夢見の崇高~ガーベラ~
文字数 3,647文字
“魔王が決まるまでの間”としてアサギの名が掲げられ、その存在は魔族らに希望を与えた。彼女が行ったことはほぼ無きに等しい、しかし、魔界の行く末を案じ足を運ぶだけでよかった。
トビィの計らいによりナスタチュームらも上陸し、素性を隠し支援を開始しする。
魔族らには“旅の最中に人間界で出会った”と説明し、顔見知りとして紹介した。最初は訝しんだ魔族らであったが、見栄や気取りはまったくないものの彼の先導者としての器を感じ、素直に意見を受けいれた。
いかに本人が卑下しようとも、ナスタチュームはアレクの従兄弟。その血統と秘めたる才能は隠せない。
方向性が整ったので、トビィは進捗を定期的に報告してもらうことを約束し離脱する。ようやく、肩の荷が下りた瞬間だった。
しかし、まだ問題は多々残っている。
ワイバーンに打撃を与えられた惑星チュザーレの港町カーツも、復興は滞りなく行われていた。アーサーらが支援に入っているので、問題はない。
そんな中、アサギとトビィは様子を見るためにやってきた。報告通り活気で溢れており、混乱に乗じた盗人も少ないらしい。城からの派遣部隊がきっちり仕事をこなし、夜間の取り締まりを強化しているという。
「それにしても、改めて訪れると……不思議な街ですよね」
ワイバーンの奇襲とはいえ、彼らの目的は街の破壊ではなかった。彼らはただ、大事な卵を取り戻したかっただけ。その為、高い建造物は破損したものの、通常営業できる店が多い状態だった。
「不思議?」
トビィが訊き直すと、アサギは小さく頷く。
「はい。惑星チュザーレを恐怖に陥れたミラボー様は、各地に侵攻していたはずです。けれど、この街は被害に遭っていないように見えます」
「確かに」
アサギに指摘され、トビィは街を一瞥する。
「主要都市ではなく、抵抗する軍もない。見逃したのか? しかし、この盛況ぶりを見ていると、アイツは嬉々として破壊に乗り出しそうだが」
眉を顰めトビィは改めて街と人々を眺める。
「ですよね……。ミラボー様の気まぐれだとするならば、この街は相当
ミラボーに訊ねようにも、彼はすでに死んでいる。
二人は少しでも彼らの助けになるように、街で土産を購入することにした。食材に織物、勇者らには揃いの組紐を選ぶ。
「ミサンガみたい。トモハルたちには丁度良いかも」
色とりどりの組紐を手にしたアサギは、顔を綻ばせた。ユキには桃色で花柄の愛らしいものを選ぶ。
軽い食事をして街を歩いていると、ふとアサギが立ち止まった。
「あの人は」
視線を追ったトビィは、赤髪の少女が歩いている姿を見つける。人目で分かるほどに上等な布をまとっていた。
「トビィお兄様、少し待っていてください」
駆け出したアサギは、気配を感じて顔を上げた少女に手を振る。
「こんにちは! あの後大丈夫でしたか?」
「貴女、あの時の……! おかげさまで、順風満帆よ」
市長の娘グランディーナは、アサギを見て驚いたものの、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。近寄ってきたトビィを見て黄色い悲鳴を上げたが、咳ばらいをして取り繕う。顔を紅葉のように赤くして、髪を弄りながら身体を揺すった。
どうも彼女は美形に弱いらしい。
三人は手ごろな店先に腰掛け、温かい茶を飲みつつ対話する。グランディーナは、父に苦言したことをアサギに話した。
そして。
「……貴女には話そうかしら。父は金目のものに目がないけど、同時に
トビィに視線を送ってから、グランディーナは深い溜息を吐く。
「
今回の復興に関し、トビィはこのグランディーナが大きく貢献していたことを後にアーサー経由で知る事となる。
アサギは疲れ切った表情だが、瞳の奥に燃えるような炎を宿しているグランディーナを見つめ感嘆の溜息を吐いた。美しい、と思った。
「グランディーナさんは、やるべきことを見つけたのですね」
「そんなところかしら。もう二度と、卵を購入するような愚かな真似は許さないから安心して。逆にその商人を捕縛してやるんだから!」
頼もしい視線を投げ、アサギは気になっていたことを口にする。
「あの。もしよろしければ、あの時一緒にいたとても美しい人が何処にいるか教えていただけませんか? 金髪に青い瞳の……お友達ですよね?」
心の内を見透かされたように狼狽したグランディーナを、トビィは見逃さなかった。
「……ガーベラのことね。そうね、彼女は私の“友達”よ。彼女なら、この先にある『マリーゴールド』という御店にいるわ」
トビィに意味深な視線を投げたグランディーナは、陽の傾きを見上げ席を立つ。
「そろそろ戻らないと。またこの街に来たら、会いに来て。待ってるわ、勇者様」
手を振って去っていく彼女を見送ったアサギは、トビィを見上げた。
「ガーベラさんに会いに行きたいです」
「言うと思った」
軽く溜息を吐き、アサギの髪をクシャッと撫でたトビィは軽く眉を顰める。グランディーナの言葉には、含みが隠れていた。気乗りしないが、無下には断れない。
「絶対にトビィお兄様も驚きますよ。超絶美人なのです」
「アサギ以外の女に興味はないんだが」
疲弊した顔で、トビィは寂しく呟いた。そして、グランディーナが指した方角を見やる。路は続いているが、曲がりくねっておりその先が見えない。
まるで、
トビィは、なんとなく察していた。
見事な金髪を風になびかせ裏庭で洗濯物を取り込んでいたガーベラは、訪ねて来た二人に目を丸くした。
「貴女、あの時の」
社交辞令だと思っていたので、本当に足を運ぶとは思っていなかった。
「こんにちは! グランディーナさんにお会いしたので教えてもらいました」
「……律儀な子」
肩を竦めたガーベラは、隣で険しい顔をしているトビィに軽く頷いた。この場所は、何も知らぬ娘が足を踏み入れてよい場所ではないと訴える。純粋無垢な子犬のようにじゃれつくアサギに、罪悪感が芽生えていた。
この一帯は、認定されている娼館通りだ。夜の帳が降り始めるこの時分、すでに客は増えている。表に出れば、あちらこちらで客引きが始まっているだろう。
売春婦という単語も知らない、綺麗な娘かもしれないと眉間に皺を寄せる。生きる場所が違い過ぎて、傍にいるだけで息苦しさを感じていた。
汚れた川で生きる魚が、清冽な水に耐えられないように。
「トビィお兄様、ガーベラさんです。お美しい方でしょう?」
アサギは弾んだ声でそう言うが、二人は警戒した顔つきで軽く会釈をしただけだった。
トビィは、ここがどういった店なのか、そしてガーベラの正体が何かも察している。
「どうも」
「初めまして、ガーベラです」
息を飲む程に美しい男だと、ガーベラは率直に思った。職業柄男を多く見てきたが、頂点に立つと言える風貌をしている。
だが、ガーベラにとって男は
互いに値踏みするように見据えると、何処か似ているような気がして背筋を正した。似すぎて、近寄ってはならない気がした。同族嫌悪、とでもいうのだろうか。
自分の嫌な部分が、鏡に映ってしまいそうで恐ろしい。
「そうだな、アサギが言う通り確かに“綺麗な”女だ」
「あら、貴方のような素敵な男性にそう言っていただけて嬉しいですわ」
感情が籠っていない、白々しいお世辞を互いに告げる。猜疑心に満ちた瞳は、今から戦争を始めるかのように冷たい空気を醸していた。
不信感を覚えたトビィは、ここに近寄ってはならないと判断した。けれども、アサギはガーベラに熱狂している。
美しい大人の女性は、少女に大きく揺さぶりをかける。手に届かないテレビの中のアイドルに惚れ込むように、雑誌で着飾るモデルを羨望するように、アサギはガーベラを尊敬の眼差しで見つめた。
アサギの周りには、常に美しい女性がいた。それはマダーニであり、アリナであり、手を伸ばせばすぐに触れ合える。
しかし、ガーベラは空気が違う。何処となく気品が漂い、近づき難い彼女はアサギの心を捕えて離さなかった。
いや。
それだけではない。アサギがガーベラに固執するには理由があった。
娼婦という職業柄、勇者と付き合うには相応しくないと思い距離を取ろうとするガーベラ。
娼館に漂う独特の雰囲気から、幼いアサギを遠ざけたいトビィ。
キィィ、カトン。