召喚魔法発動
文字数 5,547文字
珍しいものは作らないが、昔からある基本の和食を丁寧な品良い味付けで出してくれる。子供は煮物やおひたしよりもカレーやハンバーグを好むことが多いが、田上家の子供達は三人とも母の煮つけが大好物だった。
今日は野菜をふんだんに使ったおからコロッケに、きんぴらレンコン、小松菜のおひたし、なめこ汁と、茄子の浅漬け。大満足の夕食を食べ終え、居間で家族とテレビを観た。お笑い芸人達が出てくるバラエティーで、テレビの中で忙しなく動く芸人達の大袈裟な表情や動作に笑いが込み上げる。
「アサギ、お風呂入りなさい」
「はい」
アサギは湯船に浸かりながら、映画の事を思い出した。充実した一日だった、とても楽しくて、まだ胸がドキドキしている。ラベンダーの入浴剤の香りが心地良く、微睡む。
部屋に戻ると、再度日記を開いた。
芸人を見て気づいたが、リュウとハイは息の合った漫才コンビだったと思った。今はもう、リュウの独特な語尾が聞けなくて、寂しい。
「ぐもー……」
アサギは真似をして、そう呟いた。
「みんな、どうしているのかな。また、会えるのかな」
離れてまだ数日しか経っていないというのに、心が締め付けられるほど切なくなり、何の気なしに日記に名前を書き連ねていく。
『トビィお兄様、ハイ様、リュウ様……』
全員の名前を書き綴ると、指と視線で追いながら唇を動かす。
「世界は平和になったんだよね? 破壊の姫君はどうなったんだろう。みんな、元気に過ごしているんだよね? でも、何か忘れている気が……。なんだろう、大事なコトなのに」
終わってしまった夢物語なのか、まだ、続くのか。
アサギは瞳を閉じると机に突っ伏し、皆の名前を呼んだ。
ハイとリュウは本来の自分を取り戻したのだから、今後迷惑をかけることなく生きていくだろう。しかし、アレクとミラボーは消えてしまった。助けられなかったことを悔やみ、唇を噛む。
勇者になったのに、助けられなかった。
今まで読んできた本の中で、勇者は万能だった。弱き者を助け、驕る者を挫き、世界を平和に導く正義の使者。
勇気があり、勇敢で、勇壮な者。
勇者。
ユウシャ。
「……あれで、ホントによかったのかな。世界って、平和になったのかな。なんだかすごく、奇妙な」
胸に刺さった小さな針が、抜けない。針には糸がついていて、ツン、ツン、と誰かがそれを引っ張っている。気づいて、気づいて、と訴えている。
アサギは、ノートに記した“リュウ”の文字をそっとなぞった。喉の奥から、唄となって声が飛び出す。
「彼の地より、我が名に応えよ。我は召喚せり、遠き異界の友人を。我の名に応え、姿を現せ。呼ぶ君は、偉大なる竜の化身。応じるは、麗しの気高き君。我の命に応える君の名は、スタイン=エシェゾー」
中途半端に離れてしまった魔王二人と、もっと今後について話をしたかった。地球に帰りたかったのは事実だが、きちんと別れの挨拶をしたかった。それが蟠りなのかとも思ったが、違う。
「ぐも」
リュウは、ヴァジルに叱られているのだろうか。勇者サンテの罪の意識から逃れることは出来ずとも、少しずつ笑顔を取り戻し生きているのだろうか。故郷に戻り親しい者達に囲まれているはずなので心配せずともよいだろうに、どうにも気掛かりだ。
「ぐー」
ハイについても不安が付きまとう。
ムーンとサマルトは、ハイを処刑しないと信じている。しかし、脆い程優しい彼が、凄惨な現実に直面し心を痛めていないか心配だった。両親を殺害した故郷に戻るとしたら、事実であれども記憶がフラッシュバックして、また、塞ぎこんでしまわないか杞憂してしまう。
アーサー達は魔王がいない世界で、復興に全力を尽くしているのだろう。
そしてトビィ達は。
「ぐぐぐー」
考えたところで、解らない。
アサギは軽く頭を振って起き上がると、椅子にもたれたまま何気なく振り返った。先程から人の視線を感じていた気がして、それでもそんな筈はないと無視していた。
しかし。
「ぐ!」
「……ぐっ!?」
椅子が、大きく揺れた。悲鳴を上げそうになりながら辛うじて体勢を整えたアサギは、瞳に入ったリュウに蒼褪める。
銀の長髪、金色の瞳、朱色のマントを身に纏い、土足でベッドに座り込んで、にこやかに手を振っている男。幻獣星の王子である元魔王リュウ、その人。
「え、え、え、えーっ!? な、ど、どうしてっ」
「久し振りだぐー、アサギ。ここには、面白いものがたくさんあるぐー」
リュウは枕元に転がっていた丸いペンギンのぬいぐるみを引き寄せ、胸に抱き締める。触り心地が良いので大変気に入ったらしく、上機嫌で遊び始めた。何度か軽く上に投げて抱き留め、ボールで遊ぶ子供の様に無邪気に一人で笑っていた。ひとしきり遊んで満足すると、唖然としていたアサギに屈託のない笑みを浮かべる。
「これ、欲しいぐ。貰って帰るぐ」
「さ、差し上げますけど、って、ええええええええ」
アサギは、ハイトーンの悲鳴を出しながら、必死に両手を動かした。机を撫でる様に高速で動かす。指先が“あるモノ”に触れたので、慌てて引き寄せると細長い指で一気に文字を打ち込む。
それは、スマホのSNSアプリ。勇者らで作ったグループに打ち込んだ。スタンプを使用している余裕はない。
『助けて! 元魔王リュウ様が何故か私の部屋に来ています。出来れば今、みんなも来てくれると心強くて助かります』
挙動不審なアサギの行動を見ていたリュウは、物珍しそうに近づくとスマホを奪い取りしげしげと眺める。長方形で薄っぺらな、それ。当然、見慣れないものである。
「これはなんだぐ? どんな武器だぐ?」
「武器ではないです、スマホ……スマートフォンといいます。離れている相手とも、簡単に会話が出来るのですよ」
「ぐもー……?」
リュウは全く理解できないものの、これが物凄いものだとは解った。幻獣星にも、惑星クレオにも、惑星ハンニバルにも、当然ないものだ。興味津々で掲げ、瞳を輝かせる。
「おぉー、欲しいぐ。これがあれば、私もアサギと会話出来るぐ」
「い、いえ、あの、日本にいないと無理です」
「ニホン? 私の角は二本だぐー」
「そ、そうではなくて」
リュウの手にあるスマホが、振動しつつ音を出す。
「ぐ、ぐももー! 生きてるぐもっ!」
「生きてませんっ! 返してくださいっ」
それに気づき歓声を上げたリュウから無理やりスマホを奪い返したアサギは、大急ぎで耳にあてがった。
『アサギ、どういうこと!? そこに魔王リュウがいるってこと!?』
声に安堵する、トモハルだ。気づいてすぐにかけてきてくれたらしい。幾分か落ち着いたアサギは、掠れた声で大きく頷いた。
「そ、そうなの……」
『ミノル、アサギんち行くぞ! アサギ、落ち着いて待ってろよ』
「あ、ありがとう。とても心強い」
ミノルも近くにいたのだろう、声が聴こえる。
胸を撫で下ろしたアサギに、忙しなく次々と着信が入る。ユキにケンイチ、ダイキも、こちらへ向かっているとの事だった。友達って素晴らしい、と涙腺が緩む。
「リュウ様。お願いですから、少しの間大人しくここで待っていてくださいね」
アサギは寝転がってぬいぐるみと遊んでいたリュウに念を押し、部屋を出ると頭を抱える。しかし、今は項垂れている場合ではない。一階に滑り降りるように向かうと、居間でテレビを観ていた母親に声をかける。
「お、お母さん。……苺あったりする?」
「苺のアイスならあるけど……ジャムとか。フレバ―ティもあったはずよ?」
「あ、ありがとう!」
リュウを大人しくさせておく方法が、これしか思いつかなかった。
聞き終えると同時に、アサギは冷蔵庫へ全力で走る。冷凍庫を開くと、ブランドアイスの苺味が確かに入っている。手を伸ばし、ほっと一息ついた瞬間に。
「ぐぐぐー。それ、なんだぐー? 宝箱にしては大きいぐ、冷やっこい空気も流れてきたぐー」
「リュウ様、どうして出てきたのです!?」
「一人は寂しいぐ」
娘と会話している声が聴き慣れなかったので、両親がキッチンを覗き込んだの、田上家のインターホンが鳴り響いたのは、ほぼ同時だった。
悪びれた様子もなくリュウは破顔し、アイスを食べながら優雅に手を振る。
「冷たくて、うまーいぐー。上等な苺だぐー、うまうまだぐー」
お邪魔しますっ、と駆け上がってきた勇者一同は、唖然とその光景を見つめるしかなかった。飄々とした様子のリュウの隣では、アサギが青褪めて額を押さえている。
……間に合わなかった。
アサギの気持ちを察し、勇者達も撃沈した。
居間に正座し、緊張した面持ちの勇者達と、アイスを片手に上機嫌で胡坐をかいているリュウ。
アサギの両親と祖父母は、リュウを凝視した。銀髪だけでも珍しいのに、頭部の角は何なのか。
「ぐ」
おまけに“ぐ”と言葉を発している。一体、なんなのか。どう見ても不審人物でしかない。
沈黙が流れていたのだが、トモハルが意を決してたどたどしく口を開いた。
「あのですね、アサギのお父さんにお母さん、それにお爺様お婆様。不審な人物に見えますが、犯罪者ではないので警戒しないでください」
説得力皆無。
ユキが項垂れ、援護を頼みケンイチを突く。
その間もリュウは苺アイスに舌鼓をうっていた。いい気なもんだ、と勇者達は恨めしそうに視線を送る。ごまかすことなど、出来ない。捨て犬や猫を拾ってきて部屋でこっそり飼っていた、という状態ではない。
アサギは、正直に全てを話した。
六月下旬に、ここにいる全員で異世界に行ったこと、そこで勇者として戦っていたこと。
「この人は、その時の魔王様です」
祖父母は理解できずに、低く呻くと寝込んでしまった。通報はしないように懸命に説得したが、背中を丸めて部屋に戻っていく姿を見た勇者達は心の中で謝罪した。老体にはついていけない事実だろう。
父も訝ってリュウを見ていたが、母だけは軽く笑って聞き流した。
「うん。なんとなく二ヶ月間くらいアサギがいない時があったな、って思っていたし。亮君と、そんな話をした気がしたし。……魔王様は普通のお食事が出来るのかしら、泊まっていってもらいましょうか。お部屋のご用意しなくちゃね」
……なんて理解力及び順応力が高い母親!
ミノルは呆気にとられて、図々しく二個目のアイスを食べているリュウを睨みつける。遠慮しないのだろうか、鷹揚にも程がある。
しかし、泊まっていってもらうも何も、どうやって戻すのか方法が不明だ。このままでは、永久にここに住み着くことになってしまう。
アサギの母親が「折角来たのだから」と紅茶を煎れてくれた。ホットケーキも焼いてくれるそうなので、遠慮なくご馳走になることにした勇者達は、魔王をどうするべきか語り合った。
「つまり、アサギが召喚魔法を呟いたことが原因なんだね? 発動した、と……」
「それしか思いつかなくて」
居間から出ないように見張りつつ、遊んでいるリュウを尻目に作戦会議をする。アサギは、彼が来た時の状況を事細かに話した。
低く呻いて、トモハルが床に転がる。
「ってことは、俺達まだ魔法使えるのかな? やってみようか」
「危ないよ、発動して家が燃えたらどーすんの」
「攻撃呪文じゃなくてさ、回復魔法。包丁で刺して、魔法で回復してみよう」
「……誰が刺されるのさ、魔法が発動しなかったら救急車行きだよ。しかも、原因なんて言えばいいの。『魔法ごっこしていたら、失敗して血が止まらなかったんです』って言ったら、精神科勧められそうだよ」
わいわいがやがや、必死に知恵を絞る勇者達を眺めながら、リュウは差し出された苺ジャムと生クリームたっぷりのホットケーキに齧り付く。大きく口を動かし、瞳を輝かせて味わったリュウは、少し離れて自分を見ていたアサギの両親に静かに声をかけた。
「遠い異界に住まう勇者の御両親よ、感謝する。御嬢様は芯が強く正直で真面目な立派な御子です、私は救われました。彼女を育てた方々にお会いできて、光栄です」
そうして、深々と頭を垂れる。
両親は互いに顔を見合わせると、微笑したリュウに微笑みかける。つられてではなく、この目の前の人物が悪い相手ではないと悟ったからだ。容姿には目を瞑り、誠実そうなこの青年に好感を持つ。
「召喚は出来ても、リュウ様を帰す魔法なんて知らないから……どうしよう」
考えたところで、解決策は出てこない。
困惑し半泣きのアサギの肩を叩きながら、近寄って爽やかな笑みを浮かべたリュウが口を開く。
「別に私は困らないぐ、ここで生活するぐ。面白そうだぐ、楽しいぐ。苺もあるぐ、苺食べたいぐ。アサギもいるし、最善策だぐ」
「苺苺煩いな! そんな馬鹿でかい身長に銀髪、おまけに角つきだなんて、目立つだろーがっ! ここは地球の日本なんだっ。コスプレにしたって限度がある、そんな奴いねーよ!」
埒があかない。
全く問題視していないリュウを他所に、勇者達は思い思い口にする。暢気な来訪者に、苛立ちを感じていた。
ケンイチがお手上げ状態で苦笑し、皆を見渡して告げる。
「もう一度、僕達を召喚して欲しいよね」
『そのつもりだった、来て欲しい』
その瞬間、眩い光が勇者達を包み込む。
それは二ヶ月ほど前の、あの光と同じ。校庭から異界へ出向いた過去が一気に甦る。蛍光灯や、太陽、月の光ではない、別のもの。
しかし、以前とは違い、勇者達の顔は自然と笑みを浮かべていた。聴こえた声は、忘れるわけがない。神クレロのもの。
「本当に呼ばれた」
魔王を倒し、世界に平和をもたらした勇者達は再び召喚される。
この先に……何があるとも知らず。
さぁ、廻り続ける運命の歯車に飛び込もう。