未知なる生物
文字数 6,735文字
「ッ!」
リュウは、顔を背けた。彼らの視線が、どうしようもなく痛い。過去の行動に、自信はない。いつも激しい悔恨に胸を焼かれる思いで、先導してきた。皆の視線にどのような感情が含まれていようとも、非難されているように見える。
「ウゥッ」
身体を硬直させ、喉が大きく動く程に口内に溜まった唾液を飲み込む。予想外だった。とんだ伏兵がいたものだ、まさかアサギが召喚魔法を扱うとは。勇者の能力がここまでのものだと、誰が予測出来ただろう。
あの日、リュウは自身の魔力を使って、故郷である幻獣星を封印した。内からも外からも、何人たりとも干渉出来ぬ様に、結界を張った筈だった。破る事が出来るのは、施した自分のみ。
「何故、アサギがっ」
幻獣星の存在すら知らぬだろうに。しかし、現にこうして打ち破っている。つまり、アサギは自分と同等、いや、それ以上の能力者だと認めざるを得ない。薄い氷の上に立っている気分だ、僅かでも動けば一気に冷たい水底へ沈む。そんな、危うい位置に立っている。
「勇者って、なんなんだっ」
自分の大事な仲間達の中心に佇むアサギに、リュウは唇を噛み締めた。
「アサギ様、此度はありがとうございました。ところで、どちらの召喚師でしょう? 家名をお聞かせ願えればと」
鋭利な視線をリュウに向けたままのヴァジルの問いに、アサギは困惑気味に返答する。
「い、いえ。私は召喚師ではなく、一応勇者です」
瞳を丸くしたヴァジルは、物珍しそうにアサギを見下ろした。顎を擦り、瞳を細める。
「勇者、ですか。長い事生きておりますが、初めてお目にかかります。しかし……なんともまぁ、不思議な御方で」
「ごめんなさい、勇者っぽくないですよね」
苦笑するアサギに、ヴァジルは首を傾げた。皮膚がピリリ、と何かを感知しているように突っ張っている。勇者、と言われたので勇者なのだろうが、腑に落ちない。それはどこか、警告にも思えた。
奇妙な違和感に沈黙するヴァジルに、リングルスが声をかける。
「お久しぶりで御座います、ヴァジル様」
何か掴みかけていたのだが、懐かしい者に名を呼ばれ我に返った。
「リングルス。久しいな、無事でよかった。王子に、助けられたのか?」
「はい。我々を懸命に護ってくださいました、立派になられましたよ」
「……何が立派なものか。独断で惑星を遮断した挙句、人様に迷惑をかけてる戯け王子だろう」
リングルスがリュウを庇っていることなど百も承知だとばかりに、ヴァジルは肩を竦める。
辛辣な言葉に、「相変わらずな御方だ」と、リングルスが苦笑する。久方ぶりの再会なのだから、もう少し感動をしてもよい気がするが、流石は教育係。
「教育が至りませんで、申し訳ありませんアサギ様。それで、手短に状況説明をお願いしたく。……あの巨大な化物は?」
淡々と語るヴァジルに、アサギは冷汗をかきながらたどたどしく説明する。一度も微笑んでいないので、苦手だと思った。彼は、厳格な教師に似ている。こちらに非はなくとも、粗を探されそうな気がした。何より、リュウに対して容赦ない。
「あれは魔王様で、その……倒さなければならないのだと思います。リュウ様は、こちらの味方なのか分からない状態で、宙ぶらりんといいますか、中立といいますか、なんというのか、えっと」
「早い話、邪魔なのでしょう? 捻じ伏せます、お任せください」
言うなり、ヴァジルはアサギの視界から消えた。
「え、え!?」
唖然としていると、ヘリオトロープも、リングルス達も消えていく。消えたわけではなく、全速力でリュウのもとへ駆け付けただけだが、速過ぎて見えなかった。去り際に、エレンが耳元で囁いてくれた。
「ヴァジル様は王子の幼馴染で教育係なのです、すぐに王子を更生させますから」
「そ、そうですか」
二人は、周知の仲。ヴァジルは冷酷な男に見えるが、突き放すことはない。これでも、心底心配し嘆いている。
「王子。まず謝罪なさい」
ヴァジルの重い一撃が、顔を歪めたリュウの腹部に見事に入った。鈍く呻いて前に折れた背に、追い討ちをかけるように手刃を叩き込む。口から胃液を吐き出し倒れ込む身体を躊躇せず踏みつけた。
ヴァジルが激怒していることは分かったが、流石にそれは酷すぎる。アサギは青褪めると、視線を逸らした。
「王子は何も分かっていない。外部と遮断し、幻獣星の民を護ったつもりでしょうが違います。自分の身より、家族の、恋人の身を案じる我らにとって、それが如何なる苦痛か分かりますが。それだけではなく、愚鈍な王子の事も皆は心配したのです。それこそ、食事も喉を通らない。一体何年の時をそうして過ごしたでしょう。しかも、王家は王子のみだというのに不在。皆が絶望しながら過ごした時間を、どう償うおつもりで?」
何も語らないリュウを、更にヴァジルは踏みつけた。
アサギは口元を押さえ、ふらふらとリュウに近寄った。状況は把握出来ていないが、足で踏み潰され説教されては心が折れてしまう。
「弓を、そして剣を教えたのは誰でした。魔力の流れの掴み方も、誰が教えたのでしたか。私です。……全く、半人前の癖に一時の感情で」
「半人前扱いをしていたのは、ヴァジルだろう! 何故、王子である私に隠し事をしたっ」
大人しく聞いていたリュウが、憤激の熱い涙を搾りながら腕に力を篭めて起き上がった。ヴァジルの脚が、徐々に浮いていく。
「説明したところで、同じ状況になると思っていたからです。ろくに話を聞かず、暴走することが目に見えていた。反論は?」
リュウの瞳に、華奢な脚が飛び込んできた。憎々しげに見上げた先のアサギは、不安そうに立っている。歯を剥き出しにして、この不遇に託つ。
「アサギ! よくも勝手なことをしてくれたな! 一体、君は何なんだ! この時点で、私と同等の能力を持っているってことだろ、何でも出来るじゃないか! 全知全能の勇者ならば、何故あの時にサンテを救出に来てくれなかった!? アサギなら、サンテを救えた筈だ! 不毛な土地に勇者として降臨し、見難い人間共に制裁することは、容易いだろうっ!?」
その時代、アサギは産まれていない。サンテを助けられるわけがない。リュウとてそれは分かっていたが、惨め過ぎる自分を恥じ、逆上することしか出来なかった。
「ご、ごめんなさい」
理不尽な物言いに謝るアサギは、震えていた。責めるのは筋違いだ、けれども、言葉は止まらない。土に爪を立て、嗚咽を漏らす。悪いのは助けられなかった自分なのに、人のせいにしたくなってしまう。目の前の小さな勇者は、何もかも全て包み込んでくれそうで頼ってしまう。
「申し訳ありません、アサギ様。愚鈍な王子の暴言など、御気になさらず」
リュウの頭部を踏みつけ、再び地面に擦り付けたヴァジルが冷めた瞳で溜息を吐いた。アサギに軽く頭を下げ、謝罪する。
「い、いえ」
とんでもない、と手を振るアサギは、躊躇しつつもリュウの目の前に両膝をつき、顔を覗き込んだ。言い淀んだが、正直に本心を吐露する。
「あの、リュウ様。私、助けられるなら、助けたいと思っています。サンテ様も、リュウ様も、それからミラボー様も。そう、思ってます。私に……出来るのならば」
途端、リュウの笑い声が響いた。皮肉めいて顔を歪ませるその目の前で、アサギは哀しそうに微笑む。
「助けたい? 私も? サンテも! ミラボーもだって!? 驕り高ぶる勇者だね。あはは、あれだけ光の魔法で攻撃しておいて、よくもそんな」
「エルフの血肉は、脳を……溶かします。正常な思考が、出来なくなってしまうのです。その代わりに異常な力を得られますが、それでも妙薬でしょうか。ミラボー様は、血肉を取り込み過ぎました。正常に戻すには、説得では無理なのです。あれは、ミラボー様であって、ミラボー様ではありません」
小声ながらも凛とした声で告げたアサギに、リュウは笑うのを止めた。
ヴァジルは訝しげな視線を送り、リングルス達も戸惑いがちに見つめる。
その中で、アサギは言い難そうに口を開く。
「リュウ様。一度、よぉく考えてください。サンテ様がリュウ様を大事に思って、決断したことを。おニ人揃って居られたらよかったのでしょうが、それは無理でした。リュウ様が惑星の皆を大事に思っていることを、痛い程に知っていたサンテ様だから。優しい友達の願いを叶えたかったのでしょう、きっと、最後までサンテ様は足掻いたのだと思います。自分が死ねばリュウ様が苦しむ事も、分かっていた筈です。だから、お願いです。サンテ様の願いを、もう一度思い出してください。サンテ様の最期の願いは『リュウ様が治める平和な幻獣星で、暮らしたい』……ですよね。その為には、遮断を解除しなければなりません。リュウ様が幻獣星にいないと、無理な願いですから。今、こうして幻獣星は繋がりました。この場にいる皆さんが無事に戻れば、あとは、サンテ様の転生を待つだけです」
流暢に告げたアサギは、一呼吸置いた。
「ですから、リュウ様。ヴァジル様、リングルス様……皆様は。
言ったアサギは、リュウにひまわりのように笑った。
「大丈夫です。私はリュウ様を護りますが、自分のこともきちんと護りますから」
くるりと身体を反転させ、アサギは走り出す。やるべきことは、分かっている。ならば、やらねばならない。路は、示された。
「私は勇者になった、だからみんなを護る。みんなを護って、みんなを幸せにしたら、それはきっと良い事だから。だから」
夢心地で呟き、ミラボーに向かう。
残されたヴァジルは、微動だしないリュウに深い溜息を吐くとアサギを見つめる。違和感は、拭えない。けれども、今は従うしかない。彼女は、契約者だ。
「そのような命令をされては、離れるより他ありませんね」
リュウの片腕を持ち上げ、立たせる。俯いていた両頬を思い切り殴りつけたヴァジルは、倒れこむ彼の胸倉掴んで、それを許さなかった。
「主がそう告げたので、ここから離れます」
狼狽する皆を尻目に平坦な声でそう言うと、アサギから距離を置いた。
我に返ったリュウは、必死にアサギの名を呼んだ。口内が切れていたが、呼び続けた。サンテのように自分を護って死んでしまったら、どうしたら。後悔の波に飲み込まれて、今度こそ底がない海で溺れ死んでしまう。
「あ、アサギ、アサギ……!」
リュウは、震える声で名を呼ぶ。腕を伸ばし、小さくなっていくアサギの姿を目で追い続けた。
「アサギ、アサギ。お願いだから、死なないで。私の前で、死なないで」
「……あの方は大丈夫だと思います。私の第六感がそう告げておりますので」
耳元でヴァジルに囁かれたが、リュウは蒼褪めたまま首を横に振った。
「嫌な予感がするんだ」
掠れた声でそう告げ、腕を伸ばし続ける。掴むことなど、出来ないのに。
小さな勇者、魔界へ来た可愛らしい人間の娘。不思議な魅力で魔王を、魔族を虜にした勇者。笑顔を見ていれば、癒された。傍にいると不思議と、安心出来た。
何があっても意志を貫く、頑固な勇者。小さいのに度胸は人一倍の、娘。
「ミラボー様、参ります!」
威勢のよい掛け声と共に、アサギが剣を振るう。
その果敢な姿に、エーアが小さく悲鳴を上げた。彼女だけが、ミラボーの最終目的を知っている。
「いけない、小さな勇者! アーサー、あの子を護るのよ! ミラボーの最終目的は、あの子を喰らう事よっ」
切羽詰まったその声を聞いた者達は、死にもの狂いでアサギの援護に向かった。
言われずとも、トビィは直様アサギの隣に降り立ち、ニ人で立ち向かう。
何故、アサギを喰らうのか。エーアだけが知っているが、今は護る事に専念する為、話す余裕がない。
アサギの周囲に勇者が揃い、ハイも駆けつけ一斉に唱えたのは光の魔法。眩すぎる光に埋もれて、ミラボーの絶叫が魔界全土に響き渡った。光は皮膚を焦がし、徐々に溶かしていく。その巨体が、縮んでいくように見えた。
「や、やったんじゃないか!?」
ミノルの興奮気味な声に、皆が大きく息をしながらミラボーの肉片を見た。
溶け出していくその姿は不気味だったが、生命の破片など見つからない。動きもしないし、声すら発しない。それでも注意深く構えて、ミラボーの成れの果てを見守っていた。何事もなく消えていく身体を眺めていると、皆は打ち震え、徐々に口角が上がり出す。
勝利を確信した。
誰かが、笑い声を上げる。誰かが拍手をすれば、広がっていく。
「ほう、やりましたね。よかったですね、王子。アサギ様はご無事ですよ」
言ったヴァジルに、それでもリュウは唇を震わせてアサギを観ていた。嫌な予感がしていた、寒気が止まらない、歯がガタガタと鳴り続ける。
「やったな、アサギ! 意外と呆気なかったな、強くなりすぎたんだよね、俺達」
「あんまり伝説の剣、使ってないね」
トモハルとケンイチが歓声を上げ、アサギの元へ駆け寄った。
ふらつきながらやって来たユキは、泣きながらアサギの手をとった。
感極まってアサギは涙を溢し、隣にいたトビィを眩しそうに見上げる。溢れる涙はそのままに、破顔した。
集まってきた仲間達と再会し、手を握り合う。
そんな光景にハイは満足して頷くと、離れているリュウに手を振った。
上空ではクレシダとデズデモーナが旋回している。トビィは一息つくと、剣を一振りし鞘に収めようとした。
しかし。
小刻みに、身体が揺れた。皆も何事かと、地面を見つめる。
「アサギ、後ろだ!」
リュウが悲鳴に近い声で、叫んだ。
振り返ったアサギの目の前には、勝ち誇ったように笑っている口。
「ぇ?」
それは、一瞬の事。
巨大な口が地中から出てきて大蛇のような舌でアサギを巻き取ると、そのまま連れ去る。分厚い唇は、強固な扉の様に閉じらた。
「……は?」
全員の口から、間抜けな声が漏れる。唐突過ぎて、思考回路が混乱していた。
口だけの化物が、もっしゃもっしゃと満足そうに何かを喰らっている。
何が起こったのか考えることが出来ず、唖然とそれを見つめていた。
「え、ア、アサギ? え?」
ハイが、乾いた声で名を呼んだ。
「アサギィィィィィィィ!」
途端、トビィが絶叫し口に斬りかかる。血走った瞳で口を見据えた、状況を理解してすぐさま動いた。
声にならない悲鳴を上げたユキ、そして、慌てて武器を構え直した勇者達。仲間らも、一斉に口を取り囲んだ。
『うまぁい! うまぁい、至高にして究極の娘よ!
耳障りなミラボーの声が荒れ狂う風となって、駆け巡る。口が爆ぜ、爆音と共に皆は吹き飛ばされた。
「……命ずる、アサギを助ける」
リュウが青褪めたまま、離れている場所から届く不穏な風に髪をなびかせ呟いた。
それに静かに頷いた幻獣達は、焦点の合わない瞳で歩くリュウを追い越し現地へ向かう。
アサギが喰われる瞬間を見てしまったリュウは、脚がもつれ、地面に何度も転がりそうになりながら歩き続ける。
「な、なにやっているんだ、アサギ。約束したじゃないか」
また、勇者の友達を護る事が出来なかった。顔を両手で覆い隠し、情けなく泣きながら歩き続ける。
『スタイン、君なら出来るよ。あの勇者を、君の手で助けるんだ。大丈夫、微力だけれど手を貸すよ』
サンテの声が聞えた気がしたが、情けなく首を横に振る。ついに都合の良い幻聴が聞こえてしまったと、脆弱な自分に嗤った。
吹き飛ばされ、地面に倒れ込んだ皆の前。口から生え出した、手足らしきもの。瞳が地面付近に何個もあり、もはや何処が頭なのか分からない造型の、化物がいる。
『そらみたことか、異界の勇者の秘めたる魔力は、エルフをも凌駕するっ! 溢れ出てくる膨大な魔力、魔力、魔力!』
愉快そうに笑っているミラボーの成れの果ては、必死に立ち上がった仲間達に向かってただ、笑った。笑っただけで、皆の身体は引きちぎれるほどの強風に煽られる。
『スバラシィいぃぃいいいいいいィ!』
叫ぶだけで、脳に衝撃を与える。
凄まじい激痛が、皆を襲った。嘔吐し、耳を塞ぎ、地面を転げまわる。
愉快そうに地面を見渡し、這い蹲っている虫けら達を確認する。ミラボーの成れの果ては、得意げに幾つもの口で爆笑を繰り返した。不協和音の大合唱に、皆は気が狂うを通り越して死を覚悟した。
勇者アサギは、魔王ミラボーに喰われた。その事実を、目の当たりにして。