DESTINY外伝8『夢の続きを』 後編

文字数 9,711文字

 蝋燭の小さな明かりが、頼りなさげに部屋を照らしている。
 ベッドに腰掛け瞳を閉じ思案していたサーラは、夜半過ぎに不快な物音を聞いた。
 不審に思い、迷わず廊下に出て城下街を窓から覗く。ちらほらと灯りは見えるが、特に異常はなさそうだ。気のせいかと胸を撫で下ろすものの、妙に皮膚がピリピリと緊張している。

「サーラよ」
「国王陛下、いかがされましたか」

 と、言ったものの、緊張感を走らせた。王もサーラと同じく、胸騒ぎに駆けつけたのではないか。嫌な予感はいよいよ膨らみ、王は神妙な顔つきで頷く。言葉など不要、緊急事態だと判断する。
 不審な物音を聞いたのはサーラだけではなかった、王は兵士達を早急に集め、臨戦態勢を整える。
 街の様子はなんら変わりない、しかし。
 不満そうな声を漏らしている兵らを尻目に、サーラは久方ぶりに羽根を伸ばし窓から飛び立った。王と自分の予感が外れているとは到底思えない、外れて欲しいのはやまやまだが。城の上空から周辺を見渡した、射抜くような視線で注意深く視線を送る。
 前方は海だ、崖である。しかし後方は。

「な!」

 夥しいほどの魔物の羽音が聞こえてきた。夜空に浮かぶ黒い雲は、魔物の群れ。
 急降下し、王にそれを告げる。この城を狙ってなのかはまだ解らないが、上空を通過するだけでも脅威の数だ。人々が怯え、動物らも暴れ出すだろう。
 闇夜に浮かぶ真紅の瞳は飛行型の魔物だ、しかし、何かまではもう少し接近しないと解らない。
 突然の事態に慌てふためく皆だが、王の判断の元、万が一を考えて民を城へと緊急避難させる。兵士達は馬に飛び乗り、一軒一軒ドアを叩き、城へと誘導する。皆、蒼褪めた顔で怯えながら家族で身体を寄せ合い、城へとやって来た。毛布を配り、水と食料を配布する。
 王が状況を簡単に説明すると、民は魔物が上空を過ぎることを願って、瞳を閉じた。神に祈る。
 状況を把握すべく様子を窺っていると、二十ほどの生物が確認された。
 歯軋りして瞳を細め、サーラが睨みを利かせる。

「鵺ですね、妙に数が多い」

 単体で見たことはあったのだが団体ではサーラも初見だった、ということは故意に呼ばれたものだろう。集団行動などしない魔物の為、そう結論付けた。確かに、周辺に鵺の生息地域がある。

「魔界イヴァンへ向かっているのなら良いのだが」

 とぼやくと、一時も目を離さないように夜空に神経を集中させる。
 早く去って欲しいと、誰もが願った。息を殺し、通過するのを今か今かと待つのだが、それは確実にこちらへとやってきた。見張り台からは伝令が速やかに、数分おきに王へと届いた。
 届くたびに、人間達は恐怖で顔を強張らせ、発狂しそうな緊張感に包まれる。

「お前だろう! お前が呼んだのだ!」

 突如としてサーラに兵隊長が掴みかかり、壁に殴りつける。悲鳴が上がり、兵らがそれを止めようとしたが、血走った瞳と死人の様に蒼褪めた唇の兵隊長は、サーラに暴行を加えた。
 王が一喝し、兵らが隊長とサーラを引き離す。
 サーラは殴られた頬にそっと手をやり、じんと痛む肌に肩を竦める。極限状態の恐怖で錯乱したとしても無理はないが、隊長という立場ならば皆の見本になって欲しいとも思った。
 
「何故サーラが魔物を呼ぶ必要がある? 今は力を合わせ、この危機を抜けねばならぬ。隊の乱れは敵の思う壺となる」
「鵺は手足が虎で顔が猿、尾が蛇という奇怪な魔物です。火に弱いので弓矢に火をつけ攻撃しましょう。辛うじて私が得意とする魔法は火炎ですので、先手を打ちます。仕留め損ねた場合、助太刀をお願い致します」

 殴打された腹を擦りながらサーラは立ち上がった。久し振りに身体を動かすので、些か不安だったがそうも言っていられない。「平和に、慣れ過ぎてしまいましたね。鍛錬を怠ってはいけなかった」後悔したところで遅い、今は本来の実力を発揮出来るよう祈るばかりだ。

「しかし、何故この城を? あれほどの数、何者かが操っているとしか」

 言うなりサーラは城から飛び出し、翼を広げ宙を舞いながら鵺へと突進した。腰の剣を引き抜くが、それは囮で即座に火炎の呪文を放ちながら四方を囲った。
 剣に注意をひきつけ、動きを封じるかのように鵺を炎の中に閉じ込めた。絶大な効果を発揮し、醜い声で啼き喚きながら火の中でもたついている。
 逃げ場を遮断してしまえば、的確に剣で仕留めていくだけだ。落ち着いて取り掛かれば、十分相手にでも出来そうである。火炎の魔法を突破されないよう、最新の注意を払う。
 王から剣を習っておいてよかったと、心底感謝した。魔法の鍛錬は手を抜いていたが、剣は鋭利に研ぎ澄まされており、鵺の首を楽に撥ねられる。
 その頃、ようやくアンリは寝ぼけ眼で起きて来た。妙に城内が煩いので、「何でもございません」と見え透いた嘘をつき止める女官達を張り倒す。無理やり状況を聞き出すと部屋に引っ込み、直様服を着替え弓矢を手にしてやって来た。

「姫様、どうかおやすみをっ」
「何事ですか? 私にも詳しく状況を教えてよ」

 部屋に押し戻そうとする女官に懸命に抵抗し、父である王の前に出たアンリは肩を上げて荒い呼吸を繰り返している。
 軽鎧を身につけ、すっかり戦う気でいるアンリに王は苦笑いをしつつも頭を撫でた。その勇ましい瞳に「サーラをつけてよかった」と、王は儚く微笑むと、屈んでわが子の頬に口付けをする。

「魔物が攻めてきた。今、サーラが一人で戦っておる」
「私も出ます、サーラに魔法も弓も習いました」
「まだだ、サーラならやり遂げよう。彼を信じ、待つのだ。もどかしいが、今は彼に頼ろう。あのような魔物の軍勢に立ち向かう勇気がお前にあっても、兵らにはない」
「しかし!」

 強引に肩を抑え目で訴える、暴れようとしていたアンリも借りてきた猫のように大人しくなった。王は悲しそうに微笑む、震える手が、非力な自分を恥じている様を物語っている。
 王は、集まってきた民に向かって吼えるように叫んだ。

「彼に感謝を! 魔族でありながら、この国の為に懸命に戦う彼を見よ! 種族が違えど分かり合える、彼ほどこの城を愛しているものはいないかもしれない。未だに彼を疎む者も居たようだが、間違いだ。彼は、誠実なる我らの仲間。今は祈ろう、彼が無事に戻る事を」

 王の言葉に民は窓からサーラを見上げた、そして涙して祈る。確かに最初の頃、魔族の彼を恐怖の対象とし、話しかけないように逃げていた。だが、今は違う。彼の人柄は王に言われずとも皆、知っていた。
 以前の醜い心を悔い、民は懸命にサーラの無事を願った。誰にでも優しく、気品あふれつつも、気さくな青年。その風貌から戦いは苦手だろうとも思う、けれども果敢に一人で立ち向かい、上空で交戦している魔族。
 王妃を片腕に抱きながら、王は自身の宝剣に手をかけた。
 数年前のあの日、サーラをアンリの家庭教師として傍に置こうと決めたのは。

「いつか来る、魔族からの侵略に耐え得るため」

 世界が魔族によって侵略されている話は王とて聞いていた、最悪の事態に備え、こちら側にも魔族を引き入れる必要があると王は常々思っていた。人間と魔族とでは力量に違いがありすぎる、稀に秀でた能力を持つ人間も居るが百人に一人、居るか居ないかだ。生憎この城には、そんな人間が自分しかいないと解っていた王は、サーラを見て決めたのである。
 彼の人柄、力量ならば、万が一にも耐え得ると。サーラを師とし学んだ人間達もまた、耐え得る者になるのではないか、と。先を読み、戦略の一つとしていた王だったが、正攻法ではいかない相手もいる。
 世の中には常に、汚い輩が存在する。だから世界は、何時まで経っても平穏にならない。
 そういう仕組みだ。
 悲鳴が上がる、驚いて皆がそちらを見ると、広間にゴブリンがなだれ込んできている。

「むぅ、こちらからも!?」

 兵士達が押し返そうと懸命に前線で戦っていたが、数が多すぎる。
 王も前に得るべく人ごみを押し分けて懸命にゴブリンへと向かった、当然アンリも付き添う。窓から見ればサーラはあと一息で鵺を撃破出来そうだった、今は彼が頼りである。
 民は涙を流し震えながら救世主である魔族を待つ、サーラとてその状況に先程気がついたが、鵺をこのままにしてはいけない。しかし、相手にしている暇はない。
 唇を噛み締め火炎の魔法を強化した、檻のように残る二体を閉じ込めると直様急降下して城へと向かう。ゴブリン程度なら本来人間でもどうにかなる、しかし数の多さですでに気迫負けしているし、何より指揮官が存在した。単なる烏合の衆ではない、魔族が指揮を執っている。
 宙に踏ん反り返っている髭を生やした下卑た魔族に、人間達は憎悪を抱いた。とてもサーラと同種族には思えない。あれが、噂に聞く魔族。人間達が危惧していた、魔族の象徴。
 人間達は心底怯えた、けれども、勇気を奮い立たせて睨みつけた。

「は、話が違う!」

 叫んだのは兵隊長だった、一瞬静まり返った其の場にいた人間らは、そちらを冷ややかな瞳で見つめる。
 やはりか、と苦虫を潰した様な顔で呟いた王に、魔族は口笛を吹いて豪快に笑った。

「王様、いけねぇなぁ。コイツが裏切ると解っていたのなら、先に処分すべきだろう。アンタは甘いねぇ。その甘さがこの悲劇を生んだのさ。これは人災だ、アンタのせいだ! ハハハ、滑稽だなぁ!」

 王を見下され、兵や民、そしてアンリが吼える様に叫ぶ。魔族は確かに恐ろしい、しかし、親愛なる王を愚弄されて黙ってはいられない。

「約束が違うだろう! 私はあの魔族を追い出して欲しいと頼んだのだ、城を攻撃するなど聞いていない!」
「魔族を信用してないんだろ? あんな忠実な魔族を信じずに、わしらみたいなのに依頼するなんざぁ、タワケだなぁ? うひゃぁっはは! 折角依頼を受けたんだ、暇だし叩き潰してやるよ、この城。いやぁ、楽しいねぇ、楽しいねぇ!」

 唖然してと会話を聞いていた民は、多少混乱したが兵隊長の妬みがこの事件を生んだのだと知った。魔族のサーラに懐いていく民が、気に入らなかったのだろう。手柄をとられるかのように、皆に技術を教えていくサーラが疎ましかったのだろう。
 何より国王に気に入られていたサーラが、目障りだったのだろう。

「なんということを!」

 アンリが近づいて、隊長の頬を平手打ちした。

「情けないっ!」

 其の場に崩れ落ち項垂れている隊長を尻目に、涙を零してその細腰の剣を抜くとアンリは率先してゴブリンへと向かう。

「私がお相手致します!」

 向かってきた脆弱な小娘に、魔族は目を丸くして失笑する。これは愉快な余興だと、手を叩いて喜んだ。

「勇ましい姫さんだなぁ? その隊長さんより余程かっこいいぜ」
「うるさい! 即刻、ここから立ち去りなさい!」

 ゴブリンを薙ぎ倒して突き進む様子を下卑た笑みで見ていた魔族は、ようやく地に降り立つと恭しく礼をする。

「勇猛果敢な姫さんに名乗ってやるよ、わしはオジロン。魔王アレク様直々の副隊長だ、次期ドラゴンナイト部隊長が約束されている男よ」

 聴いていた皆は、歯を鳴らして怯えた。とても勝てる相手ではない。
 しかし、アンリは怯むどころか鼻で笑って小馬鹿にした様子で反論する。

「私はアンリ。確かにとても強そうな響きですが、貴方のように卑怯な方が隊長だなんて、魔族には大した人がいないのかしら」

 恐れもせずに前に立ち塞がるアンリは挑発するように本音を吐露する、吐き棄てたその台詞にオジロンの羞恥心と憤怒が沸点に達する。見透かしてくるようなアンリの瞳に、狼狽する。
 確かに、全くの出鱈目だった。何時までたってもうだつの上がらない、しがない魔族のオジロンである。人間だからと見栄を張ったものの、即座に否定されては苛立ちも頂点に達する。怒りで震えながら腰の剣を引き抜き、「血祭りにあげてやる、糞生意気な小娘がっ」と矛先をアンリに向けた。
 禍々しい光を放つそれだが、アンリは屈しない。大の男よりも肝が据わっている、冷静にこちらを見据え、腰を引くし戦闘態勢に入っている。
 そんな気丈な態度は、オジロンの苛立ちを増幅させた。

「アンリの言う通りです、下がりなさい愚劣な者よ」

 爆発的な歓声が上がった、窓から深紅の髪を靡かせサーラがふわり、と登場する。普段の彼からは想像出来ぬ怒気の含まれた低い声と鋭い瞳に、ゴブリンらはそれにあてられ萎縮する。重低音の、平素のサーラとは違う声質。降り立った魔族は、麗しき英雄。低俗なゴブリンなど、その威圧感だけで逃げ惑う弱き存在でしかない。統率者であるオジロンが優れていたならば、ゴブリンの士気も下がらなかっただろうが。
 我先に逃げようとするゴブリンだけでなく、舞い降りてきたその姿を見て、オジロンも素っ頓狂な声を上げた。震える声、青褪める顔。明らかにサーラを知っている様子に、人間達は眉根を寄せる。

「あ、あんた!? 人間に加担している魔族って、あんたのことだったのか!?」
「おや。知っているのですか、私を」

 先程の威勢は何処へやら、まるで蛇に睨まれた蛙だ。絶望しきれぬ恐ろしさに悩み抜いてる目をしている。
 突如震え始めたオジロンに鼻で笑うと、サーラはアンリへと歩み寄る。そっと剣を下ろさせ、耳元で「こいつは私が」と微笑する。落ち着かせるように、髪を撫でる。

「サーラ・ドンナー! アレク様の従兄弟ナスタチュームの側近、“紅蓮の覇者”の異名の……あの!」
「そうも呼ばれていますね、忘れていました。それにしても、妙に詳しいですね。不愉快です」

 平然と近寄るサーラの瞳は、怒りで燃えている。普段は虫も殺せぬような笑顔を浮かべているというのに。
 聞いていた者とて、サーラが唯の魔族ではなかったことに気がついた。相当位が高いらしい、そんな素振りなど微塵も見せなかった。そうして、彼が居てくれてよかったと、心底感謝した。
 サーラがゴブリンに睨みを利かせれば、それは瞬く間に綺麗に飛散する。
 明らかに分が悪いと感じたのだろう、ゴブリンに混じりオジロンは情けなくも逃げようとした。
 しかし、許すはずもなくサーラが追う。愛する国民の前での惨殺は避けたいが、生かしておいてもロクな事がなさそうだ。

「貴方のような魔族がいるから、善良な魔族が間違えられて迫害を受ける羽目になるのですよ」

 冷酷な声で囁くと容赦なく斬りかかる、喉の奥で叫びながら必死に交わすオジロン。最早勝ち目の見えた戦いに、皆は歓喜の声を上げた。勇気づけられ、逃げ遅れたゴブリンを人間達は追い返す。
 勝利したのだ、サーラの御蔭で国は護られたのだ。
 その頃、隊長は部下である兵らに取り囲まれ、王の前に引きずり出されていた。情けなく項垂れている様子に、民も落胆だ。そして、嫉妬心とは最も醜く恐ろしいものであると心に刻む。 
 浮かれている人々の中、それでもアンリと王は妙な胸騒ぎに周囲に気を張り詰めた。このまま終わって欲しいのだが、そうも行かない気がした。窓から見た月が不気味に真っ赤でアンリは知らず内に胸を押さえる。
 瞬間、何かが弾け飛ぶ。
 悲鳴が響き渡った、城に鵺が突っ込んできたのだ。振り返ったサーラの瞳に、真っ赤に燃え盛る二体の鵺の死骸と、そして隣に立つ女の姿が映る。

「ビアンカさまぁ」

 オジロンが涙声で叫んだ、知り合いということはこちら側の敵である。舌打ちしてサーラはその女へと舞い戻ると上空から剣を振り下ろした。女の黒髪が揺れ、残忍な笑みが現れる。

「サーラ・ドンナーに会えるとは、また奇怪なこと。部下の失態、許してね」

 聞く耳持たず、サーラは斬り込む。オジロンとは全く違い、ビアンカの力量はサーラとほぼ互角のようだ、流石に額に汗が滲む。先の鵺戦で体力を消耗している、持久力が乏しいのは自覚していたが、ここまでとは思わなかった。上がった息遣いを見て、喉の奥で嗤ったビアンカは、阿鼻叫喚の人間達を見下ろし、目障りだとばかりに魔法を繰り出す。
 風の魔法だ、鋭利な空気の刃が人間達を襲い、空中に血飛沫が舞う。 
 そんな光景に、狂気に満ちた瞳で、まるで絶頂を迎えた女の様に嬌声を上げたビアンカに、サーラは嫌悪感を抱いた。溢れ出る怒りで渾身の一撃をサーラは繰り出したが、ビアンカは容易く自身の巨大な斧で受け止め、弾き返すと同時に剣を打ち砕く。
 鍛え抜かれた鋼が、朽ちた枝木の様に脆く崩れ去る様子に、サーラは唖然とする。武器を破壊されては、戦えない。

「サーラ、これを!」

 額から流血しながら王がサーラに向かって何かを投げつける、それは王の宝剣だった。唇を噛み締めそれを受け取ると、再度夢中で斬りかかる。
 王が投げた宝剣は“グラムドリング”、炎を帯びた両手剣で、この城に代々伝わってきた神器に匹敵する代物だ。
 しかし女性ながら、異様なほどの腕力。余裕の笑みで攻撃をかわし、反対に繰り出してくる。押していた筈が、押されている。
 サーラはアンリが気になっていた、始終打ち込みながら探していた。その隙を突かれた、意識をビアンカに集中していれば勝てたかもしれない。
 互角の力量である相手に、隙を見せたのなら敗北を意味する。
 ビアンカの蹴りがサーラの腹部にめり込み、追撃で巨大な斧が振られる。辛うじて刃からは避けたが、横身で殴打されて地面へ落下した。

「サーラ!」

 駆け寄ったアンリに物珍しそうにビアンカは近づいた、恐怖の色も見せずに睨み返したことに、面白くなさそうに唾を吐き捨てる。

「奇妙な人間だねぇ、恐怖に慄けばいいのに。全く可愛げのない餓鬼だ」

 サーラを抱き締めながら、アンリは剣を構えた。後方ではビアンカの出現で戦意を取り戻したゴブリンが舞い戻り、民を殺し始めている。このビアンカを倒せばこの事態が一変するとは解っている、けれども、アンリでは。
 無理だ。
 叫んで斬りかかって来たアンリを容易く避けたビアンカは、面倒そうに足で蹴飛ばす。
 倒れ込む前にアンリはばねをつかって立ち上がると、感嘆の声を洩らしたビアンカに再度斬りかかった。特訓の賜物である、歯を食いしばり懸命にアンリはビアンカに喰らいついた。負けてなるものか、と。

「へぇ、反射神経は良いね、あんた」

 ビアンカがオジロンよりも強い事は明白で、下手したらサーラよりも強いかもしれないのにアンリでは敵う訳もなく。
 真っ赤な月と、残忍に冷笑する黒髪の魔族。
 それを瞳に焼き付け、奮闘も虚しくアンリは崩れ落ちた。
 サーラと共に。

「まぁ、人間の分際で……なかなか、面白かったよ?」

 やがて、サーラが目を覚ますと、身体中を激痛が走った。だが、自分の上に覆いかぶさっている生暖かいものがアンリであると知った時に、そんな痛みをもろともせず起き上がる。
 必死で庇ったのだろう、鮮血まみれのアンリは、もはや虫の息。息があるだけでも、奇跡だった。
 治癒の魔法が使えないサーラは、己を責めた。泣き喚いてアンリを抱き締めていた時、唇が微かに動く。寝かせて何を言っているのか聞こうとした、涙がアンリの唇に零れ、湿らせた。
 早朝の冷え冷えとした空気の中で、息も絶え絶えにアンリは語る。

「前。サーラ、話してくれたよね。勇者様が存在するって。今、この世界には勇者様がまだいないみたいだよね、いたら、来てくれたものね。ねぇ、もし私が勇者になったら、みんなを助けられる? なら、私は生まれ変わって、勇者になるの。だから待ってて、必ず幸せな世界を築きましょう。サーラは魔族だから、人間よりも長く生きられるでしょう? 待ってて、また一緒に色々お勉強を……」
 
 勇者になれば、人を救える、世界を救える、何処ヘだって行ける。人間も魔族も、仲良く暮らせるに違いない、そういう世界を創る事が出来るに違いない。
 勇者とは、世界を光へと導く者の総称。
 涙を流し嗚咽しながらサーラは大きく頷いた、小さな身体で次のことを考えている少女に涙した。

「良いことをしたら、あの人は私を誉めてくれる? みんなの役に立てる? 嫌わない? 私も、仲間に入れるか、なぁ?」

 アンリはうわ言でそう告げると、満足して頷いた。穏やかな笑みを浮かべて、サーラの腕の中で見えない瞳を開く。
 滅び行く国で、次は勇者になりたい、と願った。
 勇者になるなら力が必要だ、誰にも負けない力が必要だ。
 勇者に、なれば。
 勇者に、なりさえすれば。
 もう、何も。

「力を、解放するの。勇者は、とても、強い。勇者は、死なない。いえ、死ねない」 

 疲れ果ててアンリは瞳を閉じる。サーラの声が、とても遠くから聞こえてきた。名前を呼ばれているのは判るが、もう、返事が出来ない。
 まどろみ、痛みすら解らぬ中で、アンリは誰かを見た気がした。誰かに呼ばれた気がした。

『次は死んだらダメだよ、会えないから』

 その声に弾かれたように頷いたアンリは、切ない笑みを浮かべる。

「待ってて。勇者になるから、勇者になればきっとすべて上手くいくから! 私、勇者になるの。そうしたら、貴方はきっと」

 誰かに、そう叫ぶ。

「アンリ! 起きるんだ、アンリ! 君を、ナスタチューム様の元へ連れて行く、あの方なら君を救える! 頼む、頼むから起きてくれ!」

 サーラは懸命にアンリを揺する、が、もはやアンリは戻らない。
 周辺には人間かゴブリンか、鵺かすらも解らぬような死体の山。生臭い香りが漂い、死臭に多くの獣や魔物が寄ってきて啄ばみ始めている。
 雄大な自然の中にあり、素朴ながらも満ち足りた生活をしていた愛する人々は死に絶え、国は滅亡した。
 何故、サーラだけが生きているのか。
 生存者を探したが、気が狂いそうな程に死体しかない。アンリを庇うように、国王と王妃が近くに倒れている。剣をサーラに預けた国王では、ビアンカの足元にも及ばなかった。

「アアアアアアアアアアアアアアアアアア!」

 自分を、責めた。喉が潰れる程に、悲鳴を上げた。
 自分が起こした惨劇だった、この城に来なければ、あの兵隊長とて魔族を呼び寄せなかったろう。彼の精神は蝕まれていたのだ、自分の責任だと呪う。
 そんなもの、兵隊長の心一つで未来は変わる。双璧となり国を盛り返していくことも出来ただろうに、サーラはただ、自分の行動だけを憎むことしか出来なかった。 
 もっと早くに、立ち去るべきだった。
 いや、この城に立ち寄るべきではなかった。居心地が良くて、安寧の地を求めた自分が愚かだった。
 所詮、人間と魔族は何処かで歪が産まれるのだ。本人達が意図せずとも。

「アンリ、アンリッ!」

 自分を慕っていた老婆の死体が、転がっている。刺繍が大好きでいつも、習いに来てくれていた婦人だ。隣はその孫、花をよく摘んではサーラの髪に挿してくれていた。向こうは、自分の弟子を志願していた若い料理人。いつかは都会で料理長を任されたいと、夢を語ってくれた。
 皆、サーラを護るように、すがるように集まっていた。

「あぁ、ああーっ!」

 アンリは、そんなサーラを慰めるようにいつまでも手を握ったまま。

……命を、絶たないで。絶望しないで、サーラ、貴方は皆を護ったの。だから、皆は感謝し護ったの。貴方は生きて、生きて。

「無理だ! 私は、もう、何もっ」

 紅蓮の覇者、サーラ・ドンナー。
 彼の叫びは、周囲に響き渡る。何日も何日も、その場にサーラは佇んだ。泣き喚いた。
 やがて、彼の親友が通りかり救出するまで何も口にせずに。叱咤され、殴打されてサーラは気付いた。それでも死ななかった自分を呪い、死体の皆をせめて弔わねばならないと。

「勇者を、待つんだ」

 時間はかかったが、事の成り行きを聞いた親友であるオークスは励ます様にそう囁く。何かに縋りたくて虚ろに頷くサーラは、国王から授かった宝剣を手に、アンリの首飾りを自分の守りとし。
 絶望に打ちひしがれながらも、賭けに出たのだ。


 アンリを待つ、勇者を待つ。

 そして、勇者はやって来た。
 勇者の名は、アサギ。

※挿絵は頂き物です(*´▽`*) アンリ。※サーラが所持しているペンダントの中身。
 
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登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

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