外伝3『ABHORRENCE』11:焦燥
文字数 3,089文字
「アイツ……」
トカミエルは舌打ちし立ち止まり、睨み付けるように露台にいる男を見上げる。
製鉄業に身を置く屋敷の主だろう。黒に見える深緑色した短髪の、怜悧そうなその男と一瞬だけ瞳が交差した。無機質な細く鋭い瞳に、鼻筋が通った端正な顔立ち。馬が合わぬ相手だと直感する。
彼は興味なさそうに踵を返し、すぐに奥へと消えた。先程の絡みつくような視線は何だったのか。
「なんだ、アイツ……」
消えたはずの苛立ちが甦る。
「どうした、トカミエル。おっかない顔をして」
千鳥足の友人が近寄ってきて、からかうように顔を覗き込まれる。
「いや……。変な男に値踏みされたようで気分が悪い」
「男に? トカミエル、顏がイイからなー。男色家に好かれたんじゃ? 気を付けろよ」
「やめてくれ、気色悪い」
冗談でも寒気がする。しかし、あれはそういった眼つきではない。しいて言うなれば、試されているような瞳だった。
まるで、死闘前に相手を見定めるような。
言い知れぬ不安が足元から這い寄って、窒息しそうになる。頭を横に振り、呪縛から逃れようとした。水の入ったグラスを強引に給仕から奪い取り、喉を潤す。
「クソッ、苛々するっ」
喉を潤したはずなのに、全く満たされない。不愉快なヘドロが張り付いているようで、焼けるように熱いそれは咳き込んでもとれなかった。
右手の親指の爪を噛み、早々に敷地を出る。この場にいたくない、あの男と同じ空気を吸いたくないと思った。
去っていくトカミエルを見て慌てた友人たちが、料理を精一杯口に詰め込んで後を追う。
トカミエルの父も騒々しさに気づき、息子が激昂している姿に眉を顰めた。
「彼が自慢のご子息か」
「ベトニー様!」
館の主人ベトニーが、いつの間にやら隣に立っていた。去っていくトカミエルを前髪をかき上げ見つめ、問う。
「はっ、左様でございます。ろくに挨拶も出来ぬ、不出来な息子で申し訳ありません。双子の弟がおりますが、本日は不在で……」
深々と頭を下げ、息子の失態を詫びた。
ベトニーは「お構いなく」と淡々と告げる。先程、憎悪の混じった瞳で睨んできたトカミエルに、興味はない。懇親会という名目だが、街の者と慣れあう気はない。
人を探しているので、情報を得るため利用しただけ。
不快感も見せず冷静にその場を見渡しているベトニーに、父は安堵の溜息を吐く。今後も贔屓にしてもらいたい相手だ、機嫌を損ねてはならない。
「……一つ、御子息に確認して頂きたいことがある」
「ほぅ、なんでしょう?」
父親は目を白黒させ、覇気の抜けた声を出す。
「緑の髪と瞳の娘を知らないか、と訊いて頂きたい。知っているならば、教えて欲しい」
「娘、ですか?」
感情が掴めないベトニーに、父親はいよいよ首を傾げた。突拍子もないことを言われたが、なるべく顔には出さず冷静を装って問う。
「貴殿の御子息は、若者たちの中心になっていると耳にした。顔が利くのだろう?」
「それは確かに。最初からこの街におりましたので、恐らく把握していると思います」
「では、頼む。“緑の髪と瞳の娘”を知っているか。……返答を頂きたい」
「承知しました。今夜訊いておきますので、明日報告致します」
「助かる。明日は館に滞在しているのでいつでも構わない」
ベトニーは表情も声色も平坦で、何を考えているのか分からない。父親は口籠りながらも訊ねた。
「あの……差し出がましいとは思いますが、何故その娘をお探しで?」
問いを投げてから口を滑らせた、と後悔した。窺うように盗み見た表情は、美し過ぎて寒気がする。
それ以上ベトニーが言葉を発することはなく、早々に館へと戻ってしまった。詮索は不要と言う事だろう。
「若き富豪も、結局女の尻を追う男か」
父親は軽く悪態づいた。
「あれだけの美丈夫であるならば、女など選り取り見取りだろうに」
太陽が山に沈み始め、子供らは家に戻っていった。大人らの愉しみはこれからだと、蠱惑的な衣装を身にまとった女たちが舞を始める。
「洗練された女に飽き、辺境の素朴な娘を欲するのかねぇ」
見事な脚線美を惜しげもなく曝し舞い踊る女を見つめながら、父親は顎を擦りそう呟いた。
アニスが川で小鹿たちと遊んでいると、人間の声が聞こえてきた。そろそろ日が暮れるので来るとは思わず、慌てて近くの木に身を潜める。
「この声は……!」
耳に届く待ちわびた声に、笑みが零れた。聞き間違える筈がない、トカミエルだ。
今日は普段より少ない人数で遊びに来たようで、その中にトリアの姿はない。アニスは、人間たちの顔と名前を記憶している。
「本当に綺麗だわ、トカミエルの指輪!」
トカミエルの腕に自身の腕を絡ませ歩いているオルヴィスが、うっとりと指を撫でながら呟く。
「ありがとう、オレも気に入ってる」
親密な仲に見える二人に、一人の少年がオルヴィスの背を押した。
「きゃぁっ!」
小さく叫びよろめきながら、オルヴィスはトカミエルにしがみつく。
「トカミエルももうすぐ十七だろ? 妻を娶ってもいいんじゃないのー?」
囃し立てる友人たちに、「もーっ!」と手を振り上げ怒る素振りをするオルヴィスだが、表情はまんざらでもない。もっと言ってとばかりに、頬が緩んでいる。
その様子に、トカミエルは愛想笑いを浮かべた。寄り添ったまま離れないオルヴィスに悪い気はしないが、抱き返すことはない。
別に嫌いなわけではないが、好きでもない。身体の相性はそこそこで、都合のよい相手だとは思っている。気は合うかもしれないが、恋人となるとどうも違う。
自分を好いているのも分かるし、双方の親が縁組を進めていることも知った。彼女の家柄を考えれば悪い話ではなく、理想的だ。
普通の男なら喜ぶだろう。
しかし、どうしても彼女を受け入れられない。特に、この森へ足を運んだ時から引っかかっている。
皆が口笛を吹き続ける中、トカミエルはぼんやりと空を見上げた。
……違う、この子じゃない。オレの恋人は、もっと他に。
『じゃあ、誰だ?』
自身に問いかけてみるが、返事はない。
緩慢とした様子のトカミエルを見上げ、オルヴィスは唇を噛み締めた。乗り気ではないらしい態度に、悲しさと悔しさが込み上げる。
仲は良いはずだ。街娘の中で一番可愛い自信もある、意図的に常に身体を触れ合わせてもいる。親公認だというのに、何故恋人になれないのか。
別の娘が気になっているのかと思ったが、そんなはずはないという結論に達した。全てにおいて、自分以上に魅惑的な女などいない。
全力で気持ちをぶつけて来たオルヴィスは、最近どうにもならない嫉妬と焦りを抱いている。はっきりと振られてはいないが、一向に距離の縮まらない現実に不安を募らせた。振られた時の事を考えると、あまりにも惨めだ。
友人たちは「二人は相思相愛」と思っているので、余計に気まずい。オルヴィスとて最初はそうだった、トカミエルも自分を好きだと思っていた。
しかし、違う。近くにいればいるほど、肌で感じる温度差。満更でもないように演じているだけで、相手がオルヴィスでなくとも構わないように思える。
屈辱だ、勝ち組で進んで来たのに、ここへ来ての敗北など許されない。振られた途端、周囲の皆は馬鹿にして掌を返し、陰口を叩くだろう。女たちは嘲笑しながら慰めてくれるかもしれない。
「どうしてっ……! 一体私の何が」
川で水遊びをしながら、友人ははしゃいでいた。
しかし、二人が言葉を交わすことはなかった。
オルヴィスの嚙みしめた唇から、微かな呻きが漏れる。