薔薇と鈴蘭、蟷螂と蝶、マビルとアサギ
文字数 3,762文字
基本、何もすることがないマビルは一日の半分を眠って過ごす。
月の光が眩しすぎて、目が覚めた。暑く寝苦しい夜だったので、風にあたりたくて外に出る。
さわさわ、と風が吹けば心地良く火照った肌を冷やしてくれる。瞳を閉じてふわり、と宙に浮かんでみた。
「早くおねーちゃんに会ってみたいー、でも、あたし。光がいいの、“影”じゃなくて光がイイの」
宙に浮かび、髪を弄んでいたマビルはふと気配を感じ軽やかに地面に降り立った。すらりとした細長い手足は、可憐な小鹿を連想させる。可愛らしく妖艶に、木陰の人物へと朗らかに微笑みかけた。
そこからトロン、とした目つきの少年が出てきた。鮮やかな金髪、大きな黒い瞳の人間年齢にして十七歳程度の少年だ。数日前から稀にこうして夜になると訪ねて来る、魔族の少年である。
マビルの傍らまで吸い寄せられるように惹かれて辿り着いた少年は、躊躇いなくマビルを地面へと押し倒した。少年といえども小柄なマビルを覆い隠すには十分な体格、二人は地面で無邪気に絡み合う。何かに憑かれた様に一心不乱に自分の唇を求めてくる少年に、焦らすように交わしながらマビルは溜息を吐いた。
退屈そうに、肩を竦める。
「なんか、この子も飽きちゃった。でも、しょうがないかな、この辺りの綺麗なオモチャ、みんなあたしのモノなんだし。他に代わりもいないしー」
マビルの衣服をほぼ脱がし終えた少年は、現れた柔らかな肌に舌を這わせている。月光を浴びて淡く光っているような美しい裸体に、むしゃぶりついていた。余裕のない息遣いの少年とは裏腹に、マビルは困惑気味に首を傾げる。
完全に上の空だ。
「んー、なんていうか。あたしの好みってさ、もっと……こう。逞しいけど細身で、二重で切れ長の優しくも激しい光を灯す瞳で、身長は……このくらいでもいいんだけど。とびっきりの、あたしに釣り合う美形のオモチャが欲しいんだけどな。なんていうの、心の奥底から燃え上がるような情熱的なさぁ」
マビルの言う事など全く耳に入っていない少年は、執拗に乳房を唇と手で弄っている。まるで赤子が求めるような仕草だ、そんな少年に母性本能に擽られたのか、マビルはそっと、その顔を優しく包み込んだ。マビルの頬が軽く赤みがかる、男が聴いたら即座に欲情してしまいそうな甘い息を、唇から吐く。耳で直にそれを受けた少年は、自分のモノを強引にマビルのナカへと押し込んでいた。
一心不乱に腰を動かす少年、マビルはそれが愛しくて可愛くて、余裕の笑みで見つめ続けた。
くすくす、くすくすくす……。
花と見紛うばかりの美しさ、人の心を絡めとり放さない魅惑で危険な花。勇者アサギに似た、マビル。
マビルが棘を持ち夢現へと誘う妖艶な薔薇なれば、アサギは穏やかな物腰の清涼感溢れる清楚な鈴蘭といったところか。
森に、淫靡な声が響き渡った。
絶頂を迎えても、尚も求めてくる少年に苛立ちを感じたマビルは上に乗っていた少年を突き飛ばす。執拗に求めてくる少年だが、マビルの性欲は満たされたのだ。もうこれ以上は用はない、つまらないだけだった。
腕から逃れ、汗を流すために泉へと入った。空を仰ぐ、綺麗な澄み切った空に相変わらず月は燦然と輝いたままだ。見惚れていると、何者かの気配を感じる。
少年ではない、別の誰かがやってきた。
にんまり、と嬉しそうに口元に笑みを浮かべる。退屈しないで済む相手だ、気配で誰だか解っていた。
その間にもマビルを追って泉へと入ってきた少年は、欲求が治まらない為、身体に口付けを始めている。
忌々しそうに少年を蹴り上げたマビルは、小走りで泉から上がり衣服を手にして来訪者の下へと駆けつけた。一時の快楽など、終われば面倒なだけである。少年にとっては違っていたが、そんなことマビルはどうでもいい。
少年は、マビルに心底惚れていた。気紛れな仔猫で自分には何もしてくれないが、身体は重ねてくれる美しい少女だ。マビルのもとへ通い始めて、ある意味人生が狂っていた。一時もマビルの事を考えなかったことがなかった、それは麻薬の様に身体を蝕む。何者なのかは知らない、森から出てこない美少女。
彼は頭が悪いわけではなかった、寧ろ賢い少年だった。瞬時にマビルの危険性を察知したのだが、時折見せる寂しそうな表情に心打たれてしまった。何に悩んでいるのかなど、少年は到底理解出来ない。何故ならばマビルが何も話さないからだ、欲しい物は言う、時折ポツリと何かを言う。だが、肝心の心を曝け出すことは無い。
少年は思った、マビルのそんな心の蟠りをとってあげたいと。
けれども、マビルにとってそれは要らぬお節介である。そこまで介入されたくはない、マビルにとって必要なのは美形で閨事の上手な男……それだけだった。少年との温度差は激しい。
蹴り上げられ泉に倒れ込んだ少年は、それでもマビルを追う為に脇腹を押さえて歩き出す。前を走っている黒揚羽の様な美少女を追う。
そんなこと露知らず、マビルは息を切らせて走っている。それは、待っていた人物だった。だから、急ぐ事が出来た。玩具など霞むくらいの相手だ。
「どう? どう?! おねぇちゃんには会ったんだよね!? どうだった?」
月の一筋の光の中、情事後のマビルは気だるそうに髪をかき上げ兄のアイセルを出迎える。言った矢先、眼下を一羽の小鳥が飛んでいたので無造作に掴まえた。本来は眠っているであろう鳥だが、騒動に驚き、巣から落ちてて慌てていたのかもしれない。視界に入って邪魔だったので、無造作にそれを右手で握り潰す。
微笑し、手から流れ落ちる赤い糸のような鮮血を見つめているマビルにアイセルは背筋が凍る。見ている者を魅了できるであろう容姿と、淫靡な吐息、纏う空気が妖艶な色彩。一度狙った獲物は逃がすことなく、手中に収めてしまうような、だが飽きれば無造作に命を奪う。
アイセルは、交尾後、栄養の為にオスを食い散らかす昆虫・蟷螂を思い出した。喰われると解っていて、尚、交尾するのは種の保存の為だがなんとも不憫な最期だ。
苦笑いし、アイセルは数刻前まで自分が見ていた少女と妹であるマビルを重ねる。確かに顔の作りは、二人共似ている。だが雰囲気のこの違いはどうだろうか、これが、“光”と“影”の違いなのだろうか。繁栄を彷彿とさせるような、生への躍動感溢れる空気を持つアサギと、危ういと解っていながら近寄り、破滅へと引きずり込まれてしまうような空気のマビル。
アイセルの表情が強張る。
「おねぇちゃんに会ったから、あたしに会いに来たんでしょう? もったいぶらずに教えてよ」
手の中の小鳥を地面に落とすと、右脚を軽やかに持ち上げて踏み潰した。唖然とアイセルは見つめる、止める間などなかった。
ようやく少年がマビルを求めて駆け寄ってきて、背後から抱き締めた。全裸の少年に目が点になったアイセルだが、妹の淫行など前から知り得ている。身体の関係がある一人なのだろうと思った、それ自体は別に大した事ではない。
「……あんた、邪魔」
マビルは近寄ってきた少年に視線を向けることなく、冷めた声を出す。迷わず回し蹴りを喰らわせ、首の骨を叩き折った。会話の最中であるにも関わらず、それを遮って近寄ってきた事が逆鱗に触れた。
アイセルが止めに入る間もなく、の惨劇である。鈍い音がして、少年の身体はゆっくりと地面へと沈む。確実に一撃で仕留めた、華奢な脚ながらも威力は絶大だ。
「さ、早く話してよ、おにーちゃん」
アイセルは唖然と、少年と小鳥の亡骸を見比べる。つい先程まで生きていた命だ、まだ温かい筈だ。改めて恐れ戦き、目の前の妹に哀れみの視線を送る。
濡れた漆黒の髪、濃紫のレースの衣服を身に纏い闇の沼を彷彿とさせるような深淵の瞳。アサギも確かにマビルと同じ黒い瞳と髪の色だ、だが似て非なるもの。
アサギの瞳の奥には、安堵できる夜空の瞬きが見えた。
思案しているアイセルに痺れを切らしたマビルは、突如として押し倒した。馬乗りになり唇を近づけるマビルは愉快そうに笑っている、いつものことなのでこれくらいでは動じない。
アイセルは怪訝に眉を顰めて唇を交わすと、睨み付ける。
「女は好きだ、けれど妹を抱くのは趣味じゃない……と何度も言わなかったかマビル。そもそも、お前の場合口づけ一つで何が起こるか」
言い放ち軽々とマビルの身体を抱き上げ起き上がると、悪びれた様子もなく、小馬鹿にしたように笑っている妹を再度睨みつける。
だが、睨んでもマビルは微笑したままだ。全く反省の色が窺えない、解ってやっている。他人を苛立たせるのは楽しかった、滑稽に見えるのだ。潤んだ瞳を投げかけ、悪戯っぽく舌を出し髪をかき上げると、自分の指を口に含む。
「バレた? あたしの独創魔法、名付けて、“あたしの下僕になっちゃいますよ口付け”。……まぁ、こんなことしなくても、あたしの美貌と豊満な胸に触り心地の良いお尻には、みーんな虜になってしまうけれど、ねっ!」
その名前はどうかと思ったが、アイセルは何も言えず硬直した。
★2020.10.29 昔戴いたマビルのイラストを挿入しました。
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