女剣士の苦悩
文字数 7,460文字
「アサギは……何をしたのだろう」
アレクが窓に立ち、独り言の様に呟く。
ハイはアサギの手を握りながら、獣のように炯々とした瞳で怒りを露わにした。
「私が傍に居ながらの不祥事ですまないなっ! もう、今後アサギから離れられてはならぬっ。アレク、取り急ぎこの室内に便所と風呂を設置してくれ」
ハイの頓珍漢な発言に、自分の耳を疑ってアレクが幾度か瞬きをする。しかし、聴き間違いではなかったらしい。
「……いや、ハイ」
「目を放した隙に、この有様だ! あの時、ついて行くべきだった! 二度とこのようなことが起こらないように対策を練らねば! 共に風呂に入り、共に便所に行き、四六時中アサギの傍らに」
「……いや、ハイ、あの」
額を押さえ口籠るアレクなどおかまいなしに、真剣なハイは今後どうすべきかを熱弁している。スリザがどうなろうとも、ハイには関係ない。よって、先程のアレクの独り言のような問いなど聞いていなかった。
「あ、あの、ハイ様。お、お風呂とかは一緒では困ります……」
いつ目を醒ましたのだろう。
アサギが顔を赤らめてというより、若干泣きそうな表情でハイを見上げてそう告げた。
「じょ、じょじょじょ、冗談だっ、ははは! アサギ、無事か! ほ、ほら、果物がたくさんあるから食べなさい」
大慌てで否定したものの、本気だったハイは若干肩を落とした。
気まずい空気が流れる。
撃沈しているハイを横目に、アレクは上半身を起き上がらせたアサギに「無理しないように」と囁きいた。その背に腕を回し頭を撫で、ゆったりと微笑む。
「辛かったろうが、よくやった。なんと気高く立派な勇者だろう」
称賛されたアサギは、満面に喜色を湛えた。
「ぐ、ぐぬっ」
呆気に取られて眺めていたハイは憤慨し、アレクの腕を勢いよく振り払った。そして同じ様にアサギの背を支えてから、傍らの果物を差し出す。
「う、うむ! 素晴らしい活躍だったな。と、ともかく、ゆっくりしなさいアサギ」
気の利いた言葉は、全てアレクに言われてしまった。これでは、ハイの面目丸潰れである。
「ふ、ふむ……」
ぎくしゃくとして、アサギは差し出された果物を受け取った。桃に似ているが、触感は葡萄に思える。ともかく、薄皮をむいて齧った。とても甘いがしつこさは感じられず、爽やかな味だ。美味しさに感動し、破顔する。
「わぁ、美味しい!」
「たくさん食べなさい」
アレクがアサギに接触するのが気に入らなくて、ハイは恨みがましい視線を投げる。完全に蚊帳の外になってしまった、仏頂面で林檎に齧りつく。
そこへ、顔面蒼白のホーチミンがやって来た。
「あ、あの。アレク様、少々込み入ったお話がございます」
アサギとハイをちらりと見つめたホーチミンは、心痛な面持ちでそう告げた。
アレクは一瞬思案したが、もはやアサギに隠していたところで意味がないと判断した。
「先の、スリザの件もある。アサギ、事情を知りたいだろう? 君に隠し事など出来ない事は私にとて解る。……ホーチミン、構わぬ。ここで話しておくれ」
ハイが弾かれたようにアレクを睨みつけるが、アサギは神妙に頷いた。
狼狽するホーチミンに小さく頷き、アレクが口を開く。
「数日前、スリザが人間の女に襲われた。黒髪で赤い瞳の端正な顔立ちで、細身な美女であったと。スリザはその際何かを口に含まされたらしく、アイセルがそこで割って入ったのだが……意識を失った。昏睡状態だったので部屋に寝かせておいたが、そこからはアサギも知っているだろう。眠っていたはずが、突然起き上がりあの騒動だ。これは、勇者であるアサギを狙っての犯行と推測している。余計な心配をかけたくなくて言わなかったのだが、失策だった」
「これからは、私にも話をして下さい。私だって、何かのお役に立てると思うのです」
アサギが口を尖らせ押し黙ったので、困惑気味にホーチミンは口を開いた。
「恐れながら、スリザが飲まされたものと同じものを……魔界の飲み水にでも混ぜられたら、と杞憂いたしまして。至急、城内にその人間の手配書を」
アサギを巻き込みたくなかったハイは冷静さを欠いていたが、今の発言に我に返る。よもや無関係ではない、謎の液体の効果は未知数。知らず口にした自分がアサギを襲っては、元も子もない。
アレクは静かに頷き、険しい顔つきで立ち上がった。
「アイセルの証言をもとに、顔絵を描かせよう。ただ、周知したところで"あちら"には無意味やもしれぬ。また、背後に潜む“本体”を引き摺りださねば意味がない」
「御意に」
神妙な顔つきの三人を見比べ、アサギは決意した。好機を逃してはならない。
「そういうわけでハイ様、緊急事態なので剣を習いたいです」
上手くいくと思われた、しかし、それでもハイは断固として首を横に振る。
「何度も言っただろう、それは駄目だ。刃物だなんて、危ない」
「さっき、身の危険を感じて剣を振ったけど上手く出来ませんでした。身を護る為に剣を習いたいです、剣が無理ながら槍でも弓でも体術でも構いません。とにかく魔法以外の攻撃方法を習いたいのです」
「んむーぅ」
大きな瞳は、意志硬く。青褪めるハイを他所に、アサギは見つめ続ける。
なるべく刃物を持たせたくなかったハイだが、アサギは意見を曲げないだろう。ガックリと項垂れると、こちらが折れることにした。降参だ、とばかりに片手を上げると声を絞り出す。
「許可しよう……。アレク、何かアサギに手頃な武器を与えてやってはくれないか、それから有能な担当者もつけて欲しい」
「承知した。サイゴンが妥当だろう」
女がよかったが、断腸の思いでハイは承諾した。洗脳が解けたとはいえ、スリザがいつまた錯乱するか分からない。危険な火種は寄せ付けぬが得策。
「サイゴンです。失礼致します」
そこへ、渦中のサイゴンがやって来た。
ホーチミンの隣に片膝つくと、スリザの意識が戻った事を報告する。アレクは聞き終えるや否ら、大股で扉へと向かった。幼き頃から共にいた腹心。アサギを優先したとはいえ、口には出さないがやはり身を案じていた。
「お待ちください、アレク様。その前に一つお話が御座います、出過ぎた真似かとは思いましたが」
声を張り上げたサイゴンに、足を止めたアレクが振り返った。
「どうした、そなたの洞察力は姉に似ている。何か?」
「ハイ様は、信用しております。ですが、魔王リュウ、及び魔王ミラボーにつきましては一度故郷の惑星へ戻って戴く様、アレク様から話が出来ませんでしょうか? それが最善だと俺は思います」
アサギが、ハイの衣服を掴んだ。魔界の何処かに反乱分子がいることは、すでに公然の秘密。
「刺客の雇い主か」
「魔王リュウは違うとは思います、彼は人間を嫌っているようなので……」
口にしてから、サイゴンは申し訳なさそうにアサギに視線を送った。
人間であるアサギは小さく首を横に振り、気にしないで下さい、と唇を動かす。
「ですので、主犯が魔王リュウであるのならば、わざわざ人間を遣うことはしないかと」
消去法でいくならば、魔王ミラボーが該当する。聞いていたハイが口を挟んだ。
「それに関しては私も思うことがある。リュウは確かに人間を嫌悪している、その件に関しては肯定しよう。一つ思い出したことがあってな。……以前、リュウは不思議な液体を何種類か手にしていた。よもや、とも思うが」
ハイは、リュウから惚れ薬を勧められた事を思い出した。彼の潔白を信じていたかったが、言われてみれば怪しい。
「……リュウは薬物に秀でているのか?」
「解らん、私もあの時初めて色取り取りの小瓶を見たから……」
初めて知る、リュウの一面。普段は飄々として、謎の語尾に苺を齧っているだけだが、それらが油断させる演技だったとしたら恐ろしい。「全く喰えないお方だ」とサイゴンは皮肉めいて笑った。
そこに割って入ったのは、アサギだった。
「リュウ様は違います、絶対に違います。もし、リュウ様が犯人ならば何度も私を狙える時がありました、だから違います。そんな面倒な事しません。でも、もし本当に薬物に詳しいのならば、そういったモノの調合が可能なのか訊いてみれば良いと思います。リュウ様ならきっと、力を貸してくれます」
リュウを庇うアサギに、皆が一斉に訝し気な視線を送った。それでも怯まず、堂々としている。
「アサギよ、そなたはリュウを信じているのか? 先程も積極的に協力しなかった、見ていただろう?」
瞳を細め、アレクが問う。威圧感のある視線にホーチミンとサイゴンは鳥肌が立ったが、アサギは大きく首を縦に振って微笑んでいる。
「リュウ様は、犯人ではありません。それは、間違いないです。ただ、リュウ様はどことなく哀しそうで……自分の居場所が解らず混乱しているように思えるんです。とても、寂しそう。それは私でも……ハイ様にも取り除けないと思います。何か大きなことを抱えてらっしゃるんです、たまに遠くを見てますし」
一同は、口を閉ざした。魔界へ来て日の浅いアサギが、そこまでリュウを分析しているとは思いもよらなかった。ただ、可憐な唇から放たれた言葉には妙に重みがあり、真実であるような気さえしてくる。
軽く溜息を吐いたアレクは、サイゴンに向き直る。
「確かに、もしそれで解決するならば越した事はない。二人に事情を説明し“早期解決を望むので、一旦お引き取りを”と伝えよう。反発するならば、黒……となるか」
「ですね。単身で乗り込むのは危険ですので、その際は私達をお連れ下さい」
「……いや、一人で行こう。そなたらがいてくれれば心強いが、あくまで私の意見として彼らに伝える。反応を見て、私なりに判断しよう。まずは、城内の通達から進めようか。そのほうが自然で、彼らとて受け入れやすい」
「御意に。ですが万が一に備えて、部屋の外で控えさせて頂きます。お話は、おニ人で」
若干緊張した面持ちのアレクは、アサギの室内から出て行った。
疲れた顔でホーチミンが立ち上がると、水を飲み始めたアサギに微笑みかける。
「身体は? 辛いところはない?」
「はい、平気です。もう、全然動けます。私達もスリザ様のお見舞いに行きましょう」
寝台から下り、アサギは駆け出した。軽く後ろを振り返り、サイゴンに笑顔を向ける。
「明日から、剣を教えてくださいね。トビィお兄様の様になりたいです」
「え」
悪戯っぽく笑ったアサギに動揺し、サイゴンはハイに視線を送った。
しかしハイは、アサギを追って走り去っていったので空振りだ。
「こら、アサギ! 待ちなさい! 一人で行動しないようにと先程言ったばかりだろう! 私から離れるんじゃないっ! 言うことをきかぬのならば、互いの身体を縄で縛るぞっ」
サイゴンは呆気に取られたが、それでもアサギに剣を教える許可が下りたことに胸が躍る。
「ねぇ、サイゴン。アイセルが言ってた『アサギちゃんの瞳が緑だった』って言うのはアレク様にのみ、伝えるべきよね? 私、間違ってないわよね?」
「あぁ、それでいい。さぁ、俺達も行こう!」
ニ人も遅れて部屋を飛び出した。静まり返る部屋と、騒がしい廊下。
スリザとアイセルは、未だに攻防を繰り広げていた。
攻防と言っても、一方的にアイセルが打ちのめされているだけだが。すでに顔面など原型を留めていない。腫れ上がり、口から出血しているがなんとなく笑っているようなので不気味だ。
「スリザ! 無事か!」
声が聴こえた途端、スリザは肩を震わせると胸倉を掴んでいたアイセルを放り投げた。めしゃ、と地面に落下したアイセルの音を消すように咳をし、慌てて片膝つくと、面目なさそうに項垂れる。
「申し訳御座いません、アレク様。まさか気を失っていたとは……自分の不甲斐なさに腸が煮えくり返っております。失態でした」
アレクが眉を顰めた。スリザであるならば、真っ先にアサギへの謝罪が出ると思ったのだ。
「……記憶が、抜けているのか」
溢したアレクに、不思議そうにスリザが顔を上げる。
呻きながら辛うじて起き上がったアイセルは、小さく頷くと首を縦に振った。『そのようです、知らないほうが身の為なのでこのままで』と言わんばかりに。
恐縮しながら不思議そうに瞳を泳がせているスリザは、嘘をつけるような女ではない。本当にアサギを攻撃したという記憶がないのだろう、アレクは低く唸る。
「……気分は、どうだ? 何処か痛むのか?」
「い、いえ、そのような事はありません」
何かあるとすれば、先程アイセルに唇を嘗められたことくらいか。思い出したスリザは顔から火が出るのではないか、というくらいに赤面した。
「大事をとって、数日は休養するように」
「そ、そのようなわけにはっ」
「いや、これは命令だ。ただ、そなたを襲った人間の女の手配書を書くので、絵師を呼ぶ。それには協力しておくれ、うろ覚えかもしれないが……。アイセルも対峙しているので、ニ人で協力して欲しい」
「は、はっ!」
スリザの脳内に“ニ人で協力して”というアレクの言葉が響いた。故意などないが、過剰に反応してしまう。絵師がいるのだから、ニ人きりではない筈なのに、胸の辺りがちりちりと焦げた。意識したくないのに、先程の出来事が忘れられない。屈辱と歯痒い奇妙な気持ちが、交互に波の様に押し寄せてくる。
「お任せください! 他の者が標的になる可能性もありますから、一刻も早く手配書の作成に入ります。スリザちゃん、よいね」
「クッ、貴様に言われなくともっ」
近づいて来たアイセルに気安く肩に触れられ、鳥肌が立つ。反射的に横に転がり、一定の間を取った。何故、アイセルごときに心を掻き乱されてしまうのか。それが、腹立たしい。冷静になれない自身が許せない、心を乱されるのはアレクだけでよかった。
騒がしいと思ったら、アサギ達がこちらへ向かってきている。スリザの瞳に、酷く不安そうなアサギが映った。しかし、その姿はすぐに射抜くような眼差しで睨み付けてきたハイによって遮られた。あまりの形相に、喉を詰まらせる。記憶が抜けているので、何故敵意が籠められた瞳を向けられているのか分からない。その後ろから、緊張した面持ちのホーチミンとサイゴンが顔を覗かせたので、少し安堵した。
「では二人共。火急速やかに頼む」
皆が来たので踵を返したアレクは、擦れ違いざまに静かに皆に告げる。
「スリザは、先程の騒動を憶えていない。知らずともよかろう」
それを聞いて、正直サイゴンは安堵した。スリザの性格上、アサギに手を上げたことを憶えていたならば責任を取って自害しそうだ。
「どうです、今から皆で茶でも飲みませんか? ……まぁ、いつもの食堂になりますけど」
サイゴンが大袈裟に声を張り上げれば、怪訝にスリザが見つめる。しかし、名案だとばかりに皆が頷いたので、渋々と背を押されて輪に加わった。仕方なく流されて歩き出すと、ハイに手を握られたアサギが近寄ってきた。
「スリザ様、よかったです。御身体は大丈夫ですか?」
「申し訳御座いません、アサギ様。私が倒れていたら、アレク様や貴女様を御守り出来ぬというのに。不甲斐ない……」
やはりスリザは操られていた際の記憶がないのだと、その言葉で皆は確信する。
「ふふ、大丈夫ですよ! “何もありませんでしたから”! そうだ。私、明日からサイゴン様に剣を習うことが決まったんです」
「まぁ、そうでしたか。頑張ってくださいね」
他愛のない会話をする中、緊張した面持ちのアイセルが後方からスリザを見つめていた。しかしあれだけ執拗に狙っていたアサギがすぐ隣にいても、特に異変は起きない。呪縛から完全に解き放たれたと信じてよいのだろうか。
万が一を想定し、アイセルだけでなく皆もスリザの行動に目を光らせる。
アサギだけが、のほほんとスリザと談笑していた。『大丈夫ですよ』とでも言うように。
その後、茶を飲みながら口の上手いホーチミンが中心となり、先程の一件に触れることなく皆で会話を愉しんだ。色とりどりの菓子に手を伸ばし、芳醇な茶に舌鼓をうつ。
自分の居場所に違和感を感じながらも、スリザは微笑んだ。このように気兼ねなく会話することはあまりなかった、上手く馴染めているか心配になるが時折視線を合わせてくれるアサギに微笑まれると、釣られてしまう。
翌日、スリザとアイセルは数人の絵師に思い出せる限り女の特徴を伝えた。
途中からアレクも在室し、過程を眺めている。何枚もの絵が出来上がると、そこから最も似ている絵をニ人で選ぶ。同時にニ人が同じ絵を選択したので、決まった。
「成程、確かに整った顔立ちをしているな。……これを城内に!」
アレクは瞳を細め、その女を脳裏に焼き付ける。
その一声に、絵師達は気を引き締めた。城内に張り出す為に、同じ絵を何枚も用意せねばならない。手作業で絵の写しが始まる。
「二人共、御苦労だった。ゆっくり休んでくれ」
「私は、何も……。それに、お暇を頂いても特に用事がございません。趣味など持たぬつまらぬ女。私に出来る事と言えば、貴方様の警護のみ」
「そう言うな、スリザ。何、何もせぬ時間というのも愛おしいものだよ」
「ですが……」
引き下がらないスリザに労いの言葉をかけ、アレクは苦笑し部屋を出た。
その背を、スリザが寂しそうに見つめる。単に、アレクの傍にいられない事が辛い。まるで「用済みだ」と突き放されたようで悲しい。
「……鍛錬にでも励むとしよう」
去っていく背中見つめ、自分とアレクの間には大きな溝があったことを痛感する。どんなに慕っていても、この想いは実らない。
「うぇっほん!」
隣のアイセルが、わざとらしい咳をした。気付かない振りをして大股で部屋を出たが、案の定追ってくる。気配を感じつつも、無視をした。
「ちょいとそこ行くお嬢さん」
無視して歩き続ける。
「艶やかな髪が見事な、筋肉美のお嬢さん」
筋肉美は余計だと大袈裟に舌打ちするが、それでも歩き続ける。
「腹筋が割れていていつも凛々しいけれど、口付けた時の顔は想像以上に可愛いお嬢さん」
「黙れ!」
ようやく、スリザは赤面し肩を震わせ振り返る。アイセルは飄々としており、何処から出したのか薔薇を一輪差し出してきた。無味乾燥ともいえる瞳で、それを一瞥する。