手から零れ落ちたもの
文字数 3,675文字
一息つく。
詳細を話したくとも、アサギはトランシスのことを詳しく知らない。
素敵な人で、見ていると胸が熱くなって顔が火照り恥ずかしくなる、という気持ちなら素直に話す事は出来る。しかし、そんな惚気話は誰も聞きたくないだろうと思った。
思い出しただけで頬が赤く染まったアサギを、トビィが眉を顰めて見つめる。
「急ごう」
「はい!」
他の男にベタ惚れなアサギを見たくなかったトビィは、半ば強引に華奢な手を引き街へ出向く。竜に跨り空を駆ける機動力に優れた二人は、次々に聞き込みを開始した。
けれどもそう上手くいくはずもなく、有力な情報が得られなかった。不審な人物も見かけず、そういった噂もない。行く先々でアサギに似た人物を捜し、見かけていないか聞き込みをしたが、誰も知らない。
結局、アサギの存在を多くの街や村に残しただけとなった。
アサギが学校へ行っている間も、トビィは単独で聞き込みを続けていた。深刻な人手不足の為、クレシダとデズデモーナも人型になり街へと入る。三人共、人と接することが好きではない。しかし、トビィとデズデモーナはアサギに汚名が着せられることを懸念し躍起になっている。
その間、水竜オフィ―リアはつまらなそうに唇を尖らせ、海に浮かんでいた。人間の姿になって、一緒に行動したいと願いつつ。
その日の街は、大河沿いにあり活気が溢れていた。船を用い下流へと物資を運んでおり、人口が多い。これから期待される、発展途上の街だろう。
その街を訪れたことがなかったので、トビィにしては珍しく様々な箇所に視線を走らせ歩く。ただ、トビィ単独でも目立つのに、整った顔で長身の男が三人も揃えば黄色い歓声で溢れ返った。
それが煩わしい。
げんなりとした様子のクレシダは、早くも根を上げそうだ。
「目と鼻、それに口。皆同じでしょうに、容姿でこうも差が出来るとは。人間はよく分かりません」
「だが、クレシダたちも伴侶を選ぶだろう? どういう基準だ」
「性格でしょうね。顔で選ぶことはありません。それに、我らは性別の変更が可能です」
聞き流そうと思ったトビィだが、クレシダを二度見する。
「なんだって? 性別の変更が可能?」
「根本的に人間とは違うのです。そもそも、産まれた時に性別は決まっておりませぬ。その時の環境で雄か雌か決まります。また、絶滅を避ける為、雌一体になった場合、雄がいなくても卵を産めます。卵は全部雄なので、その子供らと交尾した場合、新たな子を作ることが出来る。個体数が少ない我らは、そうして生きてきました」
淡々と告げるクレシダに、トビィは呆気にとられた。竜の生体をある程度は習ったつもりだったが、それは知らなかったこと。低く唸り、相棒たちを見つめる。
「もともと、私は雌になる予定でした」
「なんだって?」
口を挟んだデズデモーナに、トビィが咽る。
「外気温が低いと雌になります。しかし、両親が途中で巣を変え、比較的温暖な地で産まれたらしく、雄になりまして。……正直、よかったと思っております」
「そ、そうだったか」
身の上話は時折交わしたが、初耳だ。
デズデモーナは頬を染め、拳を握りしめた。人間の恋愛感情は不可解だが、こうして人型になり、アサギと触れ合えることは喜ばしいと思える。
弾んだ様子の彼を、クレシダが冷ややかな瞳で見つめていた。
「それにしても、歩き辛い街だな……」
「そうですね、何処もかしこも同じ様な雰囲気で迷ってしまいそうです」
街は、最初からあった建物の隙間に次々と増設した作りになっている。窮屈な路地がひしめきあい、交通の便は悪い。入り組んでおり迷路の様で、後先考えず造れたことが見て取れた。
中央に大量の水が絶えず沸いている泉があり、そこで位置を把握するしかない。人々の生活用水となっている泉は、恐ろしく透き通っていた。大きな魚が、我が物顏で何匹も泳いでいる。
「美味そうですね」
デズデモーナがぽつりと呟く。腹のあたりを擦り、空腹を意識した。
「食べてはならないらしい。あそこに“神魚”と記されている。みだりにこの泉を穢してはいけない、魚もとってはいけない」
「神魚? クレロ神が遣わせた魚なのでしょうか?」
「そんなわけがない、人間が勝手に名付けただけだ。恩恵を受けた感謝の証として神に捧げる……そうして自然災害に遭わない為に願う」
「人間とはなんと面倒なことをしますねぇ、毎度のことですが」
振り返れば多くの雲に隠されつつも、山岳が連なっている。雲の隙間から薄らと山頂を覗かせているその山は、大昔に噴火したらしい。
「天変地異の後、ここに湧水が噴出したのだと。多くの人間が死んだ後に出来た聖域だ。二度とそのような災害が起こらない為に、戒めの意味も含めているのかもな。神の機嫌を損ねては駄目だと」
立札を読みながら、トビィは肩を竦める。
「その天変地異はクレロ神が起こしたのですか?」
「いいや。ただの自然の摂理だ」
「……つまり、人間は恐ろしい出来事は全て神の仕業だと思いたいわけですか?」
「大方そんなところだ。魔王が蔓延っていた時は“神からの試練”と唱える者がいたと聞く。神はな、人間を救いもするし、苦行を与える者でもある」
デズデモーナは、クレシダと視線を交わした。神を知っているだけに呆れてしまう。
「人間は複雑な思考を持つんですねぇ」
「色々と面倒な種族だろ。話して、オレも笑えてきた」
「竜に産まれてよかったと心底思いました」
「……とはいえ、今は我らも人間の姿に」
歩き出すと、泉から何本も枝分かれしていた用水路で魚を獲っている男を見かけた。不思議に思ったデズデモーナが首を傾げる。
「はて? 災いが起こるのでは?」
「あの泉以外の場所でならば、獲ってもよいらしい」
「意味が解らない!」
デズデモーナは難しく考えてしまい、頭から火が出そうになった。
クレシダはとうに考えるのを止め、脚を引き摺るように歩いている。
トビィは単に観光を楽しんでいるわけではなかった。アサギへの土産を探しており、髪飾りで手ごろなものはないかと露店を見て回っている。
軽快な足取りのトビィの後方、二本足で歩くことに疲れたクレシダは顔を歪め立ち止まった。人間の歩き方に、まだ慣れていない。
デズデモーナのように“アサギと同じだから”という愉しい心持ちでいられたら、気にはならないのだろう。
「どうしたクレシダ、急がねば」
「疲れた……人間はもう懲り懲り」
離れ始めた気配に気づき、険しい顔をしてデズデモーナが振り返る。
品定めをしているトビィは、どんどん先へと進んで行く。アサギに関することには、常に夢中だ。このままでは、はぐれてしまう。
「そう言うな、我慢しろ」
「私はデズデモーナと違う。いくら主の命とはいえ、苦痛でしかない」
クレシダは項垂れ、今にもその場に寝転がりそうだ。こめかみを引くつかせながら引っ張ったデズデモーナは、大股で歩き出す。
「この程度で根を上げるなど、だらしない」
叱咤する同僚に、クレシダは本音をぶちまける。
「魔王と戦っていたほうが、今の何倍も楽だ」
人間の姿でいることが心底嫌ということは、重々承知した。聞き流し、デズデモーナは重いクレシダの身体を引き摺る。
嫌々ながらに歩き出した筈のクレシダの足が、再び止まった。
ようやく二人が遅れている事に気づいたトビィが、片手を上げて手招きする。
「クレシダ、どうした。少し我慢しろ、そこの店で食事にするからここまで頑張れ」
人ごみに紛れて届いたトビィの声に、クレシダが軽く視線を投げる。
しかし、意識は別の場所にあった。
路地の奥を見つめているクレシダに視線を追い、デズデモーナもそちらを見やる。けれども、同じ顔に見える人間が右往左往しているばかりで、特に異変はない。
「行こう、主が待っている」
首を少しもたげたクレシダが、返事をしないことは普段通りだ。デズデモーナは追及することもなくトビィと合流する。
労う為に、三人は一軒の店に入った。
席に深く腰掛け、適当に注文した食事が並べられるとクレシダも手を伸ばす。黙々と食べている姿に安堵し、トビィも口に運んだ。
「しかし、ここにも手がかりはないようですね」
「あぁ……明日は次の街に行こう」
「御意」
二人の会話を聞き流しながら、クレシダが焼き魚を頬張り「アサギ様?」と呟いた。
ただ、口内に物が入っていたのでその声がトビィに聞こえることはなかった。
クレシダは先程、アサギに良く似た雰囲気の少女が路地を駆けまわっている姿を見たような気がしたのだ。
しかし、彼の性格上突っ込まれなければ報告をしない。目の前の馳走と、疲れた足を休ませてくれる椅子の存在に気がいってしまい、すぐに忘れてしまった。
クレシダは、何処までもマイペースだ。もしここで、二人のどちらかが「何かあったのか?」と尋ねていたら話しただろう。
路地裏に居たのはアサギではない、マビルだった。