魔法と剣
文字数 9,620文字
鉛を張った様な曇り空だが、今のところ雨は降っていない。
「どうしましょう、ハイ様。どちらから教えます?」
「私はいつでも教えられるから、今日はそなたが教えてくれ。私は食事の手配をしつつ、ここで見ている」
「畏まりました」
ホーチミンは、若干緊張しているアサギの肩に手を添え微笑した。脚を組み、ふんぞり返っているハイを一瞥し軽く肩を叩く。
「ほら、楽に。緊張していては、本当の力が出せないわ。さぁ、火炎の魔法から極めましょう。もう一度、出来るところまで見せてもらえる?」
「はい」
ホーチミンに励まされ普段通りの笑みを見せたアサギは、神経を集中させて詠唱に入った。周囲から、彼女を護るように空気が立ち昇り始める。ふわり、とスカートが揺れ、腕がしなやかに伸びる。
途端、ホーチミンは背筋が凍る様な寒気を感じた。
何の変哲もない下位の魔法だが、この威圧感は何か。アサギの踊りでも舞うような優雅で滑らかな動きに、魅入ってしまう。詩を吟じるように放たれた火炎の魔法を相殺すべく、ホーチミンも瞬時に火炎を操る。
その勢いに、アサギは感嘆の溜息を漏らした。
しかし、ホーチミンの額には汗がじんわりと浮かぶ。
……ハイ様は気付かなかったの? アサギちゃんの底知れない魔力に。
汗ばんでいた自分の掌を見つめ、唇を噛む。魅了され、対応が遅れてしまった。実戦ならば命取り、末恐ろしいとホーチミンは身体を震わせる。そして気づいた、アサギを取り囲む空気が非常に忠実だということに。
空気がアサギを味方し、常に結界を張って護っているように思えた。
「アサギちゃん。上位の魔法を覚えたい? それとも、出来る限り多彩な魔法を覚えたい?」
「え?」
近寄ってきたホーチミンに、アサギは首を傾げると聞き直す。
「多彩?」
「えぇ。まだアサギちゃんが知らない魔法があるわ。個人的に、何処まで相反する魔法を覚えられるか見てみたい気もするな」
「そうなんですね。私に出来るなら、やってみたいです! 頑張りますから」
微笑むアサギの髪をそっと撫でると、ホーチミンは影縛りの魔法を教えることにした。攻撃補助魔法であり、ムーンが街中で使用したものである。
知識が増えることは、アサギにとって愉快な事だった。夢中で励んでいると、ハイに呼ばれる。
「そろそろ昼食にしよう、おいで」
三人は芝生に座り込むと、香り良い食事に胸を躍らせた。挽肉に海藻を混ぜ込み作ったダンゴのスープと、パン、それに果実が並んでいる。
「午後も頑張るから、たくさん戴きましょう」
「はい!」
三人は談笑を交え、食事と少しの休憩をとった。
意欲的なアサギの前向きな姿勢か、それとも素質か。影縛りは無論、防御壁を出現させ魔法を跳ね返すことも出来るようになった。
恐ろしい習得の早さに、ホーチミンが呆気に取られる。
「ここまで有能だと、禁呪も教えたいわ……」
「きんじゅ、ですか?」
「えぇ。禁術はね、魔法が持ち主を選ぶの。私は一つも扱えない。世界には特定の人物にしか扱えない魔法が、幾つか存在するのよ。明日図書館で調べるから、アサギちゃんの特訓はお休みをいただくわね。ハイ様が教えてくれるでしょう」
ホーチミンの胸が弾む、勇者など辞めさせて、自分の弟子に引き込みたいくらいの逸材だった。すぐに追い抜かされてしまいそうだが。
楽しそうにくるくると表情を変えて励んでいるアサギを見て、ハイも満悦している。
没頭し、気づけは周囲が暗くなっていた為、結局三人はこのまま夕飯を食べに食堂へ向かった。
相変わらず賑わっているが、知り合いの顔を見つけられず、ホーチミンは眉を顰める。
「めっずらしー。アイセルなんか、毎日ってくらい、ここで酒呑んでるのに」
しかも、スリザもサイゴンもどう見てもいない。スリザの親衛隊は隅に陣取り、こちらを見ているというのに。
食事を口に運びながら告げたホーチミンに、アサギが不安になる。
「大丈夫でしょうか? 何かあったのでは……」
「気にしなくていいわよぉ、そのうち来るから」
けれども、結局会うことはなかった。
「会えませんでしたね」
「ふむぅ。……ま、こんな日もあるわよぉ! じゃあ、またね」
ホーチミンは欠伸をこぼし、胸に引っかかりを感じつつも自室に戻った。
翌日、アサギはハイと二人きりで魔法の訓練を始めた。
アレクとリュウが観に来ていたが、そこにスリザの姿はない。それに気付いたアサギは、不安げにハイに伝える。
「変です、ハイ様。アレク様の近くに、スリザ様がいらっしゃらないんです」
「たまには、そういう時もあるだろう」
落ち着かないアサギの気を紛らわす様に、ハイは懸命に魔法を教えた。
だが、アサギが想像した通りに甘い授業になってしまった。ことあるごとにハイが褒めちぎるので、進むのが遅い。
「流石は私が見込んだアサギだ! これすらも容易く覚えるとは。いやぁ、実に素晴らしい! 可愛い!」
「あ、あの、ハイ様。次の魔法を教えてくださ」
「先程の腕の動き、よかった。実に滑らかで、麗しい」
ホーチミンが教師がいいな、と軽くアサギは溜息を零し項垂れる。
澱んだ紙の匂いの中、ホーチミンは朝から図書室で調べ物をしていた。涼しい顔をしているが、内心では踊り出したい衝動に駆られていた。
昨日のアサギを見ては、仕方がない。あんなにも育て甲斐があるとは、思わなかった。
「あら」
見知った背中を見つけ、小走りで近寄ったホーチミンは、サイゴンの肩を軽く叩く。
「うわっ」
「……珍しい組み合わせね、何してるの?」
サイゴンとアイセルは振り返ると、気まずそうな表情を見せる、
図書館にこの二人が居るなど有り得ない、ホーチミンは瞳を細め、問い質す様に睨み付ける。
アレクからはホーチミンに話をしてもよいと言われていないので、対応に困った二人は気まずそうに顔を見合わせた。
「……野暮用」
サイゴンは嘘がつけない性質で、必死に目を逸らす。
「怪しい」
不審な二人に、ホーチミンは猜疑の眼を向ける。
喉を詰まらせたサイゴンに、アイセルはそっと耳打ちした。
「上手く話しを逸らせ、丸め込め! 口付け一つで大人しくなるさ」
「く」
無茶振りし、アイセルは全速力で図書館を飛び出した。薄情に思えるが、逃亡したわけではない。今後も面倒なことが目に見えているので、アレクに指示を仰ぎに行った。ホーチミンは信用できる人物だと、胸を張って言える。また、今はアサギに魔法を伝授している最中であり、二人の傍で周囲を窺う事も出来る。
打ってつけの人材だ。
消えたアイセルを目で追うこともなく、ホーチミンは仁王立ちでサイゴンの前に立ち塞がる。
萎縮したサイゴンは、頭を抱えたくなった。
「で? なんで二人でここにいるのよぉ」
「いや、だから。うん、偶然」
「さっきは野暮用って言ったじゃないっ! そもそも、偶然で、剣士と武術師が図書館にいるのぉ!? アンタ達、本を読まないでしょ!? ここで、逢引してたんじゃないのぉ!? 昨晩だって、実は一緒だったんじゃないのぉっ!?」
「お、おぃっ! 気味悪い事言うなよ! どうしていつも恋愛ごとに持っていきたがるんだっ」
サイゴンは、一気に粟立った腕を全力で擦った。想像したくもないが、他人に想像されるのも嫌だ。
「なら説明してよっ」
「お前こそ、どうしてココにいるんだ? アサギ様の面倒を見ている筈じゃ」
「アサギちゃんの魔法を探しに来ているのっ! ホラみなさい、私の居留守を狙って、ここで密会を」
「違うってのっ!」
金切り声のホーチミンの背後から、「図書室ではお静かに!」と重低音の声が降りかかってきた。見てみぬ振りが出来ず、青筋を浮かせた管理人が恐ろしい形相でこちらにズンズンと突き進んで来る。彼は、二人を有無を言わさずつまむと、外へと放り捨てた。
管理人は、基本筋肉質である。こういった時に備えてではなく、多大な本の片づけをする為に力が必須となる。それこそ、材木を楽々運んでいそうな雰囲気の男だ。
問答無用で容赦なく投げ出され、床で打った腰を擦りながら、ホーチミンは項垂れて廊下の壁にもたれこんだ。
「女性には優しくしてよね」
嘆いて唇を尖らせる。しかし、『お前は男だろ』といつもなら間入れず飛んでくるサイゴンの突っ込みが今日はない。
余計に怪しい。
「あーあー、どうしようかしら」
「アサギ様なら、急がなくても待っていてくれるさ。じゃな、頑張れ」
そ知らぬ顔して立ち去ろうとしたサイゴンの衣服を、ホーチミンが思い切り掴んだ。
「逃げないでよ、暇になったから責任とって」
「俺は忙しい。じゃ!」
しかし、逃げられない。
衣服がガッチリと掴まれている。
「お前、こういう時だけ男の腕力使うなよ。いつもは『私か弱いからぁー』って言ってるだ」
呆れてホーチミンを見下ろしたサイゴンの瞳に、ホーチミンの端正な顔が映った。間近に迫ったその顔に一瞬見惚れると、声を出す間もなく唇を塞がれる。
「っ!」
チュ、と軽い音が耳の奥に響いた。
触れた唇は柔らかで、そして甘い。
事態を飲み込めず唖然としていたサイゴンだが、頬を染めて微笑んだホーチミンが悪戯っぽく片目を閉じ走り去ると、放心状態ながらも自分の唇に指を添える。
「う、うわあああああああああああああああっ!?」
絶叫は、図書室の管理人にも無論届いた。怒りで唇を震わせながらやって来ると、サイゴンの頭部を分厚い本で殴る。
「図書室の近くも、お静かに!」
本気で殴られたが、痛みなど感じなかった。それどころではない。
唇を必死に擦り、顔を真っ赤に染めて一目散に走り出す。姉とは幼き頃、挨拶代わりの口付けを交わしていた。だが、大人になってから、しかも赤の他人とは初めての口付けだった。
「トビィ! 助けてくれえええええっ」
混乱し、この場に居ない物に救いを求める。
トビィがいたところで、解決にはならないが。
サイゴンは、ひたすら走った。今どんな顔をしているのだろう、解らないが誰にも見られたくない。ただ、口元が緩んで、顏が燃える様に熱い事だけは自覚している。
「サイゴン!?」
どのくらい走ったのだろう。
名を呼ばれ、硬直する。恐る恐る振り返ると、アイセルとアレクが不思議そうな顔つきで立っていた。
「ご、御機嫌麗しゅう……」
片膝をついて畏まるサイゴンに、二人は目を丸くする。
乱れた呼吸を心配するアレクだが、アイセルには大体予想がついていた。サイゴンの心情が大きく揺れる時、それはホーチミンが大きく関係する。先程『口付けでも』などとからかってしまったが、本当に実行してしまったのか。
複雑な心境で、申し訳なさそうに頭を垂れているサイゴンを見る。
「先刻の件。ホーチミンにも話をしておいて欲しい」
戸惑いがちに告げたアレクに、牙をむく勢いでサイゴンは面を上げた。
その形相に、アイセルが唖然とする。長年付き合ってきたが、怒りの感情を表面に出しているサイゴンを初めて見た。
微かに瞳を開いたアレクに、肩を震わしながらサイゴンは告げる。
「あいつとて、女です! 次の標的にされるやもしれませんっ」
僅かな沈黙の後、躊躇いがちにアレクが開口する。
「ホーチミンは……男であろう?」
すんなりと否定したアレクに、咄嗟にサイゴンは自分の口元を塞いだ。今、自分が何を言ったのかようやく悟ったかのように。
瞬間、アイセルが固唾を飲んで親友を見下ろす。
静まり返る廊下で、サイゴンは赤面しながら腕で自分の顔を覆い隠した。何も言えずに、縮こまっている。
「男であろう? 美しいが」
悪気はないものの、アレクは繰り返した。極端に色恋事に疎いことが、裏目に出る。
軽い溜息を吐き、アイセルは肩を竦める。サイゴンは、口では拒絶していてもホーチミンを意識しているのだろう。それに気付く何かが、先程起こったのだろう。傍から見ていて、二人は似合いだと思っていた。男同士だが、客観的には相思相愛の男女に見える。
穴が合ったら入りたいとばかりに項垂れているサイゴンが不憫で、アイセルは機転を利かせ助け舟を出した。
「アレク様、俺から話をしておきます」
「あぁ、頼む」
平伏したまま二人の会話を聞いていたサイゴンは、悄然としていた。まさか、自分の口からあのような言葉が飛び出すとは。ホーチミンが不在だったことが、不幸中の幸いだ。聞かれでもしたら、畳み掛けられるだろう。
アレクが去っていく足音をぼんやりと聞いていると、「今晩、詳しく教えろよ」と、アイセルが囁く。
「ぅぐ」
サイゴンは観念したように項垂れ、小さく首を縦に振る。二人が去っても、暫くその場から動けずにいた。
「憂鬱だ」
走馬灯の様に先程の口付けが甦り、悲鳴を上げそうになる。
一体、何に怯えているのか自分でも解らない。怒りはない、嫌ではなかった。
「多分、俺は」
関係が壊れるのが嫌だったのだろうと、自覚する。ホーチミンの一方通行であれば、向こうが飽きれば去っていくだけだった。しかし、受け入れてしまうと、どう接してよいのか解らない。何より、何れは別れが来てしまうのではないかと、余計な不安要素が生まれてしまう。
難しい事は、苦手だ。
「でも、きっと。ミンだって勇気を出したんだよな……」
今まで、嬲り弄ぶような態度をとっていたホーチミンだが、実力行使には出なかった。
おぼつかない足取りで立ち上がると、壁に手をつきながら歩き始める。
「疲れた、なんだかすごく疲れたから眠りたい」
ふと、下の中庭を覗けばハイとアサギが魔法の訓練をしている。躊躇し右往左往していたが、気分転換にそちらに顔を出す事にした。何より、ハイにもスリザの件を伝えねばならない。階段を下りるのが面倒だったので、手すりから一気に庭へと跳躍する。
上から降ってきたサイゴンにアサギは若干驚いたが、すぐに屈託のない笑みを浮かべて会釈をした。
気怠いが、気分を紛らわそうとした。どのみち、唇にはまだホーチミンの感触が残っている。このまま倒れ込んでも、眠れないだろう。瞳を閉じると、 唇を離した時、頬を桃色に染めて、恥ずかしそうに肩を竦め上目遣いでこちらを見ていたホーチミンが甦る。それは、非常に可愛らしかった。
目の前のアサギよりも、可愛いと思ってしまった自分に驚く。
「いや、あれ、男だから。しっかりしろ、俺」
言い聞かせる、暗示をかけるように。
ハイが忌々しそうに睨んできた為、引き攣った笑顔で応対する。咳を一つし、機嫌を損ねないように声をかけた。
「お二人で訓練ですか、ご苦労様です」
「こんにちは、サイゴン様」
朗らかなアサギの後方で、陰惨な雰囲気を醸し出しているハイが、左手に魔力を籠め始める。邪魔された事をやっかんでいるのは解るが、故意ではない。
「ハイ様。アレク様から伝言がございます。少々お時間戴けますか」
「時間など、ない。面倒だ、ここで言え」
「……お耳拝借」
サイゴンは、微かに眉を顰めてアサギを見る。余計な心配をかけたくないので、内密にしておきたかったが仕方がない。ハイはてこでも動かないだろう。
アサギの目の前で、二人して密かに話し出す。
当然、アサギは軽く首を傾げた。自分に聞かれては困る内容だということは、目の前の光景で嫌でもわかってしまう。知りたいが、遠慮して一人で黙々と訓練を開始することにした。勇者なのだから、ある程度情報を隠されてもい、と自分に納得させる。けれど、少し寂しい。やはり自分は仲間に入れてもらえないのだろうかと、杞憂してしまう。
地面に手をつき、体内の気の流れを探るように意識を集中させていた。
「以上です。ハイ様もお気をつけください。そして、アサギ様にも十分注意を」
「成程、巫山戯た輩は返り討ちにしてくれる」
サイゴンから事情を聞き終え、ハイはより一層アサギを護る使命感を深く心に刻み込んだ。鼻息荒く仰け反ると、得体の知れない敵に牙を剥くように睨みを利かせる。
些か張り切りすぎではないかと不安になったサイゴンだが、一礼すると別れの挨拶をする為に口を開く。そんな時だった。
パン!
何かが爆ぜた音に、慌てて二人はアサギを振り返った。言っている傍から敵の襲来かと思ったが、そうではない。
唖然と見つめる、二人の視線の先で。
「何をした……アサギ」
ハイの絞り出した声に、アサギは返答しない。ただ、惚けたまま庭を見つめている。
百花繚乱、庭に美しい花が一気に咲き誇っていた。
ハイは見た事がない花々に、感嘆の溜息を漏らした。
アサギには馴染みの光景だ。樹から舞い落ちる桜吹雪は美しき日本の風景、下では紫陽花に桔梗、山百合が凛として佇む。四季に捕らわれない、普通ではありえない光景がそこに広がっている。
「……あの、私。何をしたんでしょう」
小声ではあったが、そこに脅えは混じっていない。
地面に手をつき、ホーチミンに昨日教わったように神経を集中させていた。それだけだ。アサギは自分の両手をしげしげと眺めた。
それは、危険な魔法ではない。寧ろ、心を温かく和やかにしてくれる魔法だ。無言で三人は花香る庭に佇む。攻撃でも、補助でもない、ただ、瞳と心を癒す魔法。
先日、ロシファが似た様な魔法を披露していたことをハイは思い出した。
「アサギ、そなたひょっとして最も得意な魔法は土属性なのでは」
「土、ですか? えーっと、石の飛礫を敵にぶつけたりとか?」
「左様。簡易な地震を発生させたり、植物の蔓を使って敵を絡めたりなど出来る。土の魔法は種類が豊富だが、瞬時に花を咲かせられる者が居たとは」
険しい表情で低く呻くハイだが、すぐに鼻の下を伸ばして緩んだ顔を見せる。
「まぁ、アサギは美しいから。花に好かれるのも無理はない」
という単純な結論に達した。
「この魔法、素敵ですけど勇者には関係ないのでは」
抑揚のない呟きを零すが、それでも目の前の花々に罪はない。それに、何より美しく、気持ちが落ちつく。
ハイもサイゴンも桜を知らないので、吹き乱れる薄桃色の可憐な花弁に圧倒された。
アサギは、そんな二人を見て口元を緩めて小さく笑った。使いたくて使った魔法ではないが、人の目を楽しませることが出来て嬉しく思った。
暫し、庭で寛ぐ。
しかし、こうして花見をしていると口元が寂しくなるというもの。
サイゴンは気を利かせ、飲み物の調達に向かった。大股で颯爽と歩いていると、アレクがやって来る。
「アレク様! アサギ様が驚くべき魔法を使いましたよ! 是非庭へ、今、飲み物をお持ちします」
「そうか、解った。どのみち、ハイに用事がある」
サイゴンは、大急ぎで四人分の、紅茶に果実の搾り汁を混ぜ込んだものを運んだ。戻れば、アサギがまた庭を変化させている。先程よりも花の種類が増えていた、恐らくアレクに頼まれて同じ様に魔法を使用してみたのだろう。どれだけ庭に花を咲かせるつもりなのか、とサイゴンは微かに笑った。
「あぁ、ホーチミンが観たら歓喜の悲鳴を上げそうだ」
少し残念そうに、呟く。
「サイゴン。ハイと席を外す、アサギを護衛していて欲しい」
「は、はい」
飲み物を手渡していると、唐突にアレクにそう告げられ狼狽える。顔を強張らせながら恐る恐るハイを見やると、不服だが仕方ないと軽く頷いていたので安堵する。
深く一礼して二人の魔王を見送ると、庭で遊んでいるアサギを見つめる。
非常に美しい女の子だ、それこそ、自分の理想通りの。腕を伸ばせば蝶がやってきて、指先に止まる。何者からも愛されているようで、確かに特異だとは思った。
今更だが、未だに勇者に見えない。素質は十分過ぎるほど持ち合わせているのだが、違和感がある。
魅入っていると、アサギがこちらに笑顔で近寄ってきた。
「サイゴン様」
「はい、いかがされました」
蝶と戯れながら近寄ってきたアサギは、眩しい笑顔で度肝を抜くような台詞を吐いた。
「良い機会なので、剣を教えてください」
……無理ですっ!
サイゴンは即答しようと思ったが、泣かれたら困ると思い直し、冷や汗をかきながら無言でアサギを見つめ返した。ハイに見つかれば大目玉だ、恐らく死刑宣告されるだろう。
だがアサギの願いを断れば、それはそれでハイが怒り狂うだろう。『何故悲しませた』と。理不尽である、どうしたものか。どちらに転んでも、自分には不幸しか降りかからない気がして、身が引き裂かれるような苦痛を味わった。
「あの、駄目でしょうか?」
大きな瞳で上目遣いに見てきたアサギに、その表情は反則だと心中で悲鳴を上げる。故意ではないと、願いたい。
「い、いえ。俺でよければ」
上ずった声で返答したサイゴンは、腹をくくった。勇者の剣技を見たい好奇心もあるので、決意する。何より美少女の願いは無下には出来ない、拒否不可避である。
「では、こちらを使いましょうか」
腰の鞘から剣を抜くと、丁重にアサギに手渡した。
「お、重いですね……」
辛うじて両手で剣を支えたアサギは、苦笑した。
「まずは素振りをしてみましょうか。剣がこれしかないので重いでしょう、無理なく」
「はい!」
サイゴンは片手で楽に剣を振るうが、やはりアサギには厳しい。けれども、懸命に両手で構えて振り始めたので、瞳を細めてそれを見つめる。
久し振りの運動が嬉しく、アサギは熱心に素振りをした。剣を握る感覚も、重みも楽しく感じられる。
足元がよろけてはいるものの、構えの姿勢は上々だったのでサイゴンは声をかけた。
「上手ですね、誰かに習いましたか?」
「はい。みんなが教えてくれました」
やがて慣れたのか、アサギは剣で舞うかのように空気を斬りながら受身を取り、一人で型を作り始める。相変わらず両手で支えているが、見事だ。それはサイゴンの剣だが、アサギに従属しているようにさえ見えてくる。
身体中が充実感で満たされているサイゴンだったが、不意に懐かしさが込み上げた。
トビィを思い出した。当初、彼もこうして剣を両手で扱っていた。
新しく出来るかもしれない二人目の人間の弟子に、サイゴンは口元に笑みを浮かべる。
けれども、どうにも腑に落ちない。目の前のアサギが、トビィに見えて仕方がない。切り返しや、身体の反転の速度が非常に似ている。
「いやー、トビィにそっくり」
「え?」
何の気なしに呟いたサイゴンに、アサギの手が止まった。息を切らせながら首を傾げると、控え目に開口する。
「トビィって、あの、紫銀の髪のですか? やたらかっこいいお兄さんの?」
「へ? トビィを知っているのですか?」
二人は目を数回瞬きし、互いの顔を指差した。
「え? どうして?」
「え? 会った事が!?」
偶然ではなく、必然。
ようやくここで、トビィを介して二人が繋がる。
混乱する二人を、上からリュウが見下ろしていた。つまらなそうに、けれども嫉視する。