外伝4『月影の晩に』31:愛とは恐ろしいもの
文字数 1,856文字
姉を、妹とは全く違う抱き方でモノにした。
何度も耳元で名を囁き、愛していると語りかけたトレベレスは、産まれて初めて大事にしたいと思った女を抱いた。夢中で腰を振りながら、確実に産まれるであろう子が破滅へ導く災厄だとしても、母親は護り抜こうと誓った。いや、むしろ自分とアイラの二人で、愛を注ぎ育てた子ならば、破滅へ向かう道など消え失せるのではないだろうかと前向きに考え出した。愛情を持って接した二人の子ならば可能なはずだ、と。
そうなれば、もう何も怖くはない。最早代わりは不要なので、マローの塔へ以後通うことはなかった。トレベレスは、アイラだけを毎晩愛した。いや、四六時中、朝だろうが昼だろうが、抱きたいと思えばひたすら抱いた。片時も離れず、何処へ行くにも寄り添っていた。
家臣達はトレベレスの豹変振りに眉を顰め、困惑していた。彼がアイラを見つめる瞳は物腰柔らかであり、別人に思える。そして、以前の様に癇癪を起して怒鳴る事がなくなった。慈愛に満ちた動作は喜ばしいことだが、王子を変えたのは呪いの姫君だと知って皆は頭を抱えていた。ついに、呪いの姫君の魅惑に屈してしまったのだと嘆いた。しかし、今までにあのような優しい眼差しを向けた事があっただろうか。恐らく、心の底から愛してしまったのだろう。すぐに飽きてくれる事を願うが、変貌からして望みは薄いと判断した。
どうしたものかと、家臣達は皆食事が喉を通らず、ついには寝込む者も出て来た。子が産まれる前に殺してしまうのが良いだろうが、王子が常に傍に居る。食事に毒を混ぜようにも、二人で食べているので誤って王子が死んでしまう可能性もある。二人を引き離そうとしても、出来ない。しかも、母親を殺害した場合にも禍が降りかかるという予言が遺されている。
通夜の様に暗い館の中で、火の加護を受けた王子と、土の加護を受けていた亡国の姫だけが幸せそうに寄り添っていた。
やがて、アイラが自分の前から消えてしまうのではないかという不安を心に抱き始めたトレベレスは酷く怯え、全ての要因を消してしまわねばならならないと思い始めた。
完全に、愛に溺れてしまった。
ある夜、剣を手にして深夜に馬小屋へ出向いた。眠っているアイラを置いていくことは忍びないが、デズデモーナを処分する為なので仕方がない。馬がいては、アイラは来た時と同じ様に去ってしまう気がしていたからだった。まして、この馬は本来トライの所有物である。最初から、目障りだった。
月が雲隠れしていた夜、剣の鈍い光と向けられた異様な殺意に気づき、デズデモーナは懸命に抵抗した。運よく綱が切れたので、そのまま一気に駆け出すと館から逃げ出す。
去って行く漆黒の馬を一度は追いかけたトレベレスだが、地獄の果てまで追う必要は無い。何処かで野たれ死ぬことを強く望み、二度と帰るなと消えていった方角へ睨みを利かせる。
翌日、いなくなったデズデモーナに愕然とし、泣きじゃくるアイラを必死に慰めた。しかし、髪を撫でて背中を優しく擦っているトレベレスの顔には、冷淡な笑みが浮かんでいる。
アイラが頼れる人物は、最早自分だけである。本音を言えば、家臣達も全員この館から立ち去って欲しかった。二人きりだけの世界で過ごしたかった。
たった一人の愛する女を手にした途端、足元がいつ崩れてもおかしくはない恐怖を痛感していた。何れ、嘘は発覚するだろう。すでにラファ―ガ国の惨状は知れ渡っているだろうし、さすればトライとて攻めてくる、ベルガーとて貶めてくるに違いない、裏切るかもしれない。
不安要素は多々あるが、最も恐れているのはアイラがこの手から離れてしまった場合だった。どうやって生きていけばよいのか、分からない。呼吸の仕方すら、記憶から抜け落ちてしまいそうだった。
何時か来る自分への制裁に脅え震え、トレベレスはアイラを激しく抱く。その体温が、声が、自分の存在を生かしてくれると信じて。二人で繋がっている時だけは、悪夢に悩まされることもなく、快楽に身を任せられて至福だった。
だから、二人きりで居たかった。
誰にも邪魔されない、素晴らしい世界を自分の手で作り上げてしまいたかった。