予言家の人々

文字数 5,778文字

 漆黒の瞳を轟惑的に輝かせながら詰め寄るマビルを、アイセルは無表情で軽く押し返した。相当な美少女だが欲情などするわけがない、実の妹だ。
 マビルの魅力に惹き付けられ、死ぬであろうと解っていても、男は寄っていく。哀しき男の本能なのか、甘美な密を滴らせる危険な花に群がる昆虫の様に絶えることがない。
 マビルにとって、男などただの“玩具”だ。
 長すぎる時間を持て余し、マビルは“玩具”で遊ぶ。いつの頃か、マビルは美形な男達と肌を重ねるようになった。男達はこぞって貢物を届けるので、それも高揚感を高める要因でもあっただろう。 
 最初は、快楽目的だと思っていた。
 けれども。
 小首を傾げ、淫蕩な空気を吐き出しているマビルを見つめていると。稀にだが、離れた親を探す迷子の猫になったかの様に、切なそうに空を見上げる時がある。
 身体を重ねるのは、寂しくて、温もりを欲してしまう為か。それとも、何か別の感情が隠れているのか。強気かと思えば酷く怯えた様な瞳をする時があり、それがまた男達を狂わせる。
 マビルから“玩具”を取り上げる事などできないが、殺しは良くはない。飽き性なのか“玩具”はマビルの気紛れで全員壊れてしまった。魔族達が忽然と姿を消していれば、何れは調査の手が伸びてしまう。
 強固な結界の中にいるといっても、冷汗ものの“透明な籠”。神隠しなど、魔族間には有り得ない、マビルの存在が露見するのも時間の問題だ。

「なぁに、真剣な顔して?」

 くすくす、と笑い続けるマビルは、そっとアイセルの露出した胸に指を伸ばす。アイセルの背筋に衝撃が走った、たかが指先で触れただけだが歯がゆくもどかしく、何かが全身をねっとり駆け巡る。僅かだが身体を強張らせたアイセルに、満足そうにマビルが微笑み人差し指を上へと動かす。

「妹に欲情しちゃダメよ、おにーちゃん」
「……するか、馬鹿」

 マビルの手をはたき、アイセルは一歩後退した。大袈裟に顔を顰めてはたかれた手を優しく擦っているマビルの後方から、声が届く。

「兄妹で何イチャついてるの、お二人さん」

 おどけた声が、森中に響き渡った。二人は驚いて反射的に身構えたが、そちらの方角を見つめると脱力し、同時に名を呼ぶ。

「トーマ! 戻ったのか!」
「トーマ、お帰り。マビルちゃんにお土産は?」

 木々の間から、ゆっくりと顔を出し歩み寄ってきた少年は十二歳程の人間である。長い黒髪を一つに後ろで束ね、きつめで大きな瞳を輝かせながら近寄ってきた。

「ただいま、アイセル、マビル」

 トーマ、と二人が呼んだ少年。
 アサギとマビルに若干似た、可愛らしい顔立ちだ。この二人に似ているとなれば、かなりの美貌の持ち主である。幼い為、美少女に見えなくもない。

「僕の“姉さん”が来てるって? 会いたい、ものすごく会いたいんだ……。アイセル、連れてってよ」

 トーマは嬉々として、しかし切なげにアイセルに詰め寄った。
 潤んだ瞳で見上げられ、アイセルは喉を鳴らした。男だが、妙に艶かしい。マビルとはまた違った淫靡さがある。

「マビルより、色香があるな。媚感がないし」
「んぁ? なに?」

 本音を零したアイセルの本音を聞き逃すわけがなく、マビルは目くじらを立て兄の足を思い切り踏みつけた。
 アイセルは苦笑したが、大して痛くはない。鍛えぬいたその肉体は、華奢なマビルの渾身の踏み付けなど、どうということはない。
 それよりも、トーマだ。今は冗談を言っている場合ではなかった。
 瞳を輝かせて自分を見ているトーマだが、無常にアイセルは首を横に振り、ゆっくりと言葉を吐き出す。弟の表情が、曇ることを解っていて。

「駄目だ、トーマ。まだ。……その“時”ではない」

 その、平素からは想像できないアイセルの威厳溢れる質感に、トーマは一瞬怯んだ。しかし、唇を尖らせてそっぽを向く。

「ヤだよ。姉さんに、会いに来たんだ。遠くからでも解ったんだ、僕は会いたいよ!」

 声を荒立たせたトーマは、完全にへそを曲げた。
 アイセルは困惑しマビルを見るが、そ知らぬふりをしている。
 暫しの沈黙後、トーマが控え目に口を開いた。

「どんな人だった……? とっても綺麗な人だったでしょ?」

 戸惑い気味に、たどたどしく気弱に。
 地に視線を落とし、そう呟いたトーマの髪をアイセルは軽く撫でる。
 傍らで、マビルがさも可笑しそうに嗤った。

「あたし以上に綺麗な女なんて、いるわけないじゃん」

 自信たっぷりに軽々と言い放ち、胸の谷間を強調して片目を瞑る。
 苦笑いしたアイセルと、露骨に眉を顰めたトーマは口をへの字に曲げた。確かにそう言えなくもない、マビルとアサギは似ているのだから。
 けれども、アイセルは悪びれた様子もなく、否定する。

「いや、マビルよりも遥かに美しい。何より、慈愛に満ち、優しく穏やかで安堵できる不可思議な空気を持っている。会って損はしないさ、思わず跪きたくなるよ。俺も正直、見惚れてしまった。とても尊いお方だ。見ているだけで十分、こう、触れたくても触れるこそが禁忌のような雰囲気の美少女だよ。直視すると目が潰れてしまう気がする」

 瞼の裏に思い描いているのか薄っすらと頬を染めたアイセルに、トーマが歓声を上げる。

「あ、やっぱり! そうだよね、マビルなんかと比べたら姉さんが可哀想だよ!」

 弾む声は、森に木霊する。
 マビルは激しい憤りを感じながら、不愉快極まりないと身体を小刻みに揺らした。この世で一番美しいのは自分だと絶対の自信を持っているので、憤慨しても致し方がない。

「何よそれ! めちゃくちゃ腹が立つっ! 何なわけぇ、信じられない! 私のほうが上、上なのよ! なぁにが直視すると目が潰れる、よ! だったらおにーちゃんはとっくに失明してるっつーのっ!」

 マビルの背後から薄黒い煙が立ち昇っているように見えるが、お構いなしに二人は会話を続けた。

「アサギ様は、素晴らしいお方だよ。間違いない、あの方ならば確実に魔族を導いてくださるだろう」

 陶酔しているアイセルを瞳を輝かせ見つめていたトーマは、知った姉の名を狂おしく愛おしく、切なそうに呼ぶ。

「アサギ……僕の姉さんは、アサギという名! 僕の姉さん、僕の本当の姉さん。アサギ姉さん、早く、お会いしたいです」
「アサギ? ふん、変な名前っ! あたしの“マビル”ほうが響きが良くて可愛い名前よね! 何がいーんだかっ」

 三人三様。誰かの言葉に誰かが反応し、反発し、口々に喋り出す。数分間その場で目まぐるしく口を動かしていたが、立ち話もなんだから、と三人はようやく家へと向かった。
 丘の傾斜近く、石柱転がる廃墟のような空間。その中に佇む、決して大きくはない家。周囲は森で囲まれており、他からの侵入は許さない隠れ家だ。
 食事は兄のアイセルが担当している、マビルは作ることが出来ない。いや、作ろうとは思わない。
 アイセルはパンを焼き、貯蔵してあった子羊の炙り肉、茄子の練り物に赤ワインを用意した。
 トーマは皿を並べ、運び、ワインを注いだりと手伝っているが、その間マビルはゆったりと天井から吊るしてあるハンモックで居眠りをしていた。せわしくなく動く兄弟を横目で見やりながら、可愛らしく小さく欠伸をする。平素は下僕と化した“玩具”に食事を作らせ、運ばせているので、手伝うという発想など出て来ない。一人の時は適当にそこらのものを口に入れるだけだ、自分の時間を要し、何かを作るなど面倒でしてこなかった。
 今日も、転寝をしているだけで食事が並んだ。自分は一生こうして生きていくのだと、信じて疑わなかった。
 数ヶ月ぶりの再会となった三人は、食卓を囲み昔話に花を咲かせる。
 この、アイセル、マビル、そしてトーマ。
 黄緑の髪の兄と、美しい漆黒の髪の妹、同じく漆黒の髪の弟。
 代々魔王である最も高貴な血族しか知りえない“予言家”の者達だ。正式にその能力を受け継いでいるのは、長男であるアイセルとなる。
 古来より、最初に生まれ出た子に予言の能力は授けられる。アイセルの場合、父は婿養子なので母から受け継いだ。受け継いだ、といってもアイセルは予言などしていない。母の遺した予言通りに、忠実に行動しているだけである。
 アイセル自身は、魔力が低い。その為か、予言の能力は確かに受け継いでいると聞かされたが実感はなかった。聞かされた話によると、ふとした瞬間、何の前触れもなく確実な未来が視えるらしいが。
 魔族の繁栄の為、重要な未来の出来事を予知する力。嘗ては、王族お抱えの巫女であったらしい。実際、代々女性が受け継いできたが、今回、初めてアイセルが男で受け継ぐ事となった。
 アイセルの母が遺した予言は。

『アイセル。あなたの、妹です。マビル、といいます。この子に瓜二つな少女が何れ姿を現すでしょう。今はまだ、その少女はこの世に産まれ出ていません。その子に出逢ったら、守護することが貴方の役目です。その子は、現魔王アレク様に代わって魔族を率いる女王なのですよ』

 そう告げられ、産まれ出たばかりのマビルとアイセルは対面した。出産の為母から離れていた為、久し振りの再会で、目の玉が飛び出る勢いのことを言い放たれた。鈍器で頭を殴られたように、混乱する。冗談ではない、とは解っていたが乾いた声で笑う。
 現魔王アレクは誰から見ても、衰退する筈がない現役の魔王だ。まだ若く信頼もあり、失脚するとも思えなかった。ただ、平和主義者であり、反発する者もいるとは聞いてはいる。
 一体、何があって魔王交代となるのか。何年先の事か分からないが、魔王になる少女など俄かに信じ難い。魔王アレクの娘なら、理解出来なくもないが。
 しかし、母の言葉は絶対だ。未来を指す運命の歯車は、そのようにまわるのだろう。
 以来、アイセルは多くの少女と知り合う事を目標として行動した。情報を掴む為、常に少女達と行動をともにした。結果的に“女好き”の称号を得てしまったが、好都合だったので否定しなかった。好色男と見られたほうが、行動を怪しまられずにすむ。
 古来から魔族達を護り抜いてきた予言だが、今回の内容が漏れた場合、混乱を産むだろう。もともと、王家及び予言家の者以外には極秘であるが、慎重にならざるを得ない。
 そしてアイセルは、母の予言通りに妹マビルに瓜二つな少女、アサギと出逢った。雰囲気は違うものの、顔の作りはほぼ同じだ。
 唇を湿らせ、重々しくアイセルは口を開く。
 アサギについて、二人に言って聞かせた。語らねばならないことは、多々ある。周囲の空気が異質であることは無論、魔族ではなく“人間の勇者”であることを。
 アサギは、魔族ではない。魔王アレクの後継者となれば魔族でしか有り得ないと思っていたが、それは先入観によるものだ。魔王ハイが連れてきた勇者アサギ、特異な状況で生まれた必然の出逢い。まさに、運命としかアイセルには思えなかった。
 口に運んでいたマビルのパンが、床に音なく落ちる。

「人間の……勇者?」

 搾り出したマビルの声は震えていた、アイセルが神妙に頷き見つめる。手に取るように、マビルが現在抱いている感情が解った。僅かに手の平に汗が滲む、マビルは人間が嫌いだ。良くも悪くも人間好きの魔族は多いが、とりわけマビルの人間嫌いは跳び抜けている。
 美貌において魔族が格段に上であると、人間を見下しているのは承知の上。寿命も呆れる程に短く、卑しく脆弱な人間。それでいて、高慢。稀に美しい人間もいるとは知っているが、下等生物であると認識していた。
 とはいえ、マビルも人間を見たことがある。
 当然だが、一人は弟のトーマ。二人目は以前“玩具”であった金髪の美少年。三人目は森の周辺で奴隷としてこき使われていた、醜悪な男。
 美しいものに執着しているマビルは、無論傍に置いておく玩具にも美しさを要求する。自分に釣り合う美貌の持ち主でないと、嫌悪感を抱く。
 そして、同姓は嫌いであった。一度、友達が必要なのでは、とアイセルは提案したが、断固として拒否をした。理由は定かではないが、他からの干渉を極力受けたくはないということもあるだろう。玩具は、自分が好きな時に遊ぶ物である。男達と遊んでいるが、マビル的には一人遊びをしているのだろう。
 自らの境遇を知っている故に、他人との関わりを拒否しているのか。

「人間の勇者? ……それ、ホントにあたしのおねーちゃん?」

 マビルが口にした声は、冷ややかな口調だった。感情が籠められていない、無機質なものだ。顔は青褪め、引き攣っている。
 トーマは軽く赤ワインを喉に通し、マビルから視線を外して一人天井を仰いでいる。
 マビルは、小刻みに震えていた。自分に双子の姉が存在する、とは聞いていた。兄も弟もいるのだから、これ以上は不要だと思うこともしばしばあった。
 そもそも“双子”の筈なのに、母の腹から同時に出たわけではない。しかも、自分がこの世に生をもたらした時、姉は産まれてすらいないという。
 何をもってして、姉なのか。姉とは、自分よりも先に産まれた者の意ではないのか。
 マビルとて、数日前確かに“姉の波動”を痛感した。離れていても、事実を受け入れられず拒否すらしていたものの、姉だと直感してしまった。だが、その気配はとても人間のものとは思えなかった。そんな馬鹿げた事実、あってはならない。毛嫌いする人間が姉で、おまけに勇者で、自分に勝る美貌を所持しているとは、信じたくもない。
 ダン!
 業腹さが滲み出るマビルの拳が、テーブルを叩きつけた。赤ワインがグラスから零れ、純白の敷物に赤い染みを作る。

「っ!」

 憎々しげに、マビルはその零れ落ちた赤ワインを睨み付けた。
 室内に沈黙が広がる、三人はそれぞれの思いを胸に黙り込んだ。とりわけ、マビルの表情は厳しい。別に焦がれていたわけではないが、多少、心躍るものがあったのも確か。
 姉。それは、次期魔王であり、自分を勝る力を秘めた双子。
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登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

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