外伝6『雪の光』4:闇市

文字数 6,306文字

 届いた書状をつまらなそうに見つめ、男は暖炉に投げ捨てようとした。
 しかし、気が変わって封を開き、目を通す。

「…………」



 紫銀の髪が、さらりと揺れた。

 手を差し伸べられ、窮屈な馬車から降りたアロスを待っていたのは、上品な佇まいの女性達だった。

「お疲れでしょう。さぁ、こちらへ」

 皆、笑顔を浮かべてアロスに一礼する。それは、作り物の義務的な笑顔だった。
 違和感を感じたアロスは、直ぐにその表情に疑問を持った。屋敷の皆と交わした笑顔とは、決定的に違う。だが、とりあえず自分も同じ様に頭を下げた。傍らにやってきた男が、しゃがみこんで視線を合わせてきた。視線を合せ、語り出す。

「アロス様、初めまして。船旅の最中、及び目的地まで世話係としてお仕えさせて頂く女達になります。皆貴族の娘()()()ので、作法は心得ておりますよ」

 アロスが彼女らを見つめると、優美に微笑んでいた。自分よりも幾分か年上の女性達だ。

「……?」

 過去形だったので、アロスは首を傾げた。では、今は。
 戸惑うアロスは誘われ、暖かな一等級の船室へ案内された。狼狽しながら脚を踏み入れると、瞳を丸くして釘付けになる。破顔して、一目散にそこへ駆け寄った。
 ソファの上に一つ、大きなクマのぬいぐるみが置いてあった。しげしげとそれを見つめ、恐る恐る両手で持ち上げる。驚きを隠せず、力いっぱい抱きしめる。アロスの背丈の半分程度のそのぬいぐるみの重さを知っているが、全く同じだった。

「アロス様の為に用意されたものだそうですよ、とても可愛らしいですね」

 愕然とした。
 屋敷にいた時は寝る時も一緒だった、父からの贈り物のクマである。これは新品なので、自分の物ではない。顔も若干違うが、手作りなので同じであるはずがない。しかし、作り手は同じ筈。そのクマのぬいぐるみには、服に札が縫い付けてある。
 アロスはそれを指先で摘み、見つめた。クマのぬいぐるみのみを販売している、老舗の札で間違いない。これ以外にも、大小さまざまな大きさのものを持っているのでよく知っている。
 偶然か、必然か。
 アロスは嬉しいながらも恐ろしく、蒼褪めて震えながら力一杯ぬいぐるみを抱き締めた。
 父と訪れたラングの屋敷で誘拐されてから、浅い眠りを繰り返してきた。目の前で親しき人が殺害され、生温かい血の咽返る臭いに眩暈がした。それから、低くしわがれた男達の下卑た笑い声を、聞き続けてきた。
 だが、何故か酷く恐れる事はなかった。そこに、オルトールという男がいたからだ。名前は知らないが、彼は信頼出来る人物だとアロスは悟っていた。それこそ、紳士的な男であると。何があっても、彼は護ってくれると。律儀な人だと、直感していた。
 アロスは、無事に一つの旅を終えた。だが、護ってくれていたオルトールは去ってしまった。
 次は、どうなるのだろう。

「アロス様、ほら、絵本ですよ」
「こちらはどうですか? 街で人気の香ですわ、ほら、なんて素敵な花の香り!」

 船内では、貴族だった女性達がこぞってアロスに群がった。
 甘い菓子に引き寄せられる蟻の如く、おこぼれを期待し作った笑顔を浮かべ、気を惹こうと皆躍起になっている。

「アロス様。到着しても私達が気に入ったのならば、一緒にお連れ下さいね」

 そんなことを口々に囁かれたアロスは、ぬいぐるみを抱き締めながら困惑する。大きく息を吸い込み、一旦止めてゆっくりと吐き出す。一人にして欲しい時間もあったが、それが許されない。馬車の旅よりも、窮屈に感じてしまった。
 何日かして、アロスはようやく他人に目を走らせる余裕が出来た。クマのぬいぐるみを傍らに、今日も自分に取り繕う女性達の瞳を真正面から見つめた。

 ……泣いてる?

 女性達はにこやかに、麗しい笑顔を振りまいている。化粧は厚めで、よく見れば全く似合っていない。衣服も一見高級な布地に見えて、薄汚れたものばかりだった。
 この女達、確かに貴族だったが両親を流行り病で失ったり、農民達の反乱で潰されたりした、身分ありながらも奴隷に落ちた女達だった。売り飛ばされ、泣く泣く身体を売って媚びて、どうにか命だけは繋いできた。今回、以前は華やかな暮らしをしていたのだから話も合うだろうと、アロスの為に集められた者達だった。
 正真正銘現在も貴族の娘であるアロスと親しくなっておけば、恩を売っておけば。地獄のような生活から抜け出し、以前のような裕福な生活は出来なくとも、女官でよい、せめて煌びやかな屋敷で働く事が出来るのではないかと。そんな期待をしている。
 女達は、アロスが闇市で競売にかけられることを知らなかった。『高名な貴族の娘の世話係募集』としか聞かされていなかったので、豪遊に付き添う遊び相手を苦労を知らぬ小娘が切望したのだと思い込んでいた。

「本当にアロス様は愛らしいですねぇ。ずっと、愛でていたいわぁっ!」

 皆、とにかくごまをする。もう、身体中から異臭のする男達の相手などしたくない。寒い薄布を纏い、夜の街で客引きをするのもうんざりだ。屋敷で働いていた庭師から、笑いながら指名された挙句屈辱的な扱いを受ける日々など要らない。
 少しでも、以前の生活へ。なんとか、暖かな寝床と最低限の食事にありつけるように。
 両親さえ事故で亡くさなければ、こんなことにはならなかったのに。
 税を上げて金をせしめなければ、農民達の怒りを買うこともなかったのに。
 過去を後悔しながら、目の前にいる美しいアロスを羨望の眼差しで見つめる。

 ……あぁ、この子になれなくとも、傍で甘い汁を吸いたい。

 アロスは、自分に媚びてくる女達に哀しそうに瞳を伏せた。心の叫びが聴こえた気がして、辛くなった。彼女達は泣いていた、泣いて哀しんでいることが解ってしまったので自分に出来ることをしようと誓った。
 以前の生活など知らないが、共に居て、遊ぶ事なら出来た。相槌ならうつことができた、話しを聞き続けることも苦ではなかった。
 女達は、柔らかな笑みで自分達を見つめて来るアロスに、いつしか本音を話し始めた。喋ることが出来ないので答えは返ってこないが、頭をふわりと撫で、抱き締めてくれるので縋って幾度も涙した。
 知らず女達を救ったその一方で、何故自分が攫われたのか、誰が攫ったのかをアロスは考えていた。そして、これからどうなるのかを。この先に何が待っているのか解らないが、時折、胸が震えた。行かなければならないと、何処かで声がする。
 だから、不思議と怖くはなかった。

 どのくらいの時間が経ったのだろう、アロスはずっとその船の一室で過ごした。部屋の外に出ることは許されなかったが、部屋には色々なものが用意されていたので飽きる事はなかった。
 幾度も同じ絵本を読み、女達と菓子を食べ、眠くなったら横になる。女達が大きな欠伸をしながら丸くなり眠ると、決まってアロスは彼女達の頭を撫でた。そうすると、女達は涙を流してドレスに縋りついた。
 頭を撫でながら、アロスは絵本を開く。何度も読み直しているので、ほぼ暗記してしまったが飽きない。

『全ては大地に還りたもう 
 悠久なる水の流れを受け止めて
 荘厳なる風の音色を響かせて
 永久なる光の波を浴びながら
 情熱の火で命を呼び起こす

 耳を澄まして大地に寄り添う
「ここにいるよ」と声をかければ
 応えるは大地の産声

 手折られ傷つき倒れても
 芽吹く命は耐えることなく
 大地の真下で懸命に耐え
 凍土 嵐風 刺光 爆熱
 何が来ても只管耐え忍ぶ

 瞳を閉じて大地に寄り添う
「ここにいるよ」と声をかければ
 応えるは大地の咆哮

 全ては大地に還りたもう
「私はここにいます」と声をかけた
 出ておいで 怖がらずに出ておいで
 最初で最後の楽園を

 応えるは大地の叫び』

 意味は解らなかったが、妙に言葉が馴染んだので記憶した。

「ぅ、あ……」

 声に出そうと無駄な努力をしてみたが、どうしても皆のような綺麗な声が出て来ない。

「ぁ、うぅ……」

 アロスは本を胸に抱き、女らと共に眠りに就いた。

 十日ほどかけて、船が港に到着した。
 新しい土地の香りを体感する余裕はなく、慌しく馬車に乗せられ何処かへ運ばれた。
 港町から、馬車で約二日。ここは、商業が盛んな街カルヴェー。
 馬車の小窓からこっそり外を覗けば、まるで祭りの様に人々が行き交っていた。非常に華やかな街で、活気に満ち溢れている。アロスはその雰囲気に飲まれ、楽しくなっていた。
 暫くして、大きく馬車が揺れて停車した。
 男が数人馬車に乗り込んできたかと思えば、担がれてそのまま室内に運ばれた。もがくが、逃げる事など出来ない。見上げれば、立派な屋敷がそびえている。唖然とする、華美な装飾のその建物をアロスは知らない。
 ここは、上流階級が宿泊する高級宿。
 過度な豪華さを前面に押し出している為、質素堅実な生活をしてきたアロスには目が痛い。

「さぁ、こちらへ」

 狼狽しながらも、アロスは建物へ入った。船と同じく上等な一室へ案内され、茶菓子を勧められる。その日は何事もなく終った、豪華な布団に包まって眠った。
 しかし、どうにも心がざわめく。
 床で眠っている女達を起こさぬ様窓辺へ移動し、月を見上げる。

「……ぅあ」

 一体、ここは何処なのか。父と船に乗った記憶はないので、初めて来る土地だろう。家庭教師から教えられた地図を脳内に広げるが、情報が少なすぎる。せめて、草花を見る事が出来れば。土地特有の植物らを見つけられたら、位置を把握出来る。

 翌日、陽が傾くと一気に騒がしくなった。
 アロスは衣服を脱がされ、身体を洗われた。芳醇な香りが漂う石鹸で丁寧に洗われ、羽根の様に軽くて柔らかい布で身体を拭かれ、仕上げに花の香を足首、首筋、手首に少量つけられた。衣服はレースをふんだんにあしらった純白のドレスで、その美しさに溜息を吐く。
 これではまるで花嫁衣裳だと、女達は訝った。
 ようやく落ち着いて出された茶を飲んでいたアロスと女達だが、突如入ってきた男達に悲鳴を上げた。
 彼らは皆、奇抜な仮面をしていた。面の中で、不気味に光る目がギョロギョロと動く。
 女達は蒼褪め、身を寄せ合う。
 アロスは、連れ去られた時を思い出した。漆黒の衣装に包んだ、得体の知れない男達。また何処かへ連れていかれるのかと怯え、逃げられる場所はないか探す。
 ここは、あの時の馬車ではない。
 そんな様子を鼻で笑い、逃げ惑うアロスを無言で持ち上げた男は部屋から連れ出した。
 主人であるアロスが連れていかれたので、慌てて女達は怯えつつも部屋を飛び出す。
 美しい廊下の壁には名画かかけられ、品良く花も生けられている。しかし、異界へ続く扉に向かっているようで、アロスの心臓は跳ね上がった。眩暈がして、全身が小刻みに震える。怖いのか、極度の興奮状態にあるのか、奇妙な感覚に身体中を支配されていた。
 やがて、どこからか人々の喧騒が聞こえてきた。盛り上がっているようだ、笑い声は甲高く、踊り狂っているようにも思えた。異様な熱気すら漂っている気がする。
 それらが聞こえてくる質素で何もない部屋に置き去りにされたアロスと女達は、目を合わせてじっとしていた。舞踏会とは思えぬ、この喧しさ。不安になって、皆は身を寄せる。
 こんな話、誰も聞いていない。女達は、来てはいけなかったのではないかと脚先から震え出した。

 アロス達の居る部屋の直ぐ隣は、大広間。数日前から頻繁に人が出入りしている。そして、高級な食材や酒が振る舞われ、仮面を被った者達が飲み食いを交わしていた。
 大きな舞台に注目しながら、ワインを啜る男。並べられる料理を片っ端から食べ続けている男。
派手な扇を仰ぎ、踏ん反り返っている女。部屋の隅で、乱交を始めた男女。それを食い入るように見つめる者達。
 この部屋には、仮面をつけないと入室出来ない。誰かわからないので、開放感がある。全裸になって歩き回っても、酒を浴びるように呑んでも、痴態を見られてもお構いなしだった。背格好と、髪の色や声色で、大体誰かは見当はつく。しかし、詮索するのはヤボである。それがこの場に居る者達の、暗黙の了解だった。誰であろうが関係ない、本能の赴くままに行動する。その為に、参加している。
 しかし、御愉しみはこれだけではなかった。

「では、商品番号三十七番! 遠く海を渡った黄金の土地に住まう種族の秘法・黄金塊の落札者様はこちらの方に決まりました~!」

 拍手喝采、口笛を吹く者もいる。
 舞台では、孔雀の羽をふんだんにあしらった仮面女が満足して立っている。傍らに、重そうな黄金の塊を携えている。今し方、この女が大金で競り落とした。ふくよかな肉体と見事な金髪から、皆は“某国の女王”だと気付いていたが、そ知らぬふりをする。
 ふんぞり返って、その女は悠々と部屋を去った。
 それを、興味なさそうに欠伸をして一瞥した男がいた。真紅の仮面には、金に染めた鳥の羽を一本つけている。この部屋にいる者達の中では、若い男だ。周囲の醜態など気にせず、ワインとマスカットを愉しんでいる。

「今回も特に目新しいものはないな、つまらん」
「ですが、そろそろ出るはずですよ? 今回の目玉が」
「目玉?」

 部屋の片隅でワインを呑んでいたその男は、自分の独り言に反応され聞き返した。
 年にニ回開催される、闇市競売。
 かなり古くから開催されており、退屈な貴族や王族の遊び場になっていた。売られている物は、珍しい金品から、動物、それに美しい人間。競り落としたら、どう扱っても構わない。
 ここで売買しているものは、商品。
 誰しもが入れるわけではなく、招待状が届いた者のみ。開催日には、目が飛び出るほどの金額が動く。会費は高額だが、参加目的は人それぞれ。ただこの場に居座って何も購入せずに去るもの達も少なくはない。この場の狂気的な雰囲気を味わいたいだけ、そんな滑稽で愉快な彼らを観察していたいだけ、という理由で訪れている者達もいる。しかし、一番の醍醐味は、この場で羽目を外すことが出来ることだろう。仮面で普段の自分を隠し、鬱憤を晴らす。
 
「えぇ、噂ですが、海の向こうでは有名な貴族の娘が出るそうです」
「へぇ?」

 含み笑いをして自慢げに語る男とは反対に、真紅の仮面を身に着けた男は、気の抜けた返事をした。大したことはないだろう、だからどうしたとばかりに肩を竦める。
 しかし、男は気を悪くするそぶりも見せずに語り続ける。その声は興奮し、上ずっていた。

「それが、類稀なる美少女だそうで。彼女を競り落とせば、それこそ今晩はお楽しみが」
「お盛んなことで」

 真紅の仮面の男は、吹き出したいのを堪えた。女など、掃いて捨てるほどいる。わざわざ、大金を積んで買うものではない。隣の男を憐れみながら、床に唾を吐きワインを飲み干した。

「皆様方、今回の競売最終商品に御座います! さぁさ御覧あれ、世にも美しい至高の人形姫。それはまるで、妖精の映し鏡! 大きな深い緑の瞳に貴方を映してみませんか? 若葉を連想させる柔らかで艶やかな髪に、指を通してみませんか? まだ男を知らぬ正真正銘の生娘、清らかな乙女をその手で穢してみませんかー!」

 水を打ったように、静まり返った。

「商品番号・三十八番。生きるお人形アロスちゃんです! ……あ、お一つご忠告をば。声が出ません、生きてはいますが」

***
 上野伊織様から頂いたイラストを挿入しています。
 次話で彼の名前が判明する為、今回は記載なしとさせていただきました。
★著作権は私ではなく上野伊織様にございます。
★無断転載・保存・加工等一切禁止致します。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

アサギ(田上 浅葱) 登場時:11歳(小学6年生)

 DESTINYの主人公を務めている、謎多き人物。

 才色兼備かつ人望の厚い、非の打ち所がない美少女。

 勇者に憧れており、異世界へ勇者として旅立つところから、この物語は始まった。


 正体は●●の●●●。

ユキ(松長 友紀) 登場時:11歳(小学6年生)

 アサギの親友。

 大人しくか弱い美少女だが、何故かアサギと一緒に勇者として異世界へ旅立つ羽目になった。

 トモハルに好意を抱いている。

ミノル(門脇 実) 登場時:12歳(小学6年生)

 アサギのことを嫌いだ、と豪語している少年。

 アサギ達と同じく、勇者として異界へ旅立つ羽目になったが、理不尽さに訝しんでいる。

 トモハルとは家が隣り同士の幼馴染にして悪友。

 多方面で問題児。

トモハル(松下 朋玄) 登場時:11歳(小学6年生)

 容姿端麗、成績優秀であり、アサギと対をなすともてはやされている少年。

 同じく異界へ勇者として旅立つ。

 みんなのまとめ役だが、少々態度が高慢ちきでもあったりする。

 なんだかんだでミノルと親しい幼馴染。

ダイキ(中川 大樹) 登場時:11歳(小学6年生)

 剣道が得意な、寡黙な少年。

 人づきあいが苦手なわけではないが、自分から輪の中に入っていくことに遠慮がち。

 同じく、異世界へ勇者として旅立つことになる。

 やたらと長身で目立つことがコンプレックス。

ケンイチ(大石 健一) 登場時:11歳(小学6年生)

 ミノルと親しい可愛らしい少年だが、怒らせると一番怖い。

 同じく異世界へ勇者として旅立つことになった。

 従順だが、意に反することには静かに反論する。

リョウ(三河 亮) 登場時:11歳(小学6年生)

 作品のメインである一人。アサギは「みーちゃん」と呼んでいた。

 アサギと親しく、出会ってからは常に一緒だったが、勇者に選定されず、地球に取り残されてしまった。

 常にアサギの身を案じ、地球で不思議な能力を発揮している。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み