外伝6『雪の光』5:落札 

文字数 3,994文字

 それまで勝手気ままに騒いでいた人々は、響いた声に静まり返った。ピンと張りつめた空気と、不気味なまでの静寂に硬直する。
 その娘の素性、そしてどういった経緯で出品されるのか、多くの者は噂で知っていた。「アルゴンキンの」と、誰かが呟く。それが口を切り、密やかな声が至る所で発せられた。
 この場に居るのは高名な貴族らが多いが、稀に王族も混ざっている。アルゴンキンという名の侯爵は無論のこと、その愛娘も知っている者は多い。そして、娘が誘拐され、血眼になって彼が捜していることも知っていた。アルゴンキンと先日会った者もいた、一つ返事で「こちらも全力で捜します」と、直接約束した公爵もいた。
 けれども、見て見ぬフリをする。ここにいるのは、アルゴンキンの知り合いではない。あくまでも“闇市競売に集まった者達”。誰が彼女を救いだすというのだろう。

「あぁ、道理で見つからないわけだ。二度と逢う事はないだろうよ、気の毒に」

 誰かが、無感情な声でそう呟いた。聞こえぬフリをして聞いていた者達は、無言で頷き同意する。出品された以上、アルゴンキンの手元には戻らない。正義の味方など、この場に存在しない。集ったのは、私利私欲と悦楽に道楽を求める者達。例えこの場から去ったとしても、報告することはない。
 話せばそこから足がつき、この闇市競売の存在が明るみに出てしまう。年にニ度だけ。自由気ままに身分を捨て過ごせる、優越と快楽の場を誰が好んで手放すだろう。アルゴンキンが幾ら胸を痛めていたとしても、所詮は他人事。救出したら謝礼は出るだろうが、この場にいる者達にしてみたら、微々たるものである。そんなものの為に、この場を差し出すわけにはいかない。
 誰も口にしないが、暗黙の了解がそこにはあった。
 先程と同じように嗤い声や奇声が溢れ出した会場で、真紅の仮面の男が顔を軽く上げた。表情は見えないが、若干落ち着かない様子で机を軽く指先で叩いている。新しく注文したワインを水の様に呑みながら、差し出された瑞々しいマスカットを何度も口に咥えた。
 グラスを持つ手が、汗ばむ。マスカットの汁が口から飛び出すほど、強引に潰して味わっていた。
 会場内は、最後の商品を待っている者が大半だった。皆、好奇心丸出しの状態で注目している。
 しかし、“妖精のような娘”は出てこない。まるで、焦らすように。主催者側の演出に、真紅の仮面の男は苛立った。

『トシェリー様、そろそろ馬車の準備を致しましょうか』

 そう書かれた羊紙が、さりげなくワインの横に置かれる。その名を見れば、何処の誰か、この場にいる者ならば解るだろう。最もそれは茶番でしかなく、仮面をつけていても隠せない稀な紫銀の髪だけで憶測はつく。
 正体が解っても、決して口に出してはいけない暗黙の規制。

「そうしてくれ。オレはその大層な肩書きの娘を見てから、すぐに行く」
「御意に」

 退屈そうに告げ、トシェリーは何度もマスカットを摘んだ。
 マスカットが好物であることは周知の事実だが、手が伸びる回数が何時もより早い。自身も気付いていたが、どうにも止まらない。
 喉の渇きは、基本ワインで潤す。しかし、それでは駄目だった、ちっとも潤わない。マスカットの甘味が麻薬のように浸透し、手放せなくなっていた。
 
「御仁よ、気分が悪いので? 身体が震えておられますぞ、呑み過ぎでは?」

 中年の男が話しかけてきた。だが、トシェリーは薄く笑うと首を横に振った。
 呑み過ぎではない、酒には強い自信がある。しかし、言われてみれば確かに動悸が激しい気がする。胸に手をそえてみると、異様なまでに心臓が忙しなく動いている。足を小刻みに踏み鳴らし、爪を噛む自分に気づき驚いた。
 会場は、未だに出てこない目玉商品に対し、不満の声が飛び交っている。

「皆様、長い間お待たせ致しまして、大変申し訳御座いません。 さぁさ、ご覧あれ! 神がこの世に遣わした、穢れ無き天使に御座います!」

 皆の視線が、一点に集中した。
 飲み食いしていた者も、繋がって快楽を貪っていた者も、転寝していた者も、踊り狂っていた者も、好奇心に塗れた瞳を一斉に向けて値踏みする。
 アロスは、半泣きの状態でおずおずと静かに歩いてきた。純白のドレスに不釣合いな、絶望色の瞳で周囲を見回している。
 あちらこちらで感嘆の溜息が漏れたが、次の瞬間、爆発音のように荒い声が響いた。

「千!」
「三千だ!」
「なんの、五千!」

 入札が開始された。
 愉快そうな男達の声が飛び交ったが、稀に女の声も混じっている。想像以上の美しさに会場は騒然となり、熱気を帯びた会場は今にも揺れそうな程沸いた。
 育ちの良い控え目な動きに、大きな瞳が酷く怯えて宙を彷徨う。震えながらドレスの裾を掴み指定された位置で立つと、すぐに俯いた。

「ほぉお、確かに可愛らしい。まるで、精巧なお人形のようですなぁ。いやはや、あれに何をしてもよいとなれば……ククク」

 妄想に耽っているのか、中年男が卑しく嗤う。
 その声を聞きながら、トシェリーは再びマスカットを口に咥えた。跳ね上がっていく金額を耳に入れつつ、食べ続ける。房を持ち上げ口に咥えてもぎ取り、潰して食べた。しぼんだ皮を吐き出し、じっとアロスを見つめる。

「八千! いや、九千だ!」

 今回の競売で最も高額な商品であることは、誰の目に見ても明らかである。トリを飾るのに、相応しいものとなった。
 競り合いは止まらない。けれども、金額が上がるにつれて声もまばらになっていく。容易く出せる金額ではなくなってきた、しかも、今回既に何かを落札している者にとっては特に厳しい。それでも、先程手に入れた物珍しいものを殴り壊したくなるほど、目の前の商品は魅力的だった。
 
「一万千!」

 何処かで、勝ち誇ったような声がした。
 水を打ったように静まり返る会場に、司会者も満足そうに頷いている。
 その金額があれば、どれだけの平民を飢餓から救えるだろう。たった一人の少女の為に、金と欲に支配された醜い大人達は躍起になった。

「一万二千」

 興奮気味に、鋭く叫ぶ声が上がった。値段は高騰し、会場は異常な盛り上がりをみせた。参加していない者も、何処まで値が上がるのか楽しみで仕方が無いのだろう。品のない口笛や、野次が飛び交う。「もっと出せ!」と、挑発の罵声が飛ぶ。
 これには主催者側もほくそ笑んだ、こうして異常な空間の中で煽られれば、金銭感覚の概念が崩壊する。予定の金額をすでに上回っているので、行く末に心を躍らせる。

「一万三千五百!」
「いや、一万四千で!」

 数か所で、同時に新たなワインが開けられた。勢いよく飛び出したコルクに、歓声が上がる。腹が捩れる程、笑い転げた。
 そんな中、トシェリーは仮面の奥でアロスに視線を注ぎ続けた。彼らの声は聞こえているのだろう、悲鳴も出せずに震えている。その過度な怯えは、加虐心を増幅させる。
 狼の群れに投げ込まれた生贄の子羊は、抵抗するすべなど知らない。狼らは逃げられないことを知っているので、いつ喰おうか機会を窺いながら面白がって甚振る。
 
「一万八千」

 急激に、値が上がった。
 拍手喝采、「英断だ!」「素晴らしい!」だの歓声が飛ぶ。部屋が壊れんばかりの拍手が巻き起こり、これで終わりだとその場にいた全員が思った。
 一人を、除いて。
 トシェリーは仮面を指で押し上げると、静かに立ち上がった。マスカットの房を一つ持って、ゆっくりと歩き出す。
 房には、マスカットが一粒残っていた。

「現在、一万八千です。もう、よろしいでしょうか? ……いらっしゃらないようですね! それでは、妖精のような愛らしいアロスちゃんは」
「三万。決まりだな、オレが貰おう」

 司会の言葉を遮り、群がる人々を押しのけて、トシェリーは勝手にアロスに近づいた。
 皆、唖然とその男を見つめた。
 皆は、金額を聞き間違いかと思った。司会者も動けず、機転を利かせて喋ることも忘れた。
 突然やってきて目の前に立った男に、アロスは驚いて数歩下がった。仮面は、燃えるような深紅。触れてしまえば、燃やされてしまいそうな業火を連想する。
 仮面ばかりのこの場は、地獄の宴に見えた。人々がどんな顔をしているのか解らない、道徳の欠片もない悪魔のような集団だと思った。
 けれども、目の前の男からは不気味さも恐怖も感じなかった。
 ただ、美しいと思った。紫銀の髪は艶やかで、顔は見えないがとても綺麗な肌をしている。唇は滑らかで、品があるように思えた。何処となく上がった口角に、胸が疼く。

「おいで、アロス。怖がる事はない、今日からオレが君の飼い主。さぁ、帰ろう」

 声を聞いた瞬間、アロスの身体が反応した。仮面の奥に見える瞳が、何故か懐かしく感じられる。一歩、また一歩、離れた距離を縮ませる。
 自らの意思で、アロスはトシェリーに歩み寄った。伸ばされた手にそっと摑まると、触れた瞬間に熱が身体中を駆け巡る。
 身体が、その熱を欲した。反射的に足を踏み出し、トシェリーの懐に飛び込むように地面を蹴り上げる。

「いい子だ、アロス」

 抱き締められ、耳元で甘く囁かれると、アロスはうっとりと瞳を閉じる。
 戸惑いの色が、会場内の人々の目に宿っていた。唖然として、寄り添う二人を見つめていた。
 アロスの髪を撫でながら、優しく抱き締めるトシェリーの姿は、それこそ慈愛に満ちていて。姫を助けに来た、王子のようで。
 ここが闇市競売だと、一瞬忘れた。
 トシェリーの腕の中で、アロスが嬉しそうに柔らかく微笑んだ。
 その笑みに、皆の息が止まりそうになる。それこそまさに、妖精のような美しさ。先程よりも、一層輝いて見えた。
 ずっと、待ち焦がれていたかのように。
 ここへ来れば、逢える事を知っていたかのように。
 それこそ、引き裂かれた恋人同士が出逢えたように。
 二人は、強く抱き締め合う。
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登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

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