失意の勇者
文字数 5,831文字
「な、んで」
神官から魔王に堕ちたが自分を取り戻し、誠情をもって生きていくはずのハイが何故死んでいるのか。
リュウは悪い夢を見ているのではないかと、状況を否定したい。アサギは重すぎる現実に、ただ叫ぶことしか出来ない。
トビィは逸る鼓動を抑え、冷静に見極めようと周囲に鋭い視線を投げかけた。
アサギの精神状態が乱れた為なのか、緊急信号を発せられた気がしたクレロが連絡をとってきた。しかし、本人は会話出来る状態ではない。一大事だと焦りトビィに語り掛け、ようやく事態を把握する。
惑星ハンニヴァルの状況は天界城から垣間見る事が出来るので、クレロは大急ぎで三人の安否を確かめる為にその光景を映し出した。途端、射抜くような視線のトビィと瞳が交差し、息を飲む。
リュウはハイの亡骸を抱き締めたまま身体を震わせ、焦点の合わない瞳で佇んでいる。
アサギはトビィに抱かれたまま、頭を抱えて悲鳴を上げ続けていた。
疑心の瞳を投げかけてきたトビィが皮肉めいて口を開き、クレロは我に返る。
「……おい、神のアンタは過去に何があったのか視えるんだろ? ハイの死因はなんだ」
「今、調べよう。だが、管轄が違うので安易に映らないかもしれな」
「随分と都合がいいな? お前、まさか見殺しにしたのか」
言葉を被せられ、クレロは拳を強く握り締める。それはあり得ないが、今のトビィには何を言っても信じてもらえないだろう。こちらに向ける猜疑の目に、喉を鳴らす。
「それは違う、そのようなことは、決して」
か弱くそう告げたが、クレロも不測の事態に動揺している。神は万能ではないと熟知しているのが、神本人でしかないのがもどかしい。
神は、万能ではない。
「トビィお兄様!」
二人の会話を聞いていたアサギが、弾かれたように顔を上げてトビィの衣服を強く掴み首を横に振る。
「そんなこと、言わないでくださいっ」
深い悲しみを宿した瞳に、トビィは固唾を飲み込んだ。
「……すまない」
小さく謝罪し、アサギを真正面から強く抱き締める。だが、再びクレロに鋭く睨みを利かせていた。
脅迫めいたその視線にさらされ、クレロは唇を噛んだ。それでも、時間の確保が出来たことに安堵の溜息を漏らす。
「今調べる、少し待っていてくれ」
アサギが声を上げなければ、トビィは言及をしただろう。
三人は無言で頷くと、暫し言葉を発せずに佇む。
しかし、冷たく硬直したその亡骸を抱えていたリュウは、疲弊しきった表情で乾いた声を出した。
「このままでは可哀想だ」
潤み声で呟いた事により、アサギの瞳に光が戻る。ハイの亡骸を一刻も早く埋葬せねばという話になり、適切な場所を探した。
神殿の脇には本来歴代神官達の墓地があったのだが、それらは魔物によって破壊されている。そして、彼らは存在すら知らない。
アサギは、以前ハイが話してくれた丘を思い出し、そこを求めて駆け出した。
ハイを魔王へと導く要因になってしまった、鳥の巣を人間が落として遊んでいたという池が見える開けた丘。そこからは森全体を、そして廃墟である神殿も見渡すことが出来る。
「なんて美しい景色……」
感極まって、アサギはどっと涙を流した。ハイは、皆にここを見せたかったに違いない。否応なしに、嗚咽がもれる。
「オレが知る限りでは火葬が一般的だが。どうしたもんか」
追いかけてきたトビィの声に、アサギとリュウは瞳を泳がせた。このままではいけないのは解っているが、死を受け入れることが出来ない。真実を歪めたい、火葬してしまえば、本当にもうハイはいなくなってしまう。
ぼんやりと、リュウはハイを思い出していた。惑星イヴァンでは見たことがなかった、掃除をしていた愛嬌ある姿はもう見る事が出来ないのだと思うと、胸にぽっかり穴が開いた。
元魔王は、何が原因で死んだのか。どうしても、納得ができない。
動けない二人に代わり黙々とトビィは穴を掘り、その中にハイを寝かせた。
結局土葬することにし、ここへきてようやくアサギは泣きながらハイの亡骸に土を被せる。
「あ、あ、あああ」
土が、ハイの服を覆う。だが、どうしても顔に土をかぶせることが出来ない。現実を受け止めようとしているのに、身体が拒否をする。
リュウは、項垂れて見ているだけだった。アサギの小さな手が汚れ、そこから零れた土がハイの全身を隠していく。
死んでいるのだが、眠っているだけのようなその顏。二人は涙で揺れる視界ながらも、目に焼き付けた。嗚咽は、止まらない。
「ま、待ってよ。ハイを埋めてどうするんだよ! まだ生きてる、生きてる!」
いよいよ姿が覆い隠されそうになった頃、錯乱したリュウが埋めたハイを掘り起こそうとした。魔王同士親しかった二人は、憎まれ口を言いながらも、互いの存在を認め安堵していた。魔王戦で生き残り、故郷で生きていく筈だった。
今までの過ちを、償う為に。
「落ち着いてください、リュウ様! 落ち着いて、落ち、つい、てっ」
悲鳴に近い声でアサギに抱き締められたので、ようやく我に返ったリュウは大きく吼える。絶叫が響き渡り、鳥たちが一斉に飛び立った。身体中の毛穴から一斉に汗を吹き出し、喉が嗄れるまで叫び続ける。
……声と共に、哀しみも消えてしまえばよいのに。
背後から抱き締めてくれているアサギの腕に幾分か落ち着いたリュウは、そっと手を乗せ掠れた声で弱弱しく謝罪する。
「ごめんだ、ぐ。意味が、わからなくて、ごめん……」
震えているアサギの腕を擦り、同じ様に彼女も辛いことに今更気づいた。
「ごめ、ん。ごめん。私も共に弔わねばならないのに、ごめん……」
土を被せ続けていたアサギのほうが、どれだけ勇気があって怖かっただろう。その手に付着している土を払うと、トビィを見上げ申し訳なさそうに瞳を伏せたリュウは鼻を啜る。
トビィは、何も言わずに黙って土をかけていく。二人には最後までさせられないと思った、親しかった分だけ辛いことは解っている。
「何やっている、ハイ。私達は死者にかける言葉など知らない。適任者は、神官であるハイだろう。頼むから、冗談だと言って起きてくれ。そうしたら、私は全力で殴るから」
リュウが、涙ながらに声を絞り出した。
リュウの手を、アサギが優しく握る。
そっとその手を強く握り返したリュウは、溢れてくる涙を拭うことなくハイの亡骸がすっかり埋まった箇所を見つめ続けた。
二人の手と身体は小刻みに震え、今にも卒倒しそうな程青白い顔をしている。だが、大事な人を弔うために気丈に立っていた。
アサギは、作ったケーキを置いた。こんなことの為に持ってきたわけではないのに、やりきれなくて嘆くことしか出来ない。
目印にと、トビィが人の頭程の石を運び墓石とした。
リュウが、近くに咲いていた花を植え替えた。
澄み切った青空の下で、三人はその簡素な墓標を見つめ続ける。
しかし、思い立ったアサギは蹲り土に触れ、詠唱を始めた。
何気なく見ていたリュウだが、堪え切れず号泣した。
墓標の周囲に、花が咲き乱れる。朱色の花は
以前、アレクの城でアサギが咲かせたように、リュウとトビィの知らない花々が周囲を覆い尽くす。花で満たされたその場所は、風が吹くと仄かに甘く香る。
「ハイ様は、お花が好きでしたので」
三人は、あっけなさ過ぎる不可解なハイの死を受け入れられず、ただ立ちつくしていた。
元魔王ハイ逝去。
この訃報はすぐに仲間達に知らされ、騒然となった。
ムーンは暗殺されたのではないかと勘繰ったものの、他殺ではないと聞き多少安堵した。以前の自分のように、魔王ハイに恨みを持つ人間は多い。だが、彼が元魔王だとムーンとサマルト以外は知り得ない事実。
彼の働きぶりを見て、若い神官を派遣しようと提案する予定だった。流石に一人であの神殿の整備は骨を折る。また、本来偉大な彼なのだから、弟子入りを願う者達も多いだろう。
「もっと早くに私が決断していたらっ」
助けられなかったことを、ムーンも悔いた。怨恨などとうに薄れ、共に未来を担う仲間だと認識していた。過労ではないかと、自身を責める。
仲間達は、当然ハイの死因を知りたがった。
クレロが過去の映像を覗き見て判明したことは、体調が悪かったことくらいだ。何度か煎じた薬湯を飲んでいる姿が確認出来、嘔吐と咳を繰り返していた。顔色も酷く青白い為、何者かに殺されたわけではなく、病気が原因だと判断された。
毒殺ではないか、とも噂されたが人の気配はなかったように思える。
地球と違い医学が発達していない為、原因は解らない。傷を回復魔法で治癒することは出来ても、病気は魔法で回復出来ない。ゆえに、回復魔法に長けたハイが詠唱したところで、状況は変わらなかっただろう。
傷口からの破傷風菌感染ではないかと、アサギは疑った。小さな傷口だからとハイが放っておいたのならば、十分に有り得る。
「もし、私が頻繁にハイ様のところへ遊びに行っていたら。体調不良だと解った時点で、地球に連れてきて病院へ行く事が出来ました。そうしたら助けられましたか?」
泣きながら繰り返すアサギに、クレロは何も言えなかった。死因は不明。クレロは地球の医学が何処まで発達しているかなど知らない、何より、対応出来るものなのかどうかすら解らない。
そもそも、異世界の住人を日本の病院へ連れていくには高リスクが生じる。血液型すら違う、地球の住人に効く薬も、異世界の者に正しく反応するかどうか。
「どうしよう、私のせいだ。地球だったら、地球にさえ連れて行けばっ!」
自分を非難し、泣き喚くアサギに「それは違う」と、皆が口を揃えて諭した。
だがアサギは大きく首を横に振り続ける、何故すぐにケーキを焼いて会いに行かなかったのかと自問自答を繰り返し、責め続けた。何をしていたのかといえば、トビィの看病をしていた事と、ミノルと揉めていた事くらいだ。行こうと思えば、いつでも行けた。約束はしたが、ケーキなど焼かなくともよかった。
「どうしよう、どうしよう、どうしよう!」
後悔に苛まれ、圧し掛かる罪悪感に体調を崩したアサギは数日学校を休んだ。
魘されて寝込んだと思えば、急に飛び起きて震えながら毎日ハイの墓標へ向かう。何を備えれば良いのか解らなかったので、地球の香水入れに天界の水を入れ、その硝子瓶を石の近くに置いた。花々に肥料と水を与え、自然が好きなハイが少しでも喜んでくれるようにと願いを込める。
「ごめんなさい、ハイ様。私がもっと早くに会いに行けば」
そればかりを唱え続ける。
心配した勇者達が、アサギを見舞いに来た。
母親にも宥められて一週間後には学校へ行くようになったが、今にも倒れそうな状態だった。
勇者達も懸命にアサギを励ました。自分を責めなくてもいいと、絶対にアサギのせいじゃないと口々に告げた。
けれども、アサギは首を横に振り続ける。すっかりハイの死に囚われてしまった。
そんなアサギの背を撫で抱きしめ続けていたトビィは、密かにリュウのもとを訪れ不信感を露にした。
突然の来訪に驚いたが、それにリュウも同意し二人は意思の疎通を交わす。
『神クレロは、腑に落ちない点が幾つもある』
二人は暫し沈黙したまま、互いの瞳を見つめていた。
そこまで親密な仲ではなかったものの、激動の時間を共有していた。友情という枠ではないが、信頼出来る相手だと認識している。
皆は、ハイの死に気を取られて過ぎていた。最期に、リュウがハイに頼んだことは何だったか。
「勇者なのに、私、何も出来てない。……どうしよう、どうしよう、どうしよう」
ハイの墓標の前で泣いていたアサギは、ふらつく足取りで天界に戻る。
勇者とは、人々を救う者ではなかったのか。
一体、これまでに誰を救えたというのだろう。
……アサギ、アサギ、アサギ。聴こえるかい、アサギ。アサギ、どうか、私の声を聴いておくれ。
今はもう懐かしい、今後聞くことは出来ない声が墓標の周りで悲しげに叫んでいた。風に乗って漂っている声は、本人に届かない。
……アサギ、アサギ、アサギ。私の大事な友人よ、尊敬する勇者よ、愛する人よ。どうか、私の声を、今一度聴いておくれ。
ハイは、叫び続ける。渾身の力で、アサギに訴えかけていた。
天界人もアサギを心配し、痛々しい視線を向けていた。
けれども、上の空のアサギは常に放心状態で、生ける屍。目の前が歪み、冷たい壁に触れながら歩き続ける。
クレロに頼まれたソレルがアサギの後を追うが、それすらも気付いていない。
「勇者なのに、何も出来ない。何人助けられなかったのだろう、勇者なのに。勇者は全てを救える凄い人なのに。私、どうしよう、欠陥勇者だ」
ボソボソと呟きながら、行先を塞がれようやく焦点を合わせる。
大きな丸い球体の前に立っていた。
これは、神しか起動出来ないはずの球体。
アサギが過去のトビィの危機を知った、それ。
何も映っていない球体が、僅かに煌く。そっとアサギは手を伸ばして触れると、冷たいそれに身体を寄せた。疲労困憊で、寄りかかりたかった。
すると。
球体が発光したかと思えば、赤い惑星がぼんやりと浮かび上がる。
「これ、はっ!?」
その様子を最初から見ていソレルは、強張った表情で踵を返す。また、勇者アサギが起動してしまった。
アサギは異変に気付いていなかった、ただ、大きすぎる球体を抱き締めるように腕を伸ばした。
映し出されたのは惑星マクディ。
「オレはここだよ、早くおいで」
その惑星で、紫銀の髪の少年が手を鉛色した空に掲げる。
声に気づいたように、アサギは身体をゆっくりと起こして球体を見つめた。
キィィィ、カトン、トン、トン。
そして、ゆっくりと歯車が起動する。
それが必然であり、避けられない運命がすぐそこまで来ている。
だから言っただろう、後悔すると。