買い物中の、来訪者
文字数 6,831文字
慌ただしい街中をぼんやりと歩いていたマダーニだが、不意に妙な視線を感じて唇を噛んだ。二人の勇者に悟られないように、注意深くもさり気無く、周囲を見回す。先程から幾多の視線は感じていた。何しろ人目を引く美女と美少女なのだから、女達からは軽い嫉妬と羨望の眼差し、男達からは邪な視線と興味の眼差しを受けていた。
他人の視線は刺激的で、マダーニは好きだった。何故ならば自分がどう見られているのかを知り、今後に役立てるからである。下心のある男からの絡みつくような視線は鬱陶しいが、それも自分が魅力的だからであり。度が過ぎた輩には、得意の魔法と小剣捌きでその男を懲らしめた。
マダーニは自分が好きだ。他人に媚びず、自身の意見を尊重し、いつでも自由奔放な自分が。ただ、母親殺しの件だけは許す事が出来ない。例え生活が豹変する事になろうとも、マダーニは敵を討つと心に決めた。相手が誰なのか、今はまだ全く分からないが徐々に判明していくだろう。怯む事はない、突き進むだけだ。
母の死を思い出して唇を噛み締めたマダーニだが、我に返る。
何者かに、尾行されている。
……誰? 何処のどいつだ?
獣のような警戒心ながらも、冷静に対処する。
アサギとユキは一つの店先に留まり、二人して楽しそうに洋服選びをしているままだ。安堵し、微かに笑みを浮かべたマダーニ。力を抜いたその瞬間に、突如フードを深く被った者が目の前に現れた。
突然すぎて声が出ない、小剣へと手を伸ばす事も、攻撃態勢をとることも無論不可能だった。
その者は、山の息吹が伝わってきそうな程に清々しい声を出した。
「貴女と共にいるあの少女、何者ですか」
相手は、男だ。
「……あんたね、さっきから妙な視線投げかけていたのは。あんたこそ、何者?」
ここは人が行きかう通りだ、まさかいきなり斬りつけられることはないだろうと判断する。少しの間身動きがとれなかったが、強がって額に汗を浮かべながらもマダーニは言葉を吐き棄てる。
優しそうな声色だが、威圧感で足が震えた。マダーニは、不本意ながらも喉を鳴らす。
「そうですね、彼女を見ていました。気になったのです、私達が捜しているお方かと思ったので」
気配からして、凡人ではない。敵なのか、味方なのか、それすらも分からない。けれども“勇者”を探していたのならば、同胞である可能性が高い。しかし、顔を隠している時点で信用ならないと判断し、マダーニは背の後ろで魔法の詠唱をする為に手で印を結ぶ。
「それは無駄でしょう。このように人気がある場所では、貴女は魔法など使えないと思います。被害を考慮してしまう」
図星だ。諭すように言われたその台詞に、頭に血が上る。マダーニは、瞳に火を灯して睨み付ける。万が一の為の魔法詠唱だが極力使用は避けたい、だが、勇者を護る為ならば多少の犠牲も。そう思うも、命は、例え勇者であろうとも一般人であろうとも同等ではないかと悩んだ。
命の重さは等しく、代えの命など存在しないのではないか、と。
「被害を出さずに貴方を撃退する予定なのよ。下手な動きをするのなら、ね」
「ご心配には及びません、私はオークスと申します。貴女を傷つける気など全く御座いませんよ」
名乗った男オークスに、マダーニは拍子抜けした。俄然構えは解かないが、礼儀としてこちらも名乗る。
「私はマダーニ。あの子達と旅をしているの」
二人の間に、沈黙が流れる。
オークスは口を開きかけたが、躊躇していた。
マダーニはじんわりと額に浮かび上がる汗を拭うことなく、困惑しているオークスを睨みつけたままでいる。
「そう、敵意をむき出しにせずとも、危害は加えません、ご安心ください。……あの子、やはり勇者ですか。惑星クレオの勇者と、惑星ネロの勇者、ですね?」
当たっている。だがマダーニは首を縦に振らず、無反応で流した。
「彼女達が所持する勇者の石。あれを人目につかせるのは避けたほうが良いでしょう、直にでも隠させてください。事実を知り得る者とて、少なくはないのです。まして、知る者全てが味方とは考え難い」
「アンタ、……一体何者?」
決心がついたのか、オークスは淡々と語り出した。目的は未だ不明だが。
「あの子を、御護り下さい。こちらも全力で守護いたしますが、何分表立って動けないので」
「はぁ!? 言われなくても護るけど、アンタは何者かって訊いてるの」
敵ではないようだが、味方なのかが不明だ。オークスの言葉は曖昧すぎて真意がとれない、表情が判らないので事実かどうかも判らない。
「時期が来れば、再会出来ましょう。その時には、必ずお力になります」
「今は敵でも味方でもない、ってコト?」
「味方、です。信じていただけないかもしれませんが。こちらの予測と食い違いがありましたので、本来ならば声をかけることもなかったのですが」
「く、食い違い?」
大袈裟に眉を顰めるマダーニに、オークスは微笑した。
「はい。まさか、勇者が。……マダーニさん、あの子を、邪な魔族達と、卑劣な邪教徒達と、貪欲な魔術師達から……護ってください。決して、あの方の存在を消さない様に。あの方が消えてしまえば、全ては崩壊へと」
「ちょ、待った、待って。一から順に説明してくれない!? あの子って、どっちの!?」
「あの子は、あの方です。俺が会えたのがマダーニさんでよかった、勇者を護る為に他の人間が消えても良い、という考え方でしたら会話しないつもりだったのですが。良いですか『必ずあの方を御守り下さい』。では」
深く会釈をするオークスに、口を開いて呆気に取られていたマダーニだが、一瞬フードから彼の耳が見えた。人間の耳ではない、もっと長くて尖った耳だった。
「アンタ、人間じゃないの?」
その質問には答えることなく、オークスは再度微笑むと忽然と姿を消す。
マダーニが伸ばした手が、宙を捕まえた。行き交う人々の声が耳を通り抜ける、伸ばした腕をそのままに、暫し放心した。
「どういう、こと? 一体、何なの?」
背筋を汗が伝う、身体が小刻みに震えだす。
あの子、あの方。
勇者を“あの方”と、恭しく呼んだ謎の魔族の言葉は不可解だ。オークスは一人で納得していたようだが、意図が全く掴めない。
「マダーニお姉さん、マダーニお姉さん。服決めましたっ」
急に服を引っ張られ、慌ててマダーニはそちらを見下ろす。見ればアサギが近寄ってきて、店先に居るユキを指していた。ユキは両手に二人分の洋服を抱えて、嬉しそうに微笑んでいる。大きな瞳に覗き込まれて、マダーニはぎこちなく笑った。心配をかけさせまいと無理やり笑顔を浮かべたが、逆に引き攣ってしまった。それほどまでに、動揺している。
「どうかしましたか?」
「う、ううん。なんでもないわ。それにしても若いっていいわー、とっても可愛い服を選んだのね。さ、買いましょう」
「私は、大きくなったらマダーニお姉さんみたいな服を着てみたいです」
「アサギちゃんなら着られるわよ、きっと美人になるわ。どちらが綺麗か競争ね」
アサギが成長する頃、マダーニは三十路が近づいてしまうわけだが、その辺には触れないでおいた。
手を繋いでユキのもとへと駆け寄る二人を、路地裏からそっと見ていたオークスは、その微笑ましい光景に、口元を綻ばせる。しかし、神妙な溜息を吐いた。
「人間と、接触してしまいましたが……。さて、帰りますか」
そっと踵を返し、フードを深く被り直す。
「またお逢い致しましょう、マダーニさん。そして……アサギ様」
オークスの声色には、星が煌めくように切ない想いが籠められていた。
一軒の宿から出てきたライアンとトビィは、そっと胸を撫で下ろした。人数が多い為宿の手配に些か戸惑ったが、何軒かまわり、運よく安目で予約が出来た。綺麗とは言い難いが、宿の主人は人が良い。
「集合まで時間があるな。話でもしないか、トビィ君」
「すまない。……少し、行きたい場所がある」
「そうか。では、俺は気になるからアリナ達と合流しよう。あの二人は無茶しそうだし。じゃあ後ほど、噴水前で」
「あぁ」
一人でいたそうなトビィを察し、最もらしい理由を述べてライアンは快く離れた。
トビィは軽く笑みを零すと若干感謝し、迷うことなくライアンとは反対の道へと足を進める。歩くだけで異性の注目を集めるトビィだが、周りの黄色い声など気にしている暇はない。
露店が多く並ぶ通りに出た、そこは年頃の娘や恋人達で賑わっている。
目当ての物を探し始めると、中年の男性が声をかけてきた。他の露店は若い者が経営していたが、この店だけは違った。とてもトビィが探している物を売っているとは思えないような無骨な外見の主で、酒場の親父にしか見えない。トビィは眉を顰めつつも、何故か律儀に足を止めて近づく。
「……女の子に何かあげられる物、売っているか?」
真っ直ぐな瞳でそう訊いたトビィに、店主は目を白黒させた。
「女の子ぉ!? こりゃ一大事だな、街中に嵐が起こるぞ! どんな子だ? さっきからあんた、女の子達の視線を独り占めじゃないか。一体どんな子が幸運を掴んだんだろうなっ」
「御託はいい、商品を見せてくれ」
微かに苛立ちの意味合いを含め、トビィは語尾を強める。「へへ、悪いなぁ。ついつい、あんたが目を見張るほどの美男子だったもんで」と頭を掻きながら店主は屈み、足元の木箱を持ち上げた。
「ほれ、女の子用の装飾品だ。どうだ? 気になるのはあるか?」
簡易な蓋を開けると、成る程、煌びやかなアクセサリーが所狭しと並んでいる。大した金額ではないのだろう、作りは粗悪だ。しかし、デザインは悪くない。売れないのか、ぞんざいに仕舞ってあったようだ。
意外だった、まさかむさ苦しい店主の店に、このような可愛らしい物が売っているとは。店主が違えば、飛ぶ様に売れるだろうに。客が足を止め、商品を見なければ意味がない。
「これを、一つ」
トビィは暫し眺めてから、一つのネックレスを指差した。淡水色の石が涙型に加工してある代物だ、雨を連想させる透き通った色合いをしている。
トビィは懐から硬貨を数枚取り出すと、木箱に投げ入れた。
カコン、と音がして枚数を確認した店主は「まいどありー」と嬉しそうに豪快に笑う。繊細なそのネックレスを丁寧に紙に包み、手渡す。見かけによらず手先は器用の様で、立派な贈り物になった。
偶然とはいえ、良い店に立ち寄れたとトビィは優しげに微笑んだ。
と、不意に首を傾げる店主は、しげしげとトビィを見つめた。顎を擦りながら低く唸る。
「なんだ」
食い入るように中年男に見られては、誰だって気を悪くするだろう。トビィは不愉快そうに店主を睨みつける。
鋭い眼光に我に返ると狼狽し、店主は頭を掻き視線を逸らした。けれども気になるようで、幾度もトビィの顔を盗み見る。
「や。あ、あはは。あー……その、なんだ。あんた以前も買ってくれたか? その首飾り」
唐突な言葉に、トビィは唖然とした。思い出すことなどない、産まれてこの方装飾品を人間の店で買ったことなどない。
「いいや、今日が初めてだが。会う事自体、初めてだろ?」
「だよ、なー……。実は声をかけたのは偶然じゃない。いや、あんたを何処かで見た気がして、というか、顔見知りな気がしたんだ。それから、あんたにそれを売った気がして。その後、何か別の物をあげたような」
腕を組み腑に落ちないと足踏みをする店主に、トビィは無言で踵を返すと立ち去った。しかし、数歩してから足を止める。
迷いもせずに振り返るとこう付け加えた。
「奇遇だな、オレもそんな気がしてきた」
素っ頓狂な声を出した店主に再び背を向けると、軽く右手を上げる。自分でも意外だった、まさか初対面の人間とここまで話すとは。トビィとて奇妙な違和感を感じた。
見覚えが、ある。
あの男を、知っている。
トビィは購入したネックレスを大事そうに懐に仕舞うと、次に向かう。時間はまだある、今宵の為にすべき事があった。
夕陽が、水平線に触れる。
ジェノヴァ中に、鐘が鳴り響いた。
噴水前に徐々に集まった一行は、ライアンに連れられて宿へと向かった。
そこで地球の衣服を脱ぎ捨て、すっかり異界の住人になった勇者達。着ている物が違うだけで、気持ちが高揚してくる。
ユキは夜空を彷彿とさせる濃紺色の、パーティへ出向くかの様な衣装を。
アサギは対照的に、比較的露出が高い衣装を買って貰っていた。動きやすさを優先した結果、そうなった。
「せ、折角だから、地球じゃあんまり着られない服にしようと思って」
暑いこともあって、ホルターネックで胸を覆い隠しているだけの上半身、下のスカートもやたら短い。確かに動きやすいだろうが、下着が確実に見えるだろうし、卑猥に見えなくもない。本人的には水着のような感覚だ、似合ってはいるのだが勇者らしくはなかった。マントを羽織れば、それらしくも見えそうだが。
「いーよ、いーよ! 似合うよアサギ、サイコーっ」
興奮気味に捲くし立てるトモハルは、中年親父のようである。
ミノルはこめかみをヒクつかせ、幼馴染に侮蔑の視線を投げかけた。それからアサギに視線を移し、「露出がたけぇよ」と顔を赤らめる。くびれた細腰を直視出来る程の勇気は、持ち合わせていない。
宿のダイニングルームに到着した一行は、そのまま夕飯にしてもらった。昼食は多目に食べたものの、街中を歩き廻り空腹だった。
料理が運ばれてくるまで、昼間の報告を始める。一行以外の客は未だ到着していないようで、気楽に会話が出来た。
その前に、先程のオークスの忠告を重く置いたマダーニが、直様勇者達に石を隠すように促す。
「じゃ、まずボク達からね。ジョアンへも、コスルプへも現在休航中。コスルプ行きの航路に、三体の竜が目撃されてる。特に襲ってきた事実はないらしいけど、動かないみたいでさ。危険視されてて当分出航しないって。で、ジョアンへは目処が立ってないって。客不足で、採算がとれないみたい」
トビィが微かに顔を上げるが、誰も気に留めなかった。
低く呻き、ライアンが首を傾げる。
「竜か、厄介だな。海路での旅は難しいとなると、当初の予定通り、陸路で行くか」
「しかもその竜なんだけど、三体とも種類が違うらしくってさ。まぁ真相はどうだか知らないけど、黒竜、風竜、水竜なんだって。種族が違う三体が一緒に行動してるらしーんだな、これが。ボクは竜には詳しくないけど、それって普通なの?」
「ほほー、珍しいですな。本来竜は同種族でしか行動しないのですがのう。こと、黒竜に関しては成人すると単独で行動する筈ですじゃ。群れを為すなど……天変地異の前触れに思えますぞ」
運ばれてきたパンに手を伸ばしたアリナは、以後口を開かない。焼き立てのパンにオリーブオイルと塩を振り掛け、ジャガイモを挟んで食べている。
食事に夢中になったアリナに代わって、サマルトが口を開いた。
「とりあえず、時間が余ったからアリナが路上喧嘩っていうの? それに参加して数人ぶっ飛ばしたから賞金受け取った。資金繰り、完了だ」
ライアンに硬貨が入っている袋を渡すサマルトは、勝ち誇った様な笑顔を向ける。
しかし、クラフトとブジャタが蒼褪めて悲鳴を上げた。
アリナの衣服に汚れが目立つと思ったらそういうことか、と苦笑いする一行である。
アリナは無心でパンを頬張りつつワインで流し込んでいる、悪びれた様子はない。
「宿代くらいは稼げたと思うよ」
「うん、十分だ。ありがとう、助かる。しかし、無茶はしないでくれよ……」
「俺は何もしていないよ、全部アリナだ」
どれだけの相手を叩きのめしたのだろうか、袋はずっしりと重い。
「こちらは順調に調達を終えました、質が良い薬草が揃っていましたよ」
アーサーが報告すると、ミシアとムーンも共に頷いた。
皆満足そうな表情だ、ライアンも自ずと笑みを零す。ここは何も問題ないだろう。
その後、一行は夕食をのんびりと取り、暫しの休息に入る。
「今後の予定だが。明日から再び旅だ、次の街まで遠いので馬車での生活が苦になるだろう。今のうちに羽を休めておくように。昼過ぎにはこちらを立つ予定だ」
※挿絵は頂き物です(*´▽`*)ユキ。