二人を取り巻く環境
文字数 3,071文字
「ここに住めばいい。行かないで」
「でも、トランシスさん。私、学校に行かなくちゃいけないし、その……一応勇者なのです」
「ユウシャ?」
思いもよらぬ単語に、トランシスは弾かれたように起き上がった。勇者とは偉業を成し遂げた者を指すと思うが、目の前の小柄なアサギが一体何をしたというのだろう。力を入れたら折れてしまいそうな肩を抱きながら、苦笑した。
「冗談だろ? えーっと、勇者って? アサギ、一体何者なの?」
「あ、あのですね、それが」
隠すつもりはなかったが、話すきっかけがなかった。困惑し申し訳なさそうに瞳を伏せるアサギは、徐ろにベッドから下りて床に立つ。信じて貰えるだろうか不安になったが、仕方がない。
「私は、地球という青い惑星に住んでいます。そこから、惑星クレオという場所へ旅立ち、勇者になりました」
予想通りしかめっ面をしているトランシスに苦笑し、アサギは小さく囁く。
「おいで、セントラヴァーズ」
左手首の宝石が眩い光を放つ。強い刺激に瞳を閉じたトランシスが、次の瞬間見たものは。
「剣……!」
片手剣が、アサギの手中にある。今まで所持していなかったが、一体何処から出て来たのか。瞬きを何度も繰り返し、トランシスは凝視した。
「これは、私の武器でセントラヴァーズ。今は剣ですが、その姿を自在に変化させることが出来ます。杖にも、弓にも」
「へ、へぇ」
トランシスは、気圧されたように息を吸い込んで聞いていた。
「その世界の脅威は去りました、けれど、“破壊の姫君”というよくわからない敵? みたいな感じの人? が世界を滅ぼそうとして? いるかもしれないので、今はそれを調査しています」
言いながら、アサギもあやふやな現状に眉を寄せる。解っている事はこれだけだ。
「疑問符が多いな……つまり、それだけ得体が知れないってことなんだ」
「はい、そうなのです。さっぱり掴めなくて」
どうやらすんなりと理解してもらえたらしく、胸を撫でたアサギは剣を仕舞った。トランシスが真面目に聞いてくれたことに、胸が熱くなる。
「あのさ、アサギ。……勇者ってことは、結果的に危ないことをしてるの? 戦っているってことだろ?」
反対に、今度はトランシスが不安になる。勇者と聞いて平常心ではいられない、愛しい彼女がそんな肩書きを持っているとは思わなかった。傍に居てやれないのだ、危ない事は極力避けて欲しい。
「はい! 魔法も使えますよ」
「いや、そうじゃなくて」
細い手首を掴んで引き寄せ、抱き締めたトランシスは首を横に振った。
「心配だ、こんなに華奢な身体で戦うなんて止めて欲しい」
熱を含んだ声で囁かれ、アサギは赤面する。まさか、そんなことを言われるとは想像していなかった。トランシスの事は好きだが、勇者を辞めるわけにはいかない。魔王を倒し平穏が約束されているならば辞めても支障はないだろうが、今は緊迫している。
「そ、それは流石に無理です。勇者を投げ出すわけには」
「じゃあ、オレもその世界に行くよ。それで、オレが傍に居てアサギを護る。それなら安心だ」
待ってましたとばかりにそう言ったトランシスは、爽やかな笑みを浮かべた。
何度か瞬きしたアサギだが、大きく頷いた。そうすれば、色々な場所へ案内し、憧れのデートも出来る。惑星クレオには素晴らしい場所が多々あるし、地球でアイスクリームやクレープを食べたり、動物園や水族館に行く事も出来る。
「そう……ですよね。トランシスさんががこちらの世界へ来ても問題はないですよね」
「そうそう。それなら寂しくはないし」
「はい! 学校の時は離れ離れですが、その時はここへ戻っていてもよいですしね」
離れ離れは拒否したいが、学校という場所は余程重要なのだとトランシスはアサギを理解しようとした。
「それにしても、剣かぁ。オレも多少は扱えるけど、練習しなきゃな。魔法っていうのは、火を操ることも含まれる? オレ、それなら出来るケド」
言うが早いか返答を待たず、トランシスは右手で炎を繰り出し口角を上げた。
その揺らめく炎を唖然と見つめつつ、アサギは徐々に瞳を輝かせる。
「すごいです! 魔法剣士ですね!」
思いつく職業がそれしかなかったので、アサギは興奮気味に叫んだ。
けれども、トランシスは引き攣った笑みを浮かべ首を傾げる。魔法剣士、という単語は聞き慣れないものだ。
「さ、さぁ……どうかな。戦ったことはないけど、今から練習するよ。アサギの隣にいる為に」
感嘆の溜息を漏らし、瞳を潤ませているアサギは多少勘違いをしているように見えた。思っているほど役に立てるのか解らないトランシスは、大いに焦る。正直、真面目な特訓は苦手である。誤魔化すように、陶酔している頬に手を添えて撫でた。
「す、すごくかっこいいです。トランシスさんは、なんでも出来るのですね」
アサギの瞳には、トランシスが神々しいものに映っている。思ったことが、すんなりと口から飛び出した。
驚いたトランシスだが、意地悪そうに瞳を光らすと鼻先同士を触れさせる。ここまで健気に慕われると、加虐心が膨れ上がる。
「もっかい言ってよ、聴きたい」
逃げられないように身体を拘束し、唇が触れるか触れないかのところで止める。軽く息を吹きかけて、真っ赤になっているアサギを愉しんだ。震えながら弱々しい声で「かっこいい、です」と告げれば。
そのまま口づける。
再び、口づけの時間が始まった。
それは終わらないように思えたが、身じろぎしたアサギは唇が離れた僅かな時間に「あのっ」と叫んで口づけを止めた。不服そうに唇を尖らせたトランシスに、申し訳なさそうに呟く。
「今から、行きませんか? その、よかったら」
「あぁ、そうだね。まぁいいや、戻ったら続きをしよう」
もっと口づけを堪能していたかったが、時間は十分にあるだろう。トランシスは軽く笑うと、アサギの頬を撫でた。気持ち良さそうにうっとりと瞳を閉じた様子を見て、悪戯心が湧いてしまう。
「その前に」
「ぇ、ひゃあっ」
胸元の衣服を指で下ろすと鎖骨の下辺りに口付け、強く吸った。
「んっ」
痛みと熱さで仰け反ったアサギに薄く笑い、唇を離すと紅く染まったそこを指先で撫でる。
「今日逢ったシルシ、これから、逢うたび違う場所に一つずつつけていく」
「そ、そうです、か」
赤面し、白い肌に映える真紅のキスマークを見つめたアサギは恥ずかしそうに身を捩る。
「可愛い。これは、アサギがオレのモノであるという証拠」
「は、はぅあああ……」
刺激的な台詞にアサギは足を震わせた。少し過激な少女漫画のようだと思い、火照る身体から力が抜けるのを感じる。
その様子に再びトランシスは数回口づけ、最後に強く抱き締めた。
「本当に抱き心地がいいなぁ。オレ大好き、アサギの身体。甘い香りがして、柔らかくて、食べたいくらい好き」
「ぁ、あぅ」
やがて二人は、地下から出て手を握り締め歩き出す。幸せそうに、微笑み合って。
問題は、その仲睦まじく歩く姿を数人が目撃していたことだ。
「あ、あれ? トランシスが美少女連れてる! 誰だ、あれ?」
「オルヴィス! あの娘、誰!?」
「み、緑の髪っ。トランシスの言うこと、本当だったの!? 誰よ、何処から来たのよ!」
トランシスと親しい若者達が、眺めながら口々に言葉を漏らした。
羨ましそうに二人を見る者、興味津々でアサギを見つめる者、嫉妬に包まれた憎悪の瞳で見つめる者。