苺
文字数 9,595文字
有余はない、リュウは焦燥感に駆られ、人間に見つからぬよう幾度か偵察に向かった。時折、無造作に捨て置かれた幻獣の死骸に出くわし、込み上げる人間への例え難い憎悪と、自分の無知と無力さで嘔吐した。腐敗しているものもあれば、既に白骨化しているものもある。野ざらしの亡骸に涙し、せめてもの償いとして、花を添え手を合わせ鎮魂歌を捧げる。真面目に勉強していれば全て歌えたが、生憎一節があやふやだった。
自己満足だが、ないよりはマシだと言い聞かせて。
鎮魂歌というよりも、幼少の時から聴かされて皆が知っている童謡のようなもの。五番まであり、リュウが歌えたのは二番までだった。
「必ず、仲間達は救出する。安心して眠って欲しい」
思い入った決心を眉に集め、口が痺れる程言い続けた。
この惑星へ来てから三十日程経過したが、何体の亡骸をこうしただろう。生存者に逢う事が出来ず、深く絶望する。
それまでは、人目を避けて行動していた。となると、人間達の中心部に出向くしかない。
この頃には、身を潜め生き永らえている仲間はいないと思ったほうがよいのではないかと、意気消沈しつつあった。
リュウは、すっかり懐いたトッカとサンテの帰りを待っていた。帰らずとも影響はないように思えたが、一応貴重な情報源でもある。
「人間は、よく解らない。トッカとサンテは仲が良いだろう? 人間と犬は共存出来るのに、私達とは共存できないらしい。何が、違うのだろう」
リュウには、邪な人間の心が理解出来なかった。常に優越をつけたがり、自己的で、自身の感情を制御できない愚か者など、惑星にはいなかった。
それから暫くして、サンテが帰って来た。疲労し切った表情で、発つ前より随分と痩せ衰えている。
「お疲れの様だな。勇者様の食事はなかったのか、蹴ったら骨が折れそうだ」
多少の悪意を篭め、リュウはそう声をかけた。
力なく笑って床に倒れ込んだサンテには、その嫌味に気づけない。
「勇者っていってもさ、仮初の勇者だから同行している最中は食事なんてほぼ出ない。あいつらは美味そうなものを食べていたけど、僕には残飯だよ。だって、勇者ではないのだから。ただの、底辺国民だからね」
しゃがれた声で返答され、リュウは多少心配をした。だが、急かすように足を踏み鳴らす。
「新たな情報はないのか? 人間を殺して帰ってきただけなのか?」
サンテは、微かに笑った。その笑みが非常に滑稽に見えて、リュウは更に悪態づく。
「死にたいと言っていたお前は生き、代わりに村人が死んだのだろう? お前が殺したんだろう? 人間とは、随分と身勝手だ」
サンテは、顔色一つ変えなかった。ただ、物言いたげにリュウを見た。
ずしん、と背に重いものを感じ、リュウは狼狽える。しかし、サンテは気にしていない素振りを見せた。
「大勢死んだ、老若男女問わず。弾圧という名の虐殺だった、その中でも村人達は誇り高かった。女子供は奴隷として連れていかれるのが普通だけど、彼らは揃って自害したよ」
泣き喚く事も、赦しを乞う事もせず、ただ、手にしていた刃で己の首を掻っ切った。奴隷として扱われるくらいならば、死んだ方がましだと見せつけた。子供らに自害は無理だったので、親が躊躇せず息の根を止めた。目を覆いたくなる凄惨な状況だったが、それでも、軍に捕まるより遥かに良いと彼らは考えたのだろう。
血が凍りつきそうなリュウは、淡々と語るサンテすらも恐ろしく思えた。だが、恐らく彼も相当な痛手を負っている。“通常の思考が出来る者であれば”食が喉を通らなくて当然だろう。もし自分がその場に居たのならば、発狂しそうだ。何が悲しくて、親が愛する我が子を殺めねばならないのか。
「に、人間が勝手に死んでくれるのであれば、寧ろ好都合。ところで、有益な情報はないのか」
「……今回、初めて幻獣の話を聞いた。見てはいないけれど、数が減少してこのままだと全滅するって話してた」
力なく告げたサンテに、リュウの唇がプルプルと震えだす。このままでは、人間が滅びる前に仲間達が死に絶えてしまう。一気に、切迫した空気が小屋に満ちる。
「一刻の猶予もない……。やはり人間らに接触するより他ないっ」
「スタインは、幻獣達の長なの?」
突っ伏したままくぐもった声を出すサンテに、リュウはこめかみを引くつかせた。苛立ちが募る、今はそのようなこと関係ないと突っぱねた。
だが、サンテは無視して続けた。諦めつつもどこか嫉視しているように思える瞳と、視線が交差する。
「羨ましい。スタインみたいな仲間思いの人って、いいなぁ。そういう人が上に立ってくれたら、国は平穏なのになぁ」
大粒の涙が頬を伝い、微かに嗚咽を漏らす。それでも、サンテは哀しいくらいに眩い笑顔を見せる。
リュウは言葉を失い、頭を掻きながら床に座り込んだ。もう、嫌味を言おうだなんて思えない。サンテの頬を嘗めているトッカを見つめ、爪を噛む。
そして不思議に思う。こうして、犬と人間と幻獣が一つ屋根の下にいるというのに、ここは平穏だ。争いごとなど起こらない。
「人間とて、共存しようと思えば出来る種族なわけで……」
ぼそ、と呟いたリュウに、サンテがようやく起き上がった。そして、懐から取り出したものを差し出す。
「お土産。潰れてるけど」
真っ赤に滴る布に包まれたそれに一瞬リュウは身を引いたが、何やら甘い香りが漂ってきた。訝しげに見ていると、苦笑してサンテが広げる。
「はい。苺だよ、村にあったから」
潰れかけた苺が数個、布の上にちょこん、と乗っている。潰れた箇所から、甘い豊潤な香りが漂う。
しかし、リュウは苺を知らない。幻獣星に、苺は自生していなかった。宝石のように輝くそれを、興味津々で凝視する。
「食べるものなのか、これは?」
「苺を知らないの!? 甘くて美味しい、庶民のご馳走だよ」
笑顔で勧めるサンテに、喉を鳴らしたリュウは大きく頷いた。そして、恐る恐る摘み、口に運ぶ。口の中に広がる甘酸っぱさに瞳を輝かせ、飲み込むのが勿体無くて、暫し口の中に入れたまま舌で転がし味わう。
初めて食べた苺に、感動する。
感極まっている様子のリュウに、サンテは吹き出した。見ているこちらまで嬉しくなるような、表情だった。疲れが、多少和らいだ。
「美味しいみたいだね、よかった」
どうせならもっと持ち帰ればよかったと、サンテは後悔した。自分の行動で他人が笑顔になることは、癒し。隔離されて生きてきたサンテは、久方ぶりに繋がりの大事さを実感する。
「う、うむ。美味しかった! 紫色の小さな実が故郷にあるが……うん、それよりも甘くて美味い」
ようやく飲み込んだらしく、興奮したリュウは一気に語り出す。
「持ち帰ってよかったよ。また、持って来るからね」
「う、うむ! ま、まぁ食べてやっても良いけどなっ。……って、誤魔化すな。苺とやらを食べている場合ではない」
危うく、食べ物に釣られてしまうところだった。浮かれていた自分を恥じ、咳を一つすると、リュウは頬を膨らませてサンテを真正面から見つめる。
静かに、サンテは口を開く。ある意味、観念したように。
「もう少し、待って。今回の同行で、僕も多少は知ることが出来た。取り繕い、酒を飲ませて話を聞けた。すぐに次の任務が来るみたいだから、その時に新たな情報を持ち帰る。……慎重に、行こう」
反論しようと口を開きかけたが、サンテの語尾が強かったのでリュウは口を閉ざす。渋々頷くと気まずそうに周囲を見渡した。
「あ、そうだ! 退屈だろう? スタイン、剣の稽古でもしようよ」
突如立ち上がり、無邪気にそう言ったサンテに面食らったリュウはぎこちなく頷く。確かに、いざという時の為に偽勇者に剣を教えておくことは得策だ。
「ふん、泣き言はなしだぞ」
リュウとて剣の稽古を真面目に受けていなかったが、それでもほぼ素人のサンテからみれば立派な指導員だ。二人は念の為昼間を避け、夜間に月の下でひっそりと組み手を開始した。孤立した場所であるが、いつまた、兵らがやって来るか解らない。
「怖くても、目を見開き全てを見つめていることだ。瞳を瞑れば、それで終わる。見ていれば身体が慣れてどうとでも動く」
「か、勝手なこと言わないでよ!」
容赦なく剣を振り回すリュウに、サンテは情けない声を出す。
「初心者向けにしてよ! 鬼!」
「偽物とはいえ、一応勇者だろ。ほら、逃げ腰になるな、剣を構えろ!」
王子として育ったリュウに、このような接し方をしてくれる幻獣などいなかった。剣を振り回すだけで、自然と笑顔浮かべている自分に驚く。共に居るだけで心が安らぐ故郷の仲間達とは違う感情が、芽生え始めていた。
これを、“友達”というのだろう。
見下して語っている自分に、肩を竦めて困りながら返答してくれるサンテ。非常に情けない男だが、それでも適度に真面目で不平を言いながらも稽古を続けている。ヴァジルと居た時の自分に見えて、自嘲気味に笑った。教育係というより、兄のようだったヴァジルも、このような気持ちで自分を育ててくれていたのだろうか『放っておけない、心配だ、見ていてやらなければ』と。親心にも似たものか。
あちらには友情などという言葉など、到底似つかわしくないが。
「名案が浮かんだ! 偽勇者が、勇者になればいいじゃないか。勇者になって、気に食わない王を玉座から引き摺り下ろし、お前が先頭に立てばよい。そうしたら“ふれ”を出して、私の仲間を解放しろ」
「僕に反旗を翻せって? はは、僕はしがない卑しい身分の何のとりえも無い卑屈な男だよ、無理だ」
「だがお前は、私の話を聞き、こうして情報をくれる。王よりも、幾分か好感が持てる」
サンテは大真面目に語るリュウに、困惑気味に微笑むばかりだった。
……純粋だなぁ。思ったままを口にしている、多少の嫌味にも取れるけど、本心だよね。
聞こえはよい、反逆者でも勝利を掴めば、正義となる。絶対的な権力さえあれば、この馬鹿らしい時代に終止符を打てるかもしれない。
貧困も戦争もない、豊かで穏やかな国で暮らしたい。
しかし、それが無理な事くらいサンテにも解っていた。仮に国王を倒したとしても、兵らが自分に従うわけがなく、王の座を巡って結局争いが起きる。万が一、自分が王となったところで、教養も人望もない自分では、近隣諸国から身を護る術がない。
「リュウは、世間を知らなさ過ぎるんだよ……。甘やかされて育ったろ?」
「失敬な! そんなことはない」
数日後、サンテの家に再び訪問者がやって来た。
リュウは家におらず、崖の上で薪や木の実を拾っていた。彼らに気づき大人しく身を潜めていたので、その姿を見られることは無く、用心してよかったと安堵する。
またしても、辺境の村で暴動が起きたらしい。今回も勇者の名の元に、目障りな村に制裁をあたえるというもの。
崖の上で様子を窺っていたリュウとサンテは互いに視線を送り合い、頷き合う。
サンテは、またしても貧相な装備で家から出て行った。
「私達も動く」
完全に彼らの気配が去ってから、リュウは小屋に薪や木の実を運び込むと、地図を手にしてトッカを抱えた。尾行しようかとも思ったが、逆の方向へ行くことにした。
ほんの少し、憂鬱になった。
仲間達から責められそうだが、ここの生活に馴染んでおり、実は楽しかった。美味しい食事はなく、量とて少ない、腹を空かせて眠る事もしばしば。寝床は背中が痛いし、寒いしで寝辛い。不便な生活を強いられているというのに、充実感はあった。
……もし、仲間達を忘れられたら。
サンテとトッカと楽しく暮らす夢を一度見て、自分はなんと身勝手なのかと落胆し、怒りが込み上げる。それは、許されない事だ。一体何の為にこの惑星に来たのか。
「一時の感情に身を任せるなど、愚かなり。人間など、憎悪の対象でしかないのに」
皮肉めいて笑うと、リュウは森へ身体を沈めた。移動は極力森の中で、徒歩ではなく浮遊している。木々の間を縫って疾走することには、故郷に居た時から慣れていた。動物に出くわせば、捕食できる。川があれば、喉を潤せる。木実や果実もある、山菜も豊富だ。
「だったら、私は森で暮らせばよいのにな。それなのに、何故あの貧相な小屋に戻ってしまうのだろう。不思議だと思うだろう、トッカ。私の頭の螺旋は、外れてしまったのだろうか」
自分を憐れみそう呟くと、不意に木の葉が揺れる音がした。
風ではない、これは、生き物が移動する音だ。
青褪め、直様太い木の枝に舞い降りる。耳を済ませて様子を窺ったが、以後反応はない。しかし、相手もこちらを何処からか見つめているようで、視線が身体に纏わりつく。
剣先がこちらに向けられているようで、大きく喉を鳴らした。
「首都の名前と、二代前の王の名前を」
銀のような澄んだ声で、質問が飛んできた。一瞬、放心し口を閉ざす。頭の中を様々な思考が駆け巡り、記憶が走馬灯のように流れて混乱する。
「……ジェイムズ。二代前の王というと、ウィール爺」
素直に、答えた。罠ではないかと勘繰ったが、その質問は人間の入れ知恵ではないと判断した。彼らは“首都”があることなど知らないだろうし、先代ではなく二代前の王を訊くことは、知恵者ゆえだろうと判断した。
ただ、生存している仲間と出逢う事を諦めていたので、猜疑心が生まれた。
強張ったリュウの声を聞くなり、小柄な少女が突風と共に突進してきた。
「スタイン王子! あぁ、間違いなく! 何故このような場所に!? 罠かと勘ぐって、攻撃するところでしたわっ」
「それはこちらの台詞だよ……!」
彼女を瞳に入れた瞬間、リュウの目頭が熱くなり、涙がボロボロと零れ落ちる。両腕を広げて彼女を抱き締めると、押し殺して泣いた。
生存者だ。
「風の妖精! ええと、君の名は」
流れるような金髪は膝まで伸びており、身体はリュウの腰程度、大きな瞳は真っ青な空の色。幼いように見えるが、リュウよりもずっと年上の筈である。記憶が微かに残っている、彼女を知っている。いつも木の葉と舞うように空中で宙返りをしていた女性だ。
「エレンでございます! あぁ、王子! 夢ではないのならばどうしてこのような地獄に? 何をしてらっしゃるの!?」
互いに抱き締め合いながら、涙を流し言葉を紡ぐ。
幼い頃は頻繁に姿を見ていたが、いつしか姿を見せなくなっていたエレン。当時は何処かに越したのだろうと思っていたのだが、今にして思えば、リュウの眼下から消えた仲間達は数人いる。何故、自分は早くに気付けなかったのか悔やむ。
いや、気づいてはいたが、問題視していなかった。完膚無きまでに、馬鹿だった。
「君も、召喚されていたんだね」
「えぇ、えぇ。……スタイン様、ここは人目につくやもしれません、こちらへ!」
エレンはリュウを先導し、山中の洞窟へと案内した。ここを住居としているようで、柔らかな葉の寝台が奥にある。また、入口とは別に小さな横穴が空いていた。
「入口を塞がれた時の、緊急脱出口にございます。これを掘って毎日生活しておりました。今では無事、反対側の山頂へ抜け出せますのよ」
金髪は痛んでおり、苦労していることは安易に想像できる。リュウは経緯を話し、震えているエレンの背を撫でながら彼女の言葉に耳を傾けた。
召喚されたエレンは、確かに人間の兵器として使役されていた。けれども、ある日対峙した幻獣が、命と引き換えに救ってくれたのだと言う。
「私は、運が良かったのです。人間達も当時は互いに武器を持ち戦い合って戦っておりました、私の召喚士も後方支援で戦場に出向いておりましたの。勢力は互角、敗戦を覚悟し、こちらが撤退することとなりました。私は足止めの殿として配置されました、ただの時間稼ぎですね。相手は戦の本職である鬼人でしたから、私の風の魔法など臆しませんでした。彼は私を素通りし、逃げ惑う人間達を手にしていた強大な棍棒で叩き潰したのです」
エレンは、彼の雄姿を思い出してうっとりとした。同時に、哀愁漂う瞳で宙を見つめる。
「蛇は、頭を潰せば死にます。
主力の人間が死に敵側が勝機を掴みましたが、どちらも壊滅状態。鬼人は私に『どのみち自分は長くない、渾身の力で攻撃しろ。あの召喚士を押し潰せる位置で倒れるから、解放してくれ』と告げました。私の召喚士は死に絶えておりましたので、一時とはいえ自由の身。あちらの召喚士が私を使役させようと必死だったので、人間達に真名を悟られる前に攻撃を開始したのです。無論、鬼人の彼を使って私を攻撃してきましたが、小回りが利く私はがむしゃらに人間を攻撃しました。
戦況が悪化していると判断した人間達は……彼を、楯として配置したのです」
状況が読めたリュウだが、大人しく聞いていた。
「絶好の機会でした、彼にはこれが視えていたのでしょう。彼は、私に優しく頷いたのです。見れば、何度かの戦でこれまでも楯として使役されたのでしょうね、至る所に毒矢が突き刺さっておりましたし、逃げようと暴れたのか、刺々しい足枷は食い込んで肉が爛れておりました。私は、彼を見捨てて逃げることも、助けて共に逃げることも出来ず、彼の望む通りに彼の脚のみを一点集中して攻撃し、その巨体を人間の召喚士に倒れさせたのです。押し潰され、下卑た声を一瞬上げた人間達は呆気なく絶命しました。
『ありがとう、本当にありがとう、友よ』満足して微笑み、優しく撫でてくれた彼を生涯忘れることはないでしょう。王子よ、仲間を犠牲にして自由を得た私は自責の念にかられておりますが、それでも、あの安らかな笑顔の為にこうして恥を晒し生き延び、自由の身を温存してまいりました。私を、王子の為に御遣いくださいませ。彼も、それを望んでいるでしょう」
苦渋の決断だったろう、きっと、今でも悔いて詫びて泣いているのだろう。それでも、仲間の意思を汲み取り、断腸の思いで安らかな死を与えたエレンにリュウは深く頭を垂れた。
「辛かったな……一人きりで、誰にも話せず、請われたとはいえ、罪を背負って生きていたのだな」
リュウが優しく頭を撫でると、それまで耐えていたのだろうが、全て話し終えた途端にエレンは蹲り嗚咽を繰り返す。一人きりの、孤独な戦い。身を潜め、いつ来るか解らぬ人間に脅え、身体を護ってきた。鬼人が与えてくれた自由の身に、感謝して。
「王子は今はどちらに身を寄せているのです?」
エレンにそう問われ、リュウは口篭った。人間と暮らしている、とは言い難い。しかし嘘などつけないので、正直にサンテのことを話した。
案の定不信感を募らせているので、慌てて言葉を補う。
「利用しているだけだ、案ずるな。さて、今後だが……エレンの身は心配であれど、ここのほうが安全に思える。二人揃ってサンテの家に転がるよりは、分かれていたほうが都合が良さそうだ」
エレンは不安そうに聴いていた。リュウが人間の名を呼んだ時には瞳を開いて驚き、悔しそうに唇を噛み締める。
「……承知いたしました。何かなくとも、定期的にこちらへ起こし下さいませ。私も外に出て、情報収集に専念いたします。仲間らしき者に出逢った場合、先のように幻獣しか解らぬ質問を出してくださいませ。むやみやたらに、踏み込まぬ様。決して、真名を悟られぬよう肝に銘じてください。王子の御名前は知られてはいない筈ですが、王家の名である“エシェゾー”は知られていても不思議ではありません。スタインの名は、誰にも漏らさぬよう」
釘を刺すように言われた途端、身体に電流が走った。
サンテは、スタインの名を知っている。素直に名乗ってしまっていた。
リュウは引き攣った笑みを浮かべ、そのまま踵を返した。エレンに、サンテに名前を教えてしまったとは到底言えなかった。無用な心配をかけたくなかったし、彼が誰かに話すとは考えにくいと言い聞かせる。
それでも、どうにも胸のしこりがとれない。杞憂だと願いたいが、不安の色が顔に出る。
帰路の途中、丁重に埋葬された墓を見つけた。周囲に花が植えてある墓標だった、おそらく鬼人のものだろう。エレンが手厚く葬ったのだと思い、リュウは両手を合わせ、彼に報告と感謝を告げた。
同胞と再会出来たという僥倖に巡り合い、どうしても表情が緩む。問題は山積みだが、僅かでも希望は大切だ。
サンテからの情報を得る為、リュウは闇夜に紛れて家へと帰った。
「おかえり、スタイン! 危機感が薄いなぁ、あまり散歩しないでよね」
サンテは先に帰宅しており、目くじら立てて小言を言ってきた。そして、心なしか浮き足立っているリュウに首を傾げつつも、苺を差し出す。
「気に入っていたみたいだから、今回もくすねてきた」
「おぉ、苺!」
今回も潰れていたが、リュウは目の色を変えて、有り難く口に含む。
実に美味しそうに食べているリュウを愛おしく見つめていたサンテだが、急に真顔になって開口する。
「吉報だよ。“魂の欠片”だっけ、あの不思議な石。所持していると、共鳴した他の幻獣を呼び寄せられる効果があるって。はぐれている幻獣を呼び寄せ、使役するつもりなんだ」
リュウは驚きを隠せず、味わっていた苺を飲み込んでしまった。
「意外に調査しているんだな、腑抜けだからそこまで辿り着けないかと。それにしても、魂の欠片が共鳴するだなんて初耳だ。普通は火葬し大地に還すので、骨と埋葬するし……」
単純に、人間の手に高貴な魂の欠片が渡っていることが不愉快だったので奪還したかった。だが、そのような事情があるとすれば、なんとしても取り返さねばならない。死んでからも尚使役されるなど、冒涜だ。
幻獣は、体内の何処かに魂の欠片と呼ばれる石を所持している。色合いや大きさは種族によって異なり、リュウの場合は額の髪の生え際に埋まっている。前髪をかき上げると見えてしまうので、極力下ろしていた。
「戦場で死した幻獣は、死体からその石を抜き取られていると考えて良いのかな?」
「忌々しい話だが、恐らくそうなのだろう」
「死んでも酷い仕打ちを受けて……可哀想だ」
憐憫の眼差しで見つめてきたサンテに、リュウは沸々と怒りが湧き上がるのを感じた。彼が悪いわけではないというのに、どうしても“人間”だから八つ当たりしてしまう。
「同情するな、不愉快だ。お前は情報を集めるだけでいい、可哀想だって? なら、同族を殺して止めろよ」
「そう、だよね。ごめんねぇ、スタイン……」
か細い声で自嘲気味に呟いたサンテが気落ちしていたので、慌ててリュウは付け加えた。
「ま、まぁ、おま、おまえは、その、苺もくれるし、思いの外……良い奴らしいがな。だが、勘違いするな、苺の礼を述べたまで。いいか、お前などに気を許しているわけではない」
背を向けて言い放ち、リュウは横になると目を閉じて唇を噛む。後方から、「ありがとう」、と小さく呟いたサンテの声が聴こえた。