外伝2『始まりの唄』23:新たな国王
文字数 2,589文字
トダシリアは、退屈しのぎにトバエの部屋を訪れていた。アリアの右腕を休ませる為、今日の食事は以前と同じように料理人が作っている。
「何故アリアが作っていない」
口にしてもいないのに、運ばれてきた食事を覗き込んだだけで、トバエは鋭利な視線をトダシリアに向けて問う。
微かに瞳を開き、引きつった笑みを浮かべたトダシリアは拳を固く握り締めた。
「気味悪いな、アリアの作り方通りなんだぞ? どうして違うと解る」
「アリアの香りがないし、そもそも想いが籠められていない」
言葉を鞭のようにしならせて告げるトバエに、トダシリアは震えた。弟が想像以上にアリアに惚れていることに怯えたのか、敗北感を味わったことになのか、何が身体を震わせたのか理解できなかったが“怖かった”。
……はったりではない、この男は解っている。
二人の絆は強固であると宣言された気がして、足元の床が抜けたような喪失感を味わう。
もし、自分が全く同じスープを出されたら。どちらがアリアの手料理か、一発で当てられるだろうか。嫌な汗が、頬を伝う。自信は、ない。
「ハッ! 随分とまぁ、余裕だな。アリアがお前を想い続けていると、どうして言い切れる? オレの上で腰を振り、すっかりお前の癖など忘れた女だぞ?」
「アリアはどうした。食事が作れない状況なのか」
無表情でそう問うトバエに、トダシリアは苛立ちを募らせる。この男をどうしたら叩き潰せるのだろう、何を言っても人形の様に感情を露にしない。挑発にも乗ってこない、全てを見透かしている様で怖い。優位に立っているのは自分な筈なのに、それすらも掌で転がされているように思えた。
「お前に食事を作るのが面倒になったんだとよ」
「フッ、嘘だな」
戯言だとばかりにトバエが鼻で笑ったので、トダシリアの頭に血が上る。確かに嘘だ、だが何故解るのか、それが理解出来ない。互いを信頼しているから、なのだろうか。
忌々しく壁を蹴り上げるトダシリアを、トバエは軽く溜息を吐き見つめる。
「その気に食わない事があると何かに八つ当たりをする性格……直すべきだ。恥を知れ」
「余計なお世話だ!」
派手な音を立て部屋を後にしたトダシリアに、トバエは疲労感たっぷりの溜息を大きく吐く。頭を抱え、全く成長していない双子の兄に絶望した。項垂れていたが、運ばれて来たスープが冷めないうちに口にし、全てを平らげた。
「一つ訊きたい。……ノアールは何処にいる?」
食器を片付けていた医師の助手は、驚いて顔を上げた。トバエがトダシリア以外に話しかけることは、今までなかった。最初、独り言だと思ったので無視していたが、刺すような視線を感じようやく自分に話しかけてきたのだと解った。
「え、ぁ、ノアール?」
まだ若い助手は混乱気味に口籠り、助けを求めて瞳を彷徨わせる。辿り着いた先の医者が、小声でトバエに囁いた。
「ノアール殿は、随分と前に城内地下の牢に幽閉されました。無意味な戦争を頻繁に起こし、領土を拡大したトダシリア様に苦言されたのが原因で。生きているかどうかは……」
「……だろうな、会いに来ないからそんなことだろうと。ノアールが居てくれれば心強いが」
再び、トバエは重苦しい溜息を吐いた。
医者達は、交代でトバエの看病をしてきた。王位を放棄したとはいえ、現国王の双子の弟である。気品ある面立ちと物静かながらも冷静な態度を貫いているこの男に、一種の惧れを感じていた。それこそ、仕えるべき王の器を所持しているように見える。誠意を持って彼の手助けをしたいと思い始めた彼らは、トダシリアの命令に従うではなく、親身になって看護を続けてきた。
「国王が、貴方であったなら」
ぼそ、と助手が零したのでトバエが苦笑する。
「思っていても、口にしてはいけない。アイツの事だ、耳に入った途端、直様首を刎ねるだろ」
トバエが気兼ねなく語り出したので、医者達は次々に声を漏らした。それは、国王トダシリアへの不平だ。
「私の娘など、一晩寝所に招かれたかと思えば、翌朝庭で死んで! 窓から落ちたと説明されましたが、とてもそうとは」
「昔から、緑の髪の少女と戯れることが好きでした。大金が支払われるので、貧しい者達は喜んで娘らを差し出したと聞きますが、どうなったのか」
「文句を言おうものならば、皆即斬首ですよ」
「暗殺を謀った者もいました。しかし、王の怪異な能力の前では赤子同然」
トバエは彼らを見渡し、胸が塞がる様な思いを抱いた。生きた心地などしないまま、働いているのだろう。ここは、常に死と隣り合わせ。
「……ここでそんな話、してもよいのか?」
苦笑し、トバエは口を噤んだ医者達に哀れみの瞳を向ける。恐怖で支配してきたトダシリアも、皆の不満には気付いているだろう。だが、絶対的な自信を持っている彼は、この先も考えを改めることは無い。実際、あの悪魔のような魔力に対抗出来る人間などいない。他国から軍隊が攻めてきても、一人であしらえるのではないかと思っている。
強いて言うなれば、対抗出来るのは相反する能力を持つ自分だけだとも痛感していた。
運ばれてきてから、ずっと寝台の上だった。傷は完治したが、起き上がろうとも弱り切った足が身体を支えきれずに転倒することは明白。衰えた体力をいい加減取り戻さねばならない。
「無理のない範囲で、身体を動かしましょう」
思い詰めた様子のトバエを注視していた医者の一人が、徐にそう呟いた。無言で他の医者も頷き、皆で目配せをする。トダシリアには、命令されていないことだった。だが、この王の弟が現状を打破してくれる気がして、手を貸したくなった。
「有難う」
凛々しく微笑んだトバエに、医者達は感無量だとばかりにその場に額づく。仕えるべき国王を見つけた、とばかりに。
その日から、トバエは室内で運動に励んだ。どのみちトダシリアが部屋に訪れるのは大概食事時であり、時間には余裕がある。万が一に備えて昼間は眠り、深夜に活動した。食事も、体力をつけられるようにと医者達が極秘に料理人へ指示を出した。
彼らは、新しき国王に期待した。正統なる血筋に、問題はない。