護らねばならない人
文字数 4,074文字
学校から帰宅したアサギは、クレロから貰った水晶が光っていることに気づいた。慌てて自室がある二階へ駆け上がると、乱れた呼吸を整え通信を開始する。
「何かありましたか、クレロ様」
『アサギ、忙しいだろうにすまない。こちらへ来て欲しいのだが、時間はあるかい?』
アサギは、机の上に宿題を広げながら返答する。
「大丈夫です」
『ありがとう、アサギ』
途端、身体がふわりと浮かんだかと思えば、見慣れてきた場所に立っていた。謎の鉱物で出来ている部屋は、水琴窟のような音が時折鳴り響く。
ここは、神の居城。
数回瞬きをし、光り輝く世界に瞳を慣らせてから足を踏み出す。
「こんにちは、アサギ」
目の前で穏やかに微笑んだクレロが手を差し出すと、長い濃紺の髪が揺れる。
アサギは微笑み返すと会釈をし、その手を取った。
「こんにちは! 緊急事態、というわけではなさそうですが……」
「うむ。少々、水晶に細工をしたいと思ってな。今までは私が呼ぶことで、ここへ来ることが出来た。それを、アサギが望めばいつでも来られるように変更する」
アサギは瞳を丸くし、口籠る。
「え……。とても便利ですが、何故私だけ? 他の皆は?」
素直に疑問を口にしたアサギに、クレロは悪戯っぽく片目を瞑る。
「元魔王のリュウにハイ、彼らに会いたいだろう?」
「それは、確かに」
「会いたい時に使ってくれればよい。一旦ここを中継するが、声をかけてもらえれば直様転移させよう」
「ありがとうございます! それなら時間がある時に、ハイ様にお菓子を作れますから助かります」
クレロの配慮に、アサギは納得し破顔する。
アサギから水晶を受け取ったクレロは、控えていたソレルを呼んだ。
「僅かながら、時間が必要だ。ソレルに案内させるから、見学しておいで。待つのは退屈だろう」
「わぁ、ありがとうございます! ソレル様、宜しくお願いします」
微笑したソレルは、瞳を輝かせているアサギに会釈をする。
「ではアサギ様、いきましょう。あちらにお茶の用意がしてございます」
クレロの側近であるソレルは、背に大きな羽根が生えている。顔立ちだけなら東洋人で通用する美女だ。天界人と称しているが、アサギには天使に見える。
離れていく二人を見つめていたクレロだが、踵を返すと自分の足音に追われるように歩き出す。そうして一瞬瞳を閉じ、唇を噛み締めてから薄布で遮断されていた部屋に入った。
「何か隠していないか?」
「特に何も? 隠すようなことはないよ、トビィ」
壁にもたれ、不信感を露わにし声をかけてきたトビィに苦笑する。
腕を組み、片足を壁につけたままゆっくりとクレロを捕らえたトビィの瞳。恐ろしく鋭く、そして冷酷な、疑心の瞳。
若干クレロの顔が引き攣るが、気にしない振りをして奥の小部屋へと誘う。小さな部屋だったが、客をもてなすには十分の広さ。着席を促し、渋々座ったトビィを見てクレロも腰を下ろす。
周囲には誰もいないので、クレロが茶を煎れる。天界の花畑で摘み取った草花を乾燥させたもので、華やかで甘味のある香りが漂った。
「今は君達の協力が必要不可欠、解っていることは包み隠さず話すよ」
花の香りでトビィの気を落ち着かせようとしたのだが、そう簡単にいくはずがない。机を軽く指で叩き仏頂面をしている姿に、肩を竦めた。
「だといいが? どうにもアンタは信用出来ない」
「ならば何故そんな私に協力してくれるのかな? 君はアサギ以外の事に関しては無関心に思える、というかそうだろう」
「そっくりそのまま言葉を返す。アサギをこの世界へ連れて来られるのがアンタだから、協力している。それだけ。他がどうなろうとオレの知った事ではないが、アサギは微塵も疑わずにアンタに協力するだろう。となると、オレはアサギの傍から離れるわけにはいかない」
淡々と告げたトビィは、警戒する険しい瞳でクレロを見据えた。
「アンタ、そういう計略だろ? 知っていて訊いただろう、オレの口から言わせることで、再確認させたつもりか? それが非常に気に食わない」
「成程、包み隠さず話してくれて解りやすいよ。どう思うのも君の自由だ、その権利がある。さて、今日は何用かな?」
天然なのか皮肉なのか、なんとも判断しづらい声で微笑むクレロに、トビィは大きく舌打ちする。一刻も早く、ここから出たい。アサギに逢えれば良いと、それだけを願ってここへ通っているので、不在なら無駄足だ。
「あの施設、特に動きはない。下界を視ているんだろ、この場所からも。なのに、どうしてオレに監視させる? そこにどういう意図があるのか、是非とも聞きたいね」
「確かに君の言う通り、私は世界の全てを視通せる。だが、同時に幾つもの地区を視ることは無理なのだよ。残念ながら、ね。あの施設だけを監視していては、他が手薄になってしまう。それ故に信頼できる者に、気になる箇所を任せた。君は適任者だ。……時間差で視ることは出来るが、それでは遅い」
「時間差?」
トビィは眉を顰めた。クレロに褒められたところで、いい気はしない。逆に胡散臭く、懐柔しようとしているように思える。
「球体がある部屋は解るかね? あそこでは、世界の一部始終を記録している。未来を視ることは出来ないが、過去ならば視ることが出来るのだよ。つまり、視ようと思えば君の育ての親である魔族マドリードの最期も」
トビィが机を思い切り豪打し、カップの茶が倒れ、中身がじんわりと広がる。
「申し訳ない、今の言葉は配慮に欠けるね。……だが、君とて不審がっていただろう。あの低俗な魔族のオジロンに、マドリードが殺られるわけはないと」
嫌悪感を露にしているトビィに謝罪し、クレロは苦笑した。
「もう、過ぎたこと。そもそも、知人の死に際を見たいなど、普通思うか?」
「そうだね、辛いね。しかし、辛くとも真実を知らねばならぬ時はある。……話は逸れたが、あの球体で過去の出来事を追う事が出来るのだよ。最近は忙しく、把握が難しいので重要な事を見落としていないか不安だ。記録した内容全てが私の脳内に流れ込んでくるならば、楽だったが」
肩を竦めるクレロだが、トビィは口角を上げない。それどころか、下がり続ける。
「オレがあの施設を監視している際、アンタは何処を見ているんだ?」
「色々、だ。惑星クレオだけではなく、他惑星も見ている。はは、混乱しそうだよ」
お道化ているのか、馬鹿なのか、やはり騙そうとしているのか、何かを隠しているのか。真剣に取り合わない様子のクレロに、トビィは輪をかけて不機嫌になる。
「魔王は今どの惑星もいないんだろ? 他惑星の心配をするなんて余裕だな、こっちは破壊の姫君とかいう新たな魔王らしき存在に右往左往しているというのに。復興の手助けをし、自分を崇めてもらうという画策か?」
「はは、手厳しいな。違うよトビィ、あの惑星らには他の神がいる。あの場所は、彼女のもの」
「了知しているだろうが、オレは神とやらを信じていない。今こうして対話しているが、アンタはただの天界人と認識している」
クレロはそれを聞き流した。
「そういえばトビィ、君は魔族のサーラを知っているかな。深紅の長髪で、線が細い女性のような」
「……廃墟で会ったな、あの魔族が何か?」
突然話題を変えられ、トビィは探るような視線を送る。
「魔王ミラボーを倒した後、彼らは魔界イヴァンに来ていた。何が起きたのか解らず、途方に暮れている。状況説明出来る人物が君しかいない、頼まれてくれないかね。従えている立派な竜を使えば、何処へでも行けるだろう?」
「人遣いの荒いことで。あの魔族に恩なんざない、オレに得することはあるのか? そして、アンタに利益は? 何故気にする」
反抗的なトビィに、クレロは笑みを浮かべた。
「近いうち、アサギに逢わせよう。私の利益と訊かれると返答し辛いが、簡単に言うと
「卑怯な奴。これでは、アサギを人質にとられているようなモノだな」
「君は本当に、アサギを溺愛しているね」
互いに、探るような視線を投げかける。口角を上げているクレロと、下げているトビィ。表情こそ違うものの、二人の心境は似たようなものだった。
トビィは立ち上がると、時間の無駄だとばかりに部屋の出口に向かう。
「新しい茶を淹れようか? 一口も飲んでいないだろう?」
トビィはそれに返事せず、背を向けたまま開口する。
「オレがサーラのもとへ出向いている間、例の施設はアンタが見張るのか?」
「ああ」
「マダーニ達はどうした? まだ出向いた洞窟から戻らないのか?」
「行き違いだよ。あの洞窟には何もなかったので、別の場所を捜索してもらっている。邪教の住処になっていそうな場所を突き止めてもらうことが、彼らの目的だ」
「上から指示だけ出して、いい気なもんだな。アンタがひ弱な事は解ったが他の住人達はどうなんだ? 翼があるんだ、飛行は可能だろ? 魔法やら武器も扱えるんだろ? どうして地上で一緒に物事を突き止めようとしない。本来ならば人間であるオレ達に頼まず、自分達が動けばよいだろう。どんだけ怠惰な種族だ」
「君達のほうが能力的には上、それに我らの姿を他の人間に見られると面倒になる。しかし、有事の際には彼らにも地上へ行ってもらうよ」
「……なら、突っ立って睨みを利かせるだけでなく、空いた時間に少しでも鍛錬しろと指示を出しておけ」
天界城へ来るたびに、嫌悪感を露わにする天界人らに嫌気が差していた。協力しているのに、歓迎されていない。理不尽である。
「トビィ、魔族サーラ達の住んでいる場所は魔界イヴァンでない。これが地図だ」
ようやく振り向いたトビィに、クレロは羊紙を丸めて投げる。
飛んできたそれを忌々しそうに受け取ったトビィは、中身を見ることなく部屋を後にした。
残されたクレロは残り少なかった茶を啜り、深い溜息を吐くと暗い表情で頭を抱える。
「すまない、話してよいのか判断出来ないだけだ。私は決して、君らの敵ではない」