夢か、現か
文字数 3,476文字
草の上に倒れ身を捩っているアサギを、トビィは懸命に揺り起こした。
「アサギ! しっかりしろ、アサギ!」
その大声に、テントからトモハルが飛び出し駆け付ける。
アサギは、トビィの腕の中で何度か瞼を動かした。そうして、うっすらと瞳を開く。安堵した溜息に囲まれ、不思議そうにゆっくりと起き上がった。
「あ、れ? 私……」
「何があった、倒れていた」
「たおれ、て……?」
アサギはザワザワとする胸を軽く押さえ、唇を噛み締める。頭痛の後、うっすらと記憶が掠れたところまではなんとなく憶えていた。
夢だったのか、とても懐かしくて愛おしく美しい人を見た気がする。彼に逢いたくて腕を伸ばしたが、目の前にいたのはトビィだ。
「私……」
右手を動かし、掌をじっと見つめる。彼の手に触れる事は、出来なかった。
「無理してない? 家でゆっくり休んだほうが」
トモハルは心配し、アサギを覗き込む。
「……大丈夫。眩暈がしただけ」
「それは大丈夫って言えないよ。ただでさえ」
言い掛けて、口籠る。トビィをちらりと見て、慌てて視線を逸らした。
物言いたげな態度が苛立ち、トビィは唇を尖らせる。
「なんだ」
「えーっと、その、いや、あの」
ミノルとの件で疲労困憊だと言いたいが、それを口にするのも憚られる。動揺するトモハルに、アサギは薄く笑った。
「気にしないで、トモハル。私は大丈夫だから。ただ、自分が思っていた以上に、緊張して疲れてしまったのかも」
「そりゃそうだよ、アサギは頑張り過ぎ! 勇者だけど、誰かを護る前に自分を優先しないと」
怒気を含む口調のトモハルに、アサギは肩を竦めた。
「そうだね、気を付けます。でも、今は元気なの。少し怠い気もするけど」
「とりあえず、運ぶぞ」
軽々とアサギを持ち上げたトビィは、深い溜息を吐いた。
「だから同行すると言ったろ」
「う、うぅ。それだけは勘弁してください」
項垂れるアサギに薄く微笑み、トビィはアサギの頬に軽く口付ける。
「ぅおっ!」
「ひゃあ!?」
アサギとトモハルが同時に驚くと、トビィが不思議そうな顔をする。
心拍数が跳ね上がったトモハルは、頬を紅潮させ居心地悪そうに身体を揺らす。
「本当に仲がいいなぁ」
ミノルが嫉妬するのも、自信を失くすのも分かる。二人の関係は兄妹ではなく、相思相愛の恋人の雰囲気に見えた。トモハルは溜息交じりにそう吐き出し、親友に同情する。
「兄の特権だ」
さらりと言ってのけるトビィに、乾いた笑い声で頷いた。
「おやすみ、アサギ」
「おやすみなさい」
温かい茶を飲むアサギと別れ、トモハルはテントに戻る。テントからはケンイチたちがこちらを覗いていた。
「どうしたの、大丈夫?」
「うん。貧血かなぁ……アサギが倒れてたけど、今は元気」
「気を張り詰めていたから、疲れたのかな」
「本人もそう言ってた」
ミノルは、聞きながらも寝たふりをしていた。駆け付けたいのはやまやまだが、トビィとトモハルに任せていたほうが安心だ。
勇者らは再び、テントの中で眠りにつく。寝付けないものの、身体は悲鳴を上げていた。一旦横になると、起き上がることが難しい。
アサギは茶を飲み終えると、持参した寝袋に入るか悩んだ。しかし、トビィを一人残すわけにもいかず、ブランケットを羽織ると横に座って星を眺める。
「綺麗ですねぇ」
異世界は、いつでも満天の星空が広がっている。うっすら膜がかかったように見える銀河が、くっきりと見てとれた。
二人は馴れ合った男女の感じで肌を寄せ、見つめ続ける。時折流れ星が夜空を駆け、消えた。
「……さっき、トモハルは気遣ってくれたんです」
ぼそりと告げたアサギを、トビィが覗き込んだ。
「ミノルにフられた、といいますか、最初から相手にされていなかったので、先日気落ちしてまして。……恋人がいるんです、すっごく大人っぽくて可愛い子で、私とは全然違う。二人が一緒にいるところをトモハルと一緒に見てから、ずっと励ましてくれてました」
「それを今、オレに言うのか」
「え?」
ミノルと別れていたことは、確かに驚いた。しかし、この状況でそれを告げられては、平常心でいられる自信がない。背後から強く抱き締め、髪に口付ける。
「自惚れてもいいと?」
「え?」
指を絡ませ、擦り合わせる。このまま押し倒してしまいたいが、アサギは首を傾げて振り返った。
「トビィお兄様には、報告しておきたくて」
「…………」
慰めて欲しい、という意味では断じてない。まして、誘っているわけでもない。ユキに告げたのと同じ様に、信頼している大事な人だから真実を話したまで。
きょとんとしているアサギに、トビィは口元を歪めた。
「おっそろしく手強いな」
アサギは、無自覚。あざといように見えるが、意図しているわけではない。
「この小悪魔め」
「みきゃ!?」
頬を軽く抓られ、アサギは小さく叫んだ。
「な、何か変な事言いましたか?」
「……気にするな。兄であるオレに報告が遅かったと、少し苛立っただけだ」
「すみません……。言う機会を逃してしまって」
申し訳なさそうに瞳を伏せたアサギに、重苦しい溜息を吐く。
「まぁいい。
「え、えぇ……? 過保護ですね……」
「当然だろう、愛する妹の為だ」
きっぱりと断言したトビィに、アサギは吹き出した。
「ふふ、ありがとうございます。でも、私の恋人になってくれる物好きな人は滅多にいないから、大丈夫ですよ」
「本気で言っているのか」
あっけらかんと言うアサギに、茫然としたトビィは頭を抱えた。滅多にいないどころか、そこらへんに大勢いる。好意を持たぬ男が滅多にいない、というなら分かるが。この無自覚さがいつか刃になりそうで、不安になった。
「……ともかく、今日は寝なさい。イイ子だから」
「もう少しだけ、星を見ています。トビィお兄様も見ているでしょう?」
「そうだな」
見ているのは星ではなく、アサギ。やるせなさに溜息を零したトビィは、この時自分が
「前途多難」
まさか、自分を男と意識しない娘に惚れるとは、夢にも思わなかった。こうして甘い雰囲気でいたとしても、アサギに感情の昂りは見られない。こちらは先程から甘い香りのうなじに煽られ、噛みつきたい衝動を必死に抑えているというのに。
そういえば、アサギはハイにもリュウにも同じ様な態度で接した。まるで、性別など無関係なように。
「そうなると、ミノルは?」
アサギに“男”を意識させたのは、一体何だったのか。トビィはそこが気になったが、古傷を抉り返すことが気の毒で問うのをやめた。
「一晩中見張るつもりですか?」
「一応、な。杞憂だとは思うが」
「何も起こらないと思います。明日も忙しくなりそうですし、一緒に寝ましょう」
「……だから、煽るのはやめろ」
「みきゃっ!」
トビィは呆れ果て、再びアサギの頬を抓った。
テントに潜ってしまうと、理性が崩壊する恐れがあったので、トビィは地面にアサギと寝転がった。そうして毛布に包まり、瞳を閉じる。瑞々しい果実に似た甘い香りが漂って、心地良くなった。転寝のつもりが、いつしか深い眠りへ落ちていく。
「ん……」
アサギは、眉間に皺を寄せた。
先程の夢の続きなのか、伸ばした手が宙を掴む。もう一度、彼が見たい。彼のところへ行きたいと願っても、夢では行けない。
けれど、誰かは解らないけれど知っている。
彼を、捜していた気がする。
彼に、逢いたかった気がする。
彼は、夢ではないと確信している。
だから少しだけ、介入しよう。
『惑星マクディ。あの者は、そこにいる。お前ならそこへ容易く行ける筈だ。結末を知っていたとしても抗うのであれば、路は開けた。アサギ、最期まで足掻いてごらん。私に交代するその時まで、死に物狂いで突破口を探せ』
「……私は、彼に逢いたい」
力強く頷いたアサギの意識は、途切れた。いや、深い眠りに入ったのか。
よく言った、ならば今はその時ではない。『どう足掻こうとも、もう未来はすでに決まっている。運命の歯車が終焉を告げるまで滑稽に、足掻くが良いよ』。終焉は、まだ先だ。
――まだ、運命に抗うと。
聞こえた声に、お道化て肩を竦めて嗤う。腕を組み、ゆるやかに宇宙に舞う。緑の髪が、光を纏って揺れている。
「抗うが善いよ、今はまだその時。逢いたいと願うのだから、逢わねばならない。例え、結末が決まっているとしても」
声の主は、つまらなそうに舌打ちをして気配を消した。