溺れる色欲
文字数 4,648文字
「いやー、トビィとの会話は参考になるね! 楽しいね!」
恨めしそうな視線を浴びつつも、アリナはけろりとしている。二人は、自室へ戻る途中でダイキとサマルトに出くわした。
頬を膨らませて説教しているクラフトの傍ら、弾んでいるアリナが二人を見つけ大きく手を振る。
「何でアリナとクラフトは、あぁも感情が相反してんだ?」
「さ、さぁ……。衣服を放置していたことを咎められているんじゃない? クラフトさんは作法に煩そうだし」
不思議そうに顔を見合わせたサマルトとダイキだが、合流した四人は部屋へと戻る。
「そういえば、ミシアさんは熱の子の看病に呼ばれて出掛けたよ。今日はアリナ一人だと思う」
「へぇー、そうなんだ?」
ダイキが思い出してそう告げると、アリナは軽く頷いた。
正直なところ、アリナは嬉しく思った。湧き上がる不信感を隠すなど、不得意である。部屋に二人きりでいたら、息苦しくて窒息してしまいそうだった。
……ミシア、ねぇ。
アリナの表情が、翳る。
部屋に入った四人は、それぞれ居心地の良い場所を探して寛いだ。
アリナが眉を顰めたままどっかりとベッドに座れば、サマルトが反対側のベッドに腰掛け、貰ってきたりんごを齧り出す。シャクと軽快な音がする、聞きながら暫しアリナは考え込んだ。ダイキは控え目に開いたベッドに転がり、クラフトは途中で取り込んで来た洗濯物を、丁寧に皺を伸ばして畳んでいる。
「まぁ、一人のほうが都合がいいけど」
小さく吐露したアリナは、しまった、と顔を顰めた。本音が口から飛び出してしまった、突っ込まれないか焦ってしまう。
クラフトは、洗濯物から視線を外し、面を上げるとにこりと微笑む。
「お疲れのところ申し訳ございませんね? 寛ぐには少々早いでしょう、一人ではありませんよ? 今日はたっぷりと説教致しますので、今のうちに御覚悟を。身に覚えがあるでしょう? 洗濯物の件も含めて、ね。お二方に感謝の言葉を述べると共に、羞恥心を抱く事を忘れずに」
サマルトとダイキは顔を見合わせて爆笑した、アリナだけが唇を尖らせてそっぽを向く。
しかし、解っていた。
クラフトは何かを話すつもりだ、悟られないようにわざと茶化しただけだ。「がんばれー」と笑うサマルトの傍らで、二人は密かに、軽く頷く。おそらく、思うことは二人とも同じ。
“ミシア”。
薄暗い物置小屋、その中でランプを持ち子犬の様に嬉しそうに佇んでいる男がいる。
「来てくれたんですね、ミシアさん!」
音もなく現れた女は、ミシアだ。「しーっ」と、悪戯っぽく笑い、そっと近づくとランプの光に慣れるように見つめ続ける。揺らめく火が、心を急かす。
ここは客室の下であり、倉庫となっている。掃除道具や武器が置いてある、大量に薬草が入った壷もあり、船員達は当番でこの場所の見回り及び掃除をする。
ミシアが明かりを照らして見渡せば、成程、懸命に掃除してくれた事が解るほど綺麗になっている。埃を落とし、床には上等そうな布を敷き、ワインも用意されていた。
「ミシアさんが来てくれるっていうから、頑張ったんだ」
「ありがとう、とても優しいのねポール。心から嬉しいわ、素晴らしい人ね」
待っていた男は、甲板でミシアに一番最初に接触したポールである。
照れ臭そうに頬を赤らめて微笑むポールに、ミシアは鷹揚に微笑みを返した。
「だって、美しいミシアさんを汚らしい場所へ招き入れるわけにはいかないからね。失礼に値するよ、これは当然の事」
媚を含んだ声でポールはそう告げ、持ってきたワインを二つのグラスに注ぐ。上等なものではないが、気分だけでも味わおうとした。これは、盗品だ。
二人は誓言の儀式を行うように静かに布の上に座り、乾杯を交わしてから口に含む。
「……ねぇ、貴女には恋人っているの?」
背伸びをして無理に自分を作っているポールは、不安そうに尋ねた。
焦らす様にミシアは髪をかき上げながら、ゆっくりとワインを呑みつつ口を開く。含み笑いを漏らしながら、不安がる瞳から時折視線を外し、煽る。
「勿論いるわよ? この船に乗っているの、素敵な人よ」
そう言ってうっとりと瞳を閉じるミシアに、身体を小刻みに震わせたポールが大声を上げて掴みかかった。
「別れてよ、別れて!」
すっかり落ち着きを失くしているが、それとは裏腹に余裕のミシアは婀娜っぽく囁く。
「しー……大声を出しては、駄目よ?」
しかし、小さい子が駄々をこねるかのように、ポールはミシアをそのまま押し倒した。ワイングラスが宙を舞い、ミシアの衣服に零れて染みていく。
「あらあら……折角のワインが台無しだわ。どうしましょうか」
言いながらも、ミシアは愉快そうだ。
ポールはミシアの上に跨ると、ワインの染み込んだ衣服を噛み千切るように口に含んで、ジュウウ、と音を立てて吸う。
「あらあら……イけない子」
濡れた衣服の上から口で愛撫を受けるのは、初めてだ。妄想では幾度もあったことだが。
「あ、ん……」
一心不乱に吸っていたポールは、徐に顔を上げると切なそうに叫ぶ。
「恋人がいるんだよ、僕にも。故郷の村に、幼馴染で。でも、でも、ミシアさんを選ぶんだ。だからミシアさんも、僕を選んで! お願いだよ、貴女なしでは生きていけない!」
「まぁ、可愛らしい顔をしているのに、酷いのね。そんなことを言って、今までも女の子を引っ掛けてきたんじゃないの? 母性本能を擽るものね、艶聞が耐えない気がするわ」
ミシアは挑発するように、驚き、恐れるフリをする。
「違うよ、今回が初めて。ミシアさんだからだよ。責任とって、貴女がそんなに美しいから、狂ったんだ」
そう、狂った。
ミシアの妖しい雰囲気に、酔った。酒のせいではない、瞳は淀んで光を失っている、最早正気ではない。ロザリンドと同じような“人形”だ。それでもポールにはまだ意識が残っていた、ミシアの“奴隷”を強く所望している。
ここまできて、ようやくミシアは喉の奥で笑った。愛しそうに豊満な胸に顔を押し付けて抱き締め、髪を撫でる。最高の悦楽に入ろうとしていた、優しく宥める様に背中を擦る。いや、愛撫する。耳元に吐息を吹きかければ、ポールは歓喜の声を漏らした。
「ねぇ、抱かせて。何でもするよ、愛してるんだ」
幼子が乳を欲するように、ポールは夢中でミシアの胸を弄る。鷲掴みにし、円をえがくようにこねくり回しながら、硬い突起を口に含んで甘噛みする。右も左も、交互に同じ様に吸い続けた。
二人の荒い呼吸が、密室にこだまする。
「いい子ね、許してあげる。ふぅ、トビィもこれくらい大胆だったらよいのに、ね。あぁそう、ポール。私のことは“ミシア”と呼んで。ミシアさん、だなんて仰々しいわ。それから、あの人みたく力強くなきゃ……駄目よ?」
うわ言の様に呟くと、ミシアはそっと腰の皮袋から小瓶を取り出し、その中の液体を飲み干した。それはすべらかに喉を流れ落ち、脳天を刺激する。目の前で火花が散り、きつく瞳を閉じる。
綺麗な景色が見えた、百花繚乱の花畑だ。ミシアは薄布一枚を羽織った裸体状態で佇んでおり、微笑んでいる。その花畑から離れた周囲では、醜い虫達が蠢きあっていた。
その光景はゆっくりと変貌し、ミシアはこの世のありとあらゆる宝石を散りばめた様な豪華な椅子に深く堂々と腰掛け、満足そうに周りを見渡している。高圧的な態度で足を組み替え、半裸の美少年達に囲まれて高笑いしている。少年達は恍惚の笑みを浮かべて取り囲んでいた、皆きわどい衣装で美しく引き締まった身体を曝け出している。
遠くでは、泥だらけの美少女達が小汚い衣服を着せられ、這いつくばって床を拭いている。ミシアから見れば同姓は全員自分より格下で、どれだけ美しくとも醜悪にしか見えない。美の基準の頂点は、自分だ。
ミシアは手元のスープ皿を少女に投げつけた、そこにはアリナやアサギがいる。熱いスープが少女達に降りかかり、皆は悲鳴を上げた。
高笑いしながら隣の男を上目遣いすると、その男は優しく微笑む。二人は、自然と情熱的な口付けを交わした。周囲の美少年達から羨望の溜息が漏れ、口付けを強請ってミシアに詰め寄る。
だが、悠然とミシアは首を振る。皆はがっくりと大きく肩を下ろし、諦めて二人を見つめた。
知っているのだ、ミシアの心は彼のものであると。あの二人こそ、この地上で最も尊い恋人同士、美男美女で相思相愛、誰も適わない。
言うまでもなく、男とはトビィだ。
ミシアがゆっくりと瞳を開いた。
傍から見れば自分を見下ろしているのはポールだが、先に含んだ麻薬の幻覚でミシアの瞳にはトビィに映っている。
「あぁ、トビィ! 駄目よ、あぁっ、そんなに激しくしちゃっ」
言いながら、ミシアは自ら足を絡め、ポールの衣服を強引に剥ぎ取っていく。
激しく抱き合う二人、乱れるミシアの声。もはや、狂喜の宴でしかない。
「愛してるわ、トビィ」
「愛してるよ、ミシア」
すっかりミシアに翻弄されたポールは、他の男の名を呼ばれようが全くお構いなしだ。抱けるだけで、天にも昇る幸福感に包まれた。
「あぁ、トビィっ!」
そんなミシアが勝手に創り上げた妄想の中でトビィと楽しんでいる頃、本物のトビィは鬱蒼とした気分でベッドから這い出た。
浅い眠りを繰り返していたのだが、気だるく、背筋が寒く、吐き気と眩暈に襲われる。頭部をゆっくりと動かしつつ、溜息を吐き、水入れから直接水を飲む。グラスに注ぐのが面倒なほど、喉の渇きを潤したかった。
胸が疼き苛立ちが湧き上がり、嘔吐しそうだった。
「くそっ! 最近増えたなこの症状。何時からだ」
先のワインのせいではない、トビィは枕に拳を叩き込むと、窓を開けて夜風に当たった。夜気を漂わせる星空に、心を落ち着かせてアサギを想う。
「アサギ」
瞳を閉じて、想いを馳せる。
最初に出逢ったのは不可思議な空間、神秘的な部屋。気がつけば花の香るシーツに包まれて眠っており、傍らではアサギが心配そうに見つめていた。
一瞬、天国へ来てしまったのだと思った。
確かに自分は虫の息だったからだ。魔族のオジロンに多勢で卑劣な罠をかけられ、煮え湯を飲まされ敗北したあの日。
『はっ、自尊心? そんなもんないなぁ、俺の求めるものは勝利と名声。貴様に勝てば見事この俺様もドラゴンナイトに昇格だ! わははは、なんだ、少しくらい能力が秀でているからって、ただの人間のくせに』
何かと張り合ってきた鬱陶しいオジロンを、久方ぶりに思い出した。トビィは全く相手にしていなかったが、あちらは逆恨みで執着していた。非常に厄介な男だった、耳障りな下卑た声を思い出し舌打ちする。
流石のトビィとて、あの時ばかりは死を覚悟した、しかし、そこでアサギに会えたのだ。
アサギが、救出してくれた。瀕死のトビィを、護り抜いてくれた。
「あいつもミシアと同じくらい煩わしかった……全く、ろくな奴がいない」
ミシアの名を口にすると、怪訝に眉を顰める。昼間摑まれていた手を思い出し、身震いする。嫌悪感しかない、受け付けない人種だと本能が叫んだ。
忘れようと、窓から唾を吐き捨てる。
「アサギ、待っていろ。今、助けてやるから」
アサギを想うだけで、トビィの心の尖った箇所に和やかな春の陽が降り注ぐ。そうして自然と穏やかになれる。
「アサギ」
トビィは、切なく名を呼んだ。