外伝4『月影の晩に』9:疑惑の姫 

文字数 17,278文字

 常に自分を褒め称えてくれる、見目麗しく精悍な王子らに気を良くしたマローは、すっかり懐いてしまった。新しいもの好きな性格ゆえ、様々な刺激を与えてくれる彼らは便利な玩具のようなもの。可愛い美しい素晴らしい愛らしい、と持て囃され、我侭を言えどもすぐに希望通りのものが出てくる。国にはなかった珍しい物も、毎日のように届けられ、愉しみは尽きることがない。

「姉様! トレベレス様とベルガー様とお茶をしてくるわね。あのね、それでね……お勉強、代わりにやっておいて欲しいの」

 アイラの目の前に大量の書物を差し出して微笑んだマローは、多少悪びれた様子でペロリと舌を出す。
 呆気にとられたアイラは、それらを手にしてパラパラと眺めた。すぐに終わらせられるだろう学習内容だが、マローは溜め込んでしまったのだろう。
 アイラは王子らが来場するまで、常に部屋に籠っていた。その為、勉強に励む時間がほとんどだった。ゆえに、課せられた学習はその日のうちに常に終わらせてきたのである。
 けれども、マローには皆甘いので、学習が進んでいなくとも誰も叱咤して来なかった。その結果が、これだ。
 王子らが帰ってしまうことなど、考えたくもない。居なくなるだけで憂鬱なのに、その後にこの莫大な学習を片付けねばならないと思うと、気分が酷く落ち込んだマローは、姉に頼ってしまった。双子なだけあって、字体は似ている。気づかれることは無いだろうと思った。
 マローは、何よりトレベレスと会話をするのが特に楽しみだった。心地良い声の虜にもなっていたし、優雅に踊りを教えてくれたり、花を髪に刺してくれたりと、心が弾む。彼の為に早起きをし、朝から自分を磨き、一日に幾度もドレスを着替え、夜遅くまで語り合っていることはアイラは当然の事周知の事実である。
 アイラはマローと会えずに寂しい思いをしていたが、マローの心は若干違っている。アイラは今後も常に傍に居るだろうが、王子は何れは帰ってしまう。そうなると、優先順位は否応なしに決まってくる。まさか、今後二人が離れ離れになってしまう運命だとは、マローは予想すらしていない。基本、その場が愉しければそれで良い娘である。

「でも、マロー。少しはやっておかないと。勤勉は大事よ、王子様方とお話する際にも役立つし」
「大丈夫よ、私は可愛いから。笑顔一つで乗り切れるの!」

 マローはうふふ、と愉快そうに笑って、アイラの言葉を待たずにドアを開いて飛び出していった。
 自由奔放な妹に軽い溜息を一つ投げかけたものの、机に向かう。基本、勉強が好きなアイラにとって、これくらいの量は苦ではない。しかし、果たしてこれが本当にマローの為になるのかと問われると、答えは決まっている。

「マローは将来、この国を治め、民を導かねばならぬ女王となる。……確かに私と違い頭脳明晰だけれど、本当に良いのかしら。知識はあればあるほど良いと思うのだけれど」

 心は、憂鬱に乾く。ペンを片手に、それでも律儀に机に向かった。

「アイラ姫は室内か」

 その頃、部屋の外で待機していた騎士らの前に、トライ王子がやって来た。
 堂々とした優雅な立ち振る舞いが目に入った瞬間、騎士らは頬がピリリと引き攣る程に緊張した。

「御意に」

 あからさまに眉を顰めたミノリだが、他の騎士らと同様に深く腰を折る。
 本来、姫の部屋に他国の王子が入室するなどあってはならない。けれども、中にいるのがアイラならば許された。寧ろ、喜んで招き入れる。女中らは、外から施錠してしまいそうな勢いだ。
 ただ、ミノリは例え死刑になろうとも妨害する気でいた。ゆえに、腰の剣を強く握り締め、挑むような目つきで室内を睨みつける。アイラの悲鳴さえ上がれば、蹴破って突入するつもりだった。王子は歓迎されても、騎士は入室不可である。

「ご機嫌麗しゅう、アイラ姫」
「まぁ、トライ様! 申し訳ございません、このようなところへ」


 声をかけられ慌てて立ち上がったアイラは、気まずそうな顔を浮かべた。没頭していた為、気配に全く気付けずに蒼褪める。
 来てはいけなかったか、と不安が胸を過ったトライだが、一体何をしていたのか気になって机を覗き込んだ。想像していなかった物が溢れており、驚いて瞳を丸くする。

「妹姫は朝から茶を愉しんでいたが……アイラ姫は? 気になってこちらへ出向いてしまった」

 訊ねつつも、トライは薄々勘付いていた。この城では、二人の姫君の扱いを差別化している。これでは、前女王が遺した予言が広まるのも当然だと納得してしまうほどに。アイラ姫に投げかけられる視線は、どれも辛辣なものだ。

 ……善良で清らかなこの姫に、この場内に味方はいないのか。なんと理不尽な。

 不憫に思い、端正な眉を顰めているトライにアイラは深く腰を折る。自嘲気味ともとれる押し殺した声を出し、儚げに笑った。

「私はマローと違い頭の回転が遅い為、数多く勉強をせねば、あの子を支えることが出来ないのです」
「……何時頃終わるのだろう、見せたいものがある」

 すかさず否定しようと口が開いたが、断腸の思いで言葉を飲み込んだ。それが得策だと判断したトライは、本題に入る。瞳を伏せているアイラから視線を外し、机の上に広げられたものを一瞥した。どう見ても同じものが二冊あるように思える。すぐに察し、苦笑する。
 アイラは、恐る恐る顔を上げた。

「見せたいもの、ですか?」
「あぁ。恐らく、アイラ姫も気に入るだろう」
「何でしょう……とても、気になります」

 好奇心が、アイラの心の中でむくりと膨れる。瞳に、光が灯る。
 妹を庇う健気な姿にも好感を覚えたトライは、終わらせるために動くことにした。

「一つ訊ねよう。これは、アイラ姫のすべき事なのか?」
「えぇ、私の勉強です」
「マロー姫は何故遊んでいる?」
「あの子は、勉強など手早く終わらせています。ゆえに、遊んでいるのですよ。私は、昔から容量の悪い子でした」

 何故アイラ姫は自分を卑下するのか。トライは口にしそうになった言葉を、無理やり喉に押し込んだ。
 
「こちらで待たせていただいても構わないだろうか? 気が散るならば出て行くが」
「いえ、構いません。今、お茶をご用意致しますね」

 アイラは、女中にトライをもてなすよう頼んだ。そうして、なるべく早く終わらせようと目を吊り上げて意気込む。
 紅茶と茶菓子が届けられる中、トライはふと窓から外を見下ろす。マローは、楽曲隊に囲まれながらベルガ―と踊りを愉しんでいた。

 ……やれやれ、良いご身分だ。本当に彼女が繁栄の姫なのだろうか。

 先入観無しで双子姫を見れば、努力を惜しまない姉姫と、浪費癖のある妹姫である。誰が見ても良き女王になるであろう姫は、姉だ。
 釈然としない思いに捕らわれながらも、トライはソファで瞳を閉じ始めた。紅茶の中には、少量の酒が混ぜられていた。酒に強いので、普段はものともしない。しかし、甘く微かに香る部屋の中で、アイラの横顔を見ていると心が穏やかにほぐれてきた。そうして微睡み、心地良く転寝に入ってしまう。
 アイラは、焦燥感に駆られていた。時間を割いてトライが訪ねて来てくれたので、応えようとしたものの、思っていたより量が多い。自分の課題も残っていたが、これ以上待たせる事は気が引けたので、諦めた。どうにか依頼されたマローの分は終わらせたので、満足して微笑む。
 英気を養うように腕を組み眠っていたトライを見て、アイラは知らず笑みを浮かべた。眠っている様も、彼方の月のように美しい。王子達は誰しもが気品に溢れた素晴らしい男性だが、とりわけトライは群を抜いていると思った。

 ……私の様な愚鈍な者にも優しくしてくださるし、きっと、素晴らしい王になられるのでしょう。

 アイラは誇らしく思えてきて、心を弾ませる。そうして、戸惑いがちにトライに近寄ると、そっと肩に触れた。

「あの……お待たせいたしました、終わりました」
「ん……あぁ、悪かったな眠ってしまって。この部屋には心地良い香りが漂っている。思わず身体中の力を抜いてしまうよ」
「窓辺に吊るしておいた、ラベンダーのおかげかもしれません。乾燥させたものですが、風と共に香りを部屋へと運んでくれるのです。あの、それで……その、見せたいものって何でしょう?」

 気だるそうに起き上がったトライに、心なしか弾んで問いかけたアイラに瞳は、以前横笛を手にした時の様に光り輝いている。
 軽く頷くと、警戒心なくこちらを覗き込んでいるアイラの頬を撫でる。驚いて仰け反ったその細い腰に手をまわし、颯爽と立ち上がった。

「では行きましょうか」

 戸惑うアイラの手を取り、部屋を出た。
 アイラの歩幅に合わせて歩き出したトライの後ろを、騎士達が殺気を微かに含んで歩き出す。
 ミノリは、ようやく自分の出番だとばかりに意気込んで瞳を険しく光らせる。室内は静かだったのでアイラは何もされていないだろうが、随分と長い時間を過ごしていた。羨望と嫉妬が混ざり合い、どうにも腹立たしい。仕方がないことだと思っていても、割り切れない。まさか、アイラが懸命にマローの分の課題をこなしていたなどとは、夢にも思わなかった。
 
 トライは馬小屋へアイラを連れて行くと、馬を二頭、呼んで来た。
 馬を見たことがなかったアイラは、非常に物珍しそうに、しかし多少怯えて遠目に見ている。
 傍らにいたミノリに、そっと耳打ちをした。

「ミノリ、あれは、馬で合ってる?」

 名を覚えられていたことに驚愕し、呼ばれたことに感動したミノリは、赤面しながら噛みそうになる口を必死で動かす。

「は、はい、馬です! 見るのは初めてですか?」

 気安く姫と会話してはならぬ、と上官に背中を殴られたが姫を無視するわけにはいかない。アイラは、気さくに会話を続けてくれた。

「本でなら見たことがあるけれど、実物は初めてです。想像より、とても大きいのですね」
「人間より、速く走ります。噛む事はないと思いますが、不用意に後ろに立つと蹴られる恐れがありますので、お近づきになる時は御気をつけ下さい」

 話かけられ、質問され、大なり小なり自分が頼って貰えた事に胸が弾む。極力丁寧な言葉遣いで、不慣れながらも懸命にミノリは語った。大きく頷きながら話を聞いてくれているアイラに、非常に好感を抱く。まさか、傍に居られるだけでなく、言葉を交わすことが出来るとは。改めて、騎士になってよかったと心底神に感謝をした。

「ミノリは、物知りですね。見習わねばなりません」
「……いえ」

 貴女が知らなさ過ぎるのです、と思わず言葉が飛び出しそうになり、慌てて言葉を飲み込む。
 親し気に会話していた二人を見て、若干こめかみを引くつかせたトライがやって来る。

「アイラ、紹介しよう。クレシダとデズデモーナだ。二頭とも、非常に賢く優秀な愛馬だ。今から遠乗りにでも行かないか、良い森が近辺にあることだし」

 遠乗りと聞き、ミノリは身構えた。
 しかし警戒するミノリとは裏腹に、アイラは嬉しそうに手を叩いている。アイラは、非常に意欲的だ、知らないものを憶えたがる。

「とても楽しそうです! ですが、恐縮ですけれど、私は馬に乗ったことがありません。ミノリ、貴方は乗れる?」
「え、まぁ、適度に」

 アイラを乗せて二人で野を駆け巡る風景を想像し、口元が緩んでしまったミノリだが、爽やかにトライが会話を遮断した。

「デズデモーナは利巧で大人しいから、すぐに乗りこなせるだろう。やってごらん」

 瞬間、トライと視線が交差したミノリは歯軋りをする。
 冷めた視線を向けていたトライには、ミノリの感情など手に取るように解っていた。
 それは自分の役だ、と念を押すように凄むトライに、ミノリは怒りで顔を赤く染める。
 トライに導かれ、漆黒の馬がアイラの前に連れて来られた。一人では乗ることができなかったので、トライに乗せてもらい手綱を握り締める。鳥以外の生物に触れること自体初めであり、怖々とその鬣に触れる。
 
「よろしくお願い致しますね、デズデモーナ」

 不安定な場所で、遠慮がちに馬に話しかけた。頭を撫で、懸命に語りかけていると、デズデモーナが頷いたように思える。
 普段よりも高い目線で庭を見渡すと、別世界のようだった。

「では、ゆっくり動いてみよう。怖がらなくて良い」

 アイラは緊張で胸を押さえつつ、静かに姿勢を正して深呼吸をする。ミノリに見守られる中、クレシダに跨ったトライについてゆっくりとデズデモーナは動き出す。小さな悲鳴を上げたアイラだが、数分も走り回ればすっかり気に入ったらしく、無我夢中で庭を駆け巡った。
 初日とは思えぬほどに完璧な姿勢で乗馬を愉しむアイラに、皆は呆気にとられる。

「ハハ、何をやらせても見事にこなすな。素晴らしい、このような姫など世界に二人といないだろう」

 生き生きとした表情で自分についてくるアイラを振り返り、トライが上機嫌で本音を吐露する。応える様に、クレシダとデズデモーナが嘶いた。
 一際高く嘶いたデズデモーナは、長い鬣を振るう。四つの蹄で砂煙を巻き上げ、クレシダの真横にピタリと寄り添い、並行して駆ける。

「流石だ、アイラ姫。ではこのまま、森へ行こう」

 満足したトライは、元気よく返事を返したアイラと共に森へ向かう。
 慌てて騎士らは馬に飛び乗り、二人を追いかけた。二頭の駿馬を見失わぬよう、細心の注意を払う。騎士らの気も知らず、アイラは常に歓声を上げながら森を駆け巡る。木漏れ日がキラキラと降り注ぐと、妖精のように神秘的なその姿に目が釘付けになった。

「う、美しい……」

 自然と、騎士らの口から称賛の言葉が漏れる。
 日が暮れた頃、風で乱れた髪をかき上げながらアイラは名残惜しそうに戻ってきた。存分に遊びつくしたが、疲労感はない。寧ろ、爽快な気分だ。

「今日はありがとう、デズデモーナ。貴方のおかげで、とても楽しかった。トライ様にも感謝しています」

 デズデモーナを撫でながらそう告げると、離れたくないというように悲しそうに鳴いた。
 鞍からアイラを下ろしたトライの目の前で、デズデモーナは鼻先をアイラに擦り付ける。優しく頭部を撫でてくれるアイラに擦り寄り、その頬を舐める。
 すっかり心を許しているデズデモーナに苦笑し、トライは軽く溜息を零した。自分以外には懐かない馬だったが、アイラならば仕方がないと納得し感嘆する。

「まったく、デズの主はオレだというのに。まぁいい、アイラに差し上げよう。懐いているし、何より大事に扱ってくれるだろう。安心して任せられる」
「え、本当ですか!?」

 驚きと感動で言葉を失うアイラの頬を撫でながら、トライは優しく続けた。

「世話の仕方を教えよう。他人に任せるより、自分で行ったほうが馬との信頼感が強まる。人間だって、心を許している者が近くにいたほうが好いだろう? それと同じだ」
「はい、教えてください! 私、頑張りますっ」

 姫は普通、馬の世話などしない。だが、トライはアイラなら途中で投げ出す事もなく、率先してこなすだろうと判断したので提案した。王子である自分も、愛馬の世話は子供の頃から怠らなかった。馬は財産でもあるが、それ以前に友である。デズデモーナを手放すことは、正直辛い。しかし、いつまでアイラの傍にいられるか分からないので、護衛も含めて託した。

「デズ、任せたぞ」

 瞳を輝かせデズデモーナの首にしがみ付くアイラを見て、トライは間違っていなかったと満足し頷いた。
 その傍らでミノリは慌てたが、自分も一緒に説明を聞けば良いのだし、またアイラに頼って貰えるかもしれないと思ったので賛同した。本音は「馬の世話など臭いし、危ないです」なのだが、嬉しそうなアイラを見てしまっては止める気が起こらない。
 アイラは当然、乗り気だった。
 他の者達は、マローであるならば止めただろうが、アイラだったので誰も反対しなかった。そもそも、マローは全力で拒否をするだろう。

「数日は、共に世話をしよう。……今日はもうお休み、アイラ。疲れただろう」
「はい、宜しくお願い致しますね」

 アイラの髪を撫で、トライはそっと耳打ちをした。
 くすぐったそうに笑うアイラは、以前の陰鬱な雰囲気を纏っていた彼女とは別物だ。控え目だが、営業用ではない素直な笑顔は好感が持てる。自身を卑下する癖は残るものの、他人に対して高圧的な態度はなく、誰にでも同じ様に接する。まさに、理想の姫だった。
 全ては、室内に閉じ込められ、ほぼ誰とも会話をしてこなかった環境が作りだしていたのだろう。これこそがアイラ姫本来の姿なのだと知った騎士らは、困惑した。

「騎士様方、御面倒をおかけしますが、一緒に宜しくお願い致します」
「御意に」

 そして、アイラの近辺に居た騎士達だけが、気づき始めた。 
 災いを呼ぶ子を産み落とす“呪いの姫君”。産まれた子は、その国を滅亡させてしまう。すでに視えた未来であるならば、元凶を消せば良いのだけのこと。けれども、母親を殺した時点でその国は滅亡へ追いやられるという。
 未来を知り得た土の民は、呪いの姫君を他国へ嫁がせ、そこで子を孕んでもらわねば自滅する。もしくは、呪いの姫君を他国の者に殺害してもらい、難を逃れるか。
 呪いの姫君は、災厄の子を産み落とす為ならば手段を選ばず。甘美な声で、魅惑の表情で、容姿全てを武器として男を翻弄するだろう。土の国の男は、呪いの姫君に近寄ってはならない。
 姫君が産まれて暫くしてから、両親から聞かされていた話である。流れ出た噂を、騎士達は鼻で笑っていた。誰がそんな恐ろしい子の父親になるものか、と。
 姫君がどれ程の美人か知らないが、噂を知っていて尚、好き好んで近づく男などいやしないと。

「お疲れ様でした。今日は、本当にありがとうございました。……とても、楽しかったです」

 姫が、騎士達に深く頭を下げて礼を言った。上げた顔は、余程嬉しく興奮していたのか頬が紅く染まり、瞳は潤んでいる。夕日の光を背に、アイラはそこで悠然と微笑んだ。
 皆が、息を同時に飲んだ。
 そして、疑問が生じた。

『本当に、この姫君は呪いの子を産む禍々しいものなのか』

 一人の騎士が、頭を振って今の疑惑を消し去ろうとした。これが“男を翻弄し呪いの子を産むという姫君”なのだと言い聞かせるように。
 一人の騎士は、呆然とその場に立ち尽くし、跪いて忠誠を誓おうとした。この、人々から蔑まれて産まれて来たけれども、他者を癒してしまう姫君を護りたいと願った。
 一人の騎士は、唇を噛んで眩暈から逃れようとした。呪いの子が産まれたとしても、この目の前の姫君を“抱きたい”と、思ってしまった。
 ミノリは、硬直して動けずにいた。金縛りにでもあったかのように目が離せず、呼吸さえも忘れて立ち尽くす。

 ……アイラ姫がこの国の女王になれば良いのに。

 その傍らで、自分は騎士団長として生涯を捧げたいと、大それた夢を抱いてしまう。もしくは、呪いの姫君として他国に嫁がせられるくらいならば、その途中で攫って二人で暮らそうと。ミノリは、アイラに心酔した。

 その晩、騎士達は酒を呑み交わした。皆、今日感じた事を口にしようとしたのだが、思い止まって言えない。思って居る事は皆同じだが、口にするほどの勇気を持ち合わせていなかった。

『アイラ姫は、本当に呪いの子を産むのか。間違いではないのか』

 日に日に、アイラについた騎士達の疑問は膨れ上がった。立ち振る舞い、仕草、動作、全てが尊いものに思えてしまう。何より、下の者に対する気遣いが騎士達を困惑させた。下々の者へも感謝の言葉を忘れず、気遣って語りかけてきてくれる。また、ふとした時に見つめたその先の表情が、微かに憂いを帯びつつも威厳に溢れている気がしてならない。
 そんな騎士達の移り変わりに反応したのは、トライだった。騎士達に睨みを利かせ、無意識のうちに一人一人の名を覚えてしまった。

「お前等は何を見ていたのか……気づくのが遅い」

 冷めた瞳で騎士達を一瞥し、微かに喉の奥で笑う。

「時間はかかったが、一応は褒めてやろう。しかし、残念だったな。姫はオレが連れ帰る」

 余裕の笑みでそう呟き、狼狽している家臣らを他所にトライは今日もアイラに逢う為に部屋を訪れる。
 
 姫君達の教師が、幾度も嘆息した後に、耳障りな金切り声を発した。室内に響き渡る病的な声は、廊下の騎士達にまで及び、誰しもが顔を引き攣らせる。

「アイラ様! マロー様はこうしてきちんとこなされているのに、どうして出来ないのですか!? ……マロー様は、トレベレス様とベルガー様がお待ちですし、ダンスの練習もございますからお行きなさい。姉姫に寄り添うお姿は健気で美しゅうございますが、大丈夫ですよ。それに引き換え、アイラ様。聞けば馬の世話を開始されたとか。よくもまぁ、課題をほったらかして遊んでおられたものですねぇ?」

 マローは蒼褪め、慌てて教師を止めようとした。非は、自分にある。
 アイラは、マローの分は終わらせた。しかし、馬の世話が楽しくて、自分の分は半分しか終わらせていなかったのである。マローに頼まれなければ、とうに終わっていただろうに。
 反論しようとしたマローを、アイラが右手で制した。

「行きなさい、マロー。トレベレス様とベルガー様がお待ちなのでしょう」
「で、でもっ」
「大丈夫ですから、お行きなさい」
「あぅ」

 マローの前に立ち、アイラは妹を促した。
 マローにとて解った、罪を被る気なのだと。責められるべきは自分だが、身代わりとなってくれるのだと。罪悪感で胸がいっぱいになったものの、胸を押さえながら逃げるように部屋を飛び出した。自分がやっていないことを、教師に告げる勇気がなかった。マローが言えば、それだけで教師は許しただろうに。
 いや、罪を被ったマローを褒め称え、アイラは濡れ衣を着せた恥知らずとさらに非難されたろうから、これが最善だったのかもしれない。
 脚がもつれたマローは、立っていたトモハラと軽くぶつかってしまった。触れたことで赤面したトモハラを忌々しそうに突き飛ばし、そのまま去って行く。後ろめたさと羞恥心が混ざり合い、難とも言い難い感情は苛立ちを産んだ。
 当然、トモハラを始めとした護衛の騎士らは追いかけた。マローの様子が妙な事は、即座に気づいていた。部屋を振り返り、不安そうに立ち尽くしているミノリに視線を送る。
 マローが去ったので、意地の悪そうな薄笑いを浮かべた教師は、ここぞとばかりに嫌味を投げつける。 

「全く……マロー様を見習って頂きたいですわ。どうしてこうも違うのでしょう」
「ごめんなさい、次からは頑張ります」

 凛とした声で、きちんと詫びるアイラに教師は些か腹を立てた。姫といえども、ゆくゆくは他国へ嫁がせる出来そこないである。こちらが高慢な態度をとっても、城内の者達は誰も咎めない。数年それが続いたので、これが当たり前だと錯覚していた。姉姫は物乞いより劣る者であり、多少痛めつけても構わないと。

「今とて、マロー様はアイラ様を擁護しようとしてらっしゃいましたね。本当に、女王となるべきお優しい方ですこと。それに比べて貴女と来たら」
「ごめんなさい、マローのように上手く出来ませんが努力します」

 真っ直ぐに瞳を見てくるアイラに、背筋が凍る。目の前の威厳溢れる姿に後退りをした教師は、自分を恥じて叱咤した。何故、誰からも相手にされず後ろ指刺されている小娘に怯まねばならないのか。認めたくなくて、更に追い討ちをかける。女の念は、非常に面倒だ厄介だ。

「マロー様のように出来るわけがないでしょうに! 身の程を弁えなさい、口だけは立派な怠惰な小娘! ともかく、きちんと課題をこなすように! あぁ、本当に腹立たしい姫君であることっ」
「それは聞き捨てならない台詞だな。たかが教師の分際で」

 ドアが喧しく開かれ、飛び上がって驚いた教師が振り返り見たものは、激昂しているトライだった。
 凍りつくような視線と、冷徹な声、トライの通常の声を知らない者が聞いたとしても憤慨していることは明白だ。全身から怒りを放出しアイラの正面に立つと、睨み殺しそうな勢いで見つめる。

「情けなくて何も言えない。土の国の者達は、何故揃いも揃って能無しなのか。アイラはきちんと勉強していた、何も問題はない。オレの国であれば、お前は解雇どころか極刑だ」
 
 肩を竦め、多少おどけたような素振りを見せたトライだが、蛇に睨まれた蛙のように、顔面蒼白の教師は枯れ木の様に立ち尽くす。異様なまでの殺気に、身体が動かない。先程までの虚勢はどこへ行ったのか。なんの気苦労もしていない美形の王子だと思っていたのだが、人を圧倒し麻痺させる威圧感は何なのか。見くびっていた、と全身から汗が噴き出す。

「トライ様、あの、我国の皆は能無しではありません。訂正してください」

 トライの服を軽く引っ張り、アイラは控えめにそう告げると一歩前に出て教師に頭を下げた。

「デズデモーナの世話が終わったら、きちんと課題を終わらせますから。もう少し時間を下さい、お願いします」

 背筋を伸ばし、凛とした声でそう告げたアイラは、頼もしく眩しい。
 変わらず教師を睨み付けていたトライだが、アイラにだけ見せる笑みは途轍もなく甘くて優しかった。
 教師は、アイラのその真っ直ぐで脅えのない態度に軽く唇を噛み締めると、そのまま勢い良く部屋を飛び出していった。捨て台詞付きで。

「呪いの姫君のくせに、何を偉そうに!」

 小声で、聞こえないように言ったつもりだったようだが、アイラはそれを聞き取った。教師の後ろ姿を見送りながら、軽く腕を組んで首を傾げる。

「呪いの、姫君?」

 当惑しているアイラの表情を見つめ、姫君自身が“噂”を知らないことを確信したトライは肩を竦める。本当に何も聞かされていないらしい。
 アイラは静かに溜息を吐きトライに向き直ると、苦笑いして一礼をする。

「申し訳ありません、お見苦しいところを」
「いや、オレが勝手に入ってきたのだから気遣いは無用だ」

 その件に関して伝えたほうが良いのか、隠しておくのが良いのか。知ってしまえばアイラの事だ、身を投げてしまう可能性もある。訊ねられたら教えることとし、トライは軽くアイラの肩を叩くと右手を取り甲に口付けをする。極力アイラを悲しませたくなかった為、このまま知らないほうが良いと判断した。

「デズデモーナの世話ならば、今日くらいオレが代わろう。アイラは終わらせるべきだ、どうせ大した量ではないんだろ?」

 図星である、教師の口ぶりからすると膨大な量が手つかずに聞こえるが、大したことは無い。

「ですが、デズデモーナと意思の疎通を図る為には、毎日自分で世話をしたいのです。頂いた、大事な馬です。軽々しい気持ちであの子を戴いたわけではないのです、ご理解ください」

 アイラの言う事も尤もだ、だが、先程の教師を黙らせてみたいトライは軽く思案した。

「その真面目なところも好きだが、たまには他人に甘えるとよい」

 宥める様に告げ、無理やり抱き抱えて席に座らせる。不服に唇を尖らせたアイラの頭を撫でると、耳元で「頑張れ」と囁き、部屋を後にした。
 仕方なく、アイラはペンを手に取る。本当は今すぐにでもデズデモーナの元へと行きたいのだが、必死に堪えてペンを動かした。認めてもらい、堂々とデズデモーナに会いに行こうと気を引き締める。
 トライが根回ししたことも手伝い、以後教師は物言いたげな表情で睨んで来るだけで、何も言わなかった。こうして二人は、気兼ねなく毎日遠乗りに出掛けた。無論、後方に騎士数名がお伴としてついてきていたが、二人の仲は急激に縮まった。アイラもすっかりトライに心を許したようで、以前より積極的に質問をした。
 好いた相手が興味を持ってくれる事は、喜ばしい事である。トライはすっかりその気になっていた。
 多くの者は呪いの姫君の押し付け先が決まったと、喜んだ。
 けれども、仲睦まじい二人を見ているだけで、ミノリは憂鬱になる。嫉妬心が暴走し、トライに斬りかかってしまいそうだった。断腸の思いでそれを堪えていたものの、どうしても目には怒りが浮かんでしまう。
 小物とはいえ、いい加減ミノリが鬱陶しく思えてきたトライは、名指しで呼びつけた。
 それは、庭で茶会を開いていた時だった。ミントを涼し気に浮かべた柑橘の冷水割りで喉を潤していたアイラは、何事かと目を点にする。

「お前、アイラ姫付きの騎士だろう? 如何程のものか知りたい、手合わせ願おうか」

 狼狽するアイラの前で、辛うじて愛想笑いを浮かべたミノリは怒りに震えながら返答をする。

「目に留めて頂きました事、身に余る光栄です。ですが……お言葉ですが、一国の王子に剣を向けたら首が飛びます。姫の護衛の為に、それは避けねばなりません。謹んで、辞退します」
「気にするな、オレの指示だ。まぁ、どのみち首は飛ぶかもしれないが」

 酷薄な笑みを浮かべたトライに、ミノルの血が沸騰する。完全に頭に血が上り、無意識で剣の束に手をかける。歯軋りを繰り返し、血走った瞳で睨みつける。

「やれやれ、こんな安易な挑発に乗る様な餓鬼では……」

 鼻で笑ったトライが自慢の剣を抜けば、呼応するようにミノリも腰の剣を引き抜く。
 歓声が上がった。
 他の騎士がミノリに軽く耳打ちをする。

「相手は道楽王子だ、全力で斬りかかってしまえ」

 流石に何かあってはミノリの立場が悪くなるが、皆とてアイラから片時も離れないこの王子を疎ましく思っていた。被害を被るのはミノリなので、遠慮なく本音を吐露する。

「あの。危ない事をしてはいけません」

 一発触発の二人の間に、アイラが割って入ってきた。
 肩の力を抜くミノリと、苦笑したトライは心痛な面持ちのアイラを見つめた。このような表情をされてしまうと、もう何も出来ない。
 困ったように髪をかき上げ、トライは二人の剣を咎める様に見つめているアイラに弁明する。

「勘違いをしているよ、アイラ。これは危ないものではない、寧ろ、危険が迫ったときに命を護る重要なもの。率先して学ぶべきものだ」
「そうなのですか。でしたら、私にもそれを教えてくださいな」

 笑顔で堂々とそう告げたアイラに、皆は一斉に素っ頓狂な声を出した。
 ミノリは大人しく剣を収め、アイラの前に恭しく跪く。
 額を押さえてどう説明すべきか悩んでいるトライは、低く唸った。剣を習いたいなどと言い出すとは、流石に想定外だった。だが、アイラの性格上、それは当然にも思える。笑いを堪えて俯いているようなミノリに腹が立つものの、けしかけた自分が迂闊だったと素直に非を認める。

「アイラ様が危機に直面しないよう御護りする為、我らが剣の腕を磨くのです。アイラ様には必要のないものですよ。それに、普通姫様は剣を持ちません」
「ミノリの言う通りです、姫様は剣ではなく、花をお持ち下さい」

 騎士達も同じ様に跪いたが、アイラは眉を顰めて無言のまま立っている。暫しの沈黙の後、跪いている騎士達と目線を合わせるべく地面にしゃがみ込んだ。

「では、貴方達が危機に直面した場合は、誰がそこから救うのですか?」
「いえ、危機に直面する仕事なのです。貴女様の楯となれば本懐を遂げられます」

 ドレスが汚れようともお構いなしに、アイラは騎士らと視線を合わせようとした。慌てふためく騎士達に、不思議そうな笑みを浮かべる。

「貴方達が安心して任務を全う出来るように、私達が居るのでしょう? 上は、下を護るものです。王族は自分達の為に働いてくれる家臣や騎士、そして町の人々を護る義務があります。ですから、私にも剣を教えてくださいな」

 陽の光がアイラに降り注がれ、魅惑的な瞳は吸い込まれてしまいそうな程に煌めく。その場の全員は、絶句した。美しさもさることながら、目の前の姫は非常に知的だ。朝露に濡れた一輪の薔薇の様に、健気ながらも人目を引く。芯の強さは、計り知れない。
 このような事を言う姫が、他に居ただろうか。

「私だけ仲間外れにしないでください。乗馬と同じ様に、剣の扱い方も教えてくださいな」

 頬杖をついて、にっこりと明るく笑ったアイラに、もはや誰も反論が出来ない。
 一部の騎士達は焦燥感に駆られて、刃物ではなく練習用の軽い木刀を取りに城へと戻った。
 くすくす笑いながら、アイラはトライの剣を眺めている。

「……面白すぎる。全く予測不能な行動をとるな、アイラ」
「そうですか? だって、剣は人を傷つける為ではなくて護る為にあるのだと本で読みました。ならば、私は習わなければいけません。それに、行く行くはマローがこの国を治めますが、あの子を護るのは私の役目です。当然でしょう?」

 アイラは裸足になるとドレスを摘んで、軽やかに跳ねまわる。以前は、庭に出して貰えなかった。草を大地を、裸足で踏みしめるとどうにも懐かしい気分になる。
 無邪気にはしゃぐ姫君は、全ての者を魅了する。
 トライは唖然としている騎士らに、一心不乱にアイラを見つめたまま、神妙な顔つきで呟いた。

「あそこまで下の者の事を考えている娘を、お前達は呪いの姫君だと言っているのだな」

 騎士達の返答はなく、トライは黙って続ける。

「お前達は、些か違うようだが。悪いな、オレはどうしてもあの姫を連れ帰りたい。馬鹿げた国の予言に踊らされて城に閉じ込めておくより、我が国で自由気ままに過ごしたほうが彼女の為だ。希望者は、彼女の護衛として我が国への来訪を許す。考えておいてくれ、オレは近いうちに彼女を必ず連れ帰る。もう、決めた」

 つまり、求婚するという事だ。噂を知っていて臆さないこの男に、僅かな敗北と恐れを抱く。

「失礼を承知で申し上げます。……本当に、アイラ姫が宿した御子が災いを引き寄せるならば?」

 一人の騎士が、皆を代表してなのか個人的になのか、問いを投げた。
 トライは「愚問だな」と喉の奥で笑うと、マントを翻しようやく騎士達に視線を向ける。

「有り得ない。そんな未来は、こない。我が国は、より一層の栄華を誇るだろう。何より、オレは彼女を愛しているだけだから、正直そんなことはどうでも良い。オレは予言など信じていない、自身の直感を信じる」

 それは、傲慢かつ嫌味な発言だったかもしれない。しかし、トライの言葉に嘘偽りはない。
 騎士らは、反射的に敬礼していた。屈服するしかない、圧倒的な威圧感に震える。
 トライの容姿は、同姓から見ても鼻につくほど完璧である。何もかも全てにおいて恵まれており、他者に劣等感を抱かせてしまう。だがアイラを見る目は、間違いなかった。
 そして騎士らは、決意した。いけ好かないが、忠誠を誓うに値するこの王子のもとで、アイラ姫を護りぬく事を。騎士らしく、堂々と誇れる気がした。
 ただ、ミノリだけはどうしても素直に言葉を受け入れられず、唇を噛締めて俯く。この上ない好条件だというのは、分かる。現状、アイラは自分達守護騎士以外からは迫害されている。王子達が訪れようやく部屋から出られたものの、常に行動を制限されていた。そこから放たれるのだ、小鳥は籠から飛び出し、大空を自由に舞って囀るだろう。
 けれども。
 似合いの二人だとしても、ミノリは素直に祝福出来なかった。トライに剣の稽古をつけてもらい始めたアイラを見つめながら、複雑な心境で見守る。
 美男美少女、王子と姫、水と土を加護にもつ二人ならば、潤いの国を治められそうだ。
 しかし。
 嬉しさに動かされて自然と微笑むアイラを見ていると、胸が締め付けられる。その可憐な瞳に映るのは、トライばかりだ。身分が、邪魔をする。どうしようもない絶望感に襲われ、心が荒む。アイラが気さくに話しかけてきたので、ミノリは誤解をしてしまった。一般市民の自分でも、どうにかなるのではないか、と。淡い期待は、打ち砕かれる。

「俺も王子だったらよかったのに」

 なり上がりの騎士では、王子には勝てない。ミノリは現実を受け入れられずに落胆し、アイラを羨望の眼差しで見つめ続ける。トライに、なりたかった。弱小国でも、王子として産まれてみたかった。
 もしくは、幼い頃読んでもらった本に登場した、華々しい勇者であれば。
 魔王に攫われた姫を救い出す、勇者ならば可能だったのにと思った。しかし、この世界に魔王など存在しない。いるとすれば、姫を欲望の為に連れ去る他国の王子達だ。

 アイラが剣の稽古を始めたという事実は、瞬く間に城内に広まった。当然、影では「野蛮だ」「呪いの姫君は自身の快楽の為に、戦争を仕掛ける気なのだ」と、口々に噂した。
 ミノリは苛立ちながらそれを聞き流し、今日もアイラの守護をすべく部屋の前へと出向く。
 部屋の中から、マローが飛び出してきたので慌てて避ければ、その後をトモハラが追いかけていく。あちらも相変わらずだ、とミノリは苦笑した。報われない恋は、ここにも一つ。

「ミノリ、お願いがあるのだけれど、良いでしょうか?」

 ひょい、っと部屋から顔を出したアイラに思わず悲鳴を上げそうになったミノリは、無我夢中で無言で頷いた。アイラは安堵し、手招きして部屋へと呼び込む。

「えっ、し、室内へ!?」
「何かいけないことでもありますか?」
「ひ、姫の部屋に入室するなど、あってはならぬこと。咎められます」
「まぁ、なんて面倒な……。でも、私が困るのです。私を護衛すると思って、他の皆さんもご一緒にどうぞ」

 当惑した騎士らだが、呼ばれたミノリを筆頭に、四人が居心地悪そうに室内へと脚を踏み入れる。幾度も咳をし、深呼吸を繰り返しても動悸がする。
 部屋に入ったミノリは「姫様の香りがする」と熱に浮かされたような声を零し、陶酔状態となった。騎士に小突かれ慌てて意識を取り戻すと、にやけていた頬を引き締める。けれども、甘い香りには抗えない。鼻が伸びてしまう。

「あのクローゼットの上に、取って欲しいものがありまして。頑張ったのですけど、届かなくて……」

 アイラが、指を指す。
 そんなこと、最初から自分でやらずに誰かに頼めば良いのに、と思ったが口にはせず。ミノリは、言われるがままにアイラが指した箱を取ると、微かに被った埃を払ってから手渡した。動きはぎこちなく緊張が丸わかりだが、今だけでも二人は恋人同士だと言い聞かせて、束の間の幸福を噛み締める。
 ありがとう、と嬉しそうに至近距離で言われたので耳まで真っ赤になる。暫し硬直しアイラを見ていたが、裏返った声で愚問が飛び出した。

「トライ王子のことを、どう思われているのです?」
「どう、とは?」
「ですから、その。好意を抱かれている、とか……」

 不思議そうに振り返ったアイラに、しまった、と顔を顰めたミノリの予感は的中した。うっすらと頬を紅く染めて、小さく頷いたアイラを見てしまったからだ。足元の床が崩れたかのように、絶望を味わう。
 けれども。

「好きですよ。私に兄がいたら、あぁいう感じだと思います。とてもお優しくて、周囲に気配りもしてらっしゃる素晴らしい方。ミノリも好きですよ、いつも私を見守っていてくれて助かっています」

 大きな瞳を数回瞬きさせ、可憐な唇から発した言葉は『好き』。
 ミノリは耳を疑った、一瞬何を言われたのか解らなかった。アイラの『好き』が恋愛対象ではないとは解ったのだが、それでも嬉しい。ミノリは無我夢中で口元を押さえた、歓喜の悲鳴を上げそうだったからだ。まさか、自分に“好き”だと、言ってもらえるだなんて思いもよらなかった。例えそれが「花が好き」「鳥が好き」「横笛が好き」と同意だとしても。
 言葉が上手く出てこず、ミノリは小刻みに震えながら突っ立っている。だが、雪崩れる様に押し寄せた騎士達によって我に返った。

「お、俺は如何ですか!?」
「わしは、その、あれです」

 興奮気味にアイラに詰め寄ると、口々に喚き出す。姫の口から『好き』と言ってもらえるならば、この上ない褒美である。唖然としているミノリを押し退けて、瞳を輝かせている。
 首を傾げながら、アイラは普段と変わらぬ表情でにっこりと微笑んだ。

「皆さんも好きです。夜遅くまでご苦労様です、お仕事でしょうが、適度に力を抜いてくださいね?  真剣過ぎますよ、それが良いところでしょうけれど」

 一瞬に静まり返った室内の中で、騎士達は改めてアイラの前に跪く。誰が言うわけでもなく、一斉に。

「愛しの麗しき姫君に、絶対の忠誠を」

 剣を掲げ、誓う。
 そんな様子に狼狽しているアイラを、ようやく訪れたトライが微笑んで見ていた。

「呪いの姫君と噂されようとも、触れた者には全く効果のない程の魅力の所持者、か」

 トライには、興味のないことだった。破壊だろうが繁栄だろうが、アイラに違いはないのでどちらでも構わない。だが、確信していた。
 繁栄の姫君がもし、本当に存在するのならばそれは……アイラであるだろう、と。
 もう一度、室内のアイラを見つめる。暖かな陽射しを背に受けて、困ったように身動ぎしている姫君は、確かに護らねばならぬ存在だ。そういう気に“させてしまう”。
 だがしかし、その半面で。彼女は自分の近くに居る者を護ろうとしているのだと、肌で“実感する”。 
 護られるだけではない、得意なる姫。そのような者が、何故ゆえに呪いの姫君とされたのか。

「一度……調べてみる必要があるか? しかし」

 トライは、低く呻く。
 万が一、アイラが繁栄の姫君であるならば、呪いの姫君はマローとなる。それはそれで厄介だ、アイラが黙ってはいないだろう。
 騎士達に囲まれて、恥ずかしそうに笑っているアイラの声が聴こえてきた。

「喜ぶ顔が、見ていたい。それだけだ。大輪に咲き誇る向日葵のような、地上の太陽のような眩しい笑顔で笑うから」

 キィィィ、カトン。
 トライは、不可解な音を耳元で聴いた気がして思わず腰の剣を引き抜きかけたが、周囲には鳴りそうな音源がない。空耳ではなかった筈だが、何の音か解らなかった。ズキン、とした重い頭痛が走り、額に手を押し当てる。

 ……喜ぶ顔が見たい、それだけ。大輪に咲き誇る向日葵の様な眩しい笑顔で、全てを照らし出す。

 昔。
 自分が発したような台詞を、何故か思い出す。
 誰に思った台詞だったか、思い出せない。

「なん……だ?」

 軽い眩暈で、壁に手をついた。額にじんわりと浮かんだ汗を拭い、荒い呼吸を鎮めようと深呼吸を繰り返す。嘔吐しそうになり、口元を押さえる。一瞬目の前が真っ暗な闇に包まれて、突如光の中に投げ出されたような感覚に目がチカチカする。
 映像が、見えた気がした。それは、自分だった気がした。
 キィィィ、カトン。
 再び、何処かで不可解な音がした。

*****
2020.12.12
上野伊織様から頂いたアイラを挿入しました。
著作権は、伊織様にございます。
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登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

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