外伝4『月影の晩に』7:呪いの姫に、恋した騎士

文字数 5,192文字

 誰かの隣で、目が醒める幸福。
 夢の内容は、鮮明に思い出せない。けれども、ひどく甘い余韻を味わえた。
 けれども、目醒めた二人の姫は、早々に引き離されてしまった。これからは共にいられると思い込んでいた為に、現実を受け入れるには時間がかかった。
 楽しかった時間が、夢の様に思えてくる。朝日の光は靄のように庭に溢れているのに、心は暗い。
 
「アイラ様はこちらへ」

 駄々をこねて離れまいとするマローは窘められ、眉を寄せて連れて行かれる姉を見送るしかなかった。

「本日より、特別授業を開始致します」
「え、あの……王子様方は」
「心配せずとも、マロー様がお相手してくださいますよ。どのみち、貴女様では弾む会話一つ出来ませんでしょう?」
「そ、それは、そうですけれど……」

 表情を翳らせたアイラは、初めての部屋に足を踏み入れた。入ると、ツンとした香りに咽る。どこか目も痛むような気がして、細めて室内を見渡した。テーブルに、所狭しと色とりどりの美しい瓶が並んでいる。

「女性は、香りを嗜むもの。これからはアイラ様もお使いなさい。一国の姫なのですから」

 と、言われたものの、香水など与えられてこなかった。確かに、常にマローからは華やかな香りが漂っていたが、それが香水だったと今初めて知った。

「アイラ様には、マロー様とは違う香りを身に纏って頂きます。今から説明致しますね」

 一つ一つ瓶を出され、アイラは懸命に香りを覚えた。鼻がひしゃげてしまいそうだったが、思うより種類は少なく、その中から一つを選んで良いと言われたので、最も柔らかい香りを手に取った。

「では、本日はそれにいたしましょう。白檀と茉莉花の配合ですね、よく憶えておきなさい」
「質問を宜しいでしょうか。香りは毎日変えて愉しむものなのですか?」
「えぇ、そうですね。お相手の男性が好む香りを自分で選ばねばなりません」
「お相手の男性……王子様方の好みに合わせる、ということですね?」
「平たく言えば、そうなります」

 用意された香水は、全て催淫効果が高いものばかりだった。しかし、植物の名と花は図鑑で知っていたものの、効能まで知らなかったアイラは、単に感動していた。知識が増える事を覆いに好む性格ゆえ、何を意図しているのかまで、頭が回らなかった。
 その後は、衣裳部屋へと移動した。過剰に胸を露出したドレスに着替えさせられ、すーすーして落ち着かないアイラは不安げに鏡に映った自分を見つめる。

「最近流行しているドレスですよ」

 色合いも非常に濃く、目に眩しい。

「薔薇や石楠花のように華美なマロー様はお似合いだというのに、名もなき雑草のようなアイラ様では、ドレスばかりが目立ちますわね」

 クスクスと嘲笑され、小声で嫌味を言われたが、アイラが哀しむ事はなかった。その通りだと、自覚していたからだ。
 その後は濃い化粧が待っていた。毒々しい口紅に頬紅に、流石に顔を引きつらせる。

「こ、これが流行りなのですか……」

 流行と言えども、高級娼婦らの中では、だ。
 流石にアイラとてこれには目を白黒させ、遠慮したい憂鬱な気持ちが心に蔓延する。どう見ても、下品だった。
 部屋移動を行う度に護衛の騎士らの前を通過するのだが、控えているとはいえ、盗み見をする騎士らも多い。彼らは案の定何とも言えぬ顔を見せて、すぐさま俯いてしまう。

 ……やはり、変なのだわ。私には似合わない。

 時折窓に映る自分を見て、アイラは深くて長い溜息を幾度も吐く。
 ふと、ミノリと視線が交差した気がした。
 しかし、彼もぎょっとしたように瞳を丸くして、慌てて床に眼を落してしまう。
 アイラは、いよいよ不安になり、このような姿で王子らの前に登場して良いのか悩みだす。
 ミノリはアイラの護衛についたので、始終ついて回っていた。その胸を強調した衣装には戸惑うばかりで、なんとか視線を逸らそうとした。姫に懸想するなど、あってはならぬ事。天上の御人なのだからと言い聞かせるが、柔らかそうな胸を見る度に劣情感が否応なしに膨れ上がる。おまけに、今日は不思議な香りがその身体から漂っていた。その香りに、眩暈を覚える。
 けれども、その派手な色彩が氾濫している顔はどうにかならないのかと唇を噛み締めた。普段のアイラのほうが美しい。その化粧は、魅力を半減させている。幼いミノリには、その化粧が何を指すのか、まだ解っていなかった。けれども、他の騎士らは薄々勘付いていた。
 次いで、似たような化粧を施し、煌びやかな衣装を身に纏った女性達が大勢居る部屋に案内された。アイラは、物珍しそうな顔で彼女達を見渡す。女達は、明らかに迷惑そうな表情を顔に浮かべ睨んでいた。

「本日は、彼女達に指導をしていただきます。しっかり習得してくださいな」
「はい。皆様方、アイラと申します。ご指導、宜しくお願い致します」

 本来、姫には相応の者が性について教える。しかし、アイラは特別だ。浅ましい態度で、淫靡に、確実に男を誘惑せねばならない。故に、街で高名な高級娼婦らを招き入れた。

「見て御覧、あのやせっぽちの身体! あれで男を誘えるとでも?」

 歪んだ顔は、まるで欠伸の様に伝染した。そうして、侮蔑の視線が投げかけられる。けれども、高額報酬の為に彼女らはアイラに手を抜かずに教えた。
 男が部屋に来たら、どうすべきか。一つ一つの仕草と視線が大事だ、愛らしく振る舞いつつも、男をその気にさせる為に軽々しく乗ってはいけない、など。

「酒を注ぐときは、胸の谷間を強調しなさい。酒を飲み始め、頬が軽く赤色に染まってきたら、そっと身体に寄りかかりなさい。そうして、苦しそうですと優しく耳元で囁き、衣服を脱がせなさい。休ませる為、ベッドに誘導なさい」
「甲斐甲斐しく世話をして、潤む瞳で殿方に下から視線を送りなさい。そうして、そっと、あくまで自然に身体に触れなさい。何処でも構いません、恥じらって瞳を逸らしたり、顔を赤く染めたりしなさい」

 アイラは、内向的な自分の性格を変える為の指導だと思い込んだ。それゆえ、無理難題を押し付けられたと、最も苦手な授業だ、と落胆しながら懸命に脳に叩き込む。
 そうしてついに、彼女らが得た“技術”が繰り広げられる。

「あの……これを行うと、王子様方はどうなるのですか?」
「身体を解し、癒して差し上げるのです。心地良い気分になられますよ」
「解す? 癒し? ……心地良いものなのですね」
「今来ておられる王子達とて、長旅でお疲れでしょう。寝所でして差し上げればお喜びになられるかと」
「そうなのですか」

 全く、男女の閨事など知らないアイラは教えられるままに、とても一国の姫とは思えないような破廉恥な技術を眺め続ける。水牛の角で陰茎の形に作った淫具である張形を見ても、それが何を模しているのか解らない。ただ、それを淫靡に口に咥えて舐めている彼女らは、自分にはない艶やかさを醸し出していると思った。
 破滅に導く呪いの子を産む母親は、いくら容姿が良くとも正常な男には相手にされないだろう。だが、男とは欲望と本能に忠実な愚かな生物である、流れさえ掴めばこちらのもの。酒で酔わせ、意識を奪い、襲い掛かって既成事実を作ってしまえばよい。
 それだけ。
 アイラは、数時間かけて寝所での作法を習った。
 相手が望むように、振舞う。積極的な女が好きなのか、恥じらいを見せたほうが良いのか、それまでの会話と流れで対応を変えるようにと、教えられた。

「淑やかな振る舞いを好むと思われるのは、トライ様とリュイ様でしょうか」
「そうなのですね、解りました。丁寧にやって差し上げれば良いのでしょうか?」
「そうですね、ですが時折物欲しそうな視線を送ることを忘れずに」
「物欲しそうな視線……難しいです。それは、どういったものですか?」
「こういう視線です」

 女達は、一斉に流し目を送ったり、卑猥に口を半開きにして上目遣いをしたりと、様々な表情を見せた、だが、それらをどう見ても、アイラには『物欲しそうな視線』の意味が分からなかった。

「……難しいですが、頑張ります。御鞭撻に感謝致します」

 ようやく部屋から脚を踏み出せたアイラは、安堵の溜息を漏らした。香水臭かった部屋にいた為、鼻が麻痺している気がする。ふと、項垂れているようなミノリに気づいたアイラは、そっと女中に耳打ちをした。

「この騎士様もお疲れかしら、やってみてもいい?」
「なりません! 仮にも姫なのですから、相応の王子だけのお相手なさい」
「そうですか……」

 アイラが連れ回されている理由が知りたかったミノリは、あらぬ想像を繰り返していた。妄想など可愛いものだった、姫を穢してはならぬと必死に抗うのに、性に目覚める少年には難しい。自己嫌悪に陥っていたところを、アイラに心配されたのだ。
 会話が嫌でも聞こえてしまう騎士らは、中で何が行われていたのかを完全に把握した。そうして、喉を鳴らす。しかし、何のことやら解らないミノリは、気まずそうに咳を繰り返す騎士らをぼんやりと眺める。次は一体何処へ行くのか、気持ちを入れかえ歩き出したミノリだが、急に首を捕まれた。飛び上がるほど驚いて振り返ると、化け物の様に化粧が濃い年配の女に凄まれる。寿命が縮んだ気がした。

「アイラ様に疲れていないか? と訊かれたら、すぐさま断るように」
「は?」

 ミノリは理解出来ず、怪訝に女を睨み付けた。しかし、女は鬼のような形相で立っている。

「単刀直入に言うと、決して肌に触れないようにということです。ベッドに誘われても、ホイホイついていかないように」
「肌!? ベッド!?」

 赤面したミノリを、鼻息荒く女は突き飛ばした。力が抜けて床に倒れ込んだ姿を一瞥し、忌々しそうに吐き捨てる。

「あの姫……無駄に色香が多い。食虫花のごとく、男を惑わし引き寄せる能力を持っているようだね。呪いの子を産む為には、手段を選ばないに違いない。恐ろしや……我らが教えずとも、あの姫は本能で男を食い殺すだろうよ」
「は……」
「変な気を起こすんじゃないよ! 我国からは絶対に交わる男を出してはいけないのだから」
「ま、まじ、わ!? まじわ!?」

 ようやく意味を理解したミノリは全力で立ち上がると、アイラに追いつくべくその場を立ち去った。他の騎士らはミノリを無視し、警護にあたっている。素知らぬ顔をしているが、皆、聴いていたし解っていた。
 アイラの後姿を確認すれば、丁度窓から入った風で髪が舞い、白いうなじが露になっていた。
 ミノリは立ち止まった、瞳を細めて魅入る。偶然、ゆっくりと振り向いたアイラと二人の視線が交差した。固唾を飲み込み、不思議そうに微笑んだアイラに深く頭を下げる。

「とても……手を出そうだなんて、思えない。あのお方は、穢れてはいけない」

 窓から入る日差しは柔らかで、緑の髪を光らせる。若葉の瑞々しい色合いは艶やかで、見ていて心落ち着いた。優しい光を浮かばせる瞳と、熟れたさくらんぼのような唇が目を惹くが、見事なまでに整った顔立ちは一生忘れることができないだろう。
 天上の宝のような気がしてきた、触れてしまえば壊れてしまう、危うい物にも見える。けれども、触れる前に消えてしまいそうな気もする。
 
 ……大丈夫だ、アイラ様に触れ、穢そうだなんて天に背く行為。誰も、手を出せないさ。

 そう、幾度も言い聞かせる。男達は、自分の様に邪な妄想を抱くだろう。けれども、最終的には恐れ多くて、触れてはいけない絶対的な“何か”を感じてしまうはずだ。
 永遠の純潔、染み一つない純白。
 誰にも穢される事なくこの姫は成長するはずだ、と。邪な者ですら、その神々しさで跳ね返してしまうだろう、と。
 ミノリはそう願った、願っていた。
 そっと近寄り、床に右膝をつく。アイラの手を取ることなく、腰の剣を床に置いて手を胸にあてる。

「貴女を、必ず護り抜くと誓います。貴女を悲しませるものを、遠ざけてみせます」
「え? ありがとう、ミノリ」


 破滅の子を産み落とす緑の姉に心酔した、若き騎士。視線を床からアイラへと、向けてみれば。目の前の麗しい姫君は、いつものように眩しい笑顔でこちらを見つめていた。
 決意を、胸に。
 土の国、代々女王が君臨する膨大な魔力を持つその国の。平民出身の若き、いや、幼き騎士は呪われた姫君を心に抱いた。
 小さすぎる力では、姫を護れないだろう。呪われた姫は、見た目を餌にし他国の王子を誘惑し、翻弄して破滅の子を宿す。宿った子は、父親の国を破滅に追い込む。
 緑の姫君は、他国へのトロイの木馬。
 そんな姫を護るべく、ミノリは決意した。徹底的に、邪魔をしてやろうと。それくらいしか出来ない、思いつかなかった。
 アイラは、不思議そうに微笑んでいた。
 ミノリは、困惑気味に微笑んでいた。

『貴女に、守護を。穢されない麗しき花で居られるように、守護を』

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登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

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