外伝3『ABHORRENCE』13:指輪を捜して
文字数 3,137文字
「ないっ!」
トカミエルの悲鳴が響き渡った。
隣室で身支度をしていたトリアは、怪訝に眉を顰めた。関わるとロクなことが起こらないので、無視して部屋を出る事にする。逃げるようにして部屋から足を踏み出したが、運悪く飛び出してきたトカミエルに出くわしてしまった。あからさまに顔を歪め舌打ちをする。
「トリアッ、オレの指輪見なかった!? ないんだよっ」
一気に捲し立てる兄を、瞳を細めて見つめる。大袈裟な溜息を吐いて「知らない」とぶっきらぼうに告げると、止まっていた足を動かした。
けれども行く手を阻まれる。
「一緒に捜せっ!」
「嫌だ、オレは忙しい。お前が失くしたんだろ、自己責任だ」
「だーっ、もうっ! どうしてお前はそう可愛げがないんだ」
「可愛げがあってたまるか、気色悪い」
階段を降りようとしたトリアの衣服を、トカミエルは毟り取るように掴んだ。
「お前な……」
トリアが青筋立て、ゆっくりと振り返る。
「二人とも朝食だぞー。早くきなさい」
険悪な二人がそこにいたが、いつもの兄弟喧嘩だと笑って気にも留めない父親は暢気に声をかける。
「チッ」
忌々しく手を振り払い、トリアは怒り肩で階段を降りた。
「ど、どうしよう」
両親に知られたくなかったトカミエルは、指輪がはまっていた筈の指を擦る。しかし、恥を忍んで白状することにしたトカミエルは喚きながら階段を駆け下りた。今は一刻も早く大事な指輪を見つけ出したい。
騒々しさに母親は苦笑するが、忙しなく朝食の支度をしながら「どうしたの?」と若干蒼褪めているトカミエルに視線を投げかけた。
「父さん、母さん! あの、……指輪見なかった!?」
「指輪?」
「そうっ。誕生日にくれた大事な指輪だよ、ずっと身につけていたはずなのになくなってる!」
「なんだ、もう失くしたのか」
「失くしてないっ! ねぇ、風呂に落ちてなかった? テーブルの上に置いてあったり……」
失くしたわけではない、きっと何処かにあるはず。焦燥感に駆られたトカミエルは、勢いで捲し立てる。
指輪を失くしたとしても、両親が咎める事はなく柔らかに微笑まれる。
「大事にしていた金属品が失くなる時、それは災いを被ってくれたっていうわよ? きっと護ってくれたのよ」
「違うよ、失くしたんじゃない! 何処かに置き忘れたんだ」
ずっと身につけていたのだから置き忘れた可能性はないが、失くしたと認めたくなかった。
「そのうちひょっこり出てくるさ、灯台下暗というだろう? それより……お前たちに訊きたいことがある」
「何?」
そう言われても、はいそうですかと諦めたくはない。トカミエルは苛立ちながら、目に付く場所を隈なく捜した。
興味なさそうな双子に落胆しつつも、父親は昨日ベトニーに言われた通り二人に質問する。
「緑の髪と瞳の娘を知らないか? ベトニー様が捜しているらしくてな」
家具を引っ掻き回しているトカミエルを横目で見ていたトリアは、父親の言葉を聞いた瞬間顔が引き攣った。反射的に口を開く。
「ベトニー? ……誰だ?」
「あぁ、トリアは知らなかったな。この間越してきた製鉄業の若旦那だよ。昨日トカミエルを連れ懇親会へ出向いたら、そう訊かれてな」
トリアは、胸のざわめきに唇を噛んだ。知らず、額から汗が零れ落ちる。
「何故……捜して?」
掠れた声を絞り出したトリアに、父親は飄々として首を傾げる。
「さあなぁ……父さんは踏み込んで訊くことなど出来ないし。事情はともあれ、そんな女の子を知っているか?」
緑の髪と瞳の娘。
トリアには心当たりがあった。知らず握った拳に力が入り、爪が肌に食い込む。しかし、言う必要はないと判断した。
ただ、何のために探しているのかは気になる。
トリアが顔を横に背け、俯き気味に「知らない」と呟いた途端。
「トリアの好きな子が、緑の髪と瞳だよね」
「トカミエルッ!」
指輪捜しに没頭していたトカミエルだが話は聞いていたようで、悪びれた様子もなく言い放つ。
弾かれたようにトカミエルを睨み付けると「ホントの事だろ」と、首を傾げる。トリアは背中に嫌な汗が流れるほどに狼狽していた。
アニスは人間ではない。彼女の存在を、街の人間に知られたくなかった。
昨日のトカミエルへの失言を悔やまずにはいられない。何故自分はあの時、誇らしげに話してしまったのだろう。隠しておくべきだったと後悔した。
心と身体を強張らせているトリアなど気遣うことなく、会話は続く。
「なんだ、トリアは好きな子がいるのか?」
「らしいよ。すっごく好きみたい」
トリアの代わりに、トカミエルが返事をする。
「今度、うちへ連れてきなさい。いやはや、トリアもそんな年頃かね」
「ッ」
低く呻き、トリアは喋り過ぎなトカミエルを凄みを利かせ睨み付けた。アニスが人間ならば皆に話していたし、家に連れて来て紹介している。
「では、トリア。その子の事をベトニー様に話し」
「断るっ」
噛み付くように叫んだトリアを、父親とトカミエルは唖然と見つめる。常に冷静で心を荒立てないトリアが、大きく肩で息をし余裕のない表情で立っていた。
「その男の目的が分からない以上、彼女の事を話すわけにはいかないっ」
トリアが拒む理由が解らず首を捻る父親の隣で、朝食のトマトを咥えながらトカミエルが肩を竦めた。
「生き別れの妹捜しとか。昔の恋人捜しとか。そういうことじゃないの?」
そうかもしれないが、だとするならばアニスではない。ならば、言う必要はない。
トリアは、額の汗を拭った。乱れた呼吸を整えるように、瞳を軽く閉じる。裏では妖精を乱獲し、金儲けをしている男かもしれない。
寒気がして、トリアは食事もせずに玄関へ突き進んだ。
「オレは知らない。何も話すことはないっ」
父親の制止を振り切りぶっきらぼうに言い捨て、玄関の扉を開く。
「なっ」
瞬く隙に、細く鋭い瞳が思い切り開かれた。トリアの瞳に映ったもの、それは白馬に乗った黒髪の男だ。
気品のある顔立ちと優雅な佇まいに鳥肌が立つ。追いかけて来た父親が、男を見て「こ、これはこれは……ベトニー様」と慌てて頭を下げた。予感はしていたが、まさかの対面にトリアは言葉を失った。
何故、家の前にいるのか。
まるで、トリアが緑の髪と瞳の娘を知っている事を分かっていたかのように、値踏みするような視線を投げてくる。
「お前が双子の片割れか」
会釈も挨拶もなしにそう告げて来たベトニーに、トリアは無意識に身構える。威嚇するように顎を引き、眼光を光らせ凝視した。
「何の用だ」
「緑の髪と瞳の娘を知っているかどうか……確認しに来た」
「無駄足だな、オレは知らない」
息子の無礼な振る舞いに周章てる父親の横を、トカミエルだけが蚊帳の外というようにすり抜けた。不穏な空気が流れる中、退屈そうに小さな欠伸を一つ零す。
「指輪、捜してくる」
ベトニーの横を通り過ぎる瞬間「お前は知らないのだな?」と、馬上から声をかけられたので、「あぁ、知らないね」と軽く笑った。
躊躇することなく、喉の奥で笑うと言葉を続ける。
「トリアは知ってるみたいだけど?」
「トカミエルッ」
双子の弟の怒気を含んだ声に立ち止まったトカミエルは、意地の悪い顔をして振り返った。
「嘘はよくないなぁ」
トリアがその娘の事をひた隠しにしていることは、トカミエルとて気づいている。昨日からの鬱憤が消えることなく溜まり、弟を困らせることで発散できそうな気がした。その為、トリアにとって不利な発言をしてしまう。
トカミエルはトリアを一瞥するとそのまま自宅を出て、友人達がいるはずの中央公園へと駆け出した。
後ろを振り返ることなく、口元にやんわりと笑みを浮かべて。