“勇者”
文字数 3,228文字
ムーンは平然としていた。彼女の強さは知っているが、無事を確認し胸を撫で下ろす。
「よしっ」
追手が下っ端の魔物でよかった、今になって足に震えが来る。
危機は去ったと確信すると、身体が宙に浮いてしまうような興奮が身体中を支配した。サマルトは近くに立っていた浅葱を見て、にこりと微笑む。
戸惑いながらも会釈をした浅葱は、交互に二人を見やった。心臓が踊り狂いそうなほど、興奮している。
「勇者様ですよね!」
有無を言わさず浅葱の手を取り握り締めたサマルトは、力強く振り回す。
「え、えぇ……っと」
「お会いできてよかった、オレはサマルト。惑星ハンニバルから来ました」
勇者と言われて頬が紅潮するのを感じたが、本当にそうだろうか。苦笑した浅葱は、一先ず頭を下げて名乗る。
「初めまして、私は浅葱といいます。よろしくお願いします! ただ、その。勇者かどうか自信がないです」
明るい声だったが、後半は少し萎んでいた。困惑気味に首を傾げ、口籠る。
「おふぅ」
妙な声が出たサマルトは、慌てて自身の口を塞いだ。予期せぬ上目遣いに、胸を締め付けられるような愛おしさを感じた。
「いえ、貴女は勇者です」
サマルトの声が、無様なほどに裏返る。
間近で見て、浅葱の美しさに驚嘆した。一気に心を奪われ、穴が開くほどに凝視する。
想像していた屈強な勇者とは違うが、サマルトは確信していた。
突然戦闘に参加してきた時は、正直余計なことをと思った。足手纏いそのものだと。しかし、臆することなく敵と対峙し、見事な攻撃を繰り出した浅葱に心酔した。
「“碧き勇者の石”が反応したので、間違いないです」
「勇者の石、ですか」
浅葱は、先程サマルトによってはめられた銀細工の腕輪を見つめた。中央に、宝石のように輝く石が埋め込まれている。
「勇者にのみ反応するとされている、伝承の石です」
浅葱に近づいたサマルトは、甘い香りに満ちた花畑の中にいるようで眩暈がした。不思議な香りが漂っており、意識が飛びそうになる。こちらの劣情を煽ってくる、恐ろしい艶があった。
不安そうにこちらを見つめている浅葱に、喉を鳴らす。
「勇者アサギ様……そう御呼びしても?」
ドギマギする心をひた隠し、サマルトは冷静を装って告げる。
「はい。アサギで構いません」
眩いばかりの笑顔に、サマルトの脈が乱れる。照れ笑いを浮かべ、もじもじと身体を揺らした。
「勇者は、男性だと思っていたので……正直、驚いています」
「女でごめんなさい、でも、頑張ります!」
「大丈夫です、アサギは可愛くて強い。まごうことなき勇者です!」
勇者は“可愛くて強い”ものなのだろうか。アサギは微妙な笑みを浮かべ、ふにゃふにゃしているサマルトを見つめた。
「先程のネズミ? は魔物ですよね」
「そうです、雑魚の魔物です! いやぁ、見事でした。美しい蹴りに見惚れましたよ。華奢なのに、的確に相手の急所を狙う。素晴らしい体術でした!」
思い出しながら、サマルトは延々とアサギを褒め称えた。
流石に大げさではと思ったアサギは苦笑して聞いていたが、ようやく戦闘に混ざった実感が湧いた。
そういえば、あの時無意識のうちに弓を引こうとした気がして眉を顰める。弓道を習った記憶はないので、扱い方を知らない。だが、身体が憶えている。
「
何気なく呟き、アサギはじっと自分の手を見た。
急に足が震え始めた。遅れて恐怖心を煽られたからではない、これから起こるであろう出来事への武者震いだ。
ついに、願いが叶う。不意に訪れた異世界からの訪問者は、まだ目の前にいる。
これは現実だ。
「勇者に、なれた。……次は」
弾んだ声で呟き、アサギは口角を上げた。
「お会いできて光栄にございます。共に戦ってくださいますね、勇者アサギ」
おっとりとした口調で、柔らかな物腰のムーンが歩み寄る。
「私の名は、ムーンと申します。サマルトとは幼馴染です」
真正面に立ったムーンは、優雅に礼儀正しく頭を下げた。
慌ててアサギも深く礼をする。粗相があってはいけないと神を前にしたように腰を折り、敬意を示そうとした。照り輝いているように美しいムーンに、頬がむず痒い。隠し切れない気品に気後れする。
「ところで勇者さま、ここは何処でしょうか」
ムーンの問いに、アサギは戸惑って開口する。
「ええっと。地球にある日本という島国ですが……ご存知ですか?」
案の定、ムーンとサマルトは不思議そうに瞳を瞬きしている。
「やはりここは、私たちがいた惑星ハンニバルではないのですね」
「惑星ハンニバル?」
今度は、アサギが幾度も瞬きを繰り返す。初耳の天体だ。
「つまり、宇宙人?」
アサギは低く呻き、固唾を飲んで二人を見つめる。
ムーンは、嫌悪感を露わにして唇を濡らした。
「数年前のことです。突如として“魔王”を名乗る者が出現し、魔物を率いて戦争を始めました。魔王の名は、ハイ・ラゥ・シュリップ。彼の残虐な愚行により、世界の基盤である五大国は敗北致しました。私とサマルトの国は最後まで抗いましたが、無力でした」
淡々と告げていたムーンの傍らで、唇を噛み締め聞いていたサマルトが重々しく口を開く。
「各国には、俺たちの幼馴染がいた。彼らと手を合わせて戦う予定だったけど、助けられなかった」
声を震わせて告げるサマルトに、アサギの胸が痛む。
「惑星ハンニバルの魔王、ハイ・ラゥ・シュリップ」
彼を倒すことが勇者の使命なのだろうか。アサギは拳を硬く握り締め、名を復唱する。
「『世界が混沌の危機に陥った時、伝説の勇者が石に選ばれ世界に光をもたらす』……そういった伝承があったのです。信じて良かった、こうして勇者に会えたのだから!」
「大勢の命が失われましたが、魔王を倒せば報われると信じています。勇者アサギ。どうか、共に魔王ハイを倒し、世界に平和を」
真剣な眼差しで見つめられ、アサギは神妙に頷いた。なんとなく理解したので、意気込んで二人の手を握り締める。
「私、頑張ります! 戦うのはさっきが初めてで、魔法も使えないし、武器も持ったことがないけれど、やってみせます!」
「……んん?」
それは、偽り無き真実の言葉だった。アサギは、嘘を吐く事が苦手だ。
その言葉に、二人は脳を殴られたような眩暈を覚えた。まさか、勇者が戦闘未経験者であろうとは。
しかし、先程の戦闘を見た限り素質は十分ある。あれで素人ならば、今後が愉しみだと半ば強引に納得した。
そもそも、石が導いたのだから間違いはない筈だと。
三人はその場で笑みを零した。若干、サマルトとムーンの笑顔が引き攣っていたようにも見えるが。
何はともあれ、勇者が見つかった安堵に肩の荷を下ろす。素質があり、受け答えがはっきりしている目の前の小さな勇者を、多少不安げに見つめる。
「では、手伝います。アサギが成長するまで、全身全霊をかけて護ります。貴女とならば、何でも出来る気がしてきました!」
サマルトとムーンは、散っていった魂に黙祷を捧げた。勇者に会う為に払った尊い犠牲を無駄にしないように、ここに誓う。
「必ず、魔王ハイを倒します」
同刻。
惑星クレオの神聖城クリストヴァルに集結した者たちがいた。
全く共通点が見つからない、異色の六人が焦燥感に駆られている。彼らの唯一の共通点は、“勇者を探すこと”。
水晶玉に映っているアサギとサマルトを見つめ、一人が神官に叫んだ。
「急いでくださいっ!
そう叫んだ女の手中には、翠色に鈍く光る石が填まった腕輪が二つあった。
言うなり、六人の姿が掻き消える。
同刻。
惑星チュザーレのボルジア城内。紅石を手にしている頭の回転の速そうな男が一人、魔法陣の中に立っていた。
「急ぎませんと」
それだけ呟くと、瞬間的に姿が掻き消えた。