虚栄と嫉妬と劣等感
文字数 4,154文字
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淡い桃色のワンピースに、白のサマーニットを被り、控え目な花のネックレスをつける。髪は白レースのカチュームを、指にはお気に入りのハートが揺れるリングをつけて。足元は、編み上げサンダル。
ユキは鏡の前で何度も回転をし、入念なチェックをしていた。バッグを何点か取り出して、服に合わせる。最終候補の二点で迷っていたが、瞳を細めて鏡と睨み合い、ようやく決定した。
「ふふ、楽しみ」
小さく笑う。
鏡の中の自分を見つめながらスカートを摘まみ、うっとりと微笑む。綺麗なストレートの髪をふわり、とかき上げて小首を傾げた。
「うん、可愛い。大丈夫」
大きく頷き自身を肯定すると、家を飛び出した。胸が高鳴る、待ち望んだ瞬間がやって来る現実に、顔が緩んでしまう。知らず早足となり、アサギの家へと向かった。
チャイムを鳴らし、出てきたアサギに軽やかに手を振りつつ、その容姿を品定めする。髪に赤いリボン、黄色のふわりとしたチュニックに、乳白色の短パン、花のコサージュがついたグラディエーターサンダル。頭部から爪先までを、じっとりとした視線で眺める。生足が魅惑的である、舌打ちしかけたが、ユキはほくそ笑んだ。
確かに可愛らしい、魅力的である。きゅ、とした細い足首に滑らかな質感の美脚、眩しい太腿は素晴らしい。だが、男受けする服装は自分であると確信した。アサギは女同士でならば受けが良さそうだが、今日はデートだ。
鼻の穴を膨らませ、ユキは声高らかに挨拶をする。
「おはよう、アサギちゃん! 可愛い服だね」
「おはよう、ユキ。服ね、昨日までは赤のチェックのワンピースにしていたのだけど、さっき変えてみたんだ。寒そうで」
今日は曇りだ、だが日中なら気温が上がるだろうにとユキは思ったが、口にも顔にも出さずに大きく頷く。
「うん、風邪をひいたら駄目だしね。それもとても可愛いよ! さ、行こっ」
……赤チェックのワンピで来られたら、危なかった。
ユキはそう思いながら心の中でガッツポーズを取ると、何も知らないアサギの手をとって歩き出す。
「映画の時間調べたよ、丁度良さそう」
「なら、見てからご飯食べようね。ふふ、楽しみ。アサギちゃんも嬉しいでしょ、ミノル君と一緒に居られて」
「うん! ユキ、ありがとう。私、ユキが親友でホントによかった。頼りになる……優しいし可愛いし、自慢の親友だよ」
「ふふふ、私も同じ事思ってた。さぁ、楽しもうね!」
真っ直ぐに見つめてくるアサギに、ユキも笑顔で返した。それは、傍から見たら眩しいくらいの笑顔だった。
その笑顔の裏に秘められた思いなど、アサギは知らず。純粋に嬉しくて、照れながら手を強く握る。握り返してきたユキに、微笑み返した。
待ち合わせ場所には、すでにケンイチがいた。ミノルの姿はない。
片手を上げたケンイチにユキは走り出し、近づくと嬉しそうに微笑む。
後ろからそんな様子を見たアサギは、くすぐったい衝動に駆られて肩を竦めた。旅の間に親しくなって、付き合い始めたという二人。ユキの嬉しそうな顔を見ているのは幸せだった、異性が苦手で大人しい彼女だが、ケンイチの前では普通にいられるらしい。似合いの二人だと思った、可愛らしく、初々しい。照れている互いの会話は、見ている者を和ませる。
アサギは、ミノルの到着を待った。二人の様に、自然に会話が出来ればと思い軽く頬を染める。
生活の騒音が入り乱れる中、聞き慣れた声が聞こえてきた。
「だーっ! ついてくるなよっ」
「見るだけ、見るだけ」
アサギは、振り返る。
心底嫌そうな表情のミノルと、あっけらかんと笑っているトモハル、二人が並んで歩いて来ていた。
素っ頓狂な声を上げたのはユキである、どうしてトモハルがいるのだろうか。これではWデートの計画が台無しだ。邪魔され、胸がチリリと焼けるように苛立つ。
「おっはよー! 映画だって? いいね! 俺は様子を見に来ただけだからさ、気にしないで」
にっこりと悪びれた様子もなく微笑んだトモハルに、ユキが安堵の溜息を漏らす。
アサギは軽く会釈をして、手を振った。
照れているとしか思えない赤面中のミノルの隣で、飄々と口笛を吹くトモハルは、細身で比較的背が高く、何を着ても様になる。顔もそこそこ良かったが、旅から戻り更に凛々しくなった。注目を浴びても仕方がない。
その隣で不貞腐れているミノルは、ガシガシと頭を掻く。
「行こうぜ、コイツ暇なんだよ」
「うん、暇だよー。ミノル達みたく、彼女いないから」
軽々とそう言われ赤面したミノルは、小首を傾げていたアサギの肩を抱き、反転させると歩き出した。それを見て口笛を吹いたトモハルを無視し、ケンイチにぎこちなく手を上げる。
「早く行こうぜ」
すでにアサギの身体から、ミノルの手は離れている。それでも触れられた箇所がまだ熱い気がして、頬を赤く染めて破顔した。
ユキはトモハルに手を振り、ミノルを軽く一瞥するとケンイチの手を取り歩き出した。
赤面しながらも、苦笑して手を握り返したケンイチを後ろから眺め、ミノルは大きく身体を震わせる。繋がっている手に、視線が釘付けになる。自分には無理だ、と心の中で叫んだ。隣のアサギはこちらを見ているようで、その視線が痛い。自意識過剰なのかもしれないが、手を握って欲しいのかもとそんなことが脳裏を過る。
しかし無理だ、敷居が高すぎる。
冷汗を流しながらミノルが歩き出すと、アサギは静かに後を追った。互いに口を閉ざしたまま、黙々と歩く。
ユキは密やかに振り返り、アサギとミノルを一瞥した。ぎこちなく距離を置いて歩く二人に、知らず笑みを浮かべてしまう。ショーウィンドウに映る自分に気づき、慌てて唇を噛むと姿勢を正してケンイチの手を強く握った。
精一杯のおしゃれをしてきたと思われるケンイチは、特に際立っていないが、似合っている可愛らしいキャラのTシャツに、細身のパンツをはいていた。背は低いが、バランスが良いので遠くからだと高く見える。
ミノルも頑張ったのだろう、お洒落に気を遣ったらしく帽子を被っていた。見た目は悪くないのかもしれない、だが、やはりアサギとは不釣合いである。
初々しく可愛らしいユキとケンイチの、後ろを歩く、チグハグなミノルとアサギ。
心の底から、満足した。この場で大声で勝利の雄叫びを上げたいのを、ユキは必死で堪えた。待ち望んだ瞬間である、周囲はどう見ているだろうか。『あら可愛らしいカップルね』『でもその後ろのカップルは変よ』人々がこちらを指差して、そう噂している気がした。
「うふふ、楽しいね」
「え、う、うん」
上機嫌でケンイチに話しかけると、親密さをアピールするように手を強く握る。
どぎまぎしながら、ぎこちなくケンイチは微笑み返した。
「うふふふふっ!」
興奮に拍車がかかり、呼吸が停止しそうだ。どちらのカップルが似合っているかなど、一目瞭然。勝利を確信した。もし、アサギの相手がトモハルであれば敗北していたが、願った通りミノルである。優越感に浸り、ユキは意気揚々とケンイチと歩き続ける。
ケンイチは不気味な程機嫌の良いユキを見て、嬉しく思った。みんなでこうして映画を観に行けるのが余程嬉しいのだろうと、思っていた。背後を気にしている様子だったので、アサギとミノルを気遣っているのだと勝手に解釈し、優しい子だなとも思った。
ケンイチの中で、ユキはそういう少女だ。慎ましくも、親友を大事にする儚げな美少女。いや、ケンイチだけでなく、アサギもトモハルもそうだと信じて疑わなかった。
唯一、ミノルを除いて。
気まずさから無意味にポケットに手を突っ込み歩くミノルは、正面に集中していた。その為、こちらの様子を窺うユキに、不信感を抱いた。最初は、
だが、ユキの浮かべた表情に、違和感というより嫌悪感を抱いた。一言でいえば“不気味”。
ユキの誤算である、ミノルは彼女が思うほど大雑把でも乱雑でもない。ただ、照れ屋でぶっきらぼうなだけ。彼は、この場で一人、勘づいている。
ユキの笑顔が何を意味するのかは知らなかった、解るはずもなかった。だが、ミノルはこう思ったのだ。
『アイツの笑顔、俺は苦手だ。アサギと全然違う、怖い』
故に、ケンイチが心配になってきた。
自分の事は棚に上げて、嫌な予感がしてきたミノルはそのことで頭が一杯になった。器用な性格ではないので、同時に違うことを考えられない。
隣のアサギは、不思議そうにそんな様子のミノルを見上げる。
親友であるユキとアサギ。“親友”とは、一体何だろう。
アサギは、まだ知らない。ユキが押し殺し隠し持っている鋭利な刃物に似た心情に、気づけない。
キィィィ、カトン……。
何処かで何かの歯車が、廻る。
だが、人混みの騒音でその音は掻き消えた。せめてこの場に、トモハルかリョウが居たならば、聴こえていたのかもしれない。
アサギが一瞬、空を見上げた。だが、気のせいかと、再びユキとケンイチを羨ましそうに見つめる。
羨望の眼差しを背中に痛いほど浴びながら、ユキは心の中で発狂しそうな程に爆笑していた。
ようやく、アサギに勝てたのだと。美少女で成績優秀、家も裕福、男女共に好かれて誰からも愛される夢のような女の子。そんな彼女の親友というポジションで、羨ましがられながらも、疎まれ比較され、何をやっても超えることはできなかった。唯一ピアノだけは秀でていたが、それはアサギがピアノを習っていないだけであり、今からでも始めたらソツなくこなし抜かれてしまうだろう。
アサギとは、そういう少女だ。そして異界で勇者となり、勝利へと導いた輝かしい親友。嫉みは膨れ上がる、憎悪となってユキの心を支配する。
「本当は嫌いだったの、ずっと」
「何か言った、ユキ?」
思わず、本音が漏れて声に出してしまった。ケンイチの不思議そうな声に、慌ててユキは首を横に振るとなんでもないよ、と笑う。
嗤う。
心の底から嗤った、愉しくて嗤った。後ろにいる親友に、勝てた気がして嗤い続ける。
このまま、彼女の虚栄心が満たされたままであれば、よかったのに。