惑星クレオ
文字数 4,914文字
しかし、その場には誰もいない。舌打ちしたトビィを見つめ、クレロは再び口を開いた。
「勇者の石。あれは……人間たちは勘違いしているようだが、神である私が司っているものではない。石に意思があると考えたほうが良いのだろうか。勇者を選んだのは、私ではない」
トビィは、驚きのあまり目を見開いた。神が関与していない石が、何故勇者を選定できるのか。
「その石の出生を、私も知らない。人間たちの間で『世界が混沌の危機に陥った時、伝説の勇者が石に選ばれ世界に光をもたらす』とされていたが、驚いたよ」
「え、ちょっと待って? その石、本当に勇者の石なの?」
流石のトビィも絶句し、リョウは混乱し頭を抱えた。
「私は、異界から美しい娘が現れることを知っていた。膨大な魔力と美貌を兼ね備えた、何からも愛される娘だと。アサギを見た時に、それが彼女の事だと解った。その娘は目の前に立ちはだかる全てのものを、絶対的な力で払いのけることが出来る……神をも凌ぐ存在だと。その娘を手厚く保護し、なるべく彼女の負担にならないように守護するのが私の役目」
最早、トビィもリョウも、何を言ってよいのか解らなくなった。神は魔王を倒す勇者を待っていたのではない、一人の娘を待っていたらしい。
「トビィ、君が知りたがっていた事を話そう」
「待て」
トビィがクレロを止める。眉間に皺をよせ、重苦しい声を吐き出した。
「石の出生が分からないと言ったが、お前は過去を視ることができるのだろう? いつ出来たのか知らんが、歴代の神もお前も、それを調べることなく放置したのか」
「まさか、本当に勇者を連れてくる石だとは思わなかったのだ。一応調べようとはしたのだが、何しろ記憶が膨大で追いつかぬ」
はっきりと告げたクレロに、トビィは苦虫を潰した様な顔を浮かべる。
「神聖城クリストヴァル。あそこからチキュウへ、ライアンたちは出向いた。そこの者たちが知っているのでは」
訴えるような視線を受け、トビィは項垂れ首を横に振る。
「またオレに訊いて来いと」
「神である私が出向くわけにもいかんだろう」
トビィは深い溜息を吐き、面倒事が増えたことを呪った。しかし、確かに気になる。不本意ではあるが、落ち着いたら聞きに行くことにした。
「そのうち行く。……話を続けてくれ」
クレロは軽く頷き、開口する。
「その娘が来ることは、知っていた。しかし、勇者として大勢の仲間と共に現れるとは、聞いていない。魔王を倒すなどとも、聞いていない。私が待望していたのはアサギだと確信しているが、見当違いな現れ方をしているので、どうしてよいやら」
「……多々突っ込みたいことがあるが、最も気になるのはアンタの役目だ。神、の存在意義が知りたい」
勇者を選ぶわけでもない、魔王が下界に居ても特に気にしていない。ならば、神とは何か。
クレロは、軽く瞳を閉じると憂鬱そうな瞳を開き掠れた声を出す。
「浮遊島に住まう、天界人たちの長。それの総称が、神。確かに下界の監視は出来る、だが、それだけだ。別に下界の動きを司っているわけでもない、楽園を築こうとしているわけでもない。神とて交代をしてきたため、私が初代ではない。おそらく、翼ある者が天界に住まい、それを見た人間たちが神だと崇め始めただけなのだと、私はそう思っている。……神には、なんの力もないよ」
「下界を監視しているのは、一体何の為に」
鋭利な視線を受け、クレロは悲しそうに口を開く。
「おそらく、
トビィが失笑する。
リョウが狼狽する。
クレロが嗤笑した。
「アンタを含むこの天界に住まう者たちが、暇を持て余していただけの種族だとして。異界から来たアサギが魔王をも倒せる者だと知っていたから、最初は保護しなかったんだろ? では、一体何から護ろうとしているんだ」
クレロはたじろぐ事もなく、澄んだ声を出す。
「地球という惑星のアサギがいた日本は、余程のことがない限り安全な場所だった。魔物もいない、魔王もいない、規律正しい場所で、医療も発達している楽園のような場所だ。地球を見つめ、それを把握した。ならば、アサギは地球にいることが安全だと思った。彼女を戻すことが良き事だと」
「アンタは、アサギを守護したいからな」
「そう。しかし、トビィも知っているだろう。魔王以外の脅威を、破壊の姫君という存在を」
リョウも知っていたので頷いた。ノートの隅にアサギが書いた文字を思い出す。
「その破壊の姫君、というもの。魔王を神をも凌ぐ存在。全てを滅ぼす、美貌の姫君」
そこでトビィは我に返った。
以前クレシダに訊ねられた時は笑って取り合わなかったが、気づいて口を押さえる。
「解ってもらえたかい? 破壊の姫君の言われが……私が待っていた異界からの娘にそっくりだろう?」
トビィが低く呻く。
整理が追いつかないリョウは、トビィを不安そうに見つめた。
「つまり」
トビィの押し殺した声が、響く。
「異界から来た勇者であるアサギが、破壊の姫君?」
「私もその考えに行きついた、だから君に言えなかった」
「え、え、どういうこと!? アサギは勇者だよね!?」
リョウを制し、何度か言葉を飲み込む。そうして深い溜息を吐き、トビィは結局何も言えず舌打ちを続けた。
「確定ではない。解らないことが多過ぎて、私も不用意にこの話が出来なかったのだ。許してくれ」
トビィが眉を顰めて、低く唸る。
「……それは、なんとなく理解した」
「それで、二人に頼みたいことはこれからだ。憶測しても答えなど出ないだろうから、私の思いを聞いて欲しい。トビィ、リョウ。君たち二人を、アサギを守護するに最も適任な者だと判断した。彼女を、護ってやってくれないか」
言いたいことは解るし、言われなくともやる。
腰を折って深く頭を下げたクレロに、トビィは渋々頷き、リョウも大きく同意する。
「ありがとう」
二人を見て、クレロは脱力し覇気なく笑った。
「解らないのだ、破壊の姫君というものがアサギなのか。破壊の姫君の目的が、何か。ただ、私はあの子が傷つかないように護ってやりたい。それだけだよ」
何故、そこまでアサギに肩入れしているのか。恋心を抱いているようにも思えるが、何か違う気がしたトビィは「最後に」と、重々しく口を開く。
「異界から来るらしい娘について、アンタは一体誰から聞いて知ったのか。先代の神からか」
「大体合っている。代々神と呼ばれる天界人の長に伝わってきたといえば、そうだ。だが、正しくは……この惑星クレオの意思だと思う」
問いに、クレロは真顔で答える。その声は妙に透き通っていて、今までとは違い、威厳を感じる。
何処かで、何かがまわる音が聞こえた。
冗談だろ……そう言いかけたトビィは口を噤む。クレロは、真面目だ。
しかし、惑星クレオの意思、とは。
惑星に、意思があるというのか。
皆が住まう惑星に、
「じょ」
「冗談ではなく。我々、種族が違う者同士が、こうして難なく会話しているように。惑星にも、意思があり対話しているらしい」
受け入れられず言葉を発したトビィだが、それは被せられた。落ち着き払ったクレロの声に、背筋が凍る。額を押さえ、乾いた笑い声を出すことしか出来なかった。
「神である私と、惑星クレオの住人トビィ、そして地球という惑星のリョウ……我ら三人も会話が出来る。目に見える形も、大きさも違う、我々なのに。どんな形をしていたとしても、この宇宙に存在するものらには、全て意思がある。植物にも、動物にも、そして、惑星にも。ただ、全てのものと対話出来るかどうかは、解らない。君達と同じように、惑星クレオと会話は出来ない。しかし、訴える様な意思が、時折聴こえる気がする」
トビィとリョウは、顔を見合わせた。嘘は言っていないのだろうが、どうしても理解出来なかった。だが、目に見える形を取っ払い“魂”という存在にしてしまえば、同じようなものなのだろうか。
そう思ったが、トビィは慌てて首を横に振る。惑星に魂があることが、信じられない。動植物に魂があることは、どうにか認めたとしてもだ。
「ええと、仮に惑星クレオに意思があるとして」
「仮に、ではなく、真実だ」
「ご、ごめんなさい、えっと」
即座にクレロに吐き捨てられ、リョウは若干怖気づいたが控え目に続ける。
「惑星クレオに意思があるのならば、僕たちが住む地球にも意思があるということですか」
迷う素振りなど見せず、クレロは頷く。
「そうなるな」
「クレロ様は、地球と会話出来るのでしょうか」
「対話を試みたが、反応はなかった。惑星ハンニバルや、惑星チュザーレも同じだ。私が意思を汲み取ることが出来る惑星は、現在このクレオのみ」
「その惑星の、神のみが対話出来ると?」
「かもしれぬ。そうなると、地球の神は誰だ。その者に、直接訊ねるがよかろうな」
リョウは困惑し、片眉を上げる。地球の神が誰なのか解らない。
目の前にいるクレロのように、実態があるものではない。何処かにひっそりと住んでいるのかもしれないが、このように直接対話するなど、有り得ないだろう。神は最も近くにあり、そして不明確な存在だ。
「ええと、そもそも地域によって神様が違いまして……仏様と神様の違いも僕には解りませんし。天帝? イエスキリスト? ガブリエル? ゼウス? 天照大神? シヴァ? ……さっぱりです」
地球には、多くの宗教が存在する。崇める神は、宗派によって違う。呼び名が違うだけで、もしかしたら同一のものかもしれないが神は謎だ。思いつく神々の名前を何個か呟いたが、小学生にはこれ以上無理だった。
困り果て俯くリョウを気の毒に思い、クレロは柔らかく微笑むと近寄って肩に手を添える。
「すまなかったな、難しい事を考えさせてしまったようだ。今のは忘れて構わない。最優先すべきことは、アサギの護衛なのだから」
そのほうが解りやすいし精が出る、とばかりにリョウは姿勢を正す。
トビィも皺が顔に刻まれそうなほどのしかめっ面をしていたが、幾分か和らいだ。
「得体が知れないので、二人にはこれまで以上にアサギと共に居て欲しい。あの子は、結構頑固で無鉄砲だ。これからも調査を依頼するが、必ずどちらかは共に行動してくれ。出来れば、三人一緒が望ましい」
頼もしそうに見つめてきたクレロに、トビィは舌打ちしたが渋々了承した。神の言う通りになるのは、悔しい。けれども、アサギが絡むならば仕方がない。上手く利用されている気がしたが、公然と居られるのは嬉しかった。
リョウにしても、幼馴染のアサギが心配だったので願ったりだ。この二人は互いに反発心もない。上手くやっていけそうだと、率直に思った。
「アイツじゃなくてよかった」
忌々しそうに唇を歪めたトビィに、リョウが首を傾げる。
「アイツ?」
名を口にすることに嫌悪感を覚えたトビィは、首を横に振ると、心底嫌そうに肩を竦める。
察して、クレロが口を開いた。禍々しい、その名を。
「
「やめてくれ……その名を聞くのも耐えられない」
先程も出た名前だ、惑星マクディに住んでいてアサギと出会ったらしい男の名。何故トビィが嫌悪するのか解らず、リョウは不思議がってその名を復唱する。
「トランシス?」
途端、トビィが目くじらを立てリョウを睨んだ。
あまりの形相に恐怖したリョウだが、ここまでトビィが厭悪する相手に興味が湧いた。だが、クレロが告げた次の一言にすっとんきょうな声を出して、唖然とする。
「惑星マクディに住んでいる、
「はぃ?」
惑星クレオに意思がある、という衝撃的な事実よりも、リョウにはアサギの新しい恋人のほうが衝撃的だった。
大口を開き、瞬きするのも忘れる。