這い寄る何か
文字数 3,898文字
時折顔を出していた星たちが、続々とその遠き光を主張し始めた頃。アリナが夕食を提供してくれたので、勇者たちは早速食堂で戴いた。山羊のチーズをふんだんに使用したピザのようなものは、少しほろ苦く大人の味がした。やみつきになってしまって手が伸びてしまう。
「ヤバい。夕飯いらないって伝えてない」
我に返ったトモハルが気まずそうに呟くと、勇者らも項垂れる。
アサギは、自分が異世界で勇者をやっていることを家族に告げている。しかし、他の勇者らはまだ話していない。馬鹿にされる、信じてもらえない、下手をすると精神科行きになってしまうと躊躇していた。
次回からは気を付けねばと、心に誓う。折角作ってくれた料理が食べられないのは、チクチクと良心が痛む。
「そういえば、次の日曜日だけど。よかったら練習試合を観に来てよ」
トモハルが遠慮がちに告げると、ユキは大きく頷いた。
「うん、知ってる。ケンイチから教えて貰ったから」
「ユキが行くなら、私も行こうかな」
ダイキ以外はサッカー部に所属している。ミノルもいるのでアサギは一瞬気が引けたが、ここで断るのも後ろめたい。
「待ってるね」
アサギとトモハルは、ミノルを盗み見た。チーズを相当気に入ったらしく、独占するように貪っている。
胸を撫で下ろし、アサギは小さく溜息を吐く。未だにミノルと憂美が付き合っていると思っているので、“恋人には大事なイベントであろう”試合に顔を出してよいのか不安だった。
ミノルと憂美、二人の経緯を何も知らないので勘違いをしたままでいる。
地球に戻ったアサギは、手帳に予定を書きこんだ。そして、旅の最中は止まっていた日記帳に一言添える。
数年前好みのノートを見つけ購入し、気楽に始めた日記は習慣になっている。一文の時もあれば長文な時もあり、見返すと面白い。
照れくさくて、顔を真っ赤にし吹き出した。トランシスと逢った日は、文字数が異様に多い。それに、文体も普段より弾んでいる。
ポコン。
聞き慣れた音がして、リョウから『おやすみ』のスタンプが届いた。
先に帰宅していたリョウにも、今日は色々あっただろうに。何を話していたのかはそのうち教えて貰えるだろうと、アサギも同じ様に『おやすみ』と返す。
しかし、リョウは仏頂面で漫画を読んでいた。内容は入ってこないが、何かをしていないと落ち着かない。
「ちぇ、なんだよ。新しい彼氏って……聞いてないっつーの」
憂鬱だった、落胆した。
「僕はアサギの親友だと思ってるんだけどなぁ、恋愛の話もして欲しいよ。信頼されていないのかなぁ」
アサギがミノルにフられた時、リョウはどうにか救いたいと寄り添っていた。
「確かにさ。新しい彼氏だなんて、言われたら言われたで僕もショック受けそうだけどさ。もっと、こう、なんていうんだろ。性別は違うけど、そんなの無関係だと笑い飛ばす仲になりたい」
――あの子は、誰にも頼らないよ。本当に心細い時には手を伸ばすけれど、それ以外は自分で決めて行動する。そういう子だと知ってるだろう? 君の苦労も、純粋な想いも、あの子は気づかなーい。
「ぁ?」
妙な声が聞えた気がして、リョウは顔を上げた。瞬間、一気に血が逆上し鳥肌が立つ。髪が逆立ち、肌がピリピリと刺激される。
「うるさい! アサギの悪口は、僕が許さない!」
床を殴りつけると、耳元の声はねっとりとした余韻を残し消えていった。
身体中から汗が吹き出る。夏だというのに、うすら寒い。
「なん、だ?」
服で顔の汗を拭こうとしたが、掴んだ手の感触に悲鳴を上げた。
衣服が、水に浸したかのように濡れている。不気味な何かに怯え、身体から一気に汗が吹き出したらしい。
「なん、だよっ」
再び、床を殴りつける。
――あぁ、駄目だ。これはやはり、駄目だ。上手く、いかない。コイツには、入り込めない。別にしよう、シヨウ、シヨーウ。
キィィィ、カトン。
何処かで声が聞えた気がしたが、奇妙な音と共にそれは遠ざかっていった。
身体中に、纏わりつく何か。ドロリとした液体は、まるで意思を持つように肌を這いまわる。溶けて混ざって、身体を支配しようと企む。
低く呻き、リョウは起き上がった。額から汗が伝い落ちる。荒い呼吸を繰り返し、首を、腋を無造作に拭う。
あのまま寝てしまったらしい。
近所で毎朝鳴り響くラジオ体操の音で目が覚めた。老人会の日課で、公園に集まり元気に体操をしている。もっと眠っていたいので煩いと思うときもあったのだが、寝過ごした場合は大変助かる。
第二体操に入ったところでようやく重たい腰を上げると、大きな欠伸をしながらシャワーを浴びた。先程の不気味な感覚を洗い流すように、念入りに泡を肌にのせる。グレープフルーツの香りが、寝起きの脳に刺激を与えてくれる。
危うく寝過すところだった、今日は平日だ。
どうにか支度を終えアサギと学校へ向かい、普段通りに授業を受ける。たっぷりと寝たはずなのに、どうしようもなく眠いし、気怠い。授業中に半分眠りながら、どうにか一日を終える。
「アサギは今日も異世界へ行く?」
「うん」
「じゃあ僕も行く」
この日、用事があるダイキとユキ以外の勇者らは異世界へ遊びに出掛けた。
「何しようか」
「ディアスの街を見てまわりたい。美味い店とか知りたいじゃん」
誰かに案内を頼むつもりで出向くと、不機嫌そうな顔をしたアリナが立っていた。
「来た来た。アサギ、外でトビィが待ってるよ。何処かへ行くんだって?」
トビィがアサギを独占するので、遊べない事に腹を立てているようだ。唇を尖らせたアリナに皆は苦笑する。
「何処か?」
アリナに言われアサギは首を傾げたが、すぐに思い出した。魔王アレクの従兄弟、ナスタチュームに会いに行かねばならないのだ。
「アサギがトビィさんと行くなら、僕もついていく」
「トビィめ、可愛い勇者ちゃんをボクから横取りしやがって」
リョウも離脱すると分かり、アリナの機嫌は悪くなる一方だ。それを宥め、トモハルらは観光案内を依頼する。
「よし、ボクと遊ぼう! ご要望はありますかな、勇者どの?」
「腹減った!」
「よぉし、お任せあれ! 名物を食べ歩こう!」
ミノルが即答したので、アリナは満足し頷く。外で待っていたトビィに唇を尖らせ睨みを聞かし、苦笑しているトモハルらを連れて去っていく。
「なんだありゃ」
突然睨まれ肩を竦めたトビィに、リョウとアサギは顔を見合わせ困ったように微笑む。
「トビィさん、こんにちは」
「お前も行くのか」
「すみません、邪魔だとは思いますが連れて行ってください」
愛想笑いを浮かべたリョウに、トビィは仕方がないと溜息を吐く。アサギと二人きりが好ましいが、そうも言っていられない。
「それで、何処へ行くって?」
「魔王アレク様の従兄弟ナスタチューム様がいる島だよ」
「ええっと、魔界だっけ?」
「魔界イヴァンとは違う、別の島。そこも、魔族だけが暮らしているの」
「この世界に、魔族が住まう島は二つあるってことだね」
話を聞きながら、リョウは眉を曇らせる。人間より魔族のほうが能力的には上だというのに、何故土地は狭いのだろうか。
首を傾げたリョウに、アサギは囁いた。
「多くの魔族が、現状に満足していたから」
「なるほど、無理に領土を広げなくてもよかったのか」
本気で人間に侵略をした場合、恐らく魔族側が勝利を掴むだろう。そうならずに人間の人口が増えているのは、アレクを始めとする歴代の魔王が上手く血気盛んな魔族らを押さえていたに違いない。
「もう一つ原因がある」
聞いていたトビィが口を開く。
「魔族は長命だが、人間より生殖機能が低い。爆発的に増えない理由はそこだ」
よって、魔族は産まれた子を宝のように大事にする。スリザが男のように育てられたのも、その為だ。例外はあったが、一組の夫婦で子は一人が普通である。
ゆえに、多くの男と身体を重ねていたマビルも妊娠したことがなかった。性に対して奔放なのはそのためだ。
“生殖機能”という単語に顔を赤らめたリョウに対し、アサギは神妙に頷いた。
「不思議ですね。生命とは、種の保存を最優先するものだと思っていました」
植物が危機的状態に陥った場合、種の繁栄の為自己防衛をはかる。そう習ったアサギは、眉を顰めた。
「魔族は、多くの子を産むより優秀な子一人に種の保存を託すことを選んだのではないかと思っている。人間なんざ、親が子を棄てることもあるだろう? 動物だってそうだ、多く産み強者のみを選択する。兄弟に勝てぬものが世に出て生きられるわけがないと、容赦なくふるいにかける」
トビィの言葉に、アサギはハッとして頷いた。会話しながら街の外に出ると、竜が待っている。
「おかえりなさいませ、主」
デズデモーナとクレシダを見上げ、リョウは感嘆する。まさか竜に乗る日が来るとは思ってもみなかった。そして、颯爽と飛び乗ったアサギを見て驚嘆する。
「アサギは一人で乗るんですか、流石だなぁ」
クレシダの背にリョウを乗せたトビィは、薄く笑う。自分も舞い上がりながら、誇らしげに告げた。
「あんなものじゃない、アサギの能力は常に開花する」
気持ちよさそうに飛行しているアサギを見つめ、二人は穏やかに微笑む。優しい空気の流れに、このまま三人でいられたら、などと思った。
暫くして目的の島に到着すると、アサギは軽やかに降り立った。
「ふぅっ。楽しかったですね、デズデモーナ」
「それはよかったです。私も有意義な時間を過ごせました」
降りてくるトビィたちを待っていると、背後から突然抱き締められた。