外伝4『月影の晩に』27:アイラ姫とトレベレス王子

文字数 16,358文字

 美しい丘陵地帯を抜け、閑静な森の中を駆け抜ける。

「デズデモーナ、ごめんね。本当ならばあなたも置いて、一人で行かなければならないのでしょう。けれども、やはり怖いのです」

 アイラは満天の空の下、漆黒の馬を走らせた。脳裏に描くは近隣の地図だ、マローが連れて行かれた先は両国のどちらかに違いないと判断していた。
 眠る時は、デズデモーナに寄り添って暖をとる。山を走り、川や泉を見つけると極力水浴びをして汗を洗い流した。食べられる草木は頭に入っていたので、最低限で飢えを凌ぎ進む。体力が持つように、逸る気持ちを抑えて温存しながら向かう。非常に利巧なアイラは、確実にマローを救出する為に、常に冷静だった。
 ようやく街を出てから初めて人に出逢った。山中の寂れた村を見つけると、遠慮がちに村の人々に挨拶をする。訝しむ人々ではあったが、アイラは彼らと見た途端に心強さが湧き上がって来て涙が零れてしまった。強がってはいたが、デズデモーナがいたとしても一人きりで挫けそうではあった。
 村人達は、アイラを不審者だと思ったわけではない。何処かで強姦され逃げて来た娘だと勘違いし、なんと声をかけてよいのか躊躇してしまっただけだ。快くアイラを受け入れ、「流行のものではないが」と衣服を与え、暖かなスープを飲ませた。
 アイラは疲労感が極限に達し、常に眠気に襲われていたので、寝床も貸して貰った。休む事は不本意ではあったが、「先を急ぐならば今は休養なさい、途中で倒れてしまいますよ」と諭された。彼らの気取らない優しさと、決して裕福とはいえない暮らしだが、自然と共に歩んでいる姿は十分な安らぎを与えてくれる。
 デズデモーナにも、干し草を存分に与えてくれた。
 深い睡眠から目を覚ましたアイラは、そこで彼らから情報を得た。最近山を降りた村人が、高貴な人物が居るという謎の建物の話をしてくれたのだ。何かと思い近寄ると、冷酷な態度で剣を向けられた為、一目散に逃げてきたという。

「お嬢さんや、あの場所には近寄ってはいけないよ。ここから北北東へ山を下りた場所さ」

 アイラは作り立てだと勧められたプラム酒と、蜂蜜とチーズ、それに豚肉の燻製をたっぷり乗せたパンを腹に入れながら彼らの話を聞いていた。好意で泊めて頂いたが、翌朝太陽が昇り始める前にひっそりと旅立った。宝石の価値が分からないものの、身につけていた一つの指輪を、せめてもの礼にと置いて行った。差し出せる物が、今はこれしかなかった。
 しかしてそれは、質素な暮らしをしていた村人達には無縁の高額すぎる代物である。朝、それに気づいた村人達は思案したものの、暫くして街で金と交換した。その金で新たな家畜の購入が出来た為、暮らしが若干向上した。

「あの娘さんは、何者じゃったのか……」

 青々とした山々を見つめながら、村人達は感謝の念を籠めて彼女が去ったであろう方角に頭を下げる。

「デズデモーナ。私、みんなが言う通り災いを与えると思う?」

 新しい衣服に身を包み、アイラは力なく語る。
 デズデモーナは必死に返答した。けれども、馬と人間では言葉を交わすことが出来ない。違う、違うと伝えようと、懸命に頭を振る。
 アイラは軽く笑うと、そっとデズデモーナを撫でる。

「励ましてくれているのですね、ありがとう」

 黒馬の鬣は、ミノリの黒髪を思い出してしまう。彼を助けたのは、大事な人だからだ。一番親しんで話してくれた騎士であり、友達の様にも思えていた。
 しかし、確かに彼に言われた通りだと気落ちする。

「私は何も出来なかったし、マロー救出にミノリやトモハラを使う気だったのかもしれない。大事な人を、危険な目に遭わせてはいけないものね。私はなんて恩着せがましいの……」

 結局、城内から生きて逃がすことが出来たのは、ミノリとトモハラの二人きりだった。マローとて護ることが出来ず、みすみす奪われてしまった。
 それなのに、自分は無傷だった。ミノリに責められて当然だと、自嘲気味に笑う。

「なんとか、しなくては。私が、マローを助けなくては!」

 このまま生き恥を晒すわけにはいかない、せめてマローだけでも救出しようと心に誓う。その後は、どうなってもよいから、と。
 アイラは、躍起になって噂の建物を探した。実は、そこからさらに北へ向かえばマローが幽閉されている塔が存在するのだが、知る筈もない。
 村人から教えられた、建物の所有主は。
 
 アイラが怪しい建物に到着したのは、トライ達がラファーガを旅立ったほぼ直後だった。
 高い塀に囲まれた屋敷に、アイラは正々堂々と正面から入り込む。当然門は閉じられていたので、声を張り上げて人を呼んだ。
 だが、薄汚れた女には誰も目も止めない。アイラが風呂に入ったのは村が最後であり、七日程前だった。
 人の気配はアイラも感じていたのだが、扉が開かれる事はなかった。仕方なく夜を待ち、暗闇に紛れて木々を上ると壁へと飛び降りる。静まり返る屋敷には、所々に明かりが灯されていた。息を押し殺し、アイラは焦燥感に駆られながらも手がかりを探した。
 門の内側付近で、馬車を見つけた。紋章を見れば、間違いなくトレベレスの紋である。確信したアイラは、闇夜に紛れて人を探す。体中の血液が、ざわつき始めた。ついにここまで来たのだと思うと、上手く出来るかどうか不安になって、身体中が震え出す。しかし、自分の目的を再度思い直すと叱咤して勇気を奮い立たせる。
 マローの救出、それだけが目的だ。

 細身で華奢だが芯に力があるワインを一本空けてしまったトレベレスは、額を押さえて気に入りのソファに腰を沈めていた。

「トレベレス様、ワインをお持ち致しましょうか?」
「もう良い、下がれ。……明日は“通い日”か」
「左様にございます。それでは、明日に備えて存分にお休みなさいませ。そういえば本日、門を小汚い物乞いがうろついておりました。一応ご報告をしておきます、夕刻には姿が消えておりましたが」
「こんな山中に? 妙な物乞いだな」
「捕らえるべきでしたか? 女でしたが」

 興味なさそうに首を振ったトレベレスは、瞳を閉じ夜風に当たっていた。先程飲んだワインは、確かに美味かった。いつもならばもう一本は空けてしまうというのに、何故か昂揚してしまって満足した。胸が、ざわめく。

「何だ、一体オレはどうしたんだ」

 雲に隠れている月を一瞬捜したが、再び重い瞼を閉じる。酔っていたこともあり、背後から伸びた剣が首に触れるまで、全く侵入者に気付かなかった。

 アイラは、身軽に壁を伝って一際明るい部屋を目指した。物音がしたので影に身を潜め覗き込めば、誰かがソファに座っている。飛び込んで来た綺麗な紫銀の髪に、思わず息を飲み込んだ。震える手に爪を立てて、周囲の様子を窺う。気配はない、好機である。トレベレスを、見間違える筈がない。
 靴音を殺して忍び寄り、震える手で剣を引き抜くと、アイラは低い声で呟いた。

「マローを、返して下さい」
「っ!?」

 その声に反応したトレベレスは、口角が上がるのを感じていた。欲していた声だった、侵入者に驚くより、その人物に打ち震えた。それは、先程のワインのような女だ。忘れるはずがない、声だった。数回しか言葉を交わしていないが、身体のぬくもりや甘い香りすらも思い出せる相手である。
 風が吹けば、記憶に残る甘い香りが鼻に届き、脳が痺れる。知らず、性的興奮を覚え、舌なめずりをした。
 傍らの剣を抜きかけたが、首に添えられている剣が若干動いたので手を止めた。高揚感に耐え切れず、武者震いをしてしまう。笑い出したくなるのを必死に押し殺し、トレベレスは背後にいる娘を思い描いた。
 緑の髪の、あの娘。抱きたくとも抱けない、あの娘が訪ねて来た。

「トレベレス様ですよね、マローを返して下さい」
「よくここまで辿り着けたな、アイラ姫。いやぁ、ご立派な姫様だ」

 アイラ姫は死んでなかった、生きていた。しかも、剣を突きつけ脅迫をするまでの気丈な心は折れないままだ。どうしようもなく身体が震え、歓喜で頭の螺旋が吹き飛びそうだった。冷静を装ったが、無理もな話である。声も身体も震えていたが、仇を目の前にしたアイラも緊張が高まっていた為、気づくことは無かった。

「もう一度お伝えいたします、茶化さないでください。……マローを、返して下さい」
「返さない、と言ったら?」

 声色からすると、アイラの健康状態は良好の様だった。勝気な瞳で自分を睨んでいるのではないかと想像しただけで、加虐感が湧き出てしまう。この気丈な芯の強い姫を屈服させ、支配したい衝動が身体中を突き上げる。すでに、下腹部は熱を帯びて雄々しくそそり立っていた。
 会話をすることがとても愉快に思えて、トレベレスはこのまま言葉を交し続けることにした。平坦な毎日に突如現れた、思いもよらぬ授かり者。言葉を交わすだけで性的興奮を得られるなど、初めてだった。答えは簡単である、相手がアイラだからだ。

「殺します」

 アイラは、少しの沈黙の後そう告げた。だが過激な言葉とは裏腹に、声も突きつけている剣も震えており、躊躇しているようだった。

「ははっ……嘘はいけないなアイラ姫。貴女はオレを、殺せない」

 トレベレスは小馬鹿にして笑った。あの日、兵達を薙ぎ倒した時でさえ、アイラは一人も殺していなかった。皆、生きていた。

「殺せます」
「しかし、今ここでオレを殺したら、マロー姫の居場所が解らなくなるが? それでも良いと言うなれば、この首を刎ねるがいい」

 動揺し、剣が大きく揺れ動いた。
 アイラのその一瞬の隙を見て、トレベレスは自身の剣を引き抜いた。素早く身体を反転させ、剣を弾き返す。
 小さな悲鳴と共にアイラの剣が床に転がり、悔しそうにトレベレスを見上げる。喉元に突きつけられていた剣に、流石に顔が青褪めた。

「形勢逆転、さぁどうしようか」

 瞳を光らせ好戦的なトレベレスと、屈辱に顔を歪めたアイラの久々の対面だった。
 二人の視線が交差すると、あの日が甦る。
 トレベレスは、アイラ姫の細腰を抱いてからかったあの夜を思い出し、恍惚の笑みを浮かべている。
 反してアイラは、皆を傷つけた悪魔のような姿を思い出していた。湧き出る汗が、頬を伝う。今ここで摑まるわけにはいかない、殺されるわけにもいかない。冷静になって、突破口を探した。しかし、部屋の外から数人の足音が近寄ってきた、兵が動いたのだろう。絶対絶命である。
 泣きそうなアイラを他所に、トレベレスは駆けつけた兵におどけて声をかけた。

「気にするな、迷子の仔猫が入り込んだ。良い退屈しのぎになる」
「左様で御座いましたか、おやすみなさいませ」
「あぁ、おやすみ」

 人払いをした彼を意外そうに見つめて瞳を丸くしたアイラは、軽く力を抜いた。最悪の事態は免れたようである、窮地に立たされた状況は変わっていないが。
 そんなアイラを爪先から頭部まで、じっくり味わうように視姦していたトレベレスは口を曲げた。美しい事に違いはないのだが、身体中が薄汚れており、麗しの姫が台無しである。

「さて、本当にアイラ姫か?」

 アイラ以外有り得ないのだが、会話がしたいので問う。どの道、目の前の無力な姫は逃げられない。ならば、少々遊んでみることにした。
 忌々しそうに唇を噛み、アイラは頷いた。

「先程から申しております、私はラファ―ガ国のアイラです」
「そうだろうか、確かに似ているが姫様にしては汚い格好だ。オレが知るアイラ姫は、非常に清楚な姫で常に身体を清潔にしていた」
「それは死に物狂いでここまで来たからです! 身なりを整えている余裕など、ありませんっ」

 怒鳴るアイラに、指を一本突き出した。人差し指を立てて、目の前で左右にゆっくりと振る。

「大声を出すと、兵が来るぞ?」

 残忍に笑い、口を噤んだアイラにほくそ笑む。

「馬車で優雅に旅をして来たのだろう?」
「馬車などありません! 国は貴方達が滅ぼしたじゃないですかっ、私は馬を駆け、一人でここまで来たのですっ」

 勢いで言い終えたアイラは慌てて口を押さえ、ドアを見つめた。震える身体が、精一杯の強がりを表していた。思わず感情を露に大声を出したが、これは失態である。落ち着かなければ、と言い聞かせて後ずさった。これでは、また兵達が来てしまう。
 その様子にトレベレスは満足し、口元を歪めた。トライが加担しているわけでも、罠でもないらしい。

「アイラ姫は見事な新緑の髪の、麗しい姫だ。そのように薄汚れてはいない」

 汚れていても、内から出る美しさは紛れもなくアイラのものだ。解ってはいるが、わざとらしくトレベレスは周囲を歩きながら値踏みする。
 急にしおらしくなり、小声でアイラは俯きながら語った。

「もう、私は姫ではありません。でも、マローさえ返してくだされば国は元に戻るのです。お願いです、マローを返して下さい。連れ帰ると、民と約束をしたのです」

 アイラは、古臭い平民の衣服を着ていた。森を駆けて来たので、肌には引っかき傷があちらこちらに出来ている。衣服は大層汚れており、確かに物乞いに見えなくもない。今日門の前に現れていた女とは、間違いなくこの姫だと確信した。大胆に正面から入ろうとしていたアイラを思い描くと、吹き出してしまう。何処まで律儀なのだろう、想像したら可愛かった。そんな馬鹿正直で素直なところも、彼女の魅力だ。
 トレベレスは剣を突きつけたまま、アイラに馬乗りになった。そうして自分のローブを縛っていた腰布を引き抜くと、両手を縛り上げ拘束する。睨まれたが、そんな抵抗すら愛らしく思えた。両足も縛り床に転がせて暫し思案していたが、にんまりと意地の悪い笑顔を浮かべて部屋を出て行った。
 唖然として見送ったアイラだが、今は時間が惜しい。懸命に身をよじり、なんとか縄を解こうと試行錯誤をした。焦燥感に駆られながら部屋を見渡し、切れそうな道具がないか目を凝らす。先程床に転がっていた剣は、トレベレスに拾い上げられテーブルに置かれてしまった。悔しそうに眺めても、剣は落ちてこない。
 やがてトレベレスが戻ってきた時、アイラは這い蹲って移動した先のテーブルの柱で縄を切ろうとしていたところだった。何度もこすり付ければ、やがて縄は緩むだろう、と思ったのだ。

「やれやれ、想像以上に愉快な仔猫が迷い込んだな」

 トレベレスは腹を抱えて、爆笑する。脇目も振らず必死に逃げようと足搔くアイラに用意したもの、それは。
 転がっているアイラを軽々と抱き抱え、隣室に移動する。
 いよいよ殺されるのだと思いこみ、力いっぱい抵抗をするアイラだが、そこにあったのは浴槽だ。大きな花が浮かべてあり、湯気と共に甘い香りが立ち上る。マローが喜びそうな光景だった、唖然とそれを見つめる。

「姫だと証明できれば、幾らでも話を聴こう。汚れを落とすがいい」

 剣で両手足の紐を切ったトレベレスは、「逃げないように見張るがな」と一言告げて近くの椅子に腰掛けた。
 ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべていたトレベレスを睨み付け、アイラは寝そべったまま自由になった自分の四肢を見つめる。そして、恐る恐る動かした。解放されて、困惑する。魂胆がありそうだが、直様部屋を見渡し状況を把握した。
 出口は、二箇所ある。まず窓が一つ、手は届きそうなので逃げられそうだが、その前にはトレベレスが座っている。そして二つ目、先程入ってきたドアだが施錠されてしまった。あそこから逃げるのならば、鍵を奪うしかない。
 現時点での逃亡は不可能と判断し、アイラは時間を稼ぐことにした。脚を組んでこちらを見つめているトレベレスは、城内で見た時と同じく非常に無邪気な笑みを浮かべていた。それが余計に、恐ろしい。武器を探すが、剣はトレベレスが持っている一本だけ。手放すわけがないので、あれを奪うしかない。打算しながらようやく起き上がると、浴槽に近寄って浮かんでいる花を見た。

「女中は不在だ、自分で洗え」
「入浴はいつも一人でした、出来ます」

 立ち尽くしているアイラを、一人で入浴をしたことがないと思い込み、トレベレスはそう言い放った。姫だったのだから、当然かもしれない。   
 確かにマローは日頃から誰かに身体を洗ってもらい、乳香を風呂上りに塗りこんでもらっていた。だが、アイラは常に一人きりだった。世話などしてもらった記憶が、ない。
 どうするかと興味本位に見ていたトレベレスだが、真っ直ぐに見つめてきたアイラに一瞬たじろぐ。

「約束通り、話を聴いてくださいね」

 逃げられないと分かったので、大人しく従う事にした。大胆にも堂々と衣服を脱ぎ捨てて、浴槽に身体を沈める。
 大口を開けて、トレベレスはその光景を見ていた。恥じらい、布で身体を覆い浴槽に浸かるのだと思ったが、迷うことなく裸になった。清浄無垢な処女の行動に、眩暈がした。
 アイラは裸体を見せる事が恥ずかしい事だと、知らなかった。傍らの石鹸を使い、懸命に汚れを落とす。花の香が練り上げてあるようで、気高い濃厚な香りがする。このような高級石鹸をあまり使った事がなかったので、興味津々で石鹸を眺める。石鹸すらも、マローとは異なるものを用意されていた。
 耶悉茗の官能的な香りが、トレベレスの鼻先をくすぐった。この石鹸は、アイラの為に大急ぎで用意したものだ。花が好きだということは、トライとの会話や、その後の指輪紛失事件でも解っていた。彼女を悦ばせようと思い思案したのだが、正解だったらしい。瞳を細め、食い入るように見つめていた。泡に塗れて洗っている姿は、あまりにも扇情的だ。徐々に輝きを取り戻す緑の髪、湯に潜ってそこから出て来れば、深紅のベゴニアが髪についている。
 御伽噺の人魚姫がいたら、目の前のような美姫なのだろう。儚い泡が、真珠にも見える。しなやかな裸体、豊かな胸、その先の薄桃色の突起が目に飛び込んで来て眩暈がした。
 トレベレスは頬を朱に染めて立ち上がると、大股で窓へ向かい風に当たる。

「拙い」

 声を絞り出し、口元を押さえる。アイラの意図せぬ挑発的な態度に、胸が早鐘の様になる。これ以上見ていたら、呪いの姫君を押し倒して強引に身体を奪ってしまいそうだった。身体はとうに火照り、獲物を求めて暴れ出しそうだ。唇を噛み、俯いて額の汗を拭えば。

「どうしました、トレベレス様。剣を手放されては駄目ですよ」

 背中に、何かが当たった。
 剣先だと判断し振り返った瞬間、トレベレスの目に飛び込んできたのは。

「っ!」

 泡を身体にまとい、映える見事な新緑の髪とうっすらと逆上せた桃色の肌、身体を覆い隠すことなく剣を突きつけていたアイラだった。眩暈がした、意識が遠のく。

 ……なんだ、この姫!? 

 眼球が飛び出るほどに瞳を見開いて、凝視する。男を知らない、美しい裸体に喉を鳴らす。間近で見つめれば直様むしゃぶりつきたくなるような、そんな魅惑的な肌だ。先の侵略で出来たのかもしれない傷跡が微かに見られたが、それが逆に良い。嘗めたくて仕方がない、蹂躙してしまいたい。
 確かにマローに体型は良く似ているが、決定的に違ったもの。二人の明暗を分けたもの、それは。“トレベレスが気になった女か、そうでないか”だった。
 雷に打たれたように釘付けになったのは、アイラだ。マローと共に居ても、惹かれていた。ただ、呪いの姫だからと近づかぬようにしていた。近づいてしまえば、魅力に抗えないことに気づいていた。
 肌に弾く水滴が、ゆるやかに床へと落ちるたびに、トレベレスの胸は跳ね上がった。

「私は、アイラです。答えてください、妹のマローは何処に居ますか?」

 頭に血が上る、沸騰する。朦朧とする意識の中で、アイラの姿だけは鮮明に瞳に映る。挑発的で蠱惑的、躊躇のない大胆な行動、真っ直ぐな瞳と声。
 沈黙するトレベレスに苛立ったアイラは、一歩詰め寄った。
 トレベレスは一歩後退したが、壁だ。冷たい壁など、すぐに体温で熱くなった。理性が、保てない。
 相手は、呪いの姫である。
 戯れに抱けない娘だ、性欲に支配されるわけにはいかない。万が一、この娘を陵辱しようものならば、確実に子が出来るであろうことなど、予測できた。三日三晩手放さずにこの場で愛し続ける自信があった。

「トレベレス様」

 詰め寄ったアイラの裸体から、水滴がポタリとトレベレスの足元に落下する。

 ……そんな切ない瞳で見上げるなっ、これが魔性の呪いの姫君か!

 トレベレスは、興奮に打ち震えながらアイラを見下ろし微笑む。多少引き攣ってはいたが、悟られないように深呼吸をする。冷静になれ、と何度も自分に言い聞かせ、腹で深呼吸を繰り返す。沈黙が続いたが、見つめ続けていると、アイラが顔を赤らめ一瞬瞳を逸らした。その隙をついて右手の甲を叩き、剣を床に落とす。鋭い悲鳴を上げたアイラの左腕を掴み、自分の胸に抱き寄せた。

「あぁっ、離してっ」

 アイラは狼狽した。腕力ではどう足掻いても男には勝てない、気が動転し身動ぎしながらも、先程の熱い眼差しを思い出すと身体の芯がじゅわぁと熱くなるのを感じた。
 本来ならば、愉悦だとばかりに再び「形勢逆転」というつもりだったトレベレスだが。
 見上げたアイラと見下ろしたトレベレス、二人の視線が絡み合う。見つめ合いながら、何か言わねばならないと互いに思った。だが、何を言えばいいのか。
 二人して口が半開きになり、そのまま時が止まったような錯覚を起こした。
 衣服に染み込む水に我に返ったトレベレスは首を慌てて横に振った、惑わされてはいけないと言い聞かせた。だが、腰にまわした腕に力を籠めると、アイラが戸惑いながら小さく喘いで顔を背けたので。

「アイラ」

 名を愛しく呼ぶと、迷うことなく唇を重ねた。もう、限界だった。好意を抱く女が傍に居るのに、どうして何もせずにいられるだろう。
 トレベレスは、狂乱のごとき口付けに没入する。
 初めての口付けに、アイラは呼吸も上手く出来ず力の入れどころを求めてトレベレスの衣服にしがみ付いた。何が起きているのか解らない、息苦しいのに、頭がぼぉっとして力が抜けていく。だが、抱き締められている腕が逞しくて、それでいてあまりにも優しくて。この行為が何か知らぬ筈なのに、懐かしいと、思った。以前も抱き上げられて、こうされた気がした。

「あぁ、アイラ……」

 驚くほど柔らかい唇の感触を幾度も堪能していたが、熱に浮かされたアイラの艶めいた表情を見て、強引に舌を突き入れる。
 アイラの喘声が漏れ、部屋に反響する。鳥肌が立つ、その甘美な声をもっと聞きたくてトレベレスは口内を犯し続けた。

 キィィィ、カトン。

 何処かで何かの音が聴こえた気がしたが、二人はうっとりと身を任せていた。互いの鼓動が、体温が心地良く、ずっとこうしていたいと願った。

「駄目だ、もっと……」

 大きく音を立てながら、唇が腫れてしまうのではないかというくらいに、執拗に口付けを繰り返した。

「ん、やぁっ、くるしっ。いき、がっ。あ、ぁあっ!」

 アイラが腰をくねらせる度に、トレベレスの膨れ上がった股間を刺激する。

「悪い姫様だな……。あぁ、素晴らしいよ、アイラ。もっと、もっと……」

 貪る様な口付けを終え、ようやく唇が離れる。二人は我に返っておずおずと視線を合わせると、同時に赤面した。
 それは、とても甘美な時間だった。
 アイラにいたっては、何故か下腹部が熱くてもどかしい。この感覚が何か解らず、恥ずかしくて俯く。

「あ、あの」

 躊躇いがちに声をかけられ、急に羞恥心が込上げたトレベレスは、慌てて自分のローブを羽織らせると担ぎ上げて隣の自室に向かう。寝台にアイラを放り投げ、何をするかと思えば数枚の布をその上に投げこんだ。

「は、肌を拭け、濡れている。風邪をひいてしまうだろうっ」
「え、はい、拭きます」
「そ、そうだ。腹は減ってないか?」
「え?」
「な、何か食事を用意させるからっ」
「あ、あの、私の話を聞いてくださ」
「食べたら幾らでも聴いてやる! いいか、ここから逃げるなよ。身体を拭いたらこれに着替えろ」

 部屋を右往左往し、荷物をひっくり返していたトレベレスは、勢いよくドレスを放り投げた。マローに贈る為に購入したものの用無しとなり、そのままにしてあったものだ。取っておいてよかったと胸を撫で下ろすと、呆けているアイラを残して部屋を飛び出した。
  一人取り残されたアイラは、茫然としながらも、言われた通りに布を被った。そっと手で唇に触れると、頬が紅潮する。

『好きな相手と口付けをした、とても甘美な時間だった』

 こんな時に思い出したのは女中の言葉だ、震える身体を抱き締めてトレベレスを思い出す。情熱を帯びた瞳に射抜かれると、脳が溶けてしまいそうだった。胸が高鳴る、間近で見たトレベレスはとても綺麗で、強引な腕が心地良く、離して欲しくなかった。名前を呼ばれた瞬間、心が躍った。あの鋭くも強引で、しかし可愛らしくも思えてしまう瞳が怖い。心地良すぎて、深みに嵌ってしまいそうだ。

 ……トレベレス様は、酷い事をした人なのにっ。

 アイラは、微動だせずに寝台の上で茫然と天井を見上げている。逃げようと思えば、逃げることが出来たのに。言いつけ通りに、留まっていた。
 
「くそっ」

 部屋を出て数歩、壁に拳を叩きつけるトレベレスは、怒りに打ち震える。それは、自身への戒めだ。

「餓鬼じゃないんだ、なんだ、このオレの」

 女の裸体など見慣れている、だが、一気に身体中の血液が沸騰した。今も前屈みだ、身体は素直である。身体中がどこもかしこも火照ってしまい、胸が苦しい。アイラを思い出した瞬間に、胸が痛む。
 
 ……欲しい。どうしても、あの娘が欲しい。

 呪いの姫君だと解っているが、あれが欲しい。手に入れてはいけないと思うから、余計に欲しいのか、そう自問自答する。禁忌の誘惑は、これほどまでに恐ろしいものなのか。

「……違う」

 トレベレスは自身に投げかけ、そしてはっきりと答えた。禁断の実を齧りたいわけではない、最初から欲していた。呪いの姫君と知ってから身を引いたものの、ずっと気にしていた。だからこそ傍に居るトライを妬み嫉み、憎んだ。

「アイラ」

 トレベレスは悩ましげに名を呼ぶと、壁にもたれて荒い呼吸を繰り返す。口付けて解った、確かに魔性の姫だった。どうしても欲しくて堪らない、この手で彼女を貪りたい。

「あー、忌々しい! 女王の予言さえなければっ」
 
 葛藤は続いた。苛立ちながら壁を伝って移動し、料理人を叩き起こす為部屋へと向かう。

 トレベレスがようやく部屋に戻ると、アイラは布を纏っているものの寝台に座り込んで呆けていた。まるで男を待っているような、艶やかな色香を放っている。逃げていないか些か不安だったが、そこに居た。胸を撫で下ろしたものの、すらりとした美しい太腿が露になっており、少しずれれば秘所が丸見えになってしまう。
 料理を運んできた料理人を物凄い形相で振り返ると、部屋から強引に締め出した。他の男に、あれを見せるわけにはいかない。見た者は、即刻打ち首だ。トレベレスは大股で近づくと、アイラを怒鳴りつける。

「何をしている! ドレスはどうした、容易く男に肌を見せるな」
「え、は、はい、ごめんなさい」

 おたおたと布をはぎ、アイラは戸惑いながらドレスを手に取った。
 その間も堂々と見事な裸体を見せるので、トレベレスは眩暈がした。ようやく収まりかけた下半身が、再び復活してしまう。

「だからっ! 今教えただろう、年頃の娘が人前で堂々と裸になるなっ」
「ご、ごめんなさい」

 別に見なければ良いだけの話なのだが、赤面しながらトレベレスは強引にアイラにドレスを着させた。脱がせたことは多々あるが、着せたのは産まれて初めてだ。もたついたが、どうにか裸体を隠すことが出来て、残念だが安心して溜息を吐く。

「さぁ、席に。好きなものを好きなだけ食べるがいい」

 運ばれてきた食事は大層豪華で、アイラは不審に思いつつも大人しくトレベレスと食事をした。

「美味いか?」
「はい。あの……トレベレス様、話を」
「食べてからだ」

 即答されたアイラは、諦めて一生懸命食事を喉に通す。久し振りのまともな食事だ、急いで用意されたものだが、どれも美味しく、味付けもアイラ好みな薄味である。オリーブオイルとニンニク、ベーコンの細切りに鷹の爪、そしてたっぷりとレモン汁がかけてあるさっぱりとしたパスタに、南瓜の酢漬けを添えたベビーリーフサラダ、ホウレン草のポタージュスープ。それらは香りが良いので、空腹を刺激した。
 夢中で食べ続けるアイラの目の前で、トレベレスは果実を齧り、ワインとチーズを口にしている。そして、夢中で食べている姿を優しい瞳で見つめていた。

「あの。外にデズデモーナが居るので、あの子にもご飯を」
「デズデモーナ?」
「漆黒の馬です」
「あぁ」

 トレベレスはデズデモーナを館に入れ、十分な飼葉を与えるように指示を出した。
 それを聞き、安堵して食事を終えたアイラは、今度こそ話をしようと気を引き締める。

「マローの話をします」

 ワインを飲んでいるトレベレスの傍らで、アイラは身振り手振り、懸命にこれまでの話をした。どうやってここまで来たのか、何故マローが必要なのか。

「私は、呪いの姫でした。皆に疎まれている為、国の復興にはマローが必要なのです。私がいても、国の役には立てません……」

 微かにトレベレスは眉を寄せたが、沈黙してワインを口にしている。

「マローは、何処ですか。お願いします、どうか教えてください」

 アイラは語尾を強めて、興奮気味にトレベレスに詰め寄った。
 風呂上りの香りは、まだ続いている。潤う唇が、トレベレスを誘う。舌打ちし、色香から逃れる様に立ち上がると、アイラを避け窓辺へと移動した。

「トレベレス様、御願いです。後生ですから」

 射すような視線を背に浴びながら、トレベレスは何度も口を開きかけた。だが、上手く言葉が出てこない。手に汗が吹き出る、どう説明すれば良いのか、逸る気持ちを抑え必死に考えた。

「その……マロー姫は、ベルガー殿と出掛けた。オレは置いてけぼりだ、二人の行き先は知らない」

 苦し紛れの嘘は、声色が冷静さにかけている。流石に迂闊だった、と唇を噛んだ。他にましな嘘はなかったのかと、悔やむ。
 静まり返ったアイラの様子を窺う為、ぎこちなく後ろを振り返る。

「嘘です」

 直ぐ傍にアイラは立っていた、反射的に悲鳴を上げそうになったトレベレスは口を塞ぐ。

「マローは、トレベレス様に懐いてました。あの子、寂しがり屋なんです。ベルガー様と二人で出掛けるなんて、ありえません。ベルガー様の事は、先生みたいで怖いから苦手だと」
「そ、そう言われても本当のことで……」
「本当の事を話してください、一体、何処に居るんですか? 私はそこへ行きます」
「ま、待て待て待て! つ、遣いを出してやろう、アイラ姫が滞在しているから戻って欲しいと書簡を送るから」
「本当ですか!?」
「あぁ、ほ、本当だ。それまで、ここで待つと良い」

 トレベレスは、必死に取り繕った。
 猜疑の目を向けるも、信じるべきかとアイラは困惑している。目の前にいるのは、あの日国を崩壊させた人物の一人だ。アイラは、トレベレスの悪行を間近で見ていた。トモハラを、そしてミノリを斬り捨てたのはベルガー及び、このトレベレスである。
 それは理解していた、しかし。
 復讐すべき相手だと何度も言い聞かせた、だが。

「……あの」
「な、何だ」

 上手く答えられるか不安で、トレベレスの瞳が泳ぐ。

「一体、私達が何をしたのでしょうか。何故、ラファーガを襲ったのですか?」

 トレベレスの瞳に、緊張が走った。理由などマローを手に入れる為、それだけだ。しかし、そんな理由で、目の前のアイラを傷つけたくはない。

 ……いいじゃなか、傷つけてしまえば。どうせ、手に余る姫なのだから。

 確かに、この世に二人と居ない美しい娘だ。けれども、呪いの姫である。ならば投獄し、それから真相を伝え絶望の底に叩き落してしまえばいい。牢に入れてしまえば、二度と誘惑されずに済むだろうから。近寄らなければ、の話だが。
 そう自分に言い聞かせるが、トレベレスは無言のまま、試すような視線で見続けているアイラを無理やり引き寄せた。僅かな抵抗を見せたアイラの両手首を片手で持ち壁に押し付けると、無理やり唇を重ねる。
 
 ……アイラに真実を知られたら、オレを嫌悪するだろう。それが、堪らなく嫌で仕方がない。

 手に入れたいと思ったのは、執着心なのか、好奇心なのか、それとも恋やら愛やら甘い感情なのか。
 唇を離す。上気した息遣いに、濡れた瞳と唇、小刻みに震える身体と、首筋から立ち昇る雌の香り。トレベレスの血が逆流した、再び唇を吸い続ける。室内に、淫靡な粘着音が響き渡る。

「約束しよう、マロー姫を取り戻すと。だが、猶予をくれないか。ベルガー殿はオレよりも立場が上のお方だ、逆らえばこちらが危うい」

 観念したように耳元でそう囁くと、脚に力が入らずぐったりとしているアイラを強く抱き締める。これ以上は無理だ、離れられなくなる前に、離れなければならない。抱くことは禁忌、自身の破滅を意味する。
 しかし。

「約束、です」

 アイラが、頼りなさげに小さく笑った。

「約束です。マローを、返してくださいね」

 腕の中で、愛しい呪いの姫君は儚く微笑む。トレベレスは無言で頷いた、頷かざるを得なかった。
 アイラは瞳を細めて、嬉しそうな笑顔を見せる。
 優しいその笑みに、一瞬息が止まった。美しすぎる姫が目の前にいる、鼓動も聴こえる腕の中にいる。アイラの体温に意識が持っていかれると、我慢できずに再び唇を奪い、露出した背中に指をなぞらせる。 
 仰け反ったアイラが、声を漏らして顔を逸らした。
 禁忌を犯しても構わない、この娘が欲しいと願った。抱き上げて寝台に優しく下ろすと、先程着せたドレスを脱がせ始める。ぎこちなく、不思議そうに微笑んだアイラの髪を撫でながら、トレベレスは愛しくて幾度も口付けた。努めて優しく、懸命に抱き締めて、身体中を知り尽くすように触れていく。呪いの姫君の鳴声は想像以上に甘美なもので、脳を溶かせるようだった。
 夢の中にいるようで、途中から意識が朦朧としてしまう。

「あぁ、アイラ……。愛しいオレのアイラ」

 焦がれた姫の身体に、夢中で舌を這わせきつく吸う。紅い痕が白い肌に映えるのを見ると、幾つもつけたくなる。自分のモノだと、証明するように。

「アイラ、オレは」
「トレベレス様!? トレベレス様!」

 一線を越えようとしたその際に、ドアを叩くけたたましい音が響いた。
 我に返ったトレベレスは、荒い呼吸を繰り返し全裸で抱き合っていた自分とアイラを見て赤面した。寸でのところで、理性が戻る。
 脱ぎ捨ててあったローブを乱暴に纏うと、怒りっぽく輝き、幾分荒れている瞳でドアを開いた。

「料理人から報告を受けましたぞ!? い、一体誰を囲ったのですか!? 緑の髪などと、まさかっ」
「やかましい」
「誰です! まさか亡国の姫君では」
「うるさいと言っている、落ち着けっ」

 アイラの噂は、瞬く間に館に広まってしまった。
 無論、トレベレスへの説教が始まる。次期国王とはいえ、破滅の娘とされる者を呼び寄せてしまった王子に、息つく間もなく言葉を浴びせた。
 その間、アイラは一人きりだった。気だるい身体をそのままに、全裸で天井を見つめている。そっと頬に触れれば、耳元でトレベレスの声が聞こえた気がした。大きく身体を引き攣らせ、震える身体を抱き締める。頬が、身体が、全身が熱を帯びている。もどかしくて、耐えられない。もっと、触って欲しかった。もっと、名前を呼んで欲しかった。あの瞳と、強引な腕が好きだと思った。
 そう、好きだと。
 アイラは困惑しながらも、年頃の娘が裸でいてはいけないと言われたので、急いで脱がされたドレスを着た。

「トレベレス様……」

 胸が締め付けられるように、苦しい。胸元から見える赤い痕跡を指先で押し、寝台に倒れこみ瞳を閉じる。こんな気分は初めてだった、それを恋煩いと呼ぶ事など、知らなかった。

 部屋の外は、驚天動地の大騒ぎである。

「あの姫、確かに美しいですが、呪いの子を産むと……」
「解っている、抱かなければ良いのだろう?」
「あんな色香のある娘、四六時中傍に置いておいたらっ」
「自制心は強いつもりだっ」

 何処が、誰が! と叫びたくなる家臣達だが、グッと堪えた。
 トレベレスは震えを覚えるばかりに激昂した神経を両手に集め、強く握っている。
 機嫌をこれ以上損なわぬようにと、遠慮がちに家臣が歩み寄る。

「本日は“通い日”。マロー姫の塔へ行く日でございましょう。幸いにも二人は似ておりますし、良いではないですか。代わりに、存分に戯れなさいませ」
「チッ」

 無言で踵を返し「案ずるな、オレはヘマなどしない」と言い残すと、トレベレスは勢いよく部屋に戻った。

 ……似ているだと? お前達の目は節穴か!

 確かに双子で、顔や身体のつくりは似ている。しかし、雰囲気や性格がまるで違う。代わりに性欲の捌け口にしろ、というのは理解できるが、果たして身体が反応するかどうか。 
 憂鬱な面持ちで、トレベレスは行儀よく椅子に座っていたアイラに片手を上げる。問題は山積みだ、まずはアイラをどうにか言い包めなければならない。

「アイラ姫、マロー姫を取り戻す為に書簡を用意する。それを信頼できる兵に渡し……オレは、あー、その、なんだ、街へ情報を探りに行くから暫し留守にする。退屈だろうが、ここに居てくれないか。必ず戻るから」

 幸福感から、アイラに笑顔が浮かんだ。弾かれて立ち上がると、小走りにトレベレスへ駆け寄る。

「まぁっ! 本当ですか!? 解りました、大人しく待っています。感謝いたします、トレベレス様」

 嘘八百を並べ立てるが、疑いもせずにアイラはその言葉を鵜呑みにした。その眼差しが純真で、傍若無人なトレベレスも流石に胸が痛む。

 ……少しは人を疑ってくれ。

 項垂れるが、目の前の笑顔をトレベレスは好いている。ようやく、以前城で見かけた柔らかな笑みを浮かべたアイラに、引き寄せられて口付けをした。すると、驚き恥じらい、目を丸くしながらも、震えながらせがむように、自ら身体を寄せる。

「あぁ、アイラ……お前は本当に可愛らしい」

 強く抱擁を交わしながら、トレベレスの脳裏に先程の情熱的な光景が過った。途中までだが再開しようかと思案したが、生憎手放す自信がなかった。うっとりと身を任せているアイラの髪を撫でながら、丸みを帯びた声で囁く。

「数日で戻る。それまで皆に世話をさせるから、決してここから出るな。いいな?」
「はいっ。……あの、私も同行してはいけないのでしょうか」
「そ、それは駄目だ、アイラ姫は目立つ。それに、長旅の疲れもあるだろう。今は休んでおけ」
「畏まりました、御随意に」

 トレベレスは、柔らかく微笑んだアイラから顔を逸らした。嘘をついた罪悪感が、初めて圧し掛かる。嬉しそうなアイラに、申し訳なくて合わせる顔がない。
 けれども、傍に居たい。傍に居たいから、嘘を吐き続けるしかない。もう、後には引けない。


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登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

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