外伝4『月影の晩に』5:姫と王子と騎士と
文字数 7,193文字
流石は大地を守護とする国である、不思議な魅力だと感心した。
風に乗って、アイラが奏でる音色が届けられるとより一層、神秘さが増す。
しかし、彼らは観光に来たわけではない。
トレベレスは苦虫を潰したような顔をして、狼狽する側近らを睨み付けると、まるで自分の所有物であるかのように遠慮なく部屋に入った。
「おい、トライ。先程の振る舞いは目に余る、わざわざ辺境の地であるこの国へ来た目的を忘れたのか」
トライの部屋を訪ねたトレベレスは、テーブルに用意されていた薄緑の蒲萄、マスカットを摘まんで齧り始める。憤慨しているトライの従者を一瞥し、無言で剣の手入れをしている男に問いかけた。
「その果実はオレに用意されたもの。勝手に食うな」
無愛想にそう告げると、トライは視線をトレベレスに向けることなく剣を磨き続ける。
小馬鹿にした態度に苛立ち、トレベレスは壁に拳を叩き付けた。
騒音に、ようやくトライは顔を上げた。増悪の籠った瞳を向け、肩を竦める。
「相も変わらず品がない奴め、物に当たる癖はまだ治っていなかったのか?」
「黙れ。お前が懇意にしていた姉は、呪いの姫だろう? お前の国が滅ぶ様には興味があるが、皮肉な事にオレ達には薄れたといえども同じ血が流れている。こちらにまで呪詛が飛び火しては困るんだが」
「所詮は、噂。女王が死に際に遺した予言と聞いているが、果たして真実かどうか」
「彼女達の母親である偉大な魔女の御告げだろう? 緑は捨て置け、最も、黒の娘はオレが頂く算段だが」
「自国の神官が降したのならともかく、赤の他人の予言だ。踊らされているようで不愉快だし、滑稽だ」
「あのなぁ。お前だって興味が沸いたからここまで足を運んだんだろ?」
「予言に興味を持ったわけではない、数奇な運命を課せられた姫を見たかっただけだ。けれども、国に有益をもたらすという黒の妹姫。……生憎、あれにはオレの趣旨が動かない。それに引き換え、アイラ姫は」
そこまで聞いたトレベレスは再び壁を殴りつけると、目を血走らせ踵を返す。開こうとした従者を押し退けて自らドアを乱暴に開くと、そのまま出て行った。トライが姉姫の名を呼んだことに、腹が立った。妹姫の名は、口にしなかった癖に。
些細な事だが、どうしようもなく腸が煮えくり返った。
「アイツッ! 何を考えていやがるっ」
大股で自室へ向かっていると、嘲笑を浮かべて前方から歩いて来たベルガーと対面する。
すれ違い様に、二人は立ち止まった。互いに威嚇するように視線を合せる。
「そなたの血縁殿はウツケなのか? 自滅してくれる分には、こちらにとって願ったりだが」
「その物言いだと、やはり貴殿も“噂の真意”を確かめに来たと?」
「無論。でなければ、このような面白みのない国へ視察に来るなど有り得ぬ。彼女に求婚する理由など明白だろうよ」
ベルガ―は会話を聞かれていないが周囲に視線を投げかけ、用心深く小声で囁く。
「敵は少ないほうが有り難い。将来を見据え、時間と金を浪費する価値はあると思ったからこうして出向いたが、正直あの程度の娘ならばそこらにいる。期待外れだが、私の子を孕めばそれで良い」
本音を隠すことなく吐露したベルガ―に、トレベレスは面食らった。
挑戦的な視線を一瞬だけトレベレス投げかけたベルガーは、廊下から見える巨大な月を見上げて酷薄な笑みを浮かべた。
「今宵は眠りに就くのが惜しい程に、美しい月だ」
夜空に燦然と輝く満月を見つめ、髪をかき上げる。雲という薄い布をまとったような月は、二人の野心を露わにさせた。
唐突にけしかけられるとは思わず、トレベレスは多少たじろぐ。その時点で、どちらが強者かなど明白だった。沸々と押し寄せる屈辱感で、顔が歪む。
「私とそなたの一騎打ち、と、なりそうだ。リュイ殿は帰国されるそうだよ」
「へぇ、何故ゆえに?」
意外そうに瞳を丸くしたトレベレスに、ベルーガはおどけたように肩を竦める。
「さぁ? 幼すぎたのではなかろうか、損得で人間関係をどうこうできる男には到底見えなかった」
「まぁ、確かに……」
「歳というより、彼の人間性だろう。嘘がつけない、損をする男に見える。あの国は兄皇子らが来城すると踏んでいたが、何故末弟だったのか、そちらのほうが気になった」
風の皇子は帰国、水の王子は戦線離脱。ともなれば、光か火のどちらかが、噂の姫を手中に収めることとなるだろう。怖気づいた他国の参戦はないと予見した。
互いに視線を交差させ、火花を散らす。
二人の国に噂が流れてきたのは、ここ一、二年前の事だった。
他国の情勢を探るべく侵入させていた者から得た情報であったが、信憑性にかける。罠である気がしてならず、探りを入れ続けた。
ベルガーは今だに疑っており、すでに城下町で数人、場内で数人捕獲し、催眠尋問を行っていた。けれども、皆は口を揃えて同じことを言った。
『妹姫であるマロー様が、繁栄の子を産み落とされる』
自国で聞いた噂と全く同じだった。
ベルガ―は、最初何処かで噂が捻じれたのではないかと猜疑していた。また、謀られており、噂など出鱈目であるか、もしくは真相が逆なのではないかとも思案した。故に、先程場内で様々な職種の者達を尋問にかけた。真相は、位の高い者にしか伝えられていないのではないかと。
「私の考えすぎか?」
それでも腑に落ちないと眉を寄せたベルガ―は、訝し気にこちらを見ていたトレベレスに視線を投げた。
「お相手、一つ宜しく頼もう。少しは張り合いがないと、つまらぬ」
「……こちらこそ」
どのような美姫かと多少心を躍らせていたベルガーだが、子供だった。男慣れしており、多少肉付きの良い女を寝所に侍らせていた為、二人の姫は至極貧相な身体つきに見えた。子を孕ませるということは、彼女を抱かねばならぬということ、しかし、全く性的対象にならない。
姫を口説き落とす気は十分のベルガーだが、一抹の不安が残る。本妻も側室も存在するので、何人目かの妻としてマローを迎えねばならないことが気がかりである。そのような相手に国の第一姫を寄越すかどうか。普通に考えれば余程の事情がない限り、断られるだろう。少し圧力をかけて揺さ振らないことには、難関必須。弱小国ならば姫を喜んで差し出すだろうが、生憎ラファーガ国はそこそこに力を所持している。同盟を組む事を前提に話を進めるか、それとも。
対して、トレベレス王子には大勢の側室こそいるものの、本妻は空席となっている。
二人は事務的な笑顔で握手を交わし、各々の部屋へと戻っていった。
自分達の目的は明白であり、繁栄の子を産むという、妹のマロー姫を手中にすればいいだけだ。
けれども、二人とも不可解な事にトライの行動が気になってしまう。
それはつまり、興味の対象はマロー姫ではなくアイラ姫にあるということだった。
「呪いの姫は、破滅の子を産む為に男を翻弄させるに長けているのだろう」
ゆったりと紅茶を飲みながら、ベルガ―は緑の髪の姫を思い出していた。
翌朝から、盛大な宴が開かれた。
朝は少量しか胃が受け付けないというのに、濃い味付けの料理がずらりと並び、見ただけでアイラは眩暈を起こしそうになった。しかも、着せられたドレスは宝石がいくつも施されており重い上に、胸を強調するようにきつく締めあげられており苦しい。
……た、食べられない。
口元を押さえ、搾りたての牛乳ともぎたての果実のみを食べたアイラは逃げるようにして壁際へと移動した。そもそも、大勢の人々に囲まれること自体に慣れていない。憂鬱な顔をしていると、すぐに家庭教師らに見つかり、再び中央へと引き摺り出された。
「王子らをもてなすのが姫の務めでしょう」
「申し訳ございません、ですが、気分が優れなくて」
「なんて見苦しい我儘を! マロー様をご覧なさい、ベルガ―様にトレベレス様と会話を楽しんでらっしゃいます。少しは見習っては如何です?」
「わ、私はマローのようには……」
「すぐに言い訳をする! あぁ、なんてみっともない姫かしら」
早く部屋に戻り、着慣れている何の変哲もない質素なドレスに着替えたかった。この宴は一体いつまで続くのか、考えるだけで気が滅入ってしまう。
「アイラ姫、こちらでしたか」
先程からアイラを捜していたトライが、颯爽とこちらへ向かって来た。
「上手くやりなさいね」
背中を小突かれ、アイラは足をもつれさせる。小さな悲鳴を上げ、無様に床に倒れる自分を想像したが、身体はふわりと抱き留められた。
「大丈夫ですか? 随分と顔色が悪い……」
「あ、ありがとうございます」
トライの長く逞しい腕に支えられ、アイラは赤面して見上げる。
「申し訳ございません、失態を」
「何を言われますか、そのような青白い顔で。あちらに、温かいスープがありましたよ。落ち着くでしょうから」
トライに導かれ、立食会場歩く。
マローは幾度かここで食事を愉しんだが、アイラはこの場所に初めて足を踏み入れた。見上げると首が痛くなるほどに高い天井は、それだけで目が眩む。壁も天井も桃色がかった白色で、全てのテーブルには純白の布が敷かれている。朝陽を貪欲に取り込むような大きな窓が幾つも並ぶその会場は、自分には不似合いな気がして仕方がなかった。
けれども、トライの手の温もりが心を穏やかにしてくれた。通常通りの呼吸に戻って来てもいた。
……不思議なお方。こんな私に手を差し伸べてくださるなんて。
玉葱を煮込み続けた澄んだ琥珀色のスープをアイラに差し出したトライは、にこやかに微笑む。
食欲が湧いて来た気がして、アイラはスープを啜った。野菜の甘みがたっぷりと染み渡り、思わず口元が綻ぶ。トライは優しい味わいのものばかりを用意し、気遣いながら食事を愉しむ。
「本当に申し訳ございません、本来ならば私がトライ様に食事を勧めなければならないというのに」
「いえ、お気になさらず。変わり者だとよく言われますが、私は世話を焼くのが好きでして」
ハーブ入りのチーズとトマト、ハムを挟み、パセリを降り掛けた焼きたてのパンを頬張りながら、トライは照れたように肩を竦めた。
「アイラ姫は、楽器の他に何がお好きで? 昨晩、歌っておられましたから、機会があれば私の為にその麗しい声で小鳥の様に囀って頂きたいのですが」
「う、歌ですか。いえ、ごめんなさい。歌というにはあまりに不恰好なものなのです」
「そうでしょうか? では、共に横笛を奏でてみませんか? 他人と音を合わせるのは、難しくも充実感を得られますよ」
「わぁ、そんなことが私にも出来るのかしら。挑戦してみたいとは思います」
率先して話題を振ってくれるトライに感謝し、アイラはようやく調子を取り戻した。余裕が出てきたので会場を見渡すと、一人で黙々と食事をしているリュイの姿を見つける。しかめっ面をしていたので気になり、トライに会釈をして早足でそちらへ向かう。もてなさねば、という責任感からではなく、単に不安になった。
トライは不思議そうにアイラを眺めたものの、意図を察し、小さな背中を追う。
「おはようございます、リュイ様。あの、食事がお口に合いませんか?」
そう言って遠慮がちに近寄ってきたアイラを見上げたリュイは、瞳を丸くした。首を横に振り否定すると、手を休めずに食べ続ける。
「ええと。御腹が空かれているのでしょうか?」
不味いならばこうも勢いよく食べないだろう。胸を撫で下ろしたアイラは、恐る恐る尋ねる。
「えぇ、とても。申し訳ありません、誤解を生んでしまったようで。ご覧の通り、とても美味しく頂戴していますよ」
牛乳で喉を潤し悪戯っぽく笑った同年代の皇子に、アイラの顔はパアッと明るくなった。
「あ、ありがとうございます! 気に障ったらごめんなさい、その、険しいお顔をされていたので、粗相をしたのかと不安になりまして」
深々とお辞儀をし、自然に筋肉が弛むような微笑みを浮かべたアイラの言葉は全て本音だろう。
リュイは面食らった、昨夜と印象がまるで違う。恐らく、目の前に居る彼女こそが“本来の”姿であると直感した。彼女の美しさは、笑顔でこそ引き立つのだと感嘆する。
「いえいえ、とんでもない。美味しいので、胃袋と耐えられるか相談していただけです」
リュイはようやく食事の手を休め、アイラを真正面から捕らえた。
トライが当惑の眉を顰めたが、二人は気付かない。
「明日、帰国されるとお聞きいたしました。それまで、我国の特色を楽しんでいただければ、と思います」
「お気遣いに感謝致します。この国は恵まれていますね、食べ物が新鮮だ。……僕、いえ、私達の国はそうもいきませんから」
戸惑いを隠すように苦笑いしているリュイに、アイラはすぐさま脳内に地図を浮かべる。
風の国ラスカサスは、ここから北北東に位置する山脈に囲まれた場所に存在する。気温は常に低く、海からは遠い。高山ゆえに植物があまり育たないのかもしれない、と思った。肥沃な大地のラファーガ国は、資源が豊富でもある。改めて、素晴らしい場所に産まれたのだなと、アイラは静かに天に感謝した。
こうして他国の皇子と話をしなければ、気づくことはなかっただろう。
「星は、我が国のほうが綺麗ですよ。後はそうですね、清冽な川に住まう魚は美味いと豪語出来ます」
「天に近い風の国、ですか。素敵ですね」
「ですが、民にとって食料の悩みは尽きません。美しいものは心を洗う、けれどもそれだけでは満たされませんから。日々土地の改良に精を尽くしていますが、まだまだ改良の余地がある。軌道に乗るまでは、他国からの輸入に頼るしかない為、懸念がどうしても拭えません」
三人は傍らにあった椅子に腰かけ、食後の甘い菓子と紅茶を楽しんだ。各々の国の特色を話し、情報を交換し、驚きと笑みを分かち合った。
トライとリュイは、当初の目的であった姫の値踏みを忘れる程に会話に没頭し、まるで昔からの知人に再会したかのように愉しい時を過ごす。心が洗われるような思いに、酷く残虐な事をしようとしていた自分を密かに恥じる。懸命に聞き入り、貪欲に知識を吸収しようと身を乗り出すアイラを愛おしく思った。確かに世間知らずだが、怠惰なわけではない。噂だけでこの姫を蔑んでいた昨日を消し去ってしまいたい。
水と風を守護に持つ王子達が“繁栄”である妹マローではなく、“破壊”として忌み嫌われている姉のアイラに興味を示したことなど、公然の秘密。
それはあってはならぬことであり、彼らの国従者らからは悲痛な溜息がひっきりなしに漏れていた。
土の国の民は、内心涙を流して喜んだ。厄介払いがようやく出来るのだ、願いは成就されるだろう、神に感謝をする。
……まぬけな王子らが、災厄を連れ出してくれるぞ!
そう確信してしまえるほどに、二人の王子らは姫を溺愛していように思えた。
その晩は、大掛かりな花火が上がった。庭に出て星座と花火を鑑賞しながら、食事を愉しむ。
薔薇が香るその場所で、マローはベルガーやトレベレスと踊り、アイラはリュイとトライと夜空を見つめる。
騎士団らは庭を囲んで配置され、過剰すぎる厳戒態勢を余儀なくされていた。これでは、鼠一匹侵入不可能だろう。トモハラとミノリは共に真面目な勤務態度をとっていた為、見習い騎士であれども庭の警備を任された。
異例の待遇の為、喜ぶべきなのだろうが、トモハラは無愛想な顔で突っ立っていた。にこやかにする必要などどこにもないが、堪り兼ねて癇癪を起しそうな自分と必死に戦っている。マローを間近で見る事が出来た事には感謝こそすれ、けれども、愛しの姫に下心丸出して張り付いている二人に嫌悪感を覚えた。
一方ミノリは、初めて間近で見たアイラの美しさに腰を抜かしそうになっていた。声だけしか知らなかったが、想像していた以上の愛らしさに度肝を抜かれたのだ。眩すぎて直視できずに、顔を逸らす。それは日中の太陽のようで、見ていると目が潰れてしまいそうだった。
ミノリとて、姫にまつわる不穏な噂は知っている。民に不幸が起きれば、すぐにアイラの仕業と囃し立てていた事実にも直面している。けれども。ミノリはそうとは思えなかった。あの可憐な歌声や遠慮がちな仕草には、一切の穢れがない。
二人の若い騎士は、慕うそれぞれの姫を遠目で見ていた。
あの輪には入ることが出来ない、騎士とはいえ今の二人では身分が違い過ぎる。遠すぎる姫を、指を咥えて見つめる。羨望と嫉妬の眼差しで、王子達を睨む。
そのような視線に、二人の姫が気づくわけがなかった。
※2020.09.12
白無地堂安曇様から頂いたベルガーのイラストを挿入しました(*´▽`*)
著作権は安曇様にございます。
自作発言、無断転載、加工等一切禁止させていただきます。