夢と真実、勇者の見返り
文字数 4,270文字
澄み切った青空は何処までも続いており、白い雲がゆったりと流れていく。その風景を見ていたら、些か心が落ち着いた。
「お前は、風の使い手だと」
「はい」
「以前、アサギを捜していた時。……身近に風の力を感じた時があるが、あれはお前か」
「おそらく、僕です。勇者に選ばれずアサギを心配していた時に貴方の姿が見えました。僕は、貴方ならばアサギを護れると確信し願いを込めたのです」
トビィは瞳を細める。
思い出したのは、神聖城クリストヴァルへ行く途中の洞窟での事。入る前に風の声を聴いた。
『あぁ、彼なら大丈夫。必ず彼女を護ってくれるから』
その声と、目の前にいるリョウの声が一致する。軽く目を見開き、トビィは優しげに微笑んでその頭を撫でた。
「お前だったか、リョウ」
「はい、僕です。解ってもらえてよかった。ずっと、会いたかった。話がしたくて、いえ、しなければならなくて」
何処かで神秘的な水音が聞こえ、柔らかな風が二人を取り囲む。
「トビィさんの属性は、水。僕は、風。アサギは……土だ」
キィィィ、ガ。
何処かで、奇怪な音が聞こえる。振り払うようにリョウは左手で風を巻き起こした。
「トビィさんも、なんとなく解ってる。僕たちが、
「確かに幾度となく、妙な記憶が甦る」
いやに殊勝な顔つきでトビィは頷くと、腕を組む。思い起こせば多々あるのが、直近だとトランシスに遭遇した時だ。
「僕たちは、多分アサギを護らねばならないと思う」
リョウが差し出した手を、トビィはすんなりと握り締める。
「それは言われなくとも」
鼻で笑ったトビィだが、リョウの顔つきが変わる。子供とは思えぬそれに、一瞬だけ顔が引き攣った。
「トビィさんは、アサギを愛していますよね」
挑むような目つきのリョウに、トビィは同じように瞳を光らせると「当然」と言い放つ。二人の手に、力が籠る。
「僕はまだ、愛なんて解らない。けど、アサギの事はきっと好きなんだと思う。好きな子には、幸せになって欲しい」
「だろうな。オレは、オレがアサギを幸せにしたいと思ってるが」
「でしょうね、なんとなく解ります。おそらく、
しかし、続きがあるようにリョウは言い澱む。
でも、多分駄目なんだ。それじゃ、駄目なんだ。その言葉をリョウは口にすることなくトビィに瞳で訴えた。
「ここまで話して馬鹿みたいですが、これでも僕は混乱している。アサギが消え暫くして、変な夢を見るようになって。アサギが戻ってきて話を聞いたら、トビィさんを夢で見ていた気がして。もし、出会った時に僕が話す言葉に耳を傾けてくれたのなら、それは」
一呼吸おいて、リョウは言った。
「夢じゃなくて、真実だと」
トビィは苦笑し、それでも否定しなかった。何かが心でざわめいている、リョウに出逢ってそれは徐々に大きくなっていた。
軋んで歪む歯車は、それでもいびつに回っている。
「おそらく僕は、惑星マクディという場所の勇者です。アサギが呟いていた」
「マクディ? ……あぁ、あの大馬鹿のいる惑星か」
「お、大馬鹿?」
リョウはまだ、トランシスの事を知らない。新たなアサギの恋人の事を聞いていないのだ。きょとんとした顔つきで、一瞬にして滅入った様子のトビィを見つめた。
ケンイチとユキは、二人で人々の治療にあたっていた。
正直、ユキは疲れている。最初はよかった、救いの手を差し伸べられ、求められる心地良さに酔っていた。口々に感謝を述べられ、自分が特別な存在だと思えた。
けれども、軽症者ばかりではない。治癒を進めていくうちに、瓦礫の下から運び出された重傷者が増えていく。腹部に穴が開いている人に、四肢が欠損している人。とても直視できない。
こんな惨状など見たくはない、そもそもこれはボランティア活動だ。やはり、異界にきたところで愉しいことなど何もなかった。
勇者を辞めたい。
自分にはケンイチという彼氏ができて、親友のアサギは彼氏にフられた。その事実があれば十分だ。あとは地球の日本という安全で快適な生れ育った場所で、親友を適当に慰めつつ彼氏と甘い日々を過ごせばよい。
そのはずなのに、一体いつまでこの勇者ごっこは続くのだろう。
不機嫌そうなユキを励まそうと、ケンイチはそっと手を握る。
その瞬間は、翳っていた表情のユキも頬を染めて微笑み嬉しそうに手を握り返した。
「ユキ、僕は綺麗な水を汲んで来る。待ってて」
「うん、解った!」
ケンイチが木のバケツを抱えて走り去るのを一瞥し、ユキは汗を拭う。
「そうね、捨てられて惨めなアサギちゃんが勇者ごっこをしたいのなら、付き合ってあげてもいいかな。ミノル君とは寄りを戻さないだろうし、トモハル君には好きな子がいるみたいだし。当分独り身でしょ、それならなんとかなりそう」
そう考えると、どことなくグラついていた気持ちが安定した気がした。気を取り直し、自分を待っている人々に笑顔を振りまく。すると、涙を流して感謝されたので上機嫌になった。重傷者は、最初から自分には無理なのだ。アサギがなんとかするだろう。礼を述べられる余裕がある人々を選び、ユキは治療を施す。
楽しそうなユキを見て、憂い顔だったケンイチは安堵の溜息を零すとようやく肩の荷を下ろした。なみなみと汲んできたバケツを下ろし、一息つく。
「女の子って、色々と難しいなぁ」
漫画やドラマで散々観てきたが、恋愛を体感した率直な意見が口から漏れた。
アサギは人を捜し街の外れまでやって来た。ようやく見つけ、蹲っている人に声をかける。
「お待たせしました、治療しますね」
「……何しに来やがった」
「言ったじゃないですか、後で治療しますって」
先程の荒れくれ男が、大木の下で威嚇するように睨む。
不機嫌そうなその男だが、気にせずアサギは回復の魔法を唱えた。翳した手から温かな光が零れて溢れる。
初めて魔法を目にしたのか、大きく見開き凝視している男の目の前で傷口はあっという間に塞がっていった。大した傷ではなかったので、簡単に治癒は完了する。
「では、お大事に」
物珍しそうに腕を振り回す男に腰を折ってそう述べたアサギは、踵を返した。
「……馬鹿なガキだな、わざわざご苦労さん」
聞こえるようにわざと大きな声で言った男に振り返る。口元に笑みを浮かべ、アサギは微笑んだ。
「いえ、言ったことはなるべく実行したいんです。一応私、勇者なんですよ。勇者って、人を助けるものですよね。せっかく憧れの勇者になれたから、自分に出来ることは頑張ろうと思って」
勇者と言われても然程驚かなかった男は、鼻で嗤う。
「お前は人に褒められたいのか? 承認欲求ってやつかね、ご苦労なこった」
嘲笑うように言われ、アサギは不思議そうに小首を傾げた。
「褒められたいわけではなくて……どちらかというと、認められたいでしょうか。辛いわけでもないですし、私にやれることをやっているだけです」
「妙なガキだな、勇者なんて面倒なだけだろうに。世界が平和になったら用済みだろう。まっぴらゴメンな職業だ」
「そうですか? 私は、嬉しいです。
男は不自然なほど大きな溜息を吐き、髪をかき上げた。
「馬鹿に塗る薬はない、とは上手いこと言ったもんだ」
小さく零し肩を竦める。
アサギは、一瞬言葉に詰まった。髪から見えた男の瞳は鋭利な光を放っており、何処も曇っていない。
動揺するアサギに気づかないフリをして、男はぶっきらぼうに告げる。
「お前、名前は」
「アサギ、です」
「勇者アサギ様ね、この脳が動く限り憶えといてやるよ。で、見返りは必要ないのか」
「見返り? ……勇者でいられたら、それで。人の笑顔を見るのって、嬉しくなりませんか? 見返りが欲しいとしたら、それかもしれません」
「ふーん」
深くお辞儀をして去ったアサギを、その男は見送る。
「何処かで……見たような気がする」
そう呟くと、男は全く痛みが無くなった腕を軽快に振り回し小川へと足を運んだ。以前よりも軽くなり、仄かに温かみが残るそれに口角が上がる。
「ちなみに嬢ちゃん、自分の名前はな。
川で顔を洗い、髪を懐の小刀で切り落とす。野暮ったい男は、久方ぶりに髪越しでなく太陽の光を感じた。瞳を細め、痛いくらいに眩しいそれを手を翳して見上げる。
そこには、無骨だが精鍛な様子の男が立っている。
「たまには、真面目に働くか」
自嘲気味に笑ったオルトールは、愉快な気分になってきた。アサギと会話し、些か心が軽くなった気がする。淀んでいた心が澄んだ気さえした。
「変な小娘」
街の中心部へ足を運び、なけなしの金で衣服を買う。店は隣の建物が崩壊し潰れていたが、瓦礫の前で辛うじて無事だった商品を格安で売っていた。日中は暑いが、夜は冷える。凍えないようにという配慮だろう。
「高値を吹っ掛ければいいのに……何処にでも馬鹿はいるもんだな」
悪態づきながらも多目に代金を支払い、着替えてこざっぱりとした男は、復興活動の日雇い職に申し込んだ。打撃を受けた街の何処から給料が出るのか疑問だったので、手続きの際に詳細を訊いてみる。
「この金、何処から出るんだ?」
「ディアスからの資金援助らしい、有り難いな」
オルトールは、口笛を吹くと指示に従い真面目に励む。
数日後、アサギがこの街の状況確認に来たが、オルトールは声をかけなかった。ただ黙々と働き、通り過ぎたその後姿を見つめて軽く笑う。黄緑色の髪が、若葉のように揺れていた。
「知ってるか!? あの可愛娘ちゃん、勇者なんだってよ!」
「ひえええええ、そりゃたまげた! 神官様だとばかり」
「あの娘が近くに来ると、なんか落ち着くよな」
「だな」
オルトールは、同僚たちのそんな話を聞きながら何故か嬉しくなっていた。
「大丈夫だ、お前は存在だけで人を幸せにしているさ」
トビィに連れられて歩くアサギを、オルトールは眩しそうに見つめる。
「幸せにおなり。勇者になったことが、吉と出るように。……いいか、
キィィィ、カコン。
その男は、なんとなく思い出していた。昔、喋ることが出来なかった貴族の娘を拉致し、指定した場所へ連れて行ったことを。その奇妙な運命を辿った娘の幸せを、ほんの少しだけ願っていたことを。
果たして、今回はどうだろうか。