無垢の静炎~ケンイチ~

文字数 18,364文字

 稲妻の様に鋭い視線を男から外さず、ムーンとブジャタが詠唱を開始した。じわじわと緊張感と焦燥感が脚から這い上って来る、目の前の相手が自分達を凌ぐのではないかという恐怖が先立つ。たかが盗賊だと気を緩めていた自分を呪った。
 ユキも精一杯強がり敵を睨みつけながら詠唱を始めているが、二人程上手くはいかない。足先が冷たく、指先も上手く動かない、集中力が鈍っている。
 後方で鍋が吹き零れそうになりながら沸騰している、怪しい光が時折漏れ、男の背後が後光によって曝け出された。
 これまでにない妙な重圧感だった、流石にブジャタとて冷や汗を流した。高等な魔術師だとばかり思っていたが、軽装備の下には屈強な筋肉が潜んでいることが遠目でも分かる、先程の身のこなしといい、武術も嗜んでいる様だ。
 厄介だ、最悪の敵だと思った。今のケンイチではこの目の前の男と対等に戦えるだけの技量が、ない。トビィかライアンで互角に思える。

「目的は何ですか?」

 ジリジリと、間合いを詰めながらケンイチが問う。
 顔色変えず、男は意外にもすんなり答えてくれた。

「別に。頼まれたから製作しているだけだ、目的は依頼者に聞いてくれ、俺は雇われただけだからな」

 話は分かる相手だと踏み、ケンイチは駄目もとで賭けに出る。

「止めてください、とお願いしたら……止めてくれますか?」
「それは断る、金が必要なんだ」
「でも、それを作っていると罪のない人達が苦しむし、殺されたりもするんです」
「俺の知ったことではない。しかし……まさか、子供に老人がここへ来るとは思わなかった」

 右手で剣を構え、四人を瞳を細めて見つめながら、男は表情を変えずに淡々と告げる。

「他言無用と……約束するならば生きてこのまま帰そう、立ち去ると良い。が、そうでないのならば鍋に放り込む」

 流石に良心の呵責を感じたのだろう、しかし、このまま逃げるわけにはいかない。

「どちらも断る!」
「そうか、残念だ」

 ケンイチの意思を確認すると、言い終わらないうちに男が突進してくる。
 舌打したブジャタが杖を振り上げ、腹の底から声を出した。

「ムーン殿、ユキ殿! 続けぃ!」

 氷塊を男に向けて飛ばすブジャタに、ムーンとユキも風の魔法で勢いを増すように連続で追撃する。
 けれども、男は左手を前に差し出し、瞬時に炎の壁が出現させる。氷塊を相殺し、魔法を楯代わりにしてものともせずに突き進んでくる。
 両手で剣を構えたケンイチは、振り下ろされた剣を右足に力を籠めて渾身の力で受け止めた。

「う、わっ」

 想像以上に重い、両手が一気に痺れたが、歯を食いしばりながら辛うじて持ちこたえた。だが、追撃されればケンイチは逃れられないだろう、そんな余裕は残されていない。
 男を囲むように瞬時にムーンとブジャタが左右に立つ、同時に氷の魔法を再度唱え注意を魔法へと向かせた。その隙にユキがケンイチの後方で回復の魔法の詠唱に入り始める、万が一に備えてだった。
 飛んで来た氷塊に舌打ちし、流石に左右から来ては逃れられないと判断したのか、剣を仕舞うと後方へと飛躍し逃れる。
 二つの氷塊はケンイチの目の前で激突した、目を瞑り地面に転がって辛うじて余波から逃れるケンイチに、ユキが回復魔法をかける。
 連携は完璧だが、この四人では敵の攻撃に耐えられない。防御ですら危ういのに、攻撃など出来るわけげない。

「教えてください。あの球、破壊する手段はありますの?」

 ムーンが杖の矛先を敵に向ける、直ぐにでも次の魔法の発動が可能だ。しかし、息は上がっている。久方ぶりに生きた心地がしない、まるで惑星ハンニバルで敵に追われていた時の様だ。平和な惑星クレオに順応していた自分を責める。
 男はムーンを見つめながら、他人事の様にしれっと答えた。

「ある」
「教えてくださいまし」
「断る」
「でしょうね。ですが、貴方からは悪意を感じませんので……私、少々やり難いです」
「甘いな、お嬢さん」

 あまりにも、冷静なその男。しかし丁寧に受け答えしてくれるし、会話も通じる。先程の盗賊達に比べると気品があり、何者なのかさっぱり検討がつかない。そして全力でかかれば自分達など、あっさりとねじ伏せられるような力量の持ち主である気がしてならない。まるで、こちらが撤退するのを待っているようだった。
 こんな敵が立ち塞がるとは予想外だ、瞳には何か決意を宿している。とてもあの盗賊達と同じ一味とは、信じがたい。
 ムーンは説得するしかないと判断し、言葉を選びながら向き合った。

「私はムーンと申しますわ。何故、お金が必要なのですか? 報酬の為に依頼を受け、こうして球を作っているのですか?」
「黙秘させていただこうか、ムーン。私は“バリィ”」

 本名ではないかもしれないが、名を教えてくれた男バリィ。やはり悪党には思えない。

「貴方ほどの腕前ならば、傭兵でも護衛でも難なくこなせるでしょう? 何故この道を」
「巨額の金がいる、それだけだ」
「いくらかの? そちが製作を止めてくれるのであれば、儂が支払おう」

 ムーンとバリィの会話に横からブジャタが口を挟んだ、はったりも良いところだった、巨額など持ち合わせていない。けれども、ブジャタには算段がある。
 怪訝に眉を寄せ、バリィは溜息を吐く。

「市民が払える金額ではない」
「言ってみな解らんじゃろ? 何かに必要な金なんじゃろうなぁ、そち自身はうろついていた盗賊達とは違い、質素な生活で満足しそうな素朴な男に見える。となると……」
「何処かの貴族か国王でないと、不可能な額だ」

 ブジャタをつま先から頭まで見つめ、バリィはそう小さく零した、到底高貴な人物には見えなかったのだろう。衣服とて確かに丈夫そうだが特に高価な布ではない、確かに平民よりかは上の人物には思えたが。
 しかし、それにブジャタは満足そうに頷いている、低く笑った。

「名はブジャタ。現ディアス市長直々の参謀兼指導係じゃが……不満はあるかの? 条件次第ではそちの言い値を払おうぞ」
「ディアス市長!?」

 声を張り上げるバリィの様子でディアスという街があることを知ったケンイチ達だが、ブジャタがそこのお偉い様だとでもいうのだろうか。はったりではないのか非常に不安を感じるムーンであったが、気にも留めずブジャタの口から次々に衝撃的な言葉が飛び出る。

「ディアスでは、近年増加する魔物や魔族から大切な市民を護るべく、屈強な戦士を募集しておるのじゃ。単に強いだけではなく、賢く、品行良い戦士を、な? そち、相当な腕前の魔法戦士と見たが、どうじゃ。今現在の胡散臭い仕事を放棄し、ディアスへ来てみては? もしくはその球、回復系にはならんのかのぉ。その研究ならば許可を出そう、広まっているやもしれぬ球の回収にもそちが必要になると思われ」
「……ディアス」

 混乱気味に頭を押さえるバリィは、ブジャタの言葉に相当揺れているようだった。
 ムーンは思った、バリィは“金があれば”こんなことはしない真面目な人物であるに違いない、と。深い事情があることは明白だ。そして、本人もこの仕事を疎んでいる。
 幾度か口を開きかけてはまた噤み、相当困惑しているバリィに、ブジャタは追い討ちをかける。

「……いくらじゃ、そろそろ話されよバリィ殿。そちほどの者が金が要る理由はなんじゃ。家族か、恋人か」

 語尾を強めたブジャタは、射抜くように視線を投げる。
 ビクリと大きく身体を揺らし、バリィの顔色が変わった。震える唇を噛み締め、俯く。
 非常に解り易い純朴な男だ、どちらかが原因なのだろう。

「その好意は、有難い。そして、正直甘い誘惑の条件を飲みたいのも確かだ。だが、断る」
「何故じゃ」
「組織から抜けられるとは思えない、組織にはあの球が必要なのだ」
「ふむ」

 やはり、組織。
 髭を撫でながら組織という言葉にブジャタは目を細めた、鍋に視線を移す。

「ここを壊滅させようかの。そちはここで鍋を護って死んだことにしておくのじゃ、家族か恋人の為にここまで手を汚して……それを知った人は悲しむと思うがのぉ。その球のせいで、昨日は死者とて出ておる」

 息を飲みながらやり取りに聞き入る三人は、ブジャタに全てを委ねた。目の前の人物とは戦いたくない気持ちがあるので、祈る思いでバリィを見つめている。どうしても、彼が悪人に見えない。
 巨漢だが、今はとても小さく見える。居た堪れない気持ちになってきた。

「……母と妹が病に伏せている、その治療費が必要だ。父は、同じ病気で他界している」

 苦し紛れに小声でようやく真実を漏らした、思わずケンイチは腕を伸ばす。バリィが、泣きそうに見えたからだ。 

「ふむ、薬を買う金が要るのじゃな? どんな病気じゃ?」
「全身に発疹が出て、高熱が下がらない。半年が経過している」
「はんと、し?」

 ケンイチが復唱すると、悲痛に顔を歪め、手で覆い隠しながらバリィは続けた。

「死の三十日、と呼ばれる病気だ。三十日間苦しみ抜いて死んでしまう。しかし、高額な薬さえあれば、辛うじて生きながらえる」

 ムーンは眉を顰めた、“死の三十日”という名がついているのに、生きながらえるとは妙ではないのか。どうにもそこが引っかかって仕方がない、ブジャタも同意だ。

「母上と妹君はどちらに? 自宅か、病院か?」
「組織が用意してくれた病院に居る、定期的に病状報告がここへ届けられる」

 つまり、半年以上二人にバリィは会っていないのだろう。胸騒ぎがしてきた。

 ……本当にその二人、生きているのだろうか? 

 静まり返ったその場で、ケンイチとユキも不安そうに互いに顔を見合わせる、思うことは皆一緒だ。

「そのような病名、知らぬ。地方によって呼び名が違うのかもしれんが。バリィ殿の故郷では有名な病気かね?」

 あくまで病気を否定し、ブジャタは問う。
 バリィは首を横に振った。

「一年ほど前から、村の人々が高熱を出した挙句、死んでしまう事態が発生した。街から有名な医師を呼び、診察してもらったが事例がないとのこと。村中の金を集め、様々な医師を招いたらば、ようやく古い文献にその記載を見つけた医師が現れたのだ。そうこうしている間に村中で発病が始まった、俺も感染している可能性があるから、発病を防ぐようにと薬を毎晩飲んでいる次第だ。大勢死んだ、生きている者達を救う為に皆で金を稼ぐことにし、地方に散らばったのだ。俺を含めて、たったの四人だがな、当時健康体だったのは」

 社会の教科書を瞬時に思い出し、ユキは瞳を閉じた。思い描くのは現代、地方の奇病と言えば地球、日本にも存在する。工場排水が原因の病気が幾つか思い浮かんだ、医学ならば地球のほうが当然発達している。
 あれらの原因は水を媒介にして、もしくは食料から体内へと有害物質が取り込まれたから、である。

「あ、あの。バリィさんの故郷にはその、ええと。鉱山があったりとかします? もしくは急激に増えた生物がいませんでした?」

 控え目にユキが問う、不思議そうにブジャタは視線を送ったが一旦自分は下がる事にした。

「面白い事を言う子供だ。特にはない、普通の村だ」
「何もないのに、突然病気が流行り始めたんですか?」
「あぁ、そうだ。村の古文書を皆で読み漁ったが、それらしい記述は出てこなかった。前例がない。医師が持ってきた文献では、その病気によって一つの村が死滅したことが書かれていた」

 ユキは腕を組んだ、思い出している。

「病気って、何かが運ぶものなんです。例えば汚れたネズミが病原菌を撒き散らす……そうですね、動物が菌を運ぶ事が一番多いかもしれません。もしくは汚れた水を飲んだり、その水に住むお魚とかを食べたりして菌を体内に入れる場合もあります」

 もしくは、他からやってきた人が病気に感染していた場合だろうか。
 バリィの片眉が動いた、鋭利な眼光でユキを見据える。

「……何が言いたい」
「それ。本当に病気ですか?」

 ユキの結論に、ケンイチも同意する。そして聞いていたムーン、ブジャタも結論は同じだった。

「何者かが、バリィ殿の腕を買って村中に菌を撒き散らしたのではないか、ということじゃ。これを作らせるためだけに、の。大規模な人質じゃて」

 静寂と共に、バリィの顔色が変化する。

「問いますぞ。バリィ殿含め、四人の無事な方々の性別と年齢は?」
「年齢と言われても。バラバラだ」
「皆、バリィ殿と同じ様に屈強な体力に自信がある方々ですかの?」
「いや、虚弱な神父に、肥えた村長、その奥方、そして俺だ」

 真っ先に感染しても良さそうな神父が無事な時点で、違和感を感じ得ない。
 ブジャタが首を横に振り、力なく項垂れる。

「止めじゃ、バリィ殿。あんたは早急に母上と妹君のもとへ戻るべきじゃて。場所は解るのじゃろう?」
「遠い」
「何処じゃ?」
「シポラ近辺だ、船がないと渡れない」

 地名を聞いた瞬間に弾かれたように叫ぶ四人の気迫に、バリィが一歩後ずさる。

「まずい! 罠だ!」
「バリィ殿、シポラは現在妙な邪教徒で溢れておる本拠地ですぞ!? くぅ、ここでこう繋がったか!」

 ムーンがバリィに駆け寄り、引き攣った手を強引に掴んで引っ張ると簡単に説明を始めた。
 身体を震わすバリィは青褪めた様子で口元を押さえる、最初は訝し気に聴いていたが、見ず知らずの、それも敵として対峙した自分に熱心な四人が嘘をついているとは到底思えなかった。本来この男は無骨で無愛想だが、心根の優しい青年だ。

「憶測じゃが、バリィ殿の腕を見込んでその力量欲しさに何者かが糸を張り巡らせたのじゃ。情に厚いバリィ殿の性格を見越して、徐々に身体を蝕む菌を村に撒き散らす。一部の者はかからないようにして……菌の形態によっては可能じゃな。村を救おうと躍起になっているところへ、さも治すべく現れた医師ならば。皆奇跡が起きたと医師を疑わず……簡単に騙せるじゃろう。バリィ殿、一年以上前にそち、何処かでその腕を見せんかったか?」
「村から出た事はない、しかし。……二年ほど前か、数人の旅人が来て魔物から護ったことがあったな。元々、自給自足の村だから何でも出来るように躾けられている。父が剣に優れた人で、母が術師だった」
「サラブレッドなんだ」

 ここまでくれば話は簡単だ、シポラを目指している別の仲間がいることを告げ、合流すべく四人とバリィは立ち上がった。
 まだバリィは戸惑っている雰囲気だが、その心中がざわめき始めていることは見て取れる。

「あの球、世界に普及しているの?」

 控え目に訊いたケンイチに、バリィは頷く。

「恐らくは」
「破壊方法は!?」
「聖水に漬け込むと聞いた、やったことはないが……」
「ともかく、今ある球だけでも破壊しよう!」

 ケンイチが言うことは最もだが、根本を叩かねばならない。

「あの鍋の破壊が先決じゃ! 液体の中身は何じゃ?」
「解らない、用意されていた。追加で生きた人間が必要だ」

 言いにくそうに言葉を吐いたバリィに、一瞬沈黙が訪れる。それで先程『鍋に放り込む』と言ったのだ。
 雷に撃たれたように硬直し、言葉を失う。
 ユキが眩暈を起しそうになり、ケンイチに背を支えられた。

「まさか、さっき球に吸い込まれた盗賊は、その、材料?」

 顔面蒼白のケンイチも、ユキの隣で唖然と呟く。
 唇を噛み締め、バリィが肯定するように小さく頷いた。先程の盗賊はすでにあの鍋の中、ということか。

「禁呪に近いですぞ! やはり贄が必要だったのじゃな、一体、誰がこのような物を……。ともかく、皆であの鍋を壊すのじゃ!」

 液体の中身は全く見当がつかない、触れるだけで危険に思える。
 術師三人が前に出て、一斉に手持ちの魔法で最も強力なものを発動する。剣で叩き割ったほうが早そうだが、噴出してきた液体で怪我をしかねない。触れたら何が起こるか解らない、危険すぎた。ゆえに、液体がかからないよう、遠方から頑丈な鍋に渾身の魔法を喰らわせた。数回続けると、ようやく罅が入る。
 ケンイチは他の情報を訊く事にした、観念したバリィは包み隠さず話してくれる。この仕事にも嫌気が差していたのだろう。

「六種ある球。一つは大蛇を出現させ、一つは人間捕獲? の効果かな。残りは?」
「人間十人に対して、一つの球が完成する。琥珀色が大蛇、あれは最後に生きた蛇を大量に鍋に投げ込んで製作可能になる。瑠璃色が吸収、お前達が見た吸い込まれた盗賊はその球のせいだろう。これが最も難解な製作だ。珊瑚色が大鷲、萌黄色が触手、群青色が死人、漆黒が毒霧だ」

 物騒なものばかりだ、「冗談じゃないよ!」ケンイチが声を張り上げる。
 しかし、バリィを責められない。彼は必死だったのだ、家族の為に。確かに間違った選択だろう、村を救う為に他の人を犠牲にして良いわけないのだ。だが、家族を深く愛しているこの目の前の男を、糾弾出来ない。

「他にも近くに鍾乳洞がありますよね? そこにも何かあるんですか?」
「知らされていないので答えられない、悪い」

 他の場所も念の為調査に行くべきだろう、目の前で崩壊する鍋を見つめてケンイチは決意した。
 しかし、シポラ。あまりにも行動範囲が広く、愚劣だ。まさか盗賊達を調べてその地名が出てくるとは、思いも寄らなかった。球を与えられている盗賊も、上手い話があるからと引き込まれただけで組織とは関係のない、ただの荒れくれ者達だろう。
 鍋から幾つもの人骨が出てきた、溶けかけているものもある。耐え切れずにユキが胃の中のものを吐き出した、ムーンに介抱され歩き出す。
 ムーンとブジャタが成仏出来るように、と犠牲になった人々へ唄を送っている様をバリィが申し訳なさそうに見つめている。
 粘着ある零れた液体が恐ろしくて、流れてこちらへ向かってくる前に階段を駆け上がった。地中に染みこみ、他に影響をなさねば良いが、液体は“沸騰していないと効果が無い”とバリィが言っていた。ここは寒い、すぐに冷えるだろうから一先ずは安心だろう。
 床に伸びている四人の盗賊を縛り上げて、一緒に連れ出す。縛り上げておいた盗賊二人を引き摺り、宝石を回収し。別の部屋へ移動し、伸びている盗賊二人を更に回収し。
 球を全部持ち出す、よほどの衝撃を与えない限りは球は発動しないと聞いたので少し気が楽になった。聖水など所持しているわけがない、ジェノヴァの街へ戻りさえすれば、教会に聖水があるので行くしかない。
 だが、盗賊計八人を引き摺ってでは非常に時間がかかった。バリィが縄を掴んで先頭に立って歩くのだが、当然上手く盗賊達は歩いてくれない。
 すでに時刻は夕暮れだ、深夜になる前に辿り着きたい。

「そういえば、ブジャタさん。ええと、市長に仕えているってあれは、ホント?」

 ずっと気がかりだったことをケンイチはブジャタに耳打ちした、ホラなのか気になっていたのだ。
 苦笑いで咳を一つ零し、ブジャタは「本当じゃよ」と付け加える。

「アリナ様は市長の娘じゃ」
「え」
「これも本当のことじゃよ」

 目を白黒させているケンイチに苦笑し「まぁその話は落ち着いてからで」ブジャタはそう言うと、硬直しているその背を軽く叩く。
 だから“お嬢”と呼ばれていたのだ、納得した。
 黙々と歩き一時間以上が経過、馬車が通りかかってくれる事を期待したが未だに通らない。夏とはいえ、周囲が暗くなり始めた頃。小腹が空いたので、手持ちのビスケットを食べながら歩いていた。ユキは先程の衝撃的な真実に胃が何も受け付けず、辛うじて水だけを腹に入れている。
 早めに松明に火を灯し、足元を照らした。
 不意にバリィが立ち止まった、周囲を窺い、静かに息を押し殺す。

「何か居る」

 剣を引き抜いた、ケンイチも同様に構えに入る。
 松明を掲げ周囲を照らせば、泣き声が聴こえてきた。女の声だった、シクシク、泣いている。幾重にも聞こえるその声はか細く不気味で、この世のものではない気がする。

「こ、怖い」

 反射的にユキがケンイチにしがみ付く、このような時間にこんな場所で泣いている女。何者だろうか。
 どちらで泣いているのか分からなくなった、盗賊達も怯えている。
 ぼんやりと、前方で蹲っている女の姿が浮かび上がった。
 バリィが近寄ろうとしたが、ブジャタが制する。
 美しい長い髪が目を引くが、一人きりで街道の隅に蹲っている時点で普通の娘とは思えない。裸足で、灰色の長い衣服を身に纏っている。

「人間には思えぬの、危害を加えてこないのであればこのまま通り過ぎましょうぞ」

 不本意だがブジャタの一言で息を殺しながら隣を通過する、近寄れば手足は木の棒のようにがさついて細かった。森で命を落とした娘の幽霊かもしれない、とブジャタは思ったのだ。
 震えながらケンイチと共に歩くユキは、見ないように瞳をきつく瞑っている。
 何事もなく通過し、皆で胸を撫で下ろしたのも束の間、前方にまた泣き声だ。同じ女が蹲り泣いている。

「まずいのぉ」

 流石にブジャタが杖を掲げた、どうも無事に通す気はないようだ。ならば先手必勝か、無駄な戦闘は避けたいのだが。
 泣き声が大きくなる、物悲しく、死者を哀れむ嘆きの歌にも聴こえてくる。
 恐怖のあまり盗賊が暴れ出した、止めようとしたバリィだが、その拍子に宝石が入った袋を、背から滑らせて地面にぶちまけてしまった。
 慌てて仕舞うべく松明を掲げたが。

「な」

 一つの宝石を手に取り、松明に照らして眺めている。紫に染まる唇、鳴る歯、震える身体。
 女の泣き声は更に高音になった、耳の奥をほじくられている様な不愉快な音に、一同は耐え切れず耳を塞ぐ。盗賊は縛られているので耳を塞げず、二人が恐怖で失神した。

「妹の……指輪だ」

 バリィが呟く。
 病気が治るように、魔よけの意味を籠めて有り金はたいて妹に購入した水晶の指輪だ。内側に『妹へ』と彫ってあるので、間違いない。答えは出ているのだが考えたくなくて、バリィはその場に座り込んで指輪を虚ろに見つめている。
 ブジャタが首を横に振る、予測はしていたことだ。妹、母親、村の住人。すべてあの鍋の中だったのだろう。

「カワイソウ、カワイソウ、カワイソウ……嘆キノ歌ヲ歌イマショウー」

 蹲っていた女が立ち上がりこちらを向く、皮と骨だけの老婆のようだった、しかし髪だけは本当に美しい。

「むぅ、バンシーじゃ! 人の死を予測して現れる不吉な魔物じゃよ」

 盗賊達の叫び声がこだまする、見れば周囲をバンシーに囲まれていた。一体、何人いるのだろうか。

「こ、こわー!」
「い、いやぁぁぁぁぁ」

 流石にケンイチとユキも恐怖に慄いた、魔物より数倍恐ろしい。
 冷静なのはムーンとブジャタだ、バリィは呆けてしまっている。

「イザナイマショウ、イザナイマショウ、死後ノ世界ハ楽シイヨ」

 合唱を始めたバンシー達に魔法を繰り出す、吹き飛ばされても痛みを感じていないのか、何度も立ち上がり近寄って来る。

「くー! 光属性の魔法さえあればっ」

 人の死を感知し、前もって現れて嘆くというバンシー。ここに姿を現したということは、誰かが命を落とすという事なのだろうか。不吉な考えを棄てる様にブジャタは首を振って大声で魔法を繰り出した、攻撃はしてこないのかもしれないが、何分気味が悪すぎる。
 アサギが以前使用した、あの光の魔法さえあれば、戦闘を終わらせることが出来るのに。もしくは、死者を埋葬する火炎の魔法があれば。
 しかし、火炎を扱える魔法使いは今、哀しみの淵に足を突っ込み朦朧としている。

「しっかりされよ、バリィ殿! まだ死が決まったわけではござらん」

 バリィを揺するが、反応がない。

「やぁ!」

 剣で斬りかかるケンイチだが、目の前でバンシーを凝視すると背筋が凍りつき、上手く剣が震えない。おまけに、ケンイチの剣だが先程バリィとの戦闘で罅が入ったのだろう。
 呆気なく、折れた。
 混乱に陥ったが、ムーンから護身用の短剣を受け取ってどうにか取り繕う。けれども、それでは接近戦に持ち込まないとバンシーを斬れない。
 盗賊達は恐怖で全員失神した、ある意味そちらのほうが幸せかもしれない。運が悪い事に盗賊達の武器は邪魔になるので、洞窟に置いてきてしまった。

「おおおおおおおおおお!」

 バリィの遠吠え、怒気を含んだ絶叫が響き渡る。立ち上がると近くに居たバンシーを殴り飛ばした、怒りに我を失っている。

「巡る鼓動、照らす紅き火、闇夜を切り裂き、灼熱の炎を絶える事無く。我の敵は目の前に、奈落の業火を呼び起こせ!」

 火炎の魔法だ、全てを燃やし尽くす勢いである。それは願ったりだったが、バリィの正気を取り戻さねばならない。

「しっかりされよ、バリィ殿!」

 ブジャタの声も届かない、剣を大きく振り上げて鬼神のごとく斬りかかっている。
 気休めに言ってみたが妹は死んでいるのだろう、気持ちは良く解る。生きていると信じて、救いたいが為に悪事を働いてきたのだが無意味だったのだ。無意味なことをして、他人を殺してしまっていた。バリィが直接手をかけなくても、殺したも同然。鍋に投げ込まれる人間達を心を殺して見つめて来た。
 バリィは泣きながら剣を振るい、猛然と突き進む。誰も止められない、止められるわけがない。

 その日。
 ジェノヴァの街で一部の人々は見た。光を放つ美しい巨大な鳥が、森の中に舞い降り、暫くして飛び去った姿を。

 ケンイチ達がそれに気づいた時には鳥は急接近していた、発光する巨大な鳥を茫然と見上げる。近くに来て解ったが、発光というよりも電気を帯びているように思えた。
 それは鋭く泣き叫ぶとバリィの心臓目掛けて嘴を突き出す、突き飛ばそうとケンイチは駆け出したが目の前で、バリィは鳥にその屈強な身体を貫かれた。

「真実さえ知らねば、死なずに済んだものを。惜しい者を失くしてしまった、まだ十分に使える価値があったのに」

 ケンイチの目の前で、深紅の血が吹き出した。口から、胸から吹き出して地面に飛び散った。
 唖然としてその光景を見ていたケンイチだが、それ以上動く事が出来ない。
 若い男の声も耳に入ったが、姿を探すことが出来ず。
 ムーンが言いようのない憤りで身体を震わせる、新たな敵の出現に焦りながらも気を追った。
 鳥に、一人の男が跨っている。
 強烈な威圧感だ、ブジャタが気迫で押し返そうと魔力を全身に纏うが、相手のほうが上だ。
 鮮血したたるバリィから嘴を引き抜き、鳥と男はそのまま舞い上がる。ユキとムーンが風の魔法で追ったが、羽ばたき一つで魔法を掻き消してしまった。

「さ、サンダーバード!」

 ブジャタの引き攣った声が森に響く、慌てて瞬時に結界を張り巡らせると、皆で一塊になった。動けなかったケンイチを、ムーンが結界の中に押し込む。間一髪だった。
 舞い上がった鳥サンダーバードから、一気に雷が降り注いできた。その大きな翼が羽ばたくと、雷は何本も地へと落下する。雷、というより、雷の矢に似ている。
 ユキはムーンに身を寄せ悲鳴を上げながらも、懸命に魔力を結界へと送った。助かりたい一心で、無我夢中だった。ブジャタを中心に、その猛攻を耐えるべく歯を食いしばる。
 バンシー達は雷に打たれながら泣いていた、死に行く定めは……バリィか、自分達なのか。
 やがて、サンダーバードは去っていった。こちらの生死を確認していない、最初から標的はバリィだけだったのだろう。殺そうと思えば、難なく殺せたはずだ。今のはただの挨拶か、それとも、忠告か。
 精神に限界が来た、その場に倒れたブジャタは、指一つさえ動かすことが出来ず、地面に蹲る。
 ムーンは懸命にバリィに回復魔法を施した、どうにか結界に連れ込んでいたものの、虫の息だ。無駄な事も解っている、しかし、どうしても足搔きたい。
 うっすらと開いている瞳から、謙虚な光が消えている。
 微かに唇が動いたので、ケンイチは慌てて近寄った。口元に、耳を寄せる。

「おま、えに、け、けんを」
「剣!? バリィさんの剣!?」
「すまな、かった、な」
「しっかりしなよ! 妹さん達を捜しに一緒に行こうよ! 駄目だよ、剣も教えてもらいたいんだ! とっても強いんだね、僕達と居てよ! こんなんだけど、魔王を倒しに行く勇者なんだ、バリィさんも仲間になってよ、頼むよ」
「わるか、た」
「喋らないで! ムーンとユキが治してくれるから、頑張ってよ!」
「ありが、と、う」

 最期に、微かに笑った気がした。
 ケンイチの目の前で、バリィはそのまま静かに息を引き取る。強靭な精神力で今まで持ちこたえていた、詫びる為に。
 ケンイチの絶叫が周囲に響き渡った、人の死を間近で初めて見た。身体中の痙攣が止まらない、大声で叫び通した。
 これが、この世界。
 地球ならば、余程の事がない限り目の前で死など見ることがないのに。
 言葉をかけず、ムーンは生存者の回復に専念している。あのサンダーバードはバリィを狙って攻撃してきた、離れた場所に居た盗賊達は不幸中の幸いだ。自分とて火傷を負っていたが、盗賊達の半分はまだ息があったのでそちらに専念した。
 ブジャタは辛うじて起き上がり、薬草で手当てをしている。
 ユキは放心状態で、動けなかった。瞳の焦点が合っていない。

「許さない! 許さないぞ!」

 ケンイチはバリィの剣を拾い上げる、重みで腕が軋んだが鞘も受け取り背中に装着した。
 剣を掲げる、月の光で剣が露になった。剣身に、文字が彫ってあった。バリィの所持していた剣は、後に発覚することになる“霊剣火鳥”という代物。火炎属性の剣であり、火の鳥を出現させられる代物だ。バリィの家に先祖代々伝わってきた、一種の埋もれた神器である。
 バリィの胸元からペンダントが零れ落ちたので、形見にケンイチは装備した。名前が彫ってある、ブジャタが読んでくれた。家族の名前だろう、ケンイチはペンダントを握り締めて大粒の涙を零しながら空を仰ぐ。村で平穏な暮らしを営んでいるバリィとその家族達が見えた気がした。
 いつまでも、哀しみに臥せってなどいられない。
 森に、バリィと名も無き盗賊四人を埋葬することになった。周囲は暗かったが、松明を何個も集めて霊気のある木々を探し、火葬する。
 ユキが花を手折ってそこに投げ込み、ムーンが故郷の歌を歌う。
 生き残っていた盗賊達ももはや逃げる気すらないようで、大人しくしていた。火で魔物を遠ざけ、その場で野宿したものの、当然疲れはとれないままジェノヴァへと帰還する。
 死の、重み。
 ケンイチとユキには、荷が重すぎた。しかも、僅かとはいえ親しくなりつつあった人物との突然の別れである。正直、もう一歩も動きたくない、安全な場所に居たい、願わくば地球に帰りたい。
 しかし、それでは駄目な事を子供ながらに分かっていた。そもそも、アサギが不在である。これでアサギまで死んでしまったら、本当に精神が崩壊してしまう。
 悲劇を繰り返さない様誓いを胸に秘め、ケンイチはバリィから授かった剣を使いこなす決意をした。まだ重過ぎる大剣だ、ケンイチの背丈ほどあるそれは、抜くのも一苦労である。
 死を無駄にしないように、街へ着くなり休息もせず役所にお目通りを願った。
 ユキとケンイチは休むように、とブジャタに言われたが、ユキだけ宿に寝かせてケンイチは付き添った。盗賊を引き渡し、鍾乳洞に隠れ家が存在したこと、他も調べてみるべきだと助言する。
 おそらく、もう存在しないだろう。既に証拠隠滅を図られている気もする。サンダーバードに乗ってやって来た男が何者かは解らないが、一体いつから監視されていたのか。偶然通りかかったとは思えない、最初からバリィは猜疑をかけられていたのかもしれない。
 球については報告しなかった、悪用されない保障がなかった為だ。ブジャタは、今後も口を割らない様、皆に重々言い聞かせた。あれは、この世にあってはならぬ物、存在を抹消すべき物。
 盗賊が何か話すかもしれないが、皆発狂しそうな勢いであるし、記憶を消したいほど怖い思いをした。真実だと思われない可能性に、ブジャタは賭ける。
 悲しいが、バリィの存在は隠しておいた。

「バリィさんの故郷、何処でしょうか。他の方々は御存命かしら」
「……分からぬ。皆と同じ様に、すでに口封じをされている可能性が高いじゃろう」
「辛い、ですわね」

 ムーンとブジャタの会話を、ケンイチは溢れ出る涙をそのままに聞いていた。もし、村が見つかったのなら、報告をしたい。何処かで、生きていて欲しいと願わずにはいられない。 
 その脚で、三人は教会へと向かった。神父に誘われ教会裏の聖水が湧き出ている泉に、球を浸す。
 半信半疑だったが神父とブジャタが浄化の魔法を、ムーンが鎮魂歌を歌い続けると、不思議な事に、その球は本当に聖水で浄化された。皆の前で球は徐々に小さくなり、完全に溶けたのだ。どういう仕組みなのか、皆息を飲んで見つめる。聖水が汚染されていないか不安だったが、浄化能力が勝ったようだ、神父曰く影響は無い。
 胸を撫で下ろし、三人はようやく張り詰めていた緊張の糸を解いて笑った。球はまだあるが、事情を説明し神父に任せて帰宅する。この神父ならば信頼出来るとブジャタは思った、口外せず、まして悪用もしないだろう。

「このような禍々しい物がこの世に産み出されてしまうとは……クレロ神もお嘆きでしょう」

 神父は、この球について糾弾しなかった。葬り去るべきだと判断してくれたことに、安堵した。

「一先ず、身体を休めましょうぞ」

 ブジャタに大きく同意した二人は身体に鞭を打って宿に戻る、ユキは大人しく眠っているだろうか。
 昼食をとる為、適当に屋台で食べ物を買う。ユキの好物を知らないケンイチは、見た目が好いものを選んだ。無難にパンサンドだ、果物が挟んである。
 宿のドアをノックし出てきたユキに手渡すと、ケンイチはブジャタと共に部屋に戻る。
 温泉に浸かれるこの宿だが、ケンイチはそんな気力も残っておらず、すぐに床に転がるとそのまま眠りに入った。ベッドまで行くにも、精魂尽き果てていた。
 苦笑いでブジャタが優しく布をかける、「頑張ったのぉ、今はおやすみ」と慈愛の瞳で彼を見つめた。ブジャタは、疲れていたものの気分転換も籠めて温泉に一人で出向き、始終考えていた。

「はてさて……一体この世界に何が起ころうとしているのやら」

 仮眠してから夕刻に起床し、故郷のディアスに手紙を書き、明日はマダーニと出向いた店へ再度行ってみる事にした。他の鍾乳洞には手がかりも痕跡もないと踏み、出向くのは中止にした、後は警備に任せる。万が一、探索に向かった警備兵が戻らなかったら……その時は乗り込むしかない。
 一気に問題が山積みになった、しかし本来の目的であるユキやケンイチの教育にも着手したい。
 そしてシポラへ向かっているアリナやクラフトが相当不安だ、あの二人だから戦闘にも慣れている、他にミシアとサマルト、ダイキもいることだし杞憂であればよいのだが、と頭を抱える。
 
「シポラとは、一体」

 考えが纏まらず、温泉に長いこと浸かってしまった。のぼせそうになったのでいい加減湯から上がり、身体が火照る中ですぐに手紙を書きとめて郵送を頼みに街へと出た。流石に疲労が頂点に達し、夕食もとらずにその後眠り続ける。
 ケンイチが入れ替わるように目を覚ました。床で眠っていたため、身体中が痛い。寝ぼけながらも温泉へ行き、熱いお湯で身体を温めると、ようやく目覚める。眠っていただけだが空腹だ、直ぐに温泉から上がると食事をしに女性の部屋へ出向く。ムーンとユキは十分睡眠をとったらしく起きており、宿の夕食を三人で頂く事になった。注文しなくとも出てくるので、字が読めない三人でも安心である。
 口数も少なく通夜のような食事が始まる、ユキはほとんど残していた。空腹だが、胃が受け付けないら。流石に人が死ぬのを間近で見ては、トラウマになる。

「駄目だ、食べないと」

 必死に元気付けようと話しかけ、食事を皿に取り分けてくれるケンイチをユキは一瞥するだけだった。 
 実際ムーンも食欲がなかったのだが、ユキの為にも自分が率先して食べねば、と無理やり胃に押し込んでいた。随分と長い時間をかけて夕食をとり、その後紅茶で一息を入れる。
 塞ぎこんでいるユキに、見かねてムーンが声をかけた。

「まだ明るいし、お散歩をしてきたらどうかしら? 私は少し調べものをしてくるから、ほら、近くに公園があったでしょう?」

 ケンイチに視線を投げかけた、ユキを誘ってくれ、という意味合いらしい。
 意図を汲み取り、ケンイチは軽く頷くと、強引にユキの腕を掴んで手を振って宿を出る。
 ムーンが小さく手を振り返した、自分も立ち上がるとそのまま宿の主人に図書館の場所を確認してそこへ向かう。字が読めないのが致命的だが、勤勉が得意なムーンだ、この機に字を覚えるつもりだった。今の自分に出来る事をする、塞ぎこんでいたら何も始まらない。
 
 ケンイチに腕を捕まれて渋々公園へ来たユキは、木製のブランコを見つけたのでそこに座り込んだ。暫くは黙っていたが、ぽつり、と言葉が漏れる。

「怖かったね」

 ケンイチは、努めて優しく同意する。

「そうだね」
「帰りたいね」
「帰りたいけど、帰らない。バリィさんの敵を討つんだ。アサギだって救わないと」
「でも、怖い」
「僕だって怖い、けど、やらなきゃいけない」
「ケンイチは、強いんだね」
「そんなことはないよ」

 夕陽は、巨大な赤い玉の様に、海へと沈んでいく。空が、朱く染まる。地球でも目にしていた夕焼けだ、その風景は二人の心を落ち着かせた。
 子供達を迎えに来た母親の姿が目立ち始めた、黙ってそれを眺める。何処の世界でも、子供は大事だ。懐かしい光景に、目頭が熱くなる。

「正直、もっと楽だと思ってたの」

 ユキが、本音を吐露する。そうだろう、楽観視していた筈だ。それこそ、修学旅行程度に。

「うん、僕もだよ」
「でも、でもっ! 人が、死んでっ!」
「うん」

 泣き出したユキの頭を、ケンイチはそっと撫でた。相当怖いに違いない、自分だって怖いのだから。何も語らずに、ずっとケンイチはユキの頭を撫でる。こうするしか、思いつかなかった。
 だがそれは、ユキをとても安心させていたのだ。一人ではないと、痛感した。それが、どれだけ心強く頼もしい事か。
 どのくらい泣いていたのか。周囲は瞬く間に暗くなり、星が幾多も顔を出している。
 二人は静かにブランコから離れて、手を繋いで宿へ戻る。その手が、ユキにはとてもありがたかった。

「一緒に、頑張ろうよ」

 小声だがそう言ったケンイチに思わずユキは大きく頷いて、赤く腫れた目を擦って鼻をすする。

「ありがとう……」

 ユキは囁いた、それはケンイチには届かなかったが、満足だ。“一緒に”と言われたことが、とても嬉しかった。
 宿に戻り、再び眠りにつく。

 ……明日からも、頑張ろう。

 互いの存在で、重荷が軽減したような気がしていたユキとケンイチ。一人は怖いが、友達がいたら大丈夫。楽しいことも嬉しいことも、悲しいことも悔しいことも分かち合える。
 ここへ来て、二人は“人が傍にいてくれること”が如何に大事なことか、理解した。
 しかし四人が安堵し、眠っている時に街では事件が起きていた。

 翌朝、四人は先日訪れたばかりの居酒屋“最後の夢”へと足を進めていた。
 マダーニが話をしてくれている筈だから、情報を聞く為に早朝でも入れてもらえる予定だ。だが、店は静まり返っている、呼んでも誰も出てこない。
 不審に思ったが、こういう日もあるだろうと踵を返した時だ。

「マダーニの知り合いの!」

 目の前から歩いてきたのは店主である、四人を見るなりいきなり店へと引きずり込む。その焦燥ぶりに眉を顰める四人は、いきなり不安に陥る。

「ザークが。……昨晩殺害されました」

 突拍子も無い発言に四人は言葉を失った、店の奥へ押し込まれて声を潜めてそう告げた店主の顔には、悲壮感が漂っている。呆気にとられてしまった、そんなことを聞きにここへきたわけではない。四人の背中に嫌な汗が伝う。

「気晴らしに、出掛けると言い残し。闇に紛れてザークは街へ出たのですが。今、死体を確認してきたところです。戻らないので不安でしてね、そうしたらば朝、近所で警察が死体を見つけて身元の調査を急いでいる、と耳にしました。野次馬に紛れて確認に行けば、その。川に浮かんでいたそうで、ザークの死体が転がっており」

 強がっているように見えたが店主は震えている、何か恐ろしいものでも見たかのように顔は真っ青だ。知人の死体を見てきたばかりならば仕方が無い、とも思ったがそれ以上に得体の知れないモノに怯えている気がする。
 ブジャタは、胸を覆い隠す不穏な霧にまたしても背筋が凍った。

「酔って川に転落し、溺死した可能性は?」
「その線で警察は調査しているそうですが、違うと思います」

 主人の顔色には疲労が浮かび上がっている、「根拠は無いが、確信に近い気がする」そう告げた。確かに、他殺のほうが可能性が高い。

「ザークは、下戸です。金も持っていない、酒を煽る余裕などはありません」
「後は、物盗りに襲われたか、酔った輩に絡まれたか……そして」

 ブジャタは洞窟内でのことを、球に関しては省いて一部始終を店主に話した。

「今ならば何を聞いても驚きませんよ」

 などと言ってはいたが、流石に聞き終えると動揺している。

「シポラ関連の人物が、同日に二人死んでおる。偶然とは思えんのぉ」

 ブジャタの低く呻いた声に、皆が同意した。不気味だった、何も解決していないどころか、問題が増えてしまった。
 
 結局真相はわからぬまま、数日が経過した。
 情報を探りに檻に入れられたあの盗賊達のもとへと出向いたが、ここでも脚から震えが来た。彼らは、牢内で皆死んでしまったらしく、すでに、誰一人生きては居なかった。彼らが居た筈の牢屋には、盗みを働いた哀れな女が入っており、四人にすがるような視線を送ってきた。
 聴けばあの日に、盗賊達も死んだ。
 ザークが死体となった日に、死んでいた。つまり、牢に放り込まれてからほどなくしてすぐに、ということだ。

「隠蔽……関わった者は口封じの為に抹殺、か」

 考えたくもないが、敵にはこちらの行動が見えているとしか思えない。こうなると人間不信である、自分達以外が、敵に思えて来た。居酒屋の店主ですら、猜疑心を抱いてしまう。
 不気味すぎるシポラに、ブジャタは魔王討伐よりも、こちらのほうが重大な気がしてならない。第六感が警告している、危険だ、と。
 
 数週間後、宿に一通の手紙が届いた。
 それはアリナ達からで、トビィがドラゴンに乗ってアサギの救出に向かったこと、自分達がドゥルモに到着したことが書かれている。港ですぐさま手紙を出したのだろう、船によって大陸を渡り届けられた。
 その間、ケンイチ達は街の道場に出向き剣の訓練を、魔法の練習をしている。
 時折街から出て、近辺を探索した。街中での盗賊騒ぎはあの日を境になくなったという、また、商人を襲う盗賊も消えたらしい。捕まえた者達だけだったのか、それとも逃げたのか、消されたのか……解らない。
 例の鍾乳洞にも足を踏み入れたが何も見つからず、あの鍋があった場所の入口は封鎖されていた。土砂崩れを起し、内部に侵入が不可能だった。自然に起きたものだろうか、いや、違うと皆確信する。何者かが破壊したのだろう。
 四人は、大人しく皆の帰りを待ち侘びる。皆に再会するまで、自身の能力を伸ばすために訓練を欠かさなかった。
 ブジャタはムーンに字を教える中で、ディアスへと何度も手紙を飛ばし、経費を受け取る。ケンイチの育成の為、多額の金で毎日道場へ通わせていた。
 彼にはやる気があった、バリィを殺され、形見の剣を受け取り、苦しくとも辛くとも、その剣を扱う為に懸命に特訓を繰り返している。

「熱心な子じゃ」
「えぇ、それにケンイチはとても優しい子。素敵な勇者ですわ」

 茶を飲みながら、ムーンとブジャタは穏やかな笑みを浮かべる。彼に負けぬ様励まねば、と叱咤激励されている気分でもあった。

 魔界イヴァンのとある一室で、無造作に転がされている剣が仄かに光り輝いている。
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登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

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