緑の髪の勇者
文字数 3,013文字
「森に火が。大体は消し終えたと思うのですが……」
「火は、身を潜め生き残る可能性がある。見た目では解らなくとも、内側から蝕んで人目を欺き、急に牙を向く。……オフィがいたら水は任せられるが、参ったな。クレシダの風では煽るだけで逆効果だ」
広大な範囲の火を迅速に消すには、やはり魔法に頼るのが一番だろう。剣に自信はあれども魔法を扱えないトビィは、申し訳なさそうに瞳を伏せる。
しかし、ふと自身が背負っている剣を徐に引き抜いた。水竜の角から創られた、唯一無二の剣ブリュンヒルデ。水属性の剣で間違いはないのだから、これを媒体として何か出来ないものかと思案する。今まで考えたこともなかったが、この剣ならば力を貸してくれそうだった。
「アサギ様、どうぞ」
宙に浮かんでいたアサギだったが、デズデモーナが自分に乗るようにと首を垂れたので会釈をしてその背に跨る。すっかり慣れた竜の背に微笑むと、その鱗を優しく撫でる。
「ありがとう、デズデモーナ」
「いえ、御随意に」
自分で宙に受ける事が判明したものの、やはりこうして竜に跨っていたほうが楽である。
思案しているトビィから離れると、ゆっくりと上空を旋回しつつ森の様子を注意深く見つめた。木の内部で燻っている火種がないか、瞳を閉じて熱を探る。気になる個所を見つけると詠唱し、燃えていた箇所に水の魔法を放った。
「アサギ様、徹底せねばならないのですか」
「そうですね、万が一の事がありますし」
デズデモーナと会話をしていると、神妙な顔つきをしたトビィが近寄ってきた。少し、怒っている様だ。整った唇から漏れた低い声に、アサギは肩を竦める。
「アサギ、単独行動は危険だ。今後は、誰かが来てからにしてくれないか。心配するだろう」
「ごめんなさい……。でも、勇者ですし」
「勇者だから単独行動が安全だと、誰が決めた。約束してくれ、一人では決して動かないと」
「解りました。以後、気をつけます」
項垂れているアサギに苦笑し、トビィは溜息を吐く。護りたいのに、能動的な彼女は大人しく待っていられない。
「強く言い過ぎた。だが、オレの気持ちも解ってくれ」
「はい。……そうですよね、迷惑をかけてはだめですよね。考えなしでした」
二人は竜の上から森の様子を探った。
「粗方は消火出来ただろう。一応下に降りよう」
「はい!」
トビィとアサギは森を散策した。アサギの放った水の魔法で至る所に水たまりが出来ており、足元はぬかるんでいる。
「気を付けて」
「はい」
差し伸べられたトビィの手に捕まりながら、アサギは歩く。焼けてしまった木々もあったが、死んではいない。内に秘める生命力が、新たな枝を伸ばすだろう。
途中、怪我をした動物が何匹か蹲っていたので治癒の魔法を唱えた。回復した彼らは、時折振り返りながら二人から離れていく。
「大丈夫そうだな」
「はい。安心しました」
喜びを頬に浮かべたアサギだが、問題が一つ。
水たまりには、アサギの美しい髪が映っている。その色は、緑。本人は気づいていない。
「帰ろう」
「はい!」
天界に戻り、廊下に設置されていた全身鏡を何気なく見やったアサギはようやく気付いた。大きな瞳を何度も瞬きさせ、揺れる髪を数本指で摘む。
「……みどり色?」
唖然と呟いたアサギを不思議そうに振り返ったトビィは、後ろに立って鏡を見つめる。
トビィにとっては、普通の。アサギにとっては、普通ではないこと。
「……あの、トビィお兄様。変な事をお訊きしますが、私の髪の色は何色ですか?」
「綺麗な緑色だな。若葉よりも黄色寄りで……」
「です、よね。私の目が壊れたわけじゃないですよね」
狼狽しているアサギの耳元でトビィは「大丈夫だ」と告げ、そっと肩を抱いて歩き出す。
物言いたげなアサギだが、そのままクレロのもとへと連れて行かれた。
擦れ違う天界人がアサギの髪を見つめて振り返る。そしてまじまじと凝視し、眉を寄せた。
そのたびに、アサギは気まずくて俯く。目立って当然だ、先程まで黒髪だったのだから。
そんなアサギに、クレロとて息を飲んだ。
「あ、あの、クレロ様。えーっと、報告します。魔族に遭遇しました」
伏し目がちで前に進み出たアサギに、その場が静まり返る。
トビィだけが、不服そうにこの現状を一瞥した。艶めく黒髪も好きだが、今の緑色した髪がアサギにはよく似合っているし、しっくりくると思っている。何より、個人的に好きだ。
「あ、ああ、そうだな。そうか、魔族に遭遇したのか。……もう少し詳しく教えておくれ」
髪に気をとられていたクレロは、狼狽する。
しかし、先程から苛立ちを感じていたトビィが口を挟んだ。
「何故、アサギを危険な場所へ派遣した! それも、一人で。有り得ないだろう」
怒気を含み非難するトビィに、クレロは深く腰を折った。そして、二人に謝罪する。
「すまない、私の落ち度だ。アサギは、てっきり勇者ミノルと共にいるとばかり」
「……ミノル? 何処に?」
アサギは喉を鳴らし、俯く。ミノルを巻き込みたくないのに、そうもいかないらしい。なんとか話を逸らせないが、懸命に考えた。しかし、焦ってしまってよい案が浮かばない。
「あ、あの! 村近くの洞窟ですが、人一人が通れる程度の穴しかありませんでした」
突然声を張り上げたアサギに、トビィは怪訝な顔をして覗き込む。
視線に狼狽しつつも、一気に報告をする。アサギは、無関係なミノルに話が戻らない様必死だ。
「ごめんなさい。何の気配もなかったので、私は洞窟の中に入りました。洞窟内部は真っ暗だったけれど、何もいなくて。進んでいくと森の中に出て、そこで魔族と遭いました。薄桃色の綺麗な髪で、長身な男性です。杖で攻撃されたので、応戦しました。ただ、途中で光る大きな鳥に乗り、逃げて行ってしまって。……捕まえることは出来ませんでした」
「火は、そいつが原因か」
「はい。私を足止めする為に火を放ったのだと思います」
「それで鎮火していたと」
静かに聞いていたクレロは、瞳を閉じ開口した。
「薄桃色の髪……トビィが見た魔族と同じとみるべきか? 同一人物であるならば、シポラを監視していた私の目を掻い潜り移動したことになる」
ざわつく天界人らに、トビィは馬鹿らしいと鼻で笑う。
「転送陣があれば可能だろ、そんなこと。つまり、監視は無意味」
淡々と言い放ったトビィに、天界人らは口を噤んだ。人間の発言を認めたくないが、そういうことになる。
「アサギ、そしてトビィ。今から過去を映す、二人が見た魔族が同一人物か確認しよう。次の策を練らねば」
「一気に本拠地に攻めこめば、それでカタがつく。グズグズしていると、同じようなことが起こると思うが?」
「今回の目的を調べたい。一体、何がしたかったのか。そもそもアサギの報告通りであれば、あの洞窟を魔物が通過することが不可能だ。……正面突破は危険な賭けだと思う」
「悠長な事を言っていると、犠牲者が出るのがオチだと思うが?」
トビィとクレロが睨み合い、下でアサギが狼狽える。周囲の天界人達も、言葉を発することなく見守っていた。
その間も、アサギの髪は緑のまま。ふわりと揺れ、風にそよぐ葉の様だった。