不可解な物語

文字数 6,385文字

 倦怠の色が全身を薄雲のように包み、深い溜息を吐く。

「なん、なのよ、これ」

 救いようのない、悲恋話だった。読み終えたホーチミンは顔を顰め、薄い本を睨み付ける。読書後、このような陰鬱な気持ちになったのは産まれて初めてだ。

「そもそも、何故この棚に小説が混ざってるのよ……」

 この物語には、魔力を駆使している人物が描かれていた。巨大な氷柱を出現させた男と、地中から火柱を上げ、浮遊しながら火炎を纏っていた男の二人。もし、この小説と同じような魔法が存在するとしたら、棚に置いてあってもおかしくはない。
 それこそ、禁呪だが。
 身体を浮遊させ火炎を投げつける程度ならば、ホーチミンとて可能だ。だが、同時に何本もの火柱を上げさせることは不可能だ。魔力が追いつかない、死と隣り合わせになってしまう。

「まさか、これをアサギちゃんに教えろだなんて言わないわよね、この本」

 取得出来れば即大幅な攻撃力増加に繋がるが、そもそも火とアサギは結び付かない。どちらかというと水だが、それよりも水を受け止める大地を彷彿とさせた。
 この小説において気になったのは“アリア”という娘だ。

「アリアちゃん」

 名を口にする。
 小説に挿絵などついておらず、髪の色も瞳の色もアサギとは違うのだが、どうにも引っかかる。胸がざわめく、得体の知れない予感が這いよる。
 そして、惨劇を引き起こした問題の双子。その弟の容姿を何処かで見たような気がして、腑に落ちない。暫し考え込み、髪の色と瞳を思い出したところで頷いた。

「あー、トビィちゃんね! 色が同じだわ。美形で長身だし、剣にも優れてる。頭部にいっつも布を巻いてたし。……水の魔法を操る事は出来ないけれど」

 苦笑いし、本を元の場所に戻した。肩を竦め、妙に疲れた肩をまわして解す。

「やっぱり、アサギちゃん本人に選んで貰おうかしら。そのほうが手っ取り早いわよね、うん、そうしましょう」

 一人で納得し、図書館を立ち去る。
 自分が習得していない魔法を選ぶなど、やはり無謀だった。ただ、人間はこの図書館に立ち入り可能か判断が出来ないので、承諾を得る為アレクに相談せねばならない。魔王が決断したことであれば、誰も文句は言えないだろう。
 結局、収穫はサイゴンと口付けをしたという予期せぬ事実のみだった。けれども、それが何よりの収穫であり思い出。
 今日もアサギは庭で訓練に励んでいるだろう、ホーチミンの足先はそちらに向かう。
 しかし、冷静を装っても先程読んだ不可解な小説が、どうにも頭から離れない。

 その頃、庭ではサイゴンとアサギがトビィについて語っているところだった。まさかの展開に目を白黒させ、二人共驚いている。

「……何やってるんだ、アイツ。最近姿を見ないと思ったら」
「まさか、トビィお兄様がドラゴンナイトでサイゴン様達とお友達だったなんて。奇妙な偶然ですね」
「えぇ、全く。でも、元気そうで安心しました。人間界よりも魔界のほうが肌に合うと豪語する奴だったので、帰宅が遅いと皆で心配していたんですよ。アサギ様が居たから、帰ってこなかったわけですね。……とすると、今こちらに向かっていたりするのかな」
「あの、トビィお兄様はドラゴンを連れていなかったのですが、どこかに待機しているものなのですか?」
「……へ? いや、そんな筈は」

 サイゴンは素っ頓狂な声を上げる、それはあり得ない。

「水竜であるオフィーリアは水がないと活動が出来ないので、何処かで待機していたかもしれませんが。黒竜デズデモーナと風竜クレシダは、常にトビィの上空にいると思いますよ。トビィに従順です、互いに絆で結ばれているので」
「上空に、ですか? ……えと、いなかったと思うんです」

 思い返してみても、トビィの周囲に竜が居たようには思えない。もし近くに居たのならば、トビィが紹介してくれているだろう。そもそも野営の際に魔物の襲撃を受けた際も、空中からの援護はなかった。
 腑に落ちないアサギだが、それはサイゴンとて同じだ。
 やきもきしていると、ハイとアレクが戻ってきた。
 二人の姿を確認したサイゴンは一礼し、アサギから剣を受け取ると離れる。剣の稽古は終了の合図、アサギが残念そうに瞳を伏せるので、サイゴンは苦笑する。

「ただいま、アサギ。何もされなかったかね?」
「おかえりなさい、ハイ様。サイゴン様とお話をしていました」

 さらり、とアサギは返答した。
 サイゴンは知らず安堵の溜息を吐く、剣を教えたことが“何かしたこと”に値するならば、極刑だ。再び深く一礼すると、その場から抜ける。最早あの場に、自分がいる必要は無い。極秘任務に戻り、スリザ襲撃の犯人を捜すことに専念する。アサギの腕を見ていたかった心残りはあるが、またの機会を願うしかない。
 先程までアサギが手にしていた自分の剣を片手で持ち上げ、軽く手首を使ってまわす。自分の慣れ親しんだ剣だった、特注品である。
 それを、アサギはいとも簡単に扱っていた。まるで、自分の所有物の様に。

「ふむぅ」

 本来ならば、この剣は意思があるのか、所有者以外の者が触れると何らかの反抗的な態度を見せる。大体は思った通りの場所へ上手く振り下ろすことが出来ないという、厄介な代物。トビィはサイゴンの弟のようなものだったので、剣も知ってか短時間で気を許したようだが、アサギに到っては何故だろう。
 人間の勇者、というだけでこの剣が従順になるとは思えなかった。

「なんだ、お前もアサギ様の美しさに囚われたのか?」

 冗談めかしてサイゴンは剣に語りかけると、喉の奥で笑い鞘に収める。魔界の大地に眠っていた鉱石が装飾されているお気に入りの剣は、当然何も言わない。

「あ、見つけた! サイゴーン!」

 前方からの声に、サイゴンは尻込みした。ホーチミンだ。思い起こせば本日、ついうっかり口付けしてしまった幼馴染である。思い出し赤面するが、咳をしながら軽く片手を上げる。
 意識しているのはサイゴンだけなのか、ホーチミンは平素通りだった。多少気落ちしつつも、ぎこちなく話しかける。

「よ、よぅ」

 挙動不審なサイゴンに先程の口付けを思い出したのか、ここへ来てホーチミンも軽く頬を染めて俯いた。ニ人して恥じらい、身体を左右に揺らした。気まずい沈黙が流れる、それでいて何処か甘酸っぱい空気が流れる。
 傍から見たら、微笑ましい光景だった。互いを意識し合って、言葉が出てこない様子は初々しい。じれったいが。

「あ、あのね。あの後、図書館に戻ったのだけど」
「あ、あぁそうか、あの後に戻ったのか」
「そ、そう、あの後に」

 あの後とは、もちろん口付けのことである。ニ人は視線を泳がせ、爪先で地面を弄り出す。

「あ、それでね」
「そ、それで? あの後に何か?」
「う、うんあの後に」

 会話が進まない、通り過ぎる魔族は首を傾げて通過していく。
 サイゴンがホーチミンの顔を戸惑いがちに見ると、唇がどうしても目に入る。そして赤面し、何も言えなくなってしまう。
 ホーチミンとてそれは同じだった、直視できない。

「……ら、埒があかない! サイゴン、図書館へ来て!」
「お、おぅ」

 ホーチミンは強引にサイゴンの腕を取ると、再び来た道を戻った。アサギの様子を見たかったが仕方がない、先程の小説が脳裏から離れない。戻れと言っている気がした、軽視するなと囁かれた気がした。
 誰にそう指示されたのかは、解らない。

「アサギちゃんは?」
「先刻まで、剣の稽古をしていた。今はアレク様とハイ様と一緒だから、心配するな。俺はそこで離脱したからな、今頃魔法の特訓が始まっているだろう」
「そっか、魔法を……」
「そうそう! 聞いて驚くなよ? アサギ様、トビィと知り合いだったんだ。魔界へ来るまでトビィと行動していたらしい、すんごい偶然だよな。おかげで安否の確認が出来たけど、アイツの事だから今こっちに向かっているだろう。杞憂で良かった、もうすぐ会える気がする」
「……知り合い、なの?」

 楽しげに笑って話すサイゴンに、ホーチミンの足が固まったように止まった。顔が強張っているが、サイゴンからはその表情を見ることが出来ない。

「驚きだろ? “トビィお兄様”って呼んでた。いいなぁ、お兄様って響き。俺もあんな可愛い子にそう呼ばれてみたいなぁ」

 瞳を細め天井を見つめ、サイゴンは笑みを浮かべる。
 だがホーチミンは鋭い悲鳴を上げて、駆け出した。
 急に強い力で引き摺られ、サイゴンは転倒しそうになった。狼狽し、訝しむ。

「な、なんだよ」
「いいから、来て! 見せたいものがあるのよっ!」
「図書館に? 俺は魔法の事なんて解らないぞ?」
「魔法じゃないのよ、小説なのよっ!」

 ホーチミンの顔に焦りが浮かぶ、先程の小説が脳裏に甦った。

『落ち着いて、アリア。昔の様にオレの名を呼んでごらん、大丈夫だ、オレは何処にも行かないから』
『……トバエお兄様』

 偶然にしては出来すぎだと思った。
 アサギを彷彿とさせる少女アリアは、トビィに似ているトバエという男を“お兄様”と呼んでいた。アサギがトビィと知り合いでお兄様と呼ぶなどと、そんな偶然あるのだろうか。怒涛の勢いで図書館に入ったホーチミンは、怪訝な顔をしている管理人を突き飛ばし、先程の棚へと急ぐ。後ろで何か喚いていたが、無視して進んだ。

「魔法を探していたんだろ? なんだよ、小説って」
「魔法書の棚に、題目がない小説があったのよ! そこに書かれている人物が、アサギちゃんとトビィちゃんにそっくりなの! ……そのアサギちゃんに似た女の子は、彼のことを“お兄様”って呼んでた。……そんな馬鹿な話、あると思う!? 違う箇所があるとすれば、その子の髪と瞳の色だけ。女の子は緑だったわ、アサギちゃんは漆黒だけど、それを差し引いても偶然とは」
「緑?」

 思い過ごしだと苦笑していたサイゴンだが、一つの単語を聞いた瞬間に硬直する。閑却していたが、そうもいかなくなった。
 突き進んだホーチミンは、先程まで佇んでいた棚に腕を伸ばした。だが、唖然としてその手を止め震え出す。

「な、い」

 掠れた声が、周囲に響く。自分が棚に戻したはずの、あの不気味な小説がなかった。奇妙な事に、棚には書物がきちんと並んでいる。もし誰かが一冊抜き取ったならば、そこに隙間が出来るはずだ。しかし、他が入る余裕などない。

「ない!? そんな馬鹿な、私はちゃんとここにっ」

 追いかけてきた管理人の胸倉を振り向きざまに掴んだホーチミンは、有無を言わせず怒鳴り散らす。嫌な汗が全身から吹き出した、悪寒が走る。

「ちょっとっ! あの小説何処にやったのよ、誰が持って行ったのっ」
「落ち着いてください、貴方の後にこの棚を訪れた者は一人もおりません。本当です、貴方で最後なので本が移動している筈は」

 その言葉にホーチミンの動きが止まった、薄々は気づいていたが確認してみたかっただけだ。
 混乱しているサイゴンは大きく固唾を飲んで、ただ見守っている。

「じゃ、じゃあ、ここにないとなると……私が見たあの本はなんだったの、よ……」

 小さく零した、隙間がないのならば“最初からなかった”ということになってしまう。

「夢でも見たのでしょう」

 管理人は皮肉めいて囁くと、脱力し呆然と突っ立っているホーチミンの肩を叩いた。迷惑だとばかりに大袈裟に溜息を吐くと「そもそも小説が、この棚にあるなど有り得ない」と言い放つ。管理人は、絶対の自信を持っていた。自分達の管理が杜撰だと言われたようで、立腹している。
 けれども、確かにホーチミンは先程この場所で小説を読んだ。表紙には何も描かれていなかったことも憶えている、重さも忘れていない、夢ではない。
 サイゴンに引き摺られ、項垂れたままホーチミンは図書館を後にした。
 白昼堂々と、幻覚を見たのか。震え、青褪めているホーチミンを見ているとサイゴンとて胸騒ぎがする。放心状態の幼馴染の背を押し、食堂で気分が落ち着く飲み物を頂く事にした。
 食堂で紅茶を口にしたが、訴えるような瞳でホーチミンが見つめてきたので直様飲み干し場所を移動する。すでにその瞳に躊躇はなく、鋭い光が戻っている。
 切り替えが早い、いや、早く戻らねば取り返しのつかないことになる気がした。人目を避けるようにニ人は黙々と歩き、アサギの部屋の前に到着する。扉を叩くが、返答はない。陽は落ちているがまだ庭か、それとも、夕食の為食堂へ出向いているか。
 ホーチミンは壁にもたれかかると、ぽつり、と話し始めた。あるわけもない場所に存在した、奇妙な小説の話を。アサギとトビィに似たニ人が登場したこと、容姿だけでなく、名前とて似ていたことを。違った点は、少女の髪と瞳の色。
 静かに聴いていたサイゴンは、瞳を伏せた。胸騒ぎがしていた点があるからだ、アサギに似た少女の髪と瞳の色が“緑”であったという箇所。次に魔界を統治する予言の娘は、“緑”とされている。アサギは黒髪だが、もし緑であったならば一致する。そもそも、魔力を有するホーチミンが見たという点で、それは何かしらの糸によって手繰り寄せられたものだと痛感していた。他の者ならば、辿り着けない気がした。
 つまり、これはホーチミンに何者かが宣告したと考えるのが自然に思えた。

「アサギ様の髪と瞳の色が緑であったならば……全ては」

 爪を噛みながら思案しているホーチミンを横目で見ると、サイゴンは口を噤んだ。スリザの件も含め、全てを話すしかないと腹を括る。女性のような容姿の幼馴染。美しく明るい大事な友人を、面倒事には巻き込みたくなかったというのが本音だ。

「私、怖いわ。途轍もなく強大な何かに……掻き乱されているみたい」
「落ち着こう、ホーチミン。大丈夫だ、皆で解き明かそう。俺達二人だけじゃない、心強い仲間がいる」

 腕に爪を立て、震えを止めようとしていたホーチミンの身体を、そっとサイゴンは抱き締めた。 
 驚愕し、瞳を丸くしてサイゴンを見上げるホーチミンだが、そこには照れも何もない真っ直ぐな瞳がある。

「大丈夫だ、大丈夫だよ」

 大きな胸に安堵しつつも顔を赤らめる、嬉しいのに素直にしな垂れることが出来ない。以前こうして抱き締められたのは随分と昔で、まだ幼い頃。幼馴染の友達としていつも一緒だった二人の少年は、恋愛感情など持ち合わせることなく、親友として包容を交わしたものだ。
 けれどそれは、ホーチミンが恋心を抱いた事により砂山の様に消えた。
 女になりたいと願った幼馴染に、素直に順応できるほどサイゴンは柔軟な脳をしていない。久し振りに懐かしい香りと温かみを間近に感じ、大きく息を吸い込み瞳を閉じる。

「ミン、大事な話がある。落ち着いて聞いてくれ」

 サイゴンは、魔界に忍び寄る災厄に巻き込みたくなかった。幼馴染の親友であったならば、直様協力を申し出ていた。優秀な魔法の使い手は、眩くて頼りになる。
 しかし、サイゴンの中で、ホーチミンは幼馴染の親友ではないのだ。
 その逞しい腕の中でホーチミンは迷うことなく頷き、唇を真一文字に結ぶ。 

「まず、トビィは間違いなくこちらに向かっている。あいつが戻れば心強い、何よりアサギ様とて安心するだろう」

 大事な人は、巻き込みたくない。何も知らずに、笑っていて欲しい。サイゴンは自分の願いを諦めた。自分が抱くこの感情を、何と呼ぶのか解らずに。
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登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

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