。その間、互いの瞳は逸れることなく、瞳の奥の光を捕える様に見つめ合う。まるで、情報を交換するように。
「リョウ、と言ったな。
抑揚をつけて挨拶をしたトビィに、リョウの口元が緩む。
「そうですね、アサギから聞いています。とても頼りになる、素敵な人だと」
「勇者、と言ったな? また面白いことを言い出したもんだ」
「はい、僕もそう思います。……貴方とは色々と話がしたかった、ずっと。お礼も言いたかったので、会えてよかったです」
お礼。
二人の会話を怪訝に聴いていた勇者たちは、眉を顰める。初対面の二人なのに、何処か親しげな空気を漂わせている。
「アイツ、なんだよ。おかしいだろ」
無性に苛立ったミノルは、歯軋りしてリョウを睨み付ける。それをトモハルが嗜めた。
「おかしい、かもしれない。けれど、俺には悪い奴には見えない。得体が知れないけど、それは」
アサギも似たようなもの、そう言いかけ口を噤む。トモハルはミノルの肩を叩き、誤魔化した。アサギが勇者の中で人一倍能力を発揮していたように、リョウもそうではないかと……そう言いたかった。
能力が高い仲間が増えるのは、正直助かる。しかし、不可解なのは、何故今になって新しい勇者が現れたのか。そして、異界にも行かず地球で魔法を習得する事は可能なのか。
「勇者って、どうやって選ばれるんだったけ」
「ミシアさんが言ってた、確か……」
ミノルの問いに、トモハルは眉間に皺を寄せ思い出した言葉をたどたどしく口にする。
「えーっと、『世界が混沌の危機に陥った時、伝説の勇者が石に選ばれ世界に光をもたらす』だっけ? 石は各惑星にあるとも言ってたような』
集まってきたケンイチが、ポン、と手を叩き納得する。
「やっぱり、リョウを必要とする惑星があるってことだよね。別の惑星が魔王の出現で困ってるんだ!」
「うん、そうなるね。アサギが呟いていたマクディ、っていう惑星が有力候補なのかな。俺達の時と違うのは、使者がいないってことだ。でも、恐らく救いを求められているよね」
聞きながら、アサギは不安という風船が大きく膨らむ感覚に唇を噛み締める。魔王と呼ぶに等しい人間に支配されている、灰色の空気に覆われた赤黒い惑星。リョウがそこの勇者ならば、使命は。
「……トランシスが、話してくれた。要塞神都レプレアという場所にいる、ゴルゴン七世を」
アサギは身震いする。今回の相手は、惑星が違うとはいえ人間。倒す必要はないだろうが、彼を説得せねばならない。でなければ、あの地に平穏は訪れない。一部の人間たちのみが楽に生きる不条理な世を正す、革命を起こす必要がある。
それを友達のリョウに任せるなど、したくはない。
蒼褪めたアサギに、トビィが寄り添う。何か知っているのは解っていたが、無理強いしたくないので問いたださなかった。
「今は、人々を救出しよう。話は後だ」
トモハルがそう告げると、助かったとばかりに皆は大きく頷いた。
散らばった勇者たちを見つめ、トビィはリョウに向き直る。アサギも治癒の魔法の為に離れていったため、今は二人しかいない。
「それで……なんだろうな、初対面な気がしない」
トビィがそう切り出せば、リョウも深く頷く。
「はい。上手く言えないけれど、何処かで会っている気がします。気がするというか、会ってます。時折、夢で見るんだ。貴方や、アサギの事を。でも、それは
肩を竦めたトビィは、唇を湿らせる。
「……過去、前世の記憶」
重々しい口調に、リョウは神妙な面持ちで頷いた。
「はい、その通りです。貴方となら、話が出来る気がして」