外伝4『月影の晩に』17:死に逝く城

文字数 6,014文字

 薄氷の上に立っているかのような危うさと緊張感が漂う中に、不釣合いな明るい声が響く。

「良いではないですか、アイラ様。トレベレス様にお歌を披露して御覧なさいませ」

 数人の女官達が現れ、トレベレスに悠々と会釈をすると二人を引き離す。殺気立っている騎士らには目もくれず、アイラに気味の悪いほど優しい笑みを浮かべた。それは、反論は許さぬとも言うべき威圧感を含んでいる。
 女官の異様な雰囲気に、アイラは身体を震わせて俯いた。第六感が、危機を告げている。

「トレベレス様、アイラ姫を伺わせますからお部屋でお待ちいただけますか? 一国の姫として恥ずかしくない様、それなりの“正装”をしなければ」

 正装、という単語に眉を顰めたミノリは、ふと後方の女官が手にしている薄布を見た。どう見ても透けているその布に、バラバラになっていた破片が一気に並ぶ。すぐに自分の立場を取り戻し、アイラに腕を伸ばした。
 それは“夜伽の正装”だ。薄い桃色の布に、深紅のリボンがついている。あれは、ドレスではない、ショールでもない。女官達は、この機を逃すまいとトレベレスとアイラを契らせるつもりなのだろう。

「ですが、マローが一人では寂しがります。共に休まねばなりません、貴女方も御存じでしょう?」

 不審に思ったアイラが抵抗したので、ミノリは安堵の溜息を漏らした。しかし、所詮は無駄な足掻きである。

「まぁ、嘆かわしい! 王子の誘いを断るなど、なりませんよ。そもそも、私達がマロー様の傍におりますから、寂しくなどありません」
「ささ、アイラ様。きちんとお着替えましょうね。トレベレス様、ワインをお持ちいたしますから、お部屋へどうぞ」

 女官達は圧力をかけ、アイラを取り囲んだ。
 アイラは当惑し、ミノリとトモハラに手を伸ばす。そして騎士達に瞳を投げかけた、大きな瞳が伏せられ、迷子の子犬の様に怯えている。

「アイラ姫様っ!」

 救いを求めて差し伸べられたアイラの腕を掴んだのは、ミノリだった。姫に触れてよいわけがないが、非常事態だ。その体温に身体中が甘く痺れたが、今は懸想している場合ではない。
 騎士達も毅然として動いた。女官達をぐるりと取り囲み、険しい表情で威嚇するように剣に手をかける。
 だが、女官達とて肝が据わっている。恐怖も驚愕も浮かべない瞳で騎士を一瞥し、アイラを強引に引き寄せる。

「トレベレス様。アイラ様の歌声を、存分に御愉しみくださいな。きっとお気に召しますよ」

 その“歌声”に秘められた真の意味など、誰もが理解出来た。ミノリ達は青褪め、唇を噛み締める。
 トレベレスは喉の奥で笑うと、女官達の中でもがいているアイラに近寄り、そっとその髪に触れた。

「愉しみたいが、アイラ様は拒んでおられる様子。残念ながら、嫌われてしまったらしい……」

 女官に爽やかな笑みを浮かべたトレベレスだが、瞳の奥には鋭利な光を浮かべ恫喝する。魂胆など解っていた、アイラを孕ませ自国を滅ぼすが良い、ということだろう。部屋に運ばれる酒は、相当強いものになることも想定内だ。その手になど乗らない。確かに、上等の生娘だろうが“いわくつき”だ。今は唯、暗殺の時間稼ぎをするだけのこと。
 トレベレスは、アイラを観察するように瞳を走らせる。と、ようやく視線が交差した。それはまるで、あらかじめ決められていたかのように、すんなりと絡み合った。頬を赤らめて見つめ返してきたアイラに、弾かれたように舌打ちをする。

「成程、これが“犯してはならない禁忌”の魅力か」

 小声で呟くと、トレベレスは数歩離れ、威嚇を解かない騎士達に大袈裟に肩を竦める。

「女性の前だ、物騒なものに手をかけるな」

 言いながら、遠目でアイラを見つめた。眩暈がする、執拗に下半身が熱を帯びる。近づいた瞬間に、幾度も感じていた。一目見た時から、自分が欲していたのは確かにこちらの姉姫だった。近づいてしまえば、こういう運命だったのだと受け入れるしかない気がした、ゆえに距離を置いた。だが、それすらも意味を成さない。“破壊の呪いの姫”だと頭が解っていても、身体が反応する。
 親し気なトライとアイラを何度見ただろう、その都度無性に苛立った。それが嫉妬だと気づくのに、時間は要さなかった。
 大きく深呼吸を繰り返したトレベレスは、軽く頭を押さえる。万が一、二人きりの密室であのような薄布を纏ったアイラが、仄かな明かりの中で扇情的にこちらを見ていたならば。

「酒の力など、不要」

 トレベレスは吐き捨てるように呟くと、額に汗が浮かぶのを感じつつ壁にもたれる。抱き寄せた時に、アイラの髪は甘く香った。鎖骨を髪に埋めたまま、その形の良い尻をやんわりと揉んでしまいたかった。想像しただけで、淫楽に身を投じてしまいたくなる。ブルリと身体が震え、力が抜けそうになった。

「……アイラ姫の機嫌が良い時にでも、是非歌声を御聞かせ下さい。待っています」
「えぇ、勿論でございます。おやすみなさいませ、トレベレス様。良い夢を」

 女官達は一斉に頭を垂れ、他国の王子を見送る。
 騎士達は胸を撫で下ろし、ようやく剣から手を離した。しかし、問題が去ったわけではない。

「きゃあっ」

 突き飛ばされ、アイラは女官達の輪から抜け出た。ドレスの裾を踏みつけられ、転倒しそうになったところを、間一髪でミノリとトモハラが受け止める。

「折角の好機を逃がしてしまうだなんて、本当に役に立たない姉姫だこと」

 毒を含んだ女官の発言に、我慢ならぬとミノリが剣を抜く。だが、仔猫が爪を立てた程度のものであり、蔑むように鼻で笑った女官達は蒼褪めているアイラに殺意を向ける。

「落ち着け、ミノリ。一難は去ったんだ、良しとしよう。それよりも問題は今後だ」

 努めて冷静さを装い宥めているトモハラだが、声が震えていた。怒りを押さえ込もうとしている様子が、手に取るように解る。
 俯いたままのアイラに、騎士達は必死に声をかけた。部屋へ戻るように促し、彼女にとって安全な場所を確保した。力なく微笑んだアイラを見て、騎士達は泥を噛んだような辛さを感じた。
 けれども、誰が気付いただろう。アイラが、去って行ったトレベレスの姿を追い求めていた事を。

 ……私は、トレベレス様の事を嫌ってなどおりません。

 先程告げられた言葉を鵜呑みにしてしまったアイラは、憂鬱な気分で部屋に戻ると項垂れる。今すぐにでも、否定をしに行きたい衝動に駆られていた。嫌だったわけではない、今まで体験したことがなかった感情と身体の反応に、脳がついていかなかっただけだ。先程触れられた箇所が、どうしようもなく熱を帯びている。切なく溜息を何度も吐き、得体の知れぬ感情に胸を抑えることしか出来なかった。

 アイラの本心など露知らず、騎士らは万全の態勢で臨まねばと気を引き締めた。女官がアイラを呼びにこないように、トレベレスが迎えに来ないようにと極力大勢で待機することとし、配置換えがすぐさま行われた。張り詰めた面持ちで、息を押し殺している。新たに『常に三人一組で行動する事』と指示も出された。
 ミノリとトモハラは、互いに顔を見合わせると持ち場に着いた。最も下の位の騎士二人の休憩は、夜明けになる。だが、そのほうが都合が良い。今は、姫君の傍を離れたくなかった。二人はトライの言葉を自然と思い出し、顎を引いて廊下の薄暗い先を睨み付ける。
 まさか、トライが不在になって直様このような事態が起こるとは思いもしなかった。それほどまでに、トライの存在には牽制する力があったのだろう。偉大さを感じ、二人は喉を鳴らす。到底追いつけない相手であると、悟ってしまった。そして、あの王子のような実力も権力も無い自分を情けなく思い、ひどく羨ましいと痛感した。

 ……王子は産まれながらに決まっているけれど、英雄や勇者は、今からでもなれるかも。

 ミノリはやはりそんな妄想を抱いて、深い溜息を吐く。自己嫌悪に陥ってしまいそうだった。

 自室に戻ったトレベレスはソファに軽く横になると舌打ちし、傍らのワインを一気に飲み干した。香り高いキリッとした辛口の白ワインだが、今は味が分からない。アイラを思い出すと、意識が遠のく。怒りに似た気持ちが心の一角に燃え上がり、頭を掻き毟ると我武者羅に再びワインを煽る。それでも、あの悩まし気な表情や身体の線、そして誘うように鼻先をくすぐった甘い香りが消える事は無い。
 無性に、重苦しい気分になった。よろめきながら立ち上がり、机の引き出しから一つの指輪を取り出しランプに透かす。それは、あの夜拾ったトライがアイラに送った指輪だ。返しそびれ、未だに隠し持っている。返す口実があるので再び会いに行けるのだが、どうにも返したくない。返せば、必ず笑顔になると解っているのに。恩を着せる事も出来るというのに。

「どういうことだっ、何にオレはここまでイラつき……」

 手の中の指輪を握り潰しそうになったが、悲痛なアイラの表情が浮かんで慌てて止めた。額の汗を拭いながらソファに戻り、再びグラスにワインを注ぐ。
 静かに、ノックの音が聞こえてきた。今はアイラ以外誰にも会いたくはない、しかし、怪訝な顔を向けつつも、家臣に軽く頷き来訪者を招き入れる。

「トレベレス様、夜分に失礼致します」
「……何の用で?」

 やって来たのは、この城の女官達だ。どこかで見た顔だと思ったら、先程姫の室前で会った者達である。手にワインを抱えている、魅惑的な身体と挑発的な衣装を着た情婦のような女が後ろに控えていた。

「先程は、アイラ姫が大変失礼を致しました。教育が行き届かず、恥ずかしゅうございます。選りすぐりの美女を揃えましたが、如何でしょう? 王子の為ならば喜んで、一夜とて身体を差し出したいと」

 情婦達は蠱惑的に微笑み、豊かな乳房を大胆に見せる様に腰を低くする。家臣らが、喉を鳴らした。しかし、トレベレスは憮然とした態度で片手を上げる。

「気遣いは有り難い、が。気分が削がれた」
「やはり、アイラ姫を所望しますか? 連れてきましょうか」

 その言葉に、トレベレスの眉が微かに動く。見下すように冷笑し、腕を組んで深々とソファに腰を落とした。

「余程、そちらの姫君をオレに抱かせたいようで? 何故でしょう」

 知っていて、訊いた。直球な質問だが、女官達は狼狽することなく悠々と微笑む。

「前女王を失ったこの国は、現在無力同然。王子ならば、強国と手を結びたいと願う気持ちがお解かりでしょう?」
「えぇ、無論痛いほどに分かりますとも。ですが、何故アイラ姫ばかりを? アイラ姫には生憎嫌われてしまいましたが、マロー姫とは親密な関係を築いてきたつもりですが」

 トレベレスは愉快そうに笑ったものの、女官達に挑むような目つきを向けてそう告げた。

「マロー姫様は、まだ夜伽の準備が出来ておりません。アイラ姫なれば、存分にお相手出来ましょう」
「ほぅ? 何故アイラ姫だけ? 勤勉において優秀なのはマロー姫でしたよね? 」
「アイラ姫様は勤勉には向きませんが、“そちらのほう”は優秀ですから」
「そちらのほう、ねぇ。……トライ曰く、アイラ姫はマロー姫より学があり、何事においても秀でていると。実際のところ、どうなのでしょう?」

 含み笑いで語るトレベレスだったが、女官はやはり笑みを浮かべるだけだった。

「今宵はお手が空いているのでしょう? 他国の王子を退屈させては、末代までの恥にございます。こちらの女達は置いていきますので、存分にお楽しみください。試したいのであれば、アイラ姫も呼んでまいります。先程は突然の訪問で狼狽しておられましたが、受け入れる準備は整っておりますよ」

 トレベレスは顎を擦り、低く唸った。この城は、いや、この国が朝を迎えることはない。今この時も、自分の、そしてベルガーの臣下達が殺戮を繰り返しているはずだ。アイラは勿論、女達をこの部屋に招き入れておけば、手っ取り早く済むだろう。何より、自分がアイラを捕らえたならば極秘に国に持ち帰ることも可能だと思った。思ったが慌てて首を横に振り、否定をする。爪を噛み、脚を鳴らす。
 トレベレスは、側近に小さく耳打ちをした。一瞬驚愕の瞳でこちらを見た側近だが、「王子は、アイラ姫を御所望でございます」としどろもどろに女官らに伝える。

「畏まりました、すぐに戻ります」

 女官達は満足して頷き、控えていた女達をその場に残して颯爽と部屋から出て行った。残された女達はようやく仕事だとばかりに営業用の笑みを浮かべ、ゆっくりとトレベレスに近寄り酒を勧める。

「…………」

 鼻が曲がりそうな程きつい匂いがする女達に吐き気をもよおしたトレベレスは、酒には口をつけなかった。身体をくねらせて媚びた視線で衣服を脱がそうと躍起になる女達を見ていても、何の感情も沸かない。寧ろ、興醒めだ。

「お前達、相手をして差し上げろ」

 蠅を払うように面倒そうに手を振ると、唾を飲み込んでこちらを見ていた側近や家臣らを呼びつけた。動揺していた情婦達は、すぐに男らに床に押し付けられ悲鳴を上げた。王子の相手、と聞かされていたが、これでは話が違う。

「申し訳ない、御婦人方。好みではないので、オレは辞退しよう。なぁに、相手が誰でも同じだろう?」

 おどけたように肩を竦め、始まった乱痴気騒ぎを一瞥する。すぐに部屋は、淫靡な香りと嬌声で満たされた。

「さぁて、姫はいつ来るのだろう? この部屋に足を踏み入れた時、どんな顔をするのだろう。怯えて一歩も動けなくなるのだろうか、それとも毅然として醜態を見つめるのだろうか。どちらにしても、愉しみだ」

 トレベレスは、腹の底から高々と笑った。

 三人一組となり、休憩すべく仮眠室へと向かったアイラの騎士達は、喉が渇いたので厨房に立ち寄った。水を飲んで喉が潤うと、長居は無用と踵を返す。しかし、何かに躓きよろめく。何か解らず不審に思いランプを掲げ、照らされたソレを見て悲鳴を上げた。

「な!?」

 料理人が、床に伏している。

「がっ!」

 何事かと仰向けにさせたところで、三人の騎士は喉を掻き毟りその場に倒れ込んだ。水に毒が入っていたと気づいた時には、もう遅かった。

「あ、アイラ、さ、ま……。知らせ、な、けれ……ば」

 普段通り水瓶から飲んだのだから、そこに何かが混ざっているのだろう。騎士達は必死にもがいた、もがいて床を這った、だが。目を大きく見開き、口元から微量の血を吐きながら力尽きる。
 足掻きも虚しく、三人の騎士はそこで息絶えた。
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登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

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