外伝2『始まりの唄』20:愛、とは

文字数 5,842文字

 愛が軽薄、などと言われ、アリアは頭に血が上った。愛とは労わりの心であり、慈しみ恵む事。生きているものに与えられた、崇高な感情。

「それは解りません、けれど、トバエだからこそ私のいる村に辿り着けました。もし、お城を出たのが貴方だったら、辿りつけないと思います」

 にべもないように、突き放して告げる。

「成程、辿り着けない、か。あくまで自分はトバエの妻であると言い張るとは、強情だなっ!」

 急に髪を摑まれ、顔を上げさせられる。驚いて悲鳴を上げたアリアの瞳に、真面目なトダシリアの顔が飛び込んできた。いつものように残忍な笑みを浮かべておらず、瞳が寂しさに揺れている。

 ……どうしてそんな顔をするの!?

 アリアは心が揺れないように、太腿に爪を立て痛みで気を紛らわした。

「辿り着いたトバエを、運命の恋人とするか? ……前世で、お前達は恋人ではなかったのに」
「ぜ、前世?」

 突拍子もない事を言い出したトダシリアに、痛みを堪えつつアリアは問う。
 “前世”などアリアは信じていなかった。死んだ魂は誰しも天に還り、天国で暮らすのだと聞かされて来た。産まれ変わるなど、有り得ない。

「ま、まさか……貴方が私の前世の恋人だと?」

 引きつった笑みを浮かべ、アリアは訊ねた。とんだ茶番だと、呆れてしまう。
 しかし、トダシリアは表情を崩さす静かに首を横に振った。
 アリアの唇から、張り合いが抜けた溜息が漏れた。脅すような尊大な口調で『あぁ、そうだとも』と言われると思っていたが、違った。『運命の恋人は自分だ、トバエを裏切っても神は赦す』そう言い放ち、甘く優しい危険な手を差し伸べてくると身構えていたのに。唖然としてトダシリアを見つめる

「違う、オレじゃ……ない」

 絞り出した声に、鳥肌が立った。何かが身体を駆け抜けていった気がして、眩暈がする。

「そ、そうですか」

 では、誰だというのだろう。問おうかとも思ったが、アリアには他に思いつく男などいない。沈黙が流れる、空気が重い。恋人ではないと言い切られたら、何故か哀しかった。胸が、痛んだ。前世などないと、想像上の御伽話だと言い聞かせる反面、真実を突きつけられ泣きそうな自分がいる。頭が破裂しそうで、吐気がした。言って欲しかったのだろうか、『オレが恋人だった』と。そう言われることを、心の奥底で期待してしまった。自分の定まらない心に動揺し、振り払うように、声を張り上げる。

「で、では! 一体、誰が」
「逢いたいか?」

 挑むような目つきで見つめてきたトダシリアに口篭り、遅れて首を横に振る。

「いいえ、私にはトバエだけですから。会いたいとは思いませんが、貴方が知っている口ぶりでしたので、訊いてみたまでです」

 ようやくトダシリアはその言葉に“いつものように”笑った。想像通りだった、『逢いたい』と言い出したら首を絞めていたかもしれない。言わなかった事に安堵し、「流石に“今”が大事か」と抑揚なく呟く。怪訝に見つめるアリアの髪を掴むのを止め、再び唇を塞ぎ太腿をまさぐる。仰け反るアリアを抱きとめる腕に、力が籠もった。

「まぁ、逢いたいと言ったところで、逢えないがな。殺してきてしまった、あの街で」
「こ、殺した?」

 平然と恐ろしいことを口にし、アリアは青褪めた。やはりこの男は自分達と住む世界が違うのだと、恐怖を抱く。忘れていた、目の前の男は殺戮者だ。その現実から目を逸らしてはいけない。

「あぁ、殺したとも。いやぁ、呆気なくてつまらぬ相手だった。気の毒だったかな、奴も愛しいお前を一目見たかっただろうに。記憶を取り戻して息絶えたからな、思い出さねばよかったものを」

 ククク、と低く嘲笑する。手際良く衣服を脱がせ、狂気を含んだ瞳でアリアを覗き込む。しかし、不意にその表情が強張る。

「待てよ? ……まさか、お前。トバエの目を掻い潜り、奴と寝たのか? 同じ街にいたんだろ、逢瀬には十分な時間があったはず」
「ば、馬鹿にしないで下さい!」

 間入れず叫ぶ、顔が一気に熱くなるのを感じた。頭に血がのぼり思い切り腕を振り上げるが、か細い腕はいとも容易く受け止められた。
 悔しそうに歯軋りするアリアを、愉快そうに見つめたトダシリアは開いた胸元に顔を埋める。

「思い出していないフリでもしているのか、アリア? またオレを愚弄し蔑み上から見下し遊んでるんだろ? オレもトバエも、奴らも思い出したというのに。……お前が思い出さないわけがないだろう、一番力が強かった癖に」
「な、なんのことですか」

 アリアの唇から、上ずった声が漏れる。身体はすでにトダシリアに慣らされ、好いように扱われている。必死に声を堪えるが、抗うにも限度がある。壁に手をつかされ背後から強引に突き入れられると、流石に声を我慢出来なかった。
 嬌声を上げるアリアを見下ろしながら、トダシリアは熱い身体とは逆に冷めた瞳で唾を吐き捨てる。

「正直に言え、オレの事をどう想っている? 嫌ではないだろ、今だって抵抗していない。オレでも好くなってきたんだろ、違うのか? ん?」
「……トバエだけ、です。私は、トバエに逢う為に、こうしてっ! こうして、夫でもない人にっ」

 口では反論したアリアだが、正直心は大きく揺れていた。本心が定まらず、自分の事なのに見知らぬ誰かの心を語れと言われている気がする。罪の神によって、翻弄されていた。
 けれど、本当は解っている。自分がどちらを選んでいるか気づいているからこそ、抗っている。罪の意識を屠る為に、答えを口には出さないと決めた。

「嘘くさい。お前、結局誰でもいいんだろ。“オレ達”は馬鹿みたいにお前を追っているのに。男共を翻弄し手玉にとる、お前は」

 慣れた手つきでアリアの敏感な部分を責め立てながら、トダシリアも自分の感情を吹き消すように罵倒した。泣いている後姿を見つめながら、いつも後悔の念ばかりが生まれる。それなのに、優しくしてやれない。

「本当は、本当はっ! ……お前がオレを、裏切りさえしなければっ!」

 トダシリアが何を叫んでいるのか分からず、アリアの思考は途切れる。けれど、押し寄せる快楽に身を任せると思ってしまうのだ。もし数年前、村に来ていたのが本当にトダシリアだったならば。“誰にも邪魔されず”ニ人仲良く暮らしていただろう、それこそ甘いひと時を過ごしていた。妙にそれが現実的で、以前そうだったような気さえする。常に寄り添い手を繋いで、森を駆け巡っていただろうと。そして無邪気に笑い合い、見つけたマスカットを食べるのだ。

 ……マス、マスカット。マスカット、さん?

 芳醇な香りが、鼻先をくすぐる。朦朧とした意識の中で、トバエがこちらを見ている。

 ……トバエ。

 トバエならば誰からも愛される賢王として、この地を治めるだろう。身勝手な理由で街を焼くこの狂王が治めるよりも、皆は幸福でいられる。
 二人が逆だったら、と思い始めてしまった。アリアは、恩着せがましい言い訳を作った。皆が幸せになれるから逆が良いのだ、などと言ったところで、本音は『トダシリアが村に来て欲しかった』。
 それだけ。

 キィィィ、カトン……。

 何かが耳元で鳴っている。

「トバエ! トバエ!」

 アリアは、何度も男の名を呼んだ。自分を後ろから犯している男ではなく、違う男の名を呼んだ。心を傾けつつある男ではなく、本当の夫の名を呼んだ。
 呼んでいないと、気が狂いそうだった。どこかに逃げ道を作らないと、トダシリアに堕ちる自分を知っていた。相手は国王。幾ら甘い言葉を囁かれ心を揺さぶられても、自分に執着しているのがトバエを苦しめるだけだというのならば、そこに愛などない。求められているわけではなく、一種の戯れだと重々承知している。
 だから、トダシリアの名を呼ぶわけにはいかなかった。
 必死に言い聞かせる、自分が愛しているのはトバエで、トダシリアではないと。自分を愛してくれているのはトバエで、トダシリアではないと。
 
「オレの名を呼ばないか、アリア!」

 何度肌を重ねても、連呼するのは弟の名。トダシリアは苛立ち、アリアの髪を無造作に掴むと頭を壁に打ち付ける。鈍い音がして、痛みによる悲鳴が上がる。

「オレは、トダシリアだ! トバエではないっ」

 悲鳴を無視し幾度も壁に頭部を押し付けるが、アリアは泣きながら名前を呼び続けた。

「トバエ、トバエ!」
「っ、こ、のっ!」

 何をしても、トダシリアの名は呼ばない。
 舌打ちし萎えてしまったのか、アリアを床に突き飛ばすとトダシリアは壁にかけてあった剣を引き抜いた。床に蹲り、嗚咽しているアリアの腕をその剣先でなぞれば、肌に薄っすらと血が滲む。荒い呼吸で憎々し気に見下ろし、噛みつくように叫ぶ。

「お前は馬鹿なのか? 学習しない怠惰な雌犬がっ! 何度も言わせるな、オレの名を呼べ。抱いている最中に他の男の名を呼ばれるなんぞ、胸糞悪い。萎えるだろうがっ」
「い、いやです。誰が貴方の名を呼ぶものですかっ。私の夫は、トバエですっ。貴方の弟の、トバエですっ」

 力なくも床を這って隅に逃げたアリアは、助けなど来ない事を知っているが抵抗を試みる。斬られた肌がピリピリと痛み、腕を庇って顔を背けた。精一杯気丈に振る舞い、震えながらも声を張り上げる。

「どこまでも強情な奴! 本当に可愛くない女だな、興醒めだ。……まぁいい、何処まで我慢できるか試してやる。どうせ泣きながら尻尾を振って擦り寄るくせにっ。今のうちに懺悔しろ、止めてやらんがな」

 何故、名前を呼ばないのか。
 たったそれだけの事なのに、頑なに拒否されいい加減苛立ちが募っていたトダシリアは剣を振り下ろす。とにかく、名を呼んでもらいたい、それだけだった。寝所で名を呼ばれたら、恋人同士に思える気がした。これでは、何時まで経っても、二人の関係は歪んだまま。
 無造作に振り下ろされた剣が、容赦なくアリアの肌を斬る。

「っ!? ぁ、ああーっ」

 まさか、本当に斬られるとは思いもしなかった。
 宙にアリアの鮮血が舞う。何が起きたのか解らず、遅れてアリアの盛大な悲鳴が響き渡る。右腕から滴る血痕が、床に敷かれた上等な刺繍の絨毯に染み込んでいく。
 
「あ、あ、あ、あ、あ」

 広がる赤色を見つめていると、気分が悪くなってきて舌が回らない。鉄の香りが鼻について、痛みより先に吐き気を覚えた。

「痛いか? だがな、トバエの名を呼ぶお前を抱いていたオレの心は、もっと痛い。当然の報いだ、恥を知れ」
「そ、そんなのっ」

 嘘だ、と言おうとした口から、絶叫が漏れる。右手首を掴まれ、身体を持ち上げられた。斬り口を噛むように押さえつけ、舌が傷口を広げるように動く。肉を這う感触に怖気がし、絶望的に高らかな叫び声が口から止まらない。

「い、いたっ、痛いっ、いたっ、あ、ああああああっ!」

 狂っている、とアリアは思った。間違っても、愛する人にすることではない。やはり、戯れで言わせたいだけなのだと思いつつも、激痛で思考が止まる。

 ……この人は、私を愛してなど、いない。遊んでいる、だけ。私は、すぐに、捨てられる。

 唾液が、肉に染みる。歯が、さらに追い討ちをかける。自分の身体が今どうなっているのか解らなくなってきた。ただ、痛い。

「や、やめ、やだぁっ!」
「アリア、お前の血は甘美だな。美味いよ、マスカットよりも、あぁ、ホントに美味いよ」

 口元を鮮血で滴らせながら微笑したトダシリアがうっすらと見え、アリアは悲鳴を上げた。もう、恐怖しか湧きあがってこない。人間ではなく、悪魔。自分の手に負える相手ではない、トバエがいなければとっくに自害している。

 ……あぁ違う。トバエがいなければ、私はこの人に興味をもたれないまま、あの街で多くの人と共に焼け死んでいた。神様、これが、夫がいるにも関わらず他の男と身体を重ねた私への罰でしょうか。

 嗚咽を繰り返しながら、アリアは半分気が狂っている自分を蔑む。

「痛いだろうが、少し我慢しろ。思った以上に美味いんでね」
「たす、たすけ、助けてぇっ! トバエ、トバエ!」

 トバエの名がアリアの唇から零れるたびに、トダシリアは肉に噛み付き啜る。
 アリアの気が遠くなってきた、こんな猟奇的な人物は知らない。人の血液を嘗めているトダシリアは、正真正銘の悪魔なのかもしれない。悪魔ならば、神に反逆するのも解る。

「たすけ、てぇ……」

 力なく、アリアは身体をトダシリアに預けた。顔面蒼白で、今にも気を失いそうだ。いや、すでに呂律が回らず、白目を向いている。

「トダシリア、と呼べ。抱いてくださいトダシリア、と乞え。先程の続きをお願いしますと、懇願しろ」
「たす、け」

 それでも、名を呼ぶことだけはしなかった。一回でも呼んでいたら斬られることはなかったかもしれないが、少しでもこの男に気を許した自分が愚かだったと抗う。いつしか、アリアは意識を手放した。

「……おい、おい!? チッ、気を失ったか」

 夢中で血を啜っていたトダシリアだが、反応がなくなったアリアを抱き抱えると寝台に運ぶ。その青白い頬を軽く叩くが、ピクリとも動かない。見れば、右腕は真っ赤に染まっている。傷口に何度も噛み付いたせいか血液が凝固せず、流れ出るばかりだった。

「気を失っていれば、トバエの名を呼ぶことはない」

 不意にそう呟いたトダシリアは、アリアの上に圧し掛かるとそのまま抱き始める。傷の手当てをしてやらねば、とも思ったが、柔らかな唇に舌を這わせると忘れた。

「あぁ可愛い、可愛い、オレのアリア」

 加虐性を掻き立てられる悲鳴を聞きながら血を堪能し、異常な興奮状態になっていた。昂ぶる自分を、解放しなければいけない。大きく足を開かせ、無理やり突き入れると腰を振る。

「アリア。お前、どうしたら、オレの名を呼んでくれるんだ。トバエじゃないんだ、オレ、……トダシリアなんだ」

 幾ら切なくそう呟いても。
 アリアには、聴こえない。切羽詰まった表情で口付け、「愛している」と飽きるくらいに耳元で囁こうとも届かない。
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登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

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