不協和音

文字数 11,202文字

 目が冴えてしまったトビィは、低く呻くと数回瞬きを繰り返す。
 再度眠ろうかとも思ったが、夜風に当たるべく部屋を出て甲板へと移動した。澄んだ空に輝く星々が浮かんでいる、吸い込まれそうな夜空に切ない溜息を零す。
 海面は、星々の光を撒き散らしたように煌めいていた。今ここで、相棒の一体である水竜オフィーリアが顔を出してくれたらどんなに助かる事か。苦笑し、肩を竦める。
 静かに呼吸を整え、精神を研ぎ澄ますと瞳を閉じた。一か八か、やってみることにした。“相棒を、呼ぶ”のだ。

 ……応えろ、クレシダ、デズデモーナ、オフィーリア。

 懸命に呼び続けるが、海面は静まり返っており、何も起こらない。
 遣る瀬無い溜息を漏らしたものの、ふと、水面に直に手を入れて呼べば、水竜のオフィーリアが反応するかもしれない、と思った。早朝、物分りが良さそうな船長に海面に降りられないか問う事にする。
 相棒達は、トビィを求めて南下しているらしい、なんとしても擦れ違いは避けたい。
 身体が冷えてきた為船室へと踵を返すと、不意に昼間のミシアを思い出し眉間に皺を寄せる。不自然な形でしがみ付いていた、非常に煩わしい。表情を翳らせる、そういうえば初めて遭った例の洞窟内部から、すでに妙に熱い視線を注がれていたような気がしてきた。関わったのは、弓矢を借りた時のみ。
 トビィにとって、女から熱烈な視線を受ける事など日常茶飯事である。しかも、ミシアに対して興味が全く湧かないので、相手にもしなかった。アサギと共に居る時、ほぼ毎回視界に入ってきたので『鬱陶しい』と判断したのだが、偶然ではなかったらしい。あれは、故意だろう。
 好意を持たれていることは解ったが、正直迷惑である。美しい女は好きだが、こちらにも選ぶ権利がある。ミシアはトビィの好みではなかった。そもそも、今はアサギ以外どうでもいい。
 深い溜息を吐き、トビィは船室に戻る。しかしベッドには入らず、ワインのボトルを一本手にして再度甲板へと舞い戻った。コルクを抜き、海へとワインを降り注ぐ。ルビーの欠片のようにキラキラと光りながら、上等の赤ワインが零れ落ちた。

「ロザリンド……安らかに眠れ」

 せめてもの贐だ、花でも贈りたいがここは海上、手に入るわけがない。
 戦闘に巻き込んでしまったのは自分だ、と自責の念に囚われた。僅かとはいえ、同じ時を過ごさなければロザリンドはあの場にいなかった筈だ、と。部屋でゆったりと、ワインを呑んでいただろうに。
 が、悔いても過去は変わらない。トビィは唇を噛み締めると、ようやく眠る為に部屋に戻った。

 一方戦闘で疲弊したサマルトとダイキが深い眠りに入っている頃、アリナとクラフトは水を手にしてトビィがいる場所とは反対の甲板の上にいた。
 アリナとミシアの部屋で会話しようかとも思ったのだが、万が一ミシアが戻ってくると非常に厄介だ。他の場所が思いつかず、ならば四方を自由に見渡せ、小声で話せば他人に聞かれることもない場所を、と甲板を選択した。
 手すりに凭れればあとは正面と左右にさえ気を配ればよい、背面は海である。幾らなんでもそこに潜む“人間”はいない。

「意見は同じだと思うけど」

 口を開いたアリナにクラフトが同意し、二人して苦笑する。

「ミシア殿のことですが」

 うんざりした表情で頷いたアリナは、手にしていた水を一気に喉へと流し込んだ。

「ミシア殿の姿、戦闘中に目撃されましたか?」
「いいや。あの綺麗なねーちゃんが、海に落下するまで全く気づかなかったね」
「私もです。というのも、彼女が得意とする風の魔法に治癒の魔法、そして弓矢を……見ていません。見落としたということもございません、船員達の弓とは種類が違いますからね」

 治癒魔法が得意なクラフトである、仮に自分と同等の治癒要員が居たならば気づける。しかし、自分以外に治癒に当たっていたのは船員の男が二名ほど、それもあまり得意ではなかった為、クラフト一人で担当していたようなものだった。ミシアがあの場に居たならば、負担は分割された筈である。
 そして、風の魔法。トビィ、アリナ、クラフト、サマルト、ダイキ……この五人は使用できない。唯一、ミシアだけが詠唱可能である。
 船員にも魔法使いがいたが、誰も使用していない。戦場は雨だった、けれども風の魔法とて効果が激減するわけではないので使用は可能だった筈だ。
 最後に弓。先の戦闘を見ていた限り、ミシアは弓の技量に長けている。飛行系の魔物であるガーゴイルが今回相手だった、効果は絶大だった。しかし、ミシアの弓矢は一本も見ていない。
 仲間を疑いたくはないが、晴らそうにもミシアがその場に居た形跡が微塵もない。貴重な戦闘要員でありながら、風の魔法も、治癒の魔法も、弓矢も使用していない。
 ならば。

「ミシア殿、何処にいたのでしょう?」

 胸に鬱結した疑団が幾つも残り、辟易した様子のクラフトが重々しく呟く。

「ボクも戦闘に夢中だったから確実に、とは言い切れないけどさ。どうしたって居なかった気がするんだよね、ミシア」
「姿を確認出来たのは、ロザリンド殿が海へ落下する直前」
「そしてそこから、戦闘を何度も経験している人物なのに、貧血だか眩暈だかで倒れこんで、船員の世話になっていた。ボクは、それが非常に気に喰わないね」
「その後は治癒の魔法を詠唱し“目立って”いましたね」

 クラフトが声を一層潜めた。つまり、何が言いたいのかというと。
 二人は同時に声を発する。

「確実にあの時まで、ミシアは甲板に居なかった」

 居ないとなると、何処で何をしていたのか。戦闘を放棄してまで、ミシアがしていたこととは。

「問い質そう、不自然だ」
「えぇ、しかし慎重に。……トビィ殿にも話そうと思うのですが、流石に本日は気落ちしていたので、遠慮しました」
「そうだな、仲間は多いほうが良い。けれど、サマルトとダイキはよそう、まだ若いし。それに、万が一……ボクらの予測通りだったとすると、衝撃を受けるよ」

 アリナの言葉にクラフトは軽く吹いた、アリナとてサマルトとそう歳は変わらないはずだ。“若い”のはアリナも同じである。
 些か不機嫌そうに唇を尖らせるアリナに、慌ててクラフトが謝罪する。
 二人の顔が、真顔になる。

「まさかとは思うけど、あのねーちゃんの死に関与してないよなぁ?」

 ぽつり、とアリナが漏らした。
 流石にそれは、と苦笑いで返答が来ると思ったのだが、クラフトは押し黙ったままである。意外そうに、そして動揺を隠せずにアリナはクラフトを見た。

「何故、ロザリンド殿はトビィ殿に忠告されていたにもかかわらず、甲板へ来たのでしょうか。トビィ殿の身の上を案じ、影から見守っていた……なら解らなくもないのです。しかし、あの時トビィ殿が窮地に立たされていたわけではありません。彼女が飛び出した理由が見つからないのです」
「……それって」
「疑うのは失礼かもしれません、しかし我らが甲板へ出てから、あの場に残されたのはミシア殿にロザリンド殿、二人です。そのうち片方は……亡くなりました。それも、不可解な死です」

 アリナの喉が、鳴った。

「これは、見間違いかもしれないのですが……」

 ここまで一気に語ったクラフトだが、突如口篭る。
 眉を吊り上げたアリナは低く「続けろ」と言った。
 多少戸惑っていたが意を決し、クラフトは重い口を開く。

「ロザリンド殿に、何やら刃物が突き刺さっていた様な気がするのです。無論、錯覚かもしれません、雨で視界は遮られていましたし。しかし何やら光るものが見受けられました、それから落下も不自然だったような気が致します」
「つまり、クラフト。お前が言いたいのは」

 恐ろしく厳粛した顔で、クラフトは言い放った。

「ミシア殿がロザリンド殿を刺したのではないか、ということです」

 アリナは流石に、そこまでミシアを疑っていなかった。絶句し、瞬きする事も忘れる。しかし、普段は温和で猜疑心など持たないようなクラフトが、旅の仲間に殺人容疑をかけたとは。緊張して喉がカラカラなるような切迫した焦りを感じ、一瞬よろける。

「あくまで、私の憶測ですよ」
「まてまてまて、ロザリンドがミシアに刺されていたとして。幾らなんでも、甲板を走れないだろ? そもそも、甲板まで出てきたのだから助けを求めるだろ?」
「ええ、普通ならば」
「だろ? どう飛躍して、そんな話になったんだよ? そもそも、ミシアがロザリンドを殺して何の得が? じ、実はロザリンドがトビィを狙ってた刺客で、いち早く気づいたミシアが先手を……」
「だとするならば、その前にトビィ殿が気づきそうですけどね。トビィ殿を庇うわけでもなく飛び出してきたロザリンド殿の行動が、どうしても不可解です。そもそも、自ら海へと落下した気が致します。奇行に走る直前に会っていた人物がミシア殿……それだけですけどね。まぁ……以前からミシア殿に関しては、腑に落ちない点がございまして。異質な感じがするのです。殺害理由に関しては、私には皆目見当つきませんけれど」

 異質。
 クラフトが喉を潤すために水を口に含み、微かに瞳を閉じる。満天の星空を見上げて、息をゆっくり吐き出す。

「こう……上手く言えないのですが。何か……違和感が」

 それは、言葉を選びあぐねている様だった。
 魔力のないアリナには感じられない、クラフトの言う『ミシアの異質』。それが何か解らないが、人一倍感覚の鋭いクラフトが言うのだから、と信じたくもなる。
 しかし、今の仮説が間違いではないのなら、それは。旅の仲間として共にいた、ミシアが。

「おいおい、やめてくれよ、魔王を倒しに行く仲間だろ?」

 アリナは、乾いた笑い声を出すしかなかった。ミシアを張り込む必要がありそうだ、疑いが晴れれば、それで良いのだから。

「簡単に尋問、では済まないかもしれません。私の思い通りならば、慎重に事を進めないと。お嬢は出ないで下さいね、感情的になりすぎますから。ともかく、まずはトビィ殿です、彼に相談しましょう」
「あ、あぁ。しかしクラフト、よくトビィは無条件で信頼したね?」

 トビィとてまだ出会って間もない相手だ、ここまで重要な話をする気によくなったな、とアリナは疑問だった。信頼できるだろうが、自分のことを話したがらないトビィである。

「殺されたかもしれないロザリンド殿と親しかった人物である、それと。確かにトビィ殿は何か我らに隠している事がありそうですが、今は知る必要はないと感じました。勇者であるアサギちゃんへの情熱は、恐らく誰よりも強いものです。ならば勇者の味方である我らの味方でしょう」
「そういえばトビィにも訊きたいことがあったな、魔界育ちって言ってた」
「ええ、それは是非訊いてみましょう。味方に間違いはないと思うのですが……辛い思い出ならば関与は控えますけれどね」
「寝るか、クラフト。流石に頭の回転が鈍くなってきた、しんどい」
「そうしましょう」

 二人は妙な胸騒ぎを感じながらも、部屋へと戻る。ここは、海上だ。逃げ場が、ない。それが吉と出るか凶と出るか、検討がつかない。

「ともかく、だ。明日はミシアの足止めをして、トビィに接触しよう。どっちがやる?」
「私がミシア殿の足止めをします、お嬢はトビィ殿に説明を」
「りょーかい」

 大きな欠伸をして、二人は部屋の前で別れた。
 アリナはベッドに倒れこむと、瞬時に深い眠りへと落ちて行く。
 クラフトは唇を噛み締め、不安そうにアリナが滞在している隣の部屋の壁を見た。ミシアがもし、自分の推理通りの行動をしていたとすると。同室のアリナが最も危険である。祈るように部屋の窓から夜空を見上げ、数分、祈りを捧げる。今宵はミシアは部屋にいない、それだけが救いだった。

 翌日、先に眠っていたサマルトとダイキは、クラフトよりも早くに目が覚めた。
 目を擦りながらも身支度を整え甲板に出ると、二人して素振りを始める。
 早朝から鍛錬を始めた二人を、船員達は感心して見つめている。昨日の戦闘で、二人はちょっとした有名人だ。

「お前、結構剣の腕良いよな」
「剣道のお陰かな」

 じんわりと額に汗を浮かべながら、ダイキはそう軽く微笑んで返答する。
 ダイキは剣道を習っていた、小学生に入った頃からなのでもう六年目だ。
 勇者の中では、アサギと並んで“剣”に馴染み深い人物だ。最も、真剣は初めてだが。

「サマルトは王子なのに親しみやすい」
「悪かったな、気品がなくて」

 不貞腐れたようにとれるサマルトの言葉に、慌てて剣を振るのをやめるとダイキは弁解を始める。が、赤面してこちらを向かないサマルトに気がついた、照れているようだ。吹き出したいのを堪えて、ダイキは素振りを再開した。
 確実に、二人の仲は良くなっていく。
 太陽が上昇し日差しが痛くなった、空腹感も限界であった為、部屋へと戻る。クラフトが起きており、微笑して迎えてくれた。

「お嬢を起こしたら、皆で朝食を食べに行きましょう」

 クレオの字が読めるクラフト達が同行するので、好きなメニューが食べられる事に二人は嬉しい悲鳴を上げる。文字が読めないというのは、非常に不便だと痛感していた。
 結局いつまでも起きないアリナを叱咤し、トビィも誘って五人で食堂へと向かった。朝は簡単なものしか選べないらしいが、それでも三種類から選択可能だという。船での食料は限られてくるので簡素なものだが、それでも十分だ。皆揃って魚のフライを挟んだパン、それに珈琲を注文した。
 食欲旺盛な一同の前に船長が現れた、深く頭を下げ言い出したことは「船員の戦闘指導を頼みたい」ということだ。昨日の能力を見て決めたらしい、依頼料は当然支払うので船員を鍛えて欲しいとのこと。
 依頼料は辞退したが、毎回の食事を格安で頂けるならば有り難く請け負います、と返答した。
 講師は二人だ、トビィが剣を教える事になった。サマルトとダイキも無論、船員と共に参加する。
 アリナが体術を担当した、自身の身体こそ頼れる唯一の武器となるように。

「そうそう、ダイキ殿は、空いた時間に私も指導致しましょう。魔法も必要でしょうから」
「ひええええ、過酷……」

 クラフトから爽やかな笑顔で通達され、ダイキは恐れ戦き冗談でも笑えなかった。
 早速朝食後、手の空いた船員達から順に甲板にてトビィの指導を受ける。
 トビィは渋々指導係を買って出た、食費が浮くならばやるしかない。
 客達も船の上で暇を持て余していたが、その光景を見て時間を潰し、大勢観客が出来た。

「まずは基礎体力の向上からだ、剣は使わない。掃除ついでに甲板を磨く事往復百回、ただし立ち止まるのは却下」

 非難の声が上がるが、船長は上機嫌だ、掃除も出来て一石二鳥である。

「掃除道具の使用は許可する、感謝しろ。本来ならば雑巾でやらせるところだ」

 トビィは腕を組み、手すりにもたれて不満の声を鼻で笑った。
 当然サマルトとダイキもそこに混じっており、船員達と同じ様に非難の声を上げた。この暑い中、どうして剣を使うことなく掃除をせねばならないのか。せめて自分達二人は剣の稽古をして欲しいと、唇を尖らせる。
 しかし、トビィの意図があった。
 モップに慣れさせ、武器代わりにするつもりである。使えるものは、とことん利用する。不慣れな剣より、慣れ親しんだ掃除道具が、実戦でどれだけ役立つ事か。ダイキ達も、剣以外に使えるものがあれば、防御も出来安心だ。
 という、トビィなりの配慮だったが伝わらない。
 文句を言いたくとも昨日の実力を目にしているので、誰も反論出来ず渋々と掃除を開始する。
 その間トビィは空くので指示だけ出し、暫くすると順にサマルト、ダイキを呼びつけた。

「特別扱いだ、相手になってやる」

 掃除をしなくて良いと解り笑みを浮かべる二人だが、数分後掃除の方がましだったと気づかされた。掃除道具を両手で構え、トビィ相手に二人で飛び掛ったのだが、瞬く間に惨敗した。
 丸腰のトビィだが、軽やかに二人の剣を避け、後ろに回りこみ蹴りを食らわした。容赦ない一撃である、遠目で見ていたアリナが口笛を鳴らす。
 甲板に倒れ込む二人に、冷ややかな声が降り注いだ。

「少しは持ち堪えろ、興醒めだ。やはり民間人と同じく、掃除から始めたほうがいいか?」

 二人は仏頂面で視線を交わし、大きく頷くと一気に立ち上がって同時にトビィに掃除道具を振り下ろした。
 しかしトビィは後方へ宙返りで難なく避け、着地と共に右足で甲板を蹴り上げると、一気にもとの場所へと戻り二人の腹に拳を叩き込む。
 観客から歓声が沸きあがった、見事だ。やられた二人は、たまったものではない。

 ……全く持って、容赦ない。

 恨めしそうにサマルトが呻きつつトビィを見上げる、甲板に這い蹲る自分の姿は情けないが、圧倒的な力の差に打ちのめされた。
 その後もめげずに幾度も打ち込むが、二人がかりでもトビィには傷一つ負わせられなかった。それどころか、こちら側が相当な痛手を負った。あちらこちらに青あざが出来、時折出血もしている。

「は、半端ねぇっ!」

 己の身で改めてトビィの強さを痛感したサマルトは、愕然として余裕の笑みを零しているその男を見上げた。この角度から見るトビィは、今日何度目だろうか。甲板に無様に叩きつけられ、意識も朦朧としてきた。少しばかり秀でた、ただの色男だとばかり思っていたのだが、違った。この実力は本物だ、一瞬背筋が凍った。
 そうこうしているうちに、船員達はトビィから指示された掃除を終わらせたようだ。
 昼食後、暫し休憩を取ってから再開することにし、一旦終了となった。しかし、幾ら食事が用意されたとしても、疲労感と虚脱感で喉を通らない。胃が受け付けない、このまま飲み込んだら嘔吐してしまいそうだった。
 反対側の甲板では、アリナがこれまた基礎から教えていた。腰幅に足を開き、腕を交互に突き出すこと、二百回。一体、どちらの指導が楽なのだろう。その後は腕立て伏せ、二百回だ。

「腕から強化だよー! 男なら泣きっ面見せるなよー」

 楽しそうに自分も同じようにメニューをこなしていくアリナと、女には負けまいと必死になる船員。次は両腕を地面と垂直にし、交互に後ろへ肘を押し出すことを各二百回。

「肘打ちの練習ねー。速ければ威力も上がる、体重を肘にかけるように意識して。そのまま倒れて地面に相手を叩きつける感じでね」

 鋭いアリナの肘打ちに、船員達は感嘆する。見事だ、あんなものを胸に打ち込まれたら骨が折れそうだ、と震える。
 ちなみにこれらは、アリナの日課である。
 こうして講師となったトビィとアリナは、暇する事無く船旅を愉しめそうだった。
 午後からは食料捕獲の為、魚漁の網を海へと何度も放り込み、全員で引き上げる事も行った。桶で水を汲み上げ、塩分を抜き取り真水にする作業も行った。根気がいる作業だが、水は貴重だ。船長は、大笑いでそれらを見ていた。
 そんな中、クラフトは一人ミシアの姿を捜して船内を歩き回っていた。朝から姿を見ていない、部屋にも一度も戻っていないようである。熱の子の看病が長引いているのだろうかと思ったが、胸がざわめく為捜索を続ける。
 夕方になり、トビィ達の船員訓練が終了した頃、クラフトはようやくミシアの姿を見つけた。そ知らぬ振りして近づくと、後姿のミシアの肩を叩く。
 ゆるやかに振り向いたミシアは、不思議そうにクラフトを見て微笑する。

「あら、クラフトさん。どうされました?」
「熱の子は大丈夫ですか? 慣れない環境でやられたのかもしれませんね」
「はい、衰弱していましたが先日ジェノヴァで購入した薬草を飲ませて、熱を下げたところです」
「流石ミシア殿です。となると、知らないでしょうから本日の出来事でも。船長に頼まれてトビィ殿とお嬢が、船員達の戦闘訓練を開始したのですよ」
「まぁ」

 驚いて瞳を丸くするミシアに、クラフトは穏やかな笑みを浮かべて事細かに説明を始めた。アリナがトビィに接触出来ていれば良いが、ともかく時間稼ぎをするべきだと判断した。真剣に頷いて聞くミシアに、腹の底の疑惑を顔に出さず話す。

「ミシア殿も相当な弓手であると見受けています、どうですか、指導されては? 弓矢は飛行の魔物にかなり効果的ですし、海上ですから遭遇する確率も多いでしょう。そう、昨日のように」

 意図的に昨日の話をここで入れた、どう反応するか見たかった。しかし、にこやかに微笑んで頷くミシアは動揺することなどない。

「そうですね、申し出てみましょうか。でも、ふふっ、過信しすぎですよ。そこまでの技量は持ち合わせておりません、嗜む程度です」
「ご謙遜を。どうです、是非明日から。二人に比べてミシア殿の指導は優しそうですから、船員達も喜ぶでしょうね」
「案外、厳しいかもしれませんよ? 考えておきますね、ではこれで」
「夕食、皆で食べませんか? 用事でもあるのですか?」

 クラフトは、立ち去ろうとしたミシを控え目に誘った。
 しかし、ミシアは申し訳なさそうに首を横に振って深く腰を折る。

「一旦部屋に戻り、薬草を選んでから再度あの子の看病に戻ります。解熱作用が切れると、爆発的に体温が上がるので心配で」
「わかりました、根つめて看病されないように。ミシア殿の身体が参ってしまいますよ?」
「お気遣い、有難う御座います。では、また」
「えぇ。お大事に、とお伝え下さい」

 クラフトは歩き出したミシアの後姿を一瞥してから、甲板へと向かう。甲板では昼間とは打って変わって静まり返った空気の中、トビィ達が談話している。
 手を上げて近づくと、真っ先にアリナが気づいた。クラフトに大きく手を振って、嬉しそうに手招きしている。

「めしー! 船長さんが話があるから、特別にここで食事だぞ」
「ほほう、それは素敵な趣向ですね。あ、そうそう。ミシア殿は看病で手が離せないので、共に食事は摂れないそうです」

 ぴくり、とアリナの眉が動いた、目配せする。
 また、トビィが安堵したように息を吐いたのを、クラフトは見逃さなかった。
 やがて簡素なテーブルが運ばれてきて、そこに食事が並べられる。当然魚料理ばかりだが香草焼きに、野菜と煮込んだトマトスープ、豪快に生地に挟んで焼いたパンと、見た目も味も楽しめる。
 召し上がれ、と言われる前に手を伸ばし、サマルトとダイキは夢中で食べ始めた。遅れてやって来た船長は二人を見ると豪快に笑い、他の三人にも食事を促し、ワインを振舞う。

「本日は有難う御座います、今後も宜しくお願い致します。心ばかりですが本日はこのような場を設けさせて頂きました。お楽しみ下さい」
「お心遣い、有難う御座います、感謝致します。安全に船旅が出来るのも、船長殿並びに船員殿達のお陰です。こちらこそ宜しくお願い致します」

 厚意に感謝し、クラフトは深く頭を下げた。
 食事を初めて暫くすると、トビィが徐に口を開く。

「明日で構わないのだが、海面に降りられないか? 脱出用の小船でも下げてもらえると助かる」

 一同は、意外そうに一斉にトビィを見た。船長も首を傾げる。

「可能でございますが……、何か?」
「あぁ、少し水に触れてみたいだけだ」

 変わった事を言い出したなぁ、とサマルトは口一杯にパンを頬張りながら、奇怪な瞳で見ていた。

「わかりました、しかし海面は突如魔物が浮上してくる場合があるので、危険ですよ」
「杞憂だ、問題ない。オレは大丈夫だ」

 小船を下ろすと、餌と間違え魔物が寄って来る可能性が高いので、船長は多少渋った。しかし、引かないトビィに断念する、真っ直ぐに見つめてくる瞳は、頑固で強情だ。一般的な客ならば即却下だが、トビィの腕前は知っていたので、了承した。
 以後、食事をしながら今後の計画を練り、海路を確かめつつ解散した。
 早急にトビィに相談を持ちかけたかったアリナとクラフトは、部屋に一旦戻るとアリナだけがトビィの部屋へと出向く事にした。
 トビィの部屋へ向かう途中、ミシアらしき後姿を目撃したアリナは、顔色一つ変えず一目散に足を速める。追いたいのはやまやまだが、止めておいた。
 ミシアの姿が消えた事を確認し、トビィの部屋にノックをして入り込む。寝そべったまま面倒そうな視線を投げかけてきたトビィに近づき、普段の調子で片手を上げ、ニシシ、と笑う。
 けれども。

「お前は暇なのか」
「つれないなぁ、トビィ。クラフトの小言から逃げてるだけよ」
「小言を言われない努力をしろ」
「そんな御無体な! ねぇねぇ、そういえばさ……」

 本題に入れないまま、無難な話をして退室することになってしまった。
 本能が「今は話すな」と告げたのか、どうしても口から言葉が出なかった。部屋に戻るとベッドに寝転がり瞳を閉じる、明日こそは話そうと。

 アリナの勘は当たっていた、ミシアがドアの前で聞き耳を立てていたのだ。筒抜けではなかったろうが、ミシアにとっての問題は、密室に二人きり、という点だ。アリナの気配を感じ、ミシアも気を張り詰めていた。トビィの部屋に入ったのを見届け、歯軋りをして壁に爪を立て、憎悪と嫉妬の眼差しで睨んでいた。部屋に入った後も、悪鬼の如き形相で部屋の中の二人を想像していた。

「あのメス豚!」

 身体をわなわなと震わせて立ち尽くしていた、アリナが帰る気配がするまでその場で待っていた。張り巡らされる妙な妄想、中では他愛のない話をしているだけだというのに。
 いや。トビィと二人きりで会話する事自体が、逆鱗に触れた。
 やがてアリナが立ち去る気配を察知したミシアはそのままスッ、と廊下を流れるように歩き、一角に消える。アリナが出て行ったことを確認すると、今すぐにでも呪殺する勢いで胸元から呪具を引っ張り出したが、震える手でそれを押し戻した。
 唇を舌で嘗め上げ、恭しく熱い口付けを“ドア”にした後、急いである場所へ向かう。昨夜と同じ場所では、ポールが待っていた。
 ポールは焦点の合わない瞳でありながらもミシアを見つけると、飢えた狼のように抱きついて押し倒し、唇を塞ぐ。

「あぁ、片時も離れたくない、離したくない」
「駄目よ、まだ、駄目……」
「待てない」

 別のランプに火を灯そうと起き上がったミシアの衣服を、破る勢いで剥ぎ取っていくポールの瞳は血走っている。

「服を脱いで……全裸で愛し合いましょう? 煩わしい布など、捨てて」

 誘うようにそうミシアが告げると、ポールは大人しく自身の衣服を脱ぎ捨てていく。
 その間に、ミシアは香を焚いた。
 狭い部屋に、危険な香りが充満する。乳房を背後から揉みし抱きながら、ポールはミシアの首筋に口付けの雨を降らせていく。
 ミシアの腰には、すでに熱くそそり立ったポールのモノが触れていた。

「あらあら、せっかちな人」

 性急に抱かれながら鼻につく香りを胸いっぱいに吸い込み、ミシアは再び幻惑の中へと堕ちて行く。トビィに、抱かれている夢を見る。

「アリナというメス豚も、殺してしまいましょう」

 ぼそり、と呟いた。
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登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

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